▲国道沿いの巡礼路を行くおばさん2人。一緒に歩いたが、そのたくましいこと。油断するとつい遅れがちになる。
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たくましいおばさんたち
【14日目12年9月22日(土)晴れSant Domingo de la Calzada➔Belorado22.9km/累計236.4km】

 起床は5時半。そっと起きだし、荷物を両手にかかえて廊下に出、そこで身支度とリュックの整理。ほとんどの人はまだ寝ている。アルベルゲを出発したのは6時25分。

 少し歩いた分かれ道で、アルベルゲの靴置き場で出会った中年の女性がきょろきょろしている。わたしもどう行けばいいのかわからない。2人であっちこっちさがしながら、一緒に歩く。まだ真っ暗だから、2人だと心強い。

 それにしても彼女のヘッドライトは強烈だ。50mぐらい先でも光が届く。わたしはといえば、足元を照らすのがやっと。それでも、歩くだけなら十分だと思っていたが、その強烈な光を体験してわかったことがある。それは、巡礼路を示す標識をさがしたり、周囲の状況を見たりするのがものすごく楽なこと。

 ヘッドライトは明るいほど、楽に、かつ速く歩ける。こんな単純で当たり前のことも、体験してみて初めてわかる。大きな街に行ったらさっそく買い換えよう。

 ヘッドライトもいらなくなった8時過ぎ、小さな村グラニョンに着いた。バルで朝食。早朝出発組はだいたいこのあたりで朝食とみえ、バルは巡礼者であふれている。

▼バルのテラスで朝食。右の女性が一緒に歩いてきた強烈ライトおばさん。ドイツから来たと言っていた。名前は聞いたのだが、どうしても思いだせない。直近の記憶はすぐになくなるこのごろだ。

 朝食で同席したおばさんも加え、3人で出発。目的地のベロラードはまだ遠い。ここからだと16km以上もある。ま、歩くしかないなあ。

▼村を出るとすぐにこんな風景が広がる。少し見飽きてきた感もある。

 おばさん同士、気が合うのだろう。2人はにぎやかにしゃべりながら前を行く。わたしは後を追いながら、そのたくましい歩きっぷりに感心するばかり。

 今回の巡礼旅でいちばん目についたのが、彼女たちのような年代の女性だ。推定60歳前後。子供はとっくに独立。旦那がリタイヤしたので面倒をみることもなくなり、さあ、これからわたしの人生よ、とばかり好きなことをしている――のかな。

▼この日2つ目の村、レデシージャ・デル・カミーノ。1時間しか歩いていないのでそのまま通過。

▼つたがからまる家。緑から少しずつ深紅に変わっていくのだろうが、ふと秋を感じさせる。

▼つねづね花の名前をパッと言えるようになりたいと思っているのだが、なかなか。きれいなもんだね。

 歩きはじめて2時間、11時過ぎに小さな公園で休憩。水飲み場があったので飲もうとしたら、ダメ、それは飲めない、とドイツおばさんが言う。どこかに注意書きがあるらしいが、わたしは見落としていた。

 生水は飲まず、ミネラルウォーターにすること。最初はこの鉄則どおり、ペットボトルの水しか飲まなかった。が、最近は水道水を平気で飲むようになった。飲んでもどうということはないからだ。よく、硬水は日本人には合わない、といわれる。しかし、それも個人差があるようで、わたしは平気。なんともない。

 11時8分、小休止終わり。出発。
 約1時間歩き、12時11分にはベロラードのアルベルゲに着いた。おばさん2人とはそこでグッバーイ。彼女たちはもう少し先まで行くようだ。

▼アルベルゲが併設された教会。歩いてくる巡礼者の右奥に見える茶色い部分がアルベルゲの入り口。

▼教会の建物から突き出た壁(鐘壁のようだ)の四隅にコウノトリの巣があった。

 アルベルゲの入口前にはすでに順番待ちの人がいる。開くのは13時からだと言うので、時間もあるし、途中で看板を見かけたペンシオン・トニーをさがし、よければそちらにしようか。

▼のんびり歩いていると、古びた家と石塀があり、そこにもペンシオン・トニーの案内表示があった。

 少し歩くと町の中心らしいプラザに出る。暇そうなおじいさんに聞いたら、プラザのバルで聞けばいい、というようなことを言っている。なるほど、バルのマスターなら町のことをよく知っているだろう。

 で、いちばん人が多いバルに入り、コーラを頼む。女主人の対応がぞんざい。でも、勇を鼓して聞いてみると、案の定、じゃけんに、あっち行って、こっち――みたいなことを言いながら、大きな手振りで「く」の字を描く。それでおしまい。

 スペイン語で聞き返すなんて無理だから、相手が親切でない限り会話は終わりで、場所もわからないというわけだ。

 すぐにあきらめた。アルベルゲに引き返し、20分ほど待ってオープン。順番待ち4人。

▼アルベルゲが開くのを待つ間、ふと足元を見たら土ぼこりで真っ白になった靴が目に入った。ここまで靴を磨いたこともなかったな。お疲れさん。ほこり除けのゲイターもよく働いてくれる。感謝、感謝デス。

 このアルベルゲはオスピタレロ(管理人)の話が長い。オープンを待っていた4人に、スペイン語? フランス語? 英語? と聞き、わたしを除く3人が英語と答えたので、その人たちにアルベルゲの来歴を延々と英語で話す。

 たぶん、わたしがガイドブックで読んだ話をしているのだろう。なにしろ12世紀建造の教会付属という由緒正しきアルベルゲなのだ。しかも無料。

 で、わたしの番。日本語オンリーだから、彼(Pierreと名乗った)は困ったと言いながら、メモ用紙にスケッチを始めた。門限とミサの時間、シャワー室、洗濯場などの場所説明。なかなか上手な絵だ。よくわかる。
 OK?
 OK!
 言葉ができないと言っておくと、簡単でいい。

▼割り当てられた部屋。先客が1人いるようだ。2段ベッドが4つあり、ほかはすべて空いていた。

 ルーチンワークのシャワー、洗濯。物干し場の日差しが気持ちよかったので、そこでストレッチ&腕立て伏せ25回。

 毎日20km歩いているとストレッチは欠かせない。一度、筋肉が固まってしまうと、柔らかくするのは容易ではないから、こまめなストレッチが必要なのだ。
 若ければ何もしなくても回復してくれるが、歳をとってくると、固まりっぱなし。そのうち、ちょっとしたはずみでけいれんを起こし、それが全身に広がったりすると、身動きできなくなる。これはツライ。

 このところ、そんな目にはあっていない。ストレッチとのんびり散歩がいいようだ。例によって町に繰りだす。目当ては果物、絵葉書、そしてWi-Fiのできるバル。

 が、町は閑散としていて、散策の成果なし。3時をまわったころだからまだシエスタか。それにしても少しぐらい開いていてもよさそうだが。そうだ、今日は土曜日。店はお休みだ。

▼閑散とした町で出くわした唯一のにぎわい。何かのイベントなのか、町の一角でブラスバンドが演奏されていた。取り巻く人は曲に合わせて体を揺すっている。

 歩きはじめて約2週間。最近は曜日の観念がなくなった。歩いている分には土曜、日曜関係ないからね。今日のように買い物には少し困るが。

 しかし、買い物に困るといえば、曜日よりシエスタのほうが影響大。巡礼旅で町に買い物に出かけるといえば、昼食を兼ねて、1時~3時ごろがいちばん多い。スペインではその時間帯がシエスタで、町には人通りが絶え、店は軒並み閉まっている。

 バルだけは例外なので、結局、いつもバルで過ごすことになる。町の散策は見当をつけるだけで、買い物は夕方ということが多いのだ。

 そんなわけで、今日もプラザの一角のバルで遅めの昼食。バルが3軒、店を開けているが、ほとんど人がいない。閑散とした午後。テントで覆われたテラスは、日陰になっていても暑い。真夏並じゃないのかな。31°の気温表示。
 でも、吹き抜ける風はじつに心地よく、わたしとしてはノープロブレムだな。

 目の前は低い木(白樺?)がぐるりと円形に立ち並び、木陰をつくった公園。そして時計塔(のある教会?)。こういうのがスペインの田舎町の典型的なプラザなんだろうな。

▼町の中心のプラザでランチ。今日もまたスペインの風に身をゆだねる至福の時間を過ごす。

 ご飯を食べたあとは眠くなって、つい居眠り。目覚めて、こんなときによくやられると書いてあったと思いだす。が、そんな気配は一度も感じたことがない。
 でも、用心すること。慣れるのはいいことだが、ゆるみだしていないか?

 果物、絵葉書、Wi-Fiを求めて再び散策。偶然、さがしていたペンシオン・トニーを見つけた。なんと、バルのおばさんの道順ジェスチャーは、だいたい合っていた。
 どなるような口調だったので、じゃけんに扱われていると思ったが、わたしの思い違いのようだ。とはいえ、あの教え方だけでここをさがしあてられたら刑事なみだ。

▼ふらふら歩いているうちに偶然見つけたペンシオン・トニー。けっこう現代的なビルじゃないか。

 アルベルゲの近くに戻ってきて、トマトとトウガラシが家の軒下に置いてあるのを発見。日本でいう無人販売だ。でも、値段が書いてない。トマトを3個選んだから1ユーロぐらいかな。そう思って小皿にお金を置いたところに男の人が出てきた。

 このおじさんが親切。裏の畑につれていき、弟さんも呼んで、ハーブ、イチジク、トマトなど、つくっている作物の話をいろいろしてくれる。
 畑は弟さんがやっているようで、本人はワイン商だという。なぜか、野村証券の人の名刺を持っていて、友だちだという。どうりで日本人のわたしに親切にしてくれるわけだ。別れ際、イチジク、トマトをどっさりくれた。

 アルベルゲの食堂で、もらった果物を食べながら、日記を書く。
 自分で食事をつくっている人が多い。慣れたもんだ。わたしにはそこまでやる元気がない。

▼アルベルゲの食堂。調理器具はひととおりそろっており、自炊する人も多い。

▼もらった果物を食べていたら、自炊組が手招きして呼んでくれ、トマトソースで煮込んだスパゲッティーをふるまってくれた。呼んでくれたデンマークのおばさんによれば、食卓には全部で8か国の人がいるそうだ。デンマーク、イギリス、チェコ、アイルランド、イスラエル、スペイン、ポーランド、そしてユー、日本。

 8時少し前、みんながぞろぞろと隣の教会へ行く。ミサがあるのだ。わたしも出席。ミサは昨年のルルド巡礼で体験ずみだが、一般のミサのほかに巡礼者の特別ミサがあるようなので、後学のためだ。信者でなくても参加は自由。

 ミサはルルドで体験したのと同じ。特別ミサでは巡礼の無事を祈る言葉が、参加者の言語で唱えられた。残念ながら日本語はなし。

 9時にミサが終わって町に出たら、同じアルベルゲの身長2メートルは優に超えているポーランドのおじさんにばったり。「オーラ」で挨拶を交わすが、それから先の会話がなかなか続かない。お互いカタコト英語なので話がすぐにとぎれる。
 手持ちぶさたでやりようがなく、苦笑い。それじゃ、ということになる。学生時代にもっと英語を勉強しておけばよかった、と思う瞬間だ。

 土曜の夜だからだろう、プラザは多くの人でにぎわっていた。長袖がぴったりぐらいの気温。だいぶ肌寒くなってきたな。さて、帰って寝ようか。

 座っていたベンチの下には、ひまわりの種の殻がたくさん落ちている。隣りのおじいさんが、ペッ、ペッと吐きだしていたものだ。一度、買って、食べてみるか。


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       ◆聖地巡礼:カミーノ・デ・サンティアゴ