▲カルサーダの大聖堂。キリスト教とは縁もゆかりもないわたしだが、こうしたところではなぜか安らぎを感じる。
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大聖堂でしばしの憩い
【13日目12年9月21日(金)曇りのち晴れ一時小雨NajeraSant Domingo de la Calzada21km/累計213.5km】

 いつもより遅く、6時55分出発。風が生あったかい。半袖で十分だった。

 昨日が29キロ、その前が28kmと、ややオーバーペースで疲れ気味。歩きだしてすぐに女性に追い抜かれる。さっそうと歩いているなあ。あの脚の長さでは一歩の距離が違いすぎる。抜かれるのは当たり前だ。

 力強い女性が多い。ま、こんな旅に出ようというのだから、男勝りの気性じゃないとつとまらないのかもしれない。

 8時。夜は明けたが、空一面、黒い雲。ふり返った東の空に、ほんの少し紅色が見える。さらに30分歩いて、アソフラの村に着いた。ガイドブックによると、ここは『星の巡礼』(パウロ・コエーリョ著)に登場する泉のある村だという。

▼アソフラのレストラン。朝早いのに開いていた。だが、休むなら泉のほとりと決めていたので素通りする。

 泉をさがしながら歩いていくが、それらしいものが見当たらない。そのうちに、村の中心は通り過ぎてしまった。
 見落としたかな。そう思っていた矢先、公園らしきものが現れた。
 だが、これが例の泉のある広場なの? わたしがイメージしていたものとはまったく違う。ベンチがあるので休憩にしたものの、どうも釈然としない。

▼村の外れで発見した公園。

▼泉ではなく小さな噴水があった。これはやっぱり違うよ。どうやら泉は見落としてしまったようだ。

 見落としたのなら、それはそれでしようがない。先に進むとするか。一期一会。巡り会うか会わないか、それも定め。リュックを背負い杖を手に歩きだす。

▼ブドウ畑はなくなり、再び収穫の終わった小麦畑に。前を行くのは自転車の巡礼者。たくさん走っている。

▼野菜だと思うがこれほど青々した作物が植えられているのは珍しい。

▼何かがあると石を積み上げたくなるのは、人間の本能なのかな。

▼リゾート開発でできたニュータウン。不況で買い手がつかず、新しいのにゴーストタウン化している。

▼ニュータウンから1時間歩くと、もうこんな風景になる。春だったらどんなにすばらしいだろう。

 おっと、また羊の群れだ。餌になるものといっても、さて、何があるのだろう。立ち枯れた路傍の草、それに刈り取られた小麦の、根本から15センチほど残された茎ぐらいか。

▼老人がひとりと犬数匹で羊の群れをひきいていた。遠くにうっすら見える町が今日の目的地だろう。

 12時を少しまわったころ、目的地のサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダに到着。ガイドブックで紹介されていた、増築されたばかりのアルベルゲに行く。すばらしい設備で居心地満点。しかも、なんと宿泊費は無料なのだ。

▼宿泊費無料のアルベルゲ。ただで泊まるのは初めての体験だが、設備も近代的で申し分なし。

 ひとつだけ難点は、ほんのちょい権威主義的なにおいがすること。あるいは、もったいぶっているというか、きゅうくつな思いをすることがある。公営アルベルゲ特有の精神主義(宗教心)から発したものだろうから、単になじめないというだけのことで、非難しているわけではない。

▼洗濯場は屋外。天気もよくなり洗うのが楽しい。木陰のベンチも涼しそうで環境抜群のアルベルゲだ。

▼階下は共用スペース。吹き抜けになった上階はベッド室がコの字に並んでいる。わたしが割り当てられた部屋は、2段ベッドが9つ置かれていた。設備はちょっとしたホテル並みのよさだ。

 昼食に出かけ、のんびりお昼を楽しんでいたら、雨がポツリポツり。いかん、洗濯物が! 4ユーロなんとかと言っていたので、5ユーロ札を出しておつりはいいよ、と飛び出した。

▼高い天井に黄金の装飾。おばあさんがひとりそれを見ていた。
 それほどひどい降りではない。少しぬれた洗濯物をとりこむ。
 夕食にはもう一度出かけるが、それまでの時間、居心地のいいロビーで絵葉書を書き、食堂のテーブルで日記をつける。

 夕方、有名なカルサーダの大聖堂を見学。チケット3・5ユーロ。隣接するタワーが1ユーロ。

 ちょっと暗いカテドラルの内部は静かだ。気持ちが安らぐのがわかる。

 フランスのルルドの泉に行ったとき、初めて教会の内部に足を踏み入れた。そのときに感じた安らぎは、長く心に残った。

 それ以来、今回の巡礼旅では、機会があれば教会に入り、聖堂や礼拝堂の長椅子に座って、しばしの休息をとるようにしている。

 信者ではないから祈ったり瞑想したりするわけではない。単純に休息のためであり、椅子に
▼カテドラルの内部を歩いていると、こんな場面も目にする。
体をあずけてぼーっとしたひと時を過ごすだけだ。

 ただそれだけのことだが、休息が終わって教会の外に出ると、心がおだやかになっていることが多いのだ。

 それを癒しというのなら、教会のような建物は、じつによく考えられた、心の鎮静化システムのように思える。余人はどうあれ、わたしにとってはそう感じられるのだ。

 日本にも宗教的な建物としてお寺や神社がある。お遍路の旅では88のお寺を巡って歩いた。

 しかし、残念なことに、お寺の内部にまで入れたのはほんの数えるほど。
 安らぎの空間としては西洋の教会に勝るとも劣らないと思うのだが、その恩恵にあずかることはほとんどなかった。
 宿坊に泊まったとき、朝のお勤めに参加したことがある。その雰囲気はここに近い気がするだけに、もっと身近な存在になればいいと思うのだが。

▼町の名前にもなっている聖ドミンゴの廟墓。巡礼路の整備に生涯を捧げた聖人だという。

  ▼聖ドミンゴの廟墓の正面には鶏舎があり、つがいのニワトリが飼われている。なんとも珍しい鶏舎だが、左の写真のように彫刻で飾られた重々しい造りで、言われなければ誰も鶏舎とは思わないだろう。これは聖ドミンゴの奇跡――死んだニワトリが生き返ることで人の命が救われた、という事跡に由来する。
 鶏舎を最初に見たときは空だった。そのうち、ずっと見ていたおばさんに、ほら、来たわよ、と言われ、あわててカメラを構えた。ようやく撮れたのが下の写真。かろうじて2羽のニワトリが写っている。

 大聖堂に隣接する建物はタワーと呼ばれているようだが、そこからはカルサーダの町が見渡せる。西日を受けた大聖堂の尖塔が赤い屋根に影を落とし、その向こうで町は途切れ、白茶けた大地が広がる。

 今日、歩いてきた道がどのあたりなのか定かではないが、いずれにせよ、あの茶色い耕地を抜けてこの町に着いた。明日、この町を出れば、すぐに家並はなくなり、同じような茶色い大地を黙々と歩いて、次の町に着くのだろう。まさに線と点の繰り返しだな。

▼今は午後7時20分。日はまだ明るく、涼やかな風が吹きぬける。わたしのいちばん好きな時間だ。

 四国のお遍路道と違い、サンティアゴの巡礼路は本当に一本の線だ。人家はおろか人や車に会うことも珍しい。ただ一本の道が野山を走っているだけだ。そんな道を数時間歩くと、村や町が出現し、そこを過ぎればまた元の孤独な道がどこまでも続く。
 
 巡礼旅もまだ4分の1。この先も、点と点をつなぐ細い道を歩く毎日なのだろう。その道が苦しいものか、あるいは楽しいものか、今はまだ何とも言えない。

 苦あれば楽あり。うん、これが今の心境だな。


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     ◆聖地巡礼:カミーノ・デ・サンティアゴ