歓喜の丘から大聖堂の尖塔を見る!
【41日目◆12年10月19日(金)◆晴れ◆Pedrouzo➔Monte do Gozo◆15.8km/累計776km】
目覚めの気分はまあまあ。本格的な歩きは今日で終わりだな。さて、起きよう。
7時7分、出発準備OK。これから部屋を出る。
1階に下り、玄関ドアを開けて外に出ると、霧がたちこめ通りはかすんでいた。雨が降っていないのには助かった。
▼霧の様子がよく撮れない。とにかく濃い霧だった。
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ペンシオンから歩いて数分で巡礼路に出る。道はすぐ森に入り、街灯などはもちろんなく、闇に包まれる。新しく買ったヘッドランプだけでは頼りなく、古いものもリュックから出し、2つの光を重ねて照らす。それでも森の闇は濃く、光を吸いとってしまうかのようだ。
ものの2、3分で道がとぎれ、やぶの中に入りこんでしまった。もう少し行けば道に出るかもしれない。しかし、歩くほどにやぶは茂みを増し、にっちもさっちもいかなくなる。
あたりを見まわしても、背丈ほどの茂みがヘッドランプの明かりを吸いこむだけで、先を見通すこともできない。
ここで方向を見失ったら、とんでもないことになる。急に恐怖感がわいてきて、進むのを断念。足下を照らしながら、慎重に踏み跡をたどり、元の道まで戻った。こうなったら手はひとつしかない。森の入り口で待機だ。
待つこと数分、予想どおり巡礼仲間がやってきた。オラの挨拶を交わして後につく。なんだ、道はちゃんとあるじゃないか。なぜさっきはやぶの中に入りこんだのか、わけがわからない。狐につままれるとはこのこと。
森を抜け、ようやく普通の道になる。いやあ、コワかった。遭難という文字がちらついたのは、この旅初めてだった。
1時間ほど歩くと空が白みはじめた。霧は相変わらず濃い。
▼霧の道を行く巡礼者。道の先は白く閉ざされている。
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▼これまで見たこともない石碑。SANTIAGOという文字が掘りこまれ、ホタテ貝に杖・ひょうたんはサンティアゴ巡礼の三種の神器だから、これもモホンなんだろう。
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今は8時49分だから、ペドロウソを出てから1時間40分ほどたっている。初めて見たモホンは珍しかったが、そろそろおなじみの10kmモホンが現れてもいいころだ。見落とさないようにしなくちゃ。
霧の道を歩いていると、どこからか飛行機の音が聞こえた。ふと、なつかしさを覚える。あれに乗れば、日本に帰れる……。
なんだろう、急にそんなことを思うなんて。
でも、なつかしや、帰りたや、という気持ちは本当だ。旅の終わりが間近に迫り、里心がついたのかもしれない。
音が聞こえるということは、ガイドブックに出ていたラバコージャの飛行場が近いな。そう思ったとおり、やがて巡礼路は飛行場を囲むフェンス脇へと入っていく。
今、旅客機が降りていった。
▼飛行場のフェンス脇を通る巡礼路。
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▼フェンスにはお決まりの十字架。作った人には悪いが、どうしてもゴミに見えるし、センスもないなあ。 |
▼これは初めて見るが、似たり寄ったりかな。やめたほうがいいと思うんだけど。
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飛行場を過ぎ、10時前、ラバコージャのバルで小休止。スタンプを押す。このところ、店の人に押してもらうというより、自分で押すことが多い。ほとんどのバルでカウンターにスタンプ台が置いてあり、勝手にどうぞ、というスタイルだ。
▼珍しく閑散としていたラバコージャのバル。
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休憩を終え、バルを出てしばらく歩くと、5日ぶりの太陽が輝いてきた。霧が少しずつなくなって、空の青さがだんだんとましてくる。
やがて道の右手に、フェンスに囲まれた建物が見えてきた。フェンスそばにとめてある車に「TELEVISION DE GALICIA」と書かれているから、これがガイドブックに書いてあったTVガリシアのようだ。
▼フェンスの向こうはテレビ局の敷地のようだ。
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▼テレビ局を過ぎるとすぐにサン・マルコス村。
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村に入ると道はやや上り坂。大したことはない。
やがて見通しが開け、すばらしい雲海が目に入ってくる。天気もいい。11時を過ぎたが、疲れもない。今までになく気持ちのいい歩きができている。
▼すっきりと晴れあがった空のもと、真っ白に広がる雲海が目を奪う。
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目の保養をしながら歩いていると、おっと、モホンだ。
だが、これは空振り。お目当ての10kmモホンじゃない。これまでさんざん見てきた普通の標識だ。いったい10kmモホンはどうなったんだ?
▼サン・マルコス村で見かけたモホン。
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ここまで来たら、もうあきらめるしかないな。とっくの昔に10km地点は過ぎている。
巡礼路を外れて歩いた覚えはないし、残り13kmまでのモホンはちゃんと見ながら歩いてきた。なのに、そこから先が1個も見当たらないというのはどうにも解せない。またもや狐につままれた思いだが、見落としだ、見落とし。いさぎよくあきらめよう。
気持ちを切り替え坂道を上る。上りつめると、そこがモンテ・ド・ゴソ=歓喜の丘だった。11時22分着。
▼歓喜の丘に建つモニュメント。実にすばらしい眺めだ。
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▼ここにたどり着いた巡礼者は、わたしがそうだったように、残すところ4.5kmの喜びに浸るはずだ。
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▼このモニュメントは、元ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の訪問を記念して建てられたものだそうだ。
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モニュメントの建つ丘の下にはサン・マルコス教会がある。そこにはスタンプが置いてあるというので行ってみたが、ドアは閉ざされていた。
▼サン・マルコス教会。残念ながら閉まっていた。
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ならば次は、今晩泊まるアルベルゲと巡礼者の像だ。そう思って、ぞろぞろ歩いている巡礼者に混じり下り道を行くと、これは失敗。7、8分歩いたところに階段があり、そこを降りるとサンティアゴの市街地に通じる道になり、丘から遠ざかってしまう。
アルベルゲも巡礼者像も丘のどこかにあるはずだから、戻って出直しだな。イヤイヤながら歩き、元のモニュメントの丘に戻る。たまたま教会の横で作業をしていたおじさんに聞くと、親切に教えてくれた。
アルベルゲはそこから2、3分の距離。だが、巡礼者像は今はなくなっていると言う。ゲッ!
ちょっと考えたが、まず巡礼者像が建っていた丘に行ってみるか。ガイドブックには「サンティアゴのカテドラルの尖塔を指差している巡礼者の像」とある。
像はなくなっていても、指差す先のカテドラルの尖塔は見えるだろう。
▼おじさんが教えてくれたのは、モニュメントを後にし、だれも通る人がいない野原の小道だった。
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こっちのほうには巡礼者はひとりも来ないな。みんなさっきの下り道に行くようだけど。
ちょっと不安になりながら野原の道を歩いていくと、散歩をしていた地元の人に出会った。聞くと、あそこがそうだ、と指差す丘にポツンと標識が立っている。
丘を上ってみると、そこは砂利が敷かれた広場になっていた。標識には、Monte do Gozo(モンテ・デ・ゴソ)のほかに、読める文字として「VIEWPOINT」とある。
カメラのマークも描かれているけど、どこがビューポイントだ? 平坦な丘の上はけっこう広い。ぐるりと見まわして目星をつけたのは、下の写真の左端に写っているパイプやぐらだ。
▼丘の上の広場に建てられた案内表示。左端にパイプで組まれたやぐらが小さく写っている。
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▼パイプやぐらがあるのは、この丘でいちばん見晴らしのいい場所だった。
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やぐらの先に出てみると大正解!
ガイドブックに「巡礼者たちが初めてサンティアゴ大聖堂の3本の尖塔を目にして歓喜の声を上げた」と記されている、その3本の尖塔が、わたしの目にもはっきり見えた。
おお、あれがサンティアゴ・デ・コンポステーラのカテドラルか! バンザイ!
▼写真のやや右、天と地の境目に突き出た3本の尖塔、あれがサンティアゴ大聖堂の尖塔か!
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歓喜の丘とはここのことだったのだ!
さっき見てきたモニュメントの丘がそうだとばかり思っていたが、あれはまあ露払いのようなもの。もちろん、最初に目に入ったときには感激したけどね。
歓喜の丘に腰をおろし、すばらしい風景を堪能する。丘の上だけに風は少しあるが、日差しがあたたかくてまさに小春日和だ。
ここから見るサンティアゴは、緑が多く、遠くに山を臨んだ静かな街のように思える。たしか300mほどの標高だから、山すその街なのかもしれない。
▼3本の尖塔が見えるあたりがサンティアゴの旧市街で、その左に広がるのが新市街だろう。
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丘にはわたし以外にだれもいない。目の前のすばらしい光景はわたしだけのもの。歓喜をひとりじめしている気分だ。天気は上々、気分も上々。これほど気持ちのいい時間を過ごせるなんて、思いもしなかった。最高!
この丘からあの大聖堂まで4.5km。歩いて1時間の距離だ。今、12時48分だから、行こうと思えば2時前には到着できるんだなあ。ようやくここまでたどり着いたか。ゴールは目前だ。
それにしても、どうしてみんなこの丘に来ないんだろう。
気持ちはわかるけどね。あと1時間でゴールインできるとなれば、だれしも先を急ぎたいもの。モニュメントを見たあとは寄り道なんかしてられない、といった心境のはずだ。
モニュメントのほうを振り返っても、人が来る気配はない。もう少し、わたしひとりだけのゴールデンタイムを過ごすとしよう。
▼歓喜の丘から振り返った風景。濃い緑の木々が固まっているところがモニュメントの丘。ここに続く白い道が少しだけ見える。ちなみに公営アルベルゲは写真左上の白い家からやや下がったところにある。
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あと4.5kmを残し、今日はこの歓喜の丘のすぐそばにあるアルベルゲ泊まりだ。日程に余裕があるからできることだが、このスケジュールは正解だったな。なんともいえない至福の時間を過ごすことができた。
さて、この旅最後のアルベルゲに行くとしよう。
歓喜の丘を降り、舗装道路を突っ切って、先ほど歩いてきた野原の道を戻る。モニュメントの丘の手前で左に折れ、野原の端まで歩くと、アルベルゲの裏手に出た。張り巡らされたフェンスに小さな出入り口があり、石段を降りると、そこが公営アルベルゲだ。
モンテ・ド・ゴソのアルベルゲは、収容人員が800人と、けた外れに大きい。広大な敷地に平屋の建物が幾棟も軒を連ねて並び、全体を見渡すことは不可能だ。時刻が早いせいか、閑散として人影もない。受付はいったいどこにあるんだ?
▼平屋の細長い建物がアルベルゲ一棟。坂道沿いに、これと同じ建物が連続して並んでいる。
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▼アルベルゲの内部。廊下の左右に部屋がある。それにしてもこの廊下、100mは優にあるんじゃないか?
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幸運なことに、わたしが入っていった裏口に近い29棟が、本日オープンのアルベルゲだった。入り口のドアが大きく開いている。
オスピタレロは陽気なスペイン人で、コンニチハ、ゲンキデスカなど、日本語で話しかけてくる。
はいはい、元気です、よろしくお願いしますよ、と手続き完了。宿泊費5ユーロだった。
アルベルゲは一部屋に4ベッド=8人。そんな部屋が廊下をはさんで100メートルぐらい続いている。
一棟でこれだから、団地並みのマンモスアルベルゲというガイドブックの表現もうなづける。
ただし、団地という表現で、わたしなどは4、5階建ての建物群が、サンティアゴを見下ろす丘の斜面に建ち並ぶ風景を思い描いてしまった。
▼2段ベッドが4つあるだけの簡素な部屋。わたしは左奥の下段ベッドに陣取った。
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団地の4階ならサンティアゴが一望のもと、と想像して、最後の夜はサンティアゴの夜景を見ながら過ごすのも悪くないなあ。うん、そうしよう、とこのアルベルゲを選んだのだが、誤算だった。ここからはサンティアゴ市街を見通すことはできない。
ま、それでも、歓喜の丘ですばらしい眺望を堪能できたし、よしとしよう。
夕食はモニュメントの丘まで行き、そこから少し下ったところにあるバルで。
アルベルゲの敷地内にもバルが一軒あるのだが、昼食を食べたとき、ウェイトレスが非常に感じの悪い姉ちゃんだったので、パスした。なにせ、メニューを示すのに顎を使うんだぜ、客に対して。さすがに温厚なわたしもムッとして、以後、口もきかず、こちらも顎で注文した。
▼バルの夕食。チョリソとハムの盛り合わせ+チーズは、塩分たっぷり脂たっぷりで、今日だけの特別食。
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夕食後、店を出ると、日はとっぷり暮れ、野原を通るアルベルゲの道は、秋の虫の大合唱だった。ちょっと寂しく、ちょっともの悲しい、そんな夜道を歩いて帰る。
寝る前に、洗面所で歯を磨きながら鏡を見たが、顔の疱疹は、それほど目立たぬものの、あまり変わらず。たぶん背中も同じだろう。どうにかおさまる方向にいってくれればいいのだが。
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