十字架に捧げる石がない
【30日目◆12年10月8日(月)◆晴れ◆Rabanal del Camino➔Molinaseca◆25km/累計563.4km】
夜中、隣のベッドの若いやつが帰ってきて、ガサゴソうるさい。消灯10時の規則だから、みんなはとっくに寝ている。もともと眠りの浅い私は物音で目が覚め、眠れない。
そのうち、隣からものすごいイビキ。耳栓の出番だが、リュックから出すのが面倒で、枕元に置いてあるレコーダーを音楽に切り替え、イヤホーンで聞く。
寝たような寝ないようなスッキリしない朝だ。今日は標高1530mのイラゴ峠越えだというのに、体調はイマイチだなあ。
それでも7時6分にはアルベルゲ出発。アスファルトの上り道を歩き、8時29分、フォンセバドン村到着。夜は明けたが日はまだ昇らない。10分休憩。
▼フォンセバドン村の標識。ここから本格的な山道になりそうだ。
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▼山の風景は日本と変わらない。四国八十八寺を回っていたときもこんな風景の中を歩いていた。
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フォンセバドン村から2km歩いて(1時間かかっている)鉄の十字架着。小高く盛り上がった
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▼標高1505mに建つ鉄の十字架の下で記念撮影。同じタイミングで小山に上ってきた女性も写りこんでいる。ちょっと場違いな服装の彼女は、9日前、モラティノスのアルベルゲで夕食のテーブルを囲んだ巡礼仲間だった。こんな偶然があるから旅は楽しい。
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石の山に木製の柱がすっくとそびえ、そのてっぺんに鉄の十字架が鎮座している。
ここはサンティアゴ巡礼路の象徴的な場所とされ、聖なる地として知られている。
巡礼者は願いを込めた石を出身地から持参し、この場所に置いていくという。
そうしたことがガイドブックに書いてあったのに、ろくに読まずに日本を発ったわたしは、手ぶらだ。
石の小山によじ登り、十字架の下で旅の安全を祈願するしかなかった。
ところで、こうした場所で記念写真を撮る場合、だれにシャッターを押してもらうか、人を選ぶのが大切だ。
わたしはできるだけ一眼レフカメラを持っている人に頼むことにしている。わたしのカメラがそうだということもあるし、基本的にそういう人は写真を撮るのがうまいからだ。
▼鉄の十字架が建つ石の小山は、ここを訪れた人々が積み上げたものだという。
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▼それぞれがそれぞれの願いを置いていく。捧げられた願いはきっとかなうに違いない。
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鉄の十字架を後にして30分ほど歩くと、電灯がなく温水もないトマスじいさんのアルベルゲがあった。ここまで来るとイラゴ峠の頂上(標高1530メートル)は過ぎているのだが、まったく気がつかずに来てしまった。峠の頂上を示す標識を見落としたのかも。
▼電灯も温水もないトマスのアルベルゲ。古さ加減が気にいった。泊まってみたかったなあ。
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▼アルベルゲの入り口で見かけた「SANTIAGO 222km」の里程標。あとひとがんばり!
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トマスのアルベルゲがあるマンハリン村(廃村になっている)を過ぎ、山道を下っていく。巡礼路は、舗装道路とショートカットの細い山道を交互に歩くようになっている。足場の悪い山道を歩きたくなければ、ずっと舗装道路を歩いもいい。現にそうしている人もいた。
▼舗装道路は州道LE-142号線。歩きやすいが距離は長くなる。
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▼先を行く馬軍団。ここに来るまでには石がゴロゴロした坂道もあったが、馬もよく歩いてこれたものだ。ご苦労さん。
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11時15分、3頭の馬軍団が追い抜いていった。こんな細い道より、広い州道のほうが歩きやすいだろうに。
でも、馬には、岩や石のゴロゴロ道でも、固い舗装道路よりはいいのだろう。
馬に負けられない。気合を入れて歩く。道は下りだから、息が切れるということはない。ただ、リュックの全重量が膝にのしかかる感じで、勾配が急だと脚がきしむ。
おっと、そんな山道をものともせず、今度は自転車軍団がやってきた。下りだからけっこうなスピードで、ザザッシューと追い抜いていく。
転んだら終わりだな。
自転車の巡礼だと1週間から10日ぐらいで完走してしまうそうだ。わたしがもっと若ければ、一度は挑戦してみたかった。
▼楽な舗装道路をやめ、あえて山道を選ぶ根性がすばらしい。若い女性ライダー。
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12時53分、リエゴ・デ・アンブロスの標識を通過。あと4.7kmで目的地のモリナセカだ。馬ではないけれど、ひと鞭くれないと体がいうことをきかない。がんばれ、ピシリ!
▼リエゴ・デ・アンブロスの標識。あと4.7km。下りだからいいものの、上りだったらダウンしかねない。
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▼モリナセカ村の入り口に到着。2時13分。疲れた。
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標識から5分ほど歩き、古風な石の橋を渡ると、オスタルがあった。高そうだ。外観はホテル並に立派。だけど、もう、ここでいいや。安いところをさがして、村を歩きまわる体力がない。
▼古い石造りの橋を渡ると村の中心部。橋を渡りきったところの右の建物がオスタルだった。
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峠越えが予想以上にきつかったなあ。オスタルのドアを開け、重い足取りでフロントへ。
なんでもいいから空いてる部屋を。42ユーロの部屋でいかが? OK、OK。交渉する元気もないので言うがままだ。
それにしても、昨日が4ユーロ、今日は42ユーロ……10日も泊まれるなあ。
▼ほかに空いている部屋がないとはいえ3ベッドとは……。ひとりでどうやって使えというのか。
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▼ロケーションはいい。先ほど渡ってきた橋が窓から見える。7つのアーチを持つ中世の「巡礼者の橋」。
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疲れてベッドでひと休み。ただし、寝込むわけにはいかない。ここで寝てしまうと、夜が眠れなくなる。
眠るな、眠るなと言い聞かせ、うつら、うつらという状態で、窓から入ってくるさわやかな川風をかすかに感じ、時が流れていく。
こうしていると、今日のきつい歩きの記憶もどこかに消え去り、ここまで歩いてきてよかったと思うから不思議だ。
2時間ほど休み、4時過ぎに起きだして村に出てみた。
▼ちょっとびっくり。日本語の石碑発見! 四国お遍路のNPO法人が設置したもののようだ。
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ここモリナセカは、スペインの片田舎といってもいいところなのに、なぜに日-西の友好記念碑などが?
頭をひねっていると、歩いてきた2人連れの巡礼者に声をかけられた。
オーラ、ジャパニーズ!
あれっ、おととい、アストルガの手前で会って、しばらく一緒に歩いたご夫婦だ。奥さんからパンとチーズをもらったっけ。
奇遇、奇遇!
チープ・イングリッシュ(わたしの英語力に対する奥さんの評価)で、再会を喜びあい、立ち話をする。
2人は、もう少し先まで行ってから泊まるそうだ。石碑の日本語を見つけ、なつかしいだろうと一緒に喜んでくれる。いい人たちだ。
記念碑が建っている数メートル先が村の出口で、州道と交わっている。2人は州道を左へ行く。バーイ。見送って、わたしは右へ行き、村に戻る。
またどこかで会えるだろうか。巡礼旅の出会いは一期一会だけど、たまに二会、三会もあるからね。会えるといいな。
▼ここにも日本語。お遍路の宣伝・普及活動をしている日本人がいるのかもしれない。
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▼古い教会。ガイドブックには1705年建造とあった。
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オスタルまで戻り、そばを流れる川に出てみる。川沿いにベンチの置かれた遊歩道があり、木陰はひんやりとしている。
体でも伸ばしてみるか。芝生に当たる日差しが気持ちよさそうで、はだしになってストレッチ。峠越えで疲れた足腰をねじって伸ばす。
ふと人の気配を感じて目を上げると、鉄の十字架で再会したおばさんが目の前に立っていた。驚かそうと足音を忍ばせてきたらしい。びっくりするわたしにケタケタ大笑い。ジャパニーズ・ストレッチと言いながら、わたしの真似をしたりしている。わたしも大笑い。ハグして再開を喜ぶ。陽気で無邪気な人だ。典型的なアメリカおばさんだな。
▼川沿いの公園で十字架のおばさんに再々会。わたしとは別のオスタルに泊まっているそうだ。
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疲れもだいぶとれたし、いい散歩だった。ベッドに寝転がって疲れをとるのもいいが、体を軽く動かして疲れをとる「積極的休養」というやつもなかなか効くもんだ。
それに部屋にこもっていたんじゃ、巡り会いもなかっただろうし。よかった、よかった。
▼橋を渡ってくる巡礼者もいなくなった。今日もいい一日だったな。さて、寝るとしようか。
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