▲ピレネーは、緑の芝生を敷きつめたような牧草地が広がる緑豊かな山だった。気分、実に爽快なり!
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ピレネーの田舎道は楽しい
【3日目12年9月11日(火)晴れSaint Jean Pied de PorOrisson8km】

 6時起床。外はまだ真っ暗だ。
 いよいよ巡礼の旅が始まる。普通なら、さあ、歩くぞ! と気合を入れるところだ。しかし、今朝の気分はかなりリラックスしている。今日はたった8km歩くだけだから。

 サン・ジャン・ピエ・ド・ポーからサンティアゴ巡礼を始める人は、初日、ほとんどが25km先のロンセスバージェスまで歩くようだ。
 25kmか。それなら御の字。時速4kmで歩けば6時間ほどの距離だ。

 しかし、そうは問屋がおろさない。ここはピレネー山脈。ロンセスバージェスへは標高1430mの峠越えが必要だ。サン・ジャン・ピエ・ド・ポーが標高200mだから、高低差1230mもある。それを6時間で歩ききる自信はまったくない。しかも歩きに慣れていない初日だよ。

 2011年の4月に結願した四国お遍路の巡礼旅では、一日32kmを目標に歩いた。時速4km×8時間という計算だ。
 これだと、お昼を含めた途中休憩を2時間として、一日10時間必要。そうなると、とにかく前へ、前へ、と気がせく旅になる。

 四国をまわっていたころに比べ、歳をとって体力も落ちている。もう、がむしゃらな歩きはできないし、したくもない。冥途の土産に異国の風物を堪能しておきたい気持ちもある。

 そんなこんなで、今回の旅は大幅にペースダウンして「一日20km」と設定した。これだと時速4km×5時間。朝7時に歩き始めれば、途中の休憩1時間として合計6時間。お昼1時には終了する。楽勝だな。

 それでも初日の今日は、朝7時出発なんてとんでもない。足慣らしの8km。実にのんびりした、まあ、お遊びの歩きということにした。

 朝食を食べて、8時トイレタイム。このころになるとさすがに明るい。7時ごろに部屋から外を見たときはまだ薄暗かった。そういえば、暗がりの中でリュックを背負った人が出立の準備をしていたな。明日からはその仲間入りということだよ。

▼8時過ぎに窓から外をのぞいてみると、濃い霧が立ちこめて路面も濡れていた。夜の間に雨が降り、天気は下り坂のようだ。晴れなくてもいいから、雨だけは降ってくれるなよ。今日は初歩きだぜ。

 ちなみに、このホテルは朝食つきだ。朝食は、コーンフレーク、固いフランスパン、カフェオレ、どろどろしたチーズ(?)、フルーツのシロップまぶしといった簡単なもの。それでもおなかはいっぱいになる。あまったパンは紙ナプキンで包んでポケットへ。

 10時44分、チェックアウト。駅の近くにある郵便局まで戻り、切手を10枚買った。そして、近くの公園のベンチで絵葉書を書き、エアメールで自宅に出す。
 これはもしものときの保険だ。

 わたしは携帯電話を持っていない。リタイアした今では必要ないからだ。ただ、今回だけはレンタルしようか迷った。が、海外で使うとなると料金がバカ高い。あきらめて、連絡は持参したノートパソコンのメールですることにした。

 しかし、それが使えないような状況(山中で遭難するとか)に陥ったとき、〇日付の〇〇からの絵葉書以降、連絡が途絶えた――となるわけで、捜索範囲はある程度絞りこめる。
 スペインの山中で、ひとり旅の日本人がいなくなったって、だれも気づきやしない。気づいてくれるのは家族だけ。どうか、無事を見守っていてくださいな。

 ポストに絵葉書を投函する。
 あとでわかったのだが、これはほとんど保険にはならなかった。日本に着くまでに早くて10日、遅ければ20日もかかるのだ。まあ、遺体捜索が少しはやりやすくなる程度。

 ともあれ、スタートするとしよう。
 旧市街に戻り、町の出口方向にある時計塔の門をくぐる。時間は11時07分。門の手前で反対方向から歩いてきた2人の巡礼者とすれ違う。
▼巡礼事務所から石畳のシタデール通りを下っていくと時計塔があり、塔のノートルダム門をくぐるとすぐ橋になっている。ここですれ違った2人の巡礼者は巡礼事務所に行くのだろう。
 「ブエン・カミーノ!」
 これが、巡礼者同士の挨拶の言葉だ。初めて口にした。
 「ブエン=よい カミーノ=巡礼を!」という意味。
 2人もニコッと笑って「ブエン・カミーノ!」と返してくる。

 この笑うというのが、実にむずかしい。日本人は笑い慣れしていないのだ。とくにわたしのような老人は。
 なにせ、男が白い歯を見せるとは何事か! というような時代に、幼少期を過ごしたのだから。

 しかし、笑っている顔を見るのは気持ちのいいものだった。いかつい顔をした仏頂面の男が、「ブエン・カミーノ」と言うときだけは、満面の笑みでこちらを見てくれる。

 わたしも精いっぱいの笑顔で応える。だが、なんだかぎこちないのが自分でもわかる。これは徐々に慣れてきたが、それまでがけっこう大変だった。疲れているときなど、無表情で挨拶を返してしまうことが多く、気づいてハッとすることしばしば。

 もうひとつの挨拶「オーラ」も同じ。スペイン国内に入ると、このひと言だけで、朝も昼も夜も挨拶として通用する。このときも例外なくスペイン人はニコッと笑う。向こうから歩いてくるコワそうなお兄さんに、ニコッと笑って「オーラ」と言われるとホッとするし、美人の娘さんならいうことなし。

 時計塔のノートルダム門をくぐって橋を渡り、7、8分も歩くと、スペイン門が見えてくる。このあたりになると人通りもグッと少なくなる。

▼町はずれにあるスペイン門。ガイドブックには、ナポレオンもこの門を通ったと書かれている。大軍をひきいたスペイン侵攻ならいざ知らず、ひとりぽっちでは気勢もあがらない。粛々と通りすぎる。

 門を過ぎてすぐに初めての標識に出合った。ガイドブックによれば、サン・ジャン・ピエ・ド・ポーの町を出たところで道が2つに分かれるらしい。

 ひとつは今日の目的地であるオリソンを通る山岳路、もうひとつは国道沿いのルート。山岳路はかつてナポレオンも通った道なので、ナポレオンルートというらしい。歩くならこの道と決めていたが、分岐を間違えると大ごとだ。

▼標識を見つけたのはいいが、ここでも大誤算。意味のわかる単語がない。英語ならひとつや2つ、わかる言葉があるのだろうが、フランス語となると皆目見当がつかない。リュックの奥にしまってあるパソコンを取り出して辞書を引くわけにもいかず、う~ん、思案のしどころだ。

 結局、真ん中の標識の「……ST JACQUES」が決め手になった。これは「サン・ジャック」すなわち「聖ヤコブ」のことだろう。何かで読んだおぼろげな記憶がある。
 それに、文字の頭についている絵が「マントを羽織った旅人」だし、その下には「ホタテ貝」のマークもある。間違いなし、右だ!

 今回のサンティアゴ巡礼でいちばん不安だったのが、道路のこと。パソコンはあるけど、歩きながらグーグル地図を参照するなんて、不可能。本当はケータイのナビを使いたかったが、費用の点で断念。頼りは、持参したガイドブックの地図だ。

 ガイドブックは、『聖地サンティアゴ巡礼 世界遺産を歩く旅』(日本カミーノ・デ・サンティアゴ
 
▼地図の例。各地点の詳細な距離は参考になる。
 
▼『聖地サンティアゴ巡礼 世界遺産を
歩く旅』にはお世話になった。
友の会・著)を持参した。日本語で出ているガイドブックはほかにはなさそうだ。

 巡礼中、この本にはずいぶんお世話になった。
 ただ、絶対道に迷いたくないというなら、現地で詳細な地図を入手したほうがいいと思う。
 この本の道路地図は略図なので、ルートを外れた場合、困ることもある。

 そんなとき、頼みの綱になるのが、巡礼路のいたるところに設置された標識だ。
 地図を持っていないと仮定した場合、標識を頼りに歩くだけで、95パーセントは間違いなく目的地に着ける。あとの5パーセントは、運まかせ。

 もちろん、現地の言葉がペラペラなら、運まかせの5パーセントはかなり減る。だけど0パーセントにはできないだろう。
 というのも、道を聞きたくても人家がまったくない、という場所が巡礼路にはたくさんあるからだ。

 ともあれ、最初の標識を見かけてから、次々に新しい標識が現れた。これなら迷うことはない。心配することはなかった。
▼ルートが2つあることを示す標識。赤の①がナポレオンルートで、山道だとわかる。下の「DANGER」の文字が少しコワイ。

 この派手な標識を見かけてから2分後、今度は標識がたくさん並んだ大きな分岐点に来た。ここが実際の分かれ道らしい。標識をひとつひとつ慎重に見ていく。

▼標識があるのはいいが、これだけたくさん並んでいると、目的地方面の地名をさがすのがひと苦労だ。文字が読めないということはなんとも悲しい。若いときにもっと勉強しておくべきだった。

 よし、こっちだ、間違いない。道は決まった。ゆるやかな上り坂。いよいよピレネー山脈に踏み入るのだ。舗装された細い道が続く。人はもちろん車もめったに通らない。田舎道だね。

▼ときどき現れる白壁に赤屋根の民家が、日本の風景との違いを感じさせる。天気も快晴で、フランスの田舎を楽しみつつ、のんびり歩く。実に快適なり!

 2時間ほど歩いた1時すぎ、ガイドブックの地図に出ている「Huntto」(ウントと読む。Hは発音しないと書いてあった)に到着。距離はサン・ジャン・ピエ・ド・ポーから「5.2km」とある。
 ほとんどが上り坂の道だったのに2時間ほどで着いた。さすがに息は切れたが、調子は上々といえる。

 ウントには小さな巡礼宿があった。若い黒人男性がテラスの椅子に座っている。ほかにはだれもいないようだ。
 「オーラ!」
 まだフランスだが、スペイン式の挨拶をしてみる。
 「オーラ」と返してくる。
 本来ならそこから会話がはずんでいくのだが、まるっきり言葉がわからないときている。相手もちょっと話してあきらめたのか、だまりこんでしまう。

 英語の単語だけの短いやり取りでわかったのは、宿はまだ開いていないので、彼は開くのを待っているということ。開くのは3時らしい。ま、わたしの目的地は次のオリソンにある宿だから、ちょっと休んだらすぐに出発しよう。地図によればあと2.8kmだ。

 1時36分出発。3km足らずだ、どうということはない、楽勝、楽勝と思っていたのに、ここから先がきつかった。坂がだんだん急になり、汗がしたたり落ちはじめる。景色はすばらしいのだが、それを見る余裕もなくなる。

▼このあたりは牧畜が盛んなようだ。牧草地はまるで緑の芝生。それを見ながらホッとひと息。

▼道は細いながらもすべて舗装されていた。歩きやすいが、そのうち膝にきそうだ。

▼遠くはかすみがかかり、まるで春の山を思わせる。かなり高くまで登ったようだが、まだ着かない。

先着順のはずの巡礼宿が予約で満員!

 オントを出て1時間、2時31分、ようやくオリソンの巡礼宿が見えてきた。それにしてもこの2.8kmはけっこう消耗した。
 今日はたったの8kmというので油断したせいだ。15キロというリュックの重さも考えず、山道を飛ばしすぎた。歳を考えろ、ということ。

▼オリソンの巡礼宿は山小屋風の建物だった。2時台の到着だとちょっと早すぎたかな。

 サンティアゴ巡礼では、この巡礼宿は欠かせない存在だ。前に紹介したガイドブックの『聖地サンティアゴ巡礼 世界遺産を歩く旅』ではこう説明している。

 「スペインでは、巡礼宿のことをアルベルゲAlbergueまたはレフヒオRefugioと呼ぶ。アルベルゲに宿泊するためには、巡礼者の証しである巡礼手帳「クレデンシヤルCredencial」(P28参照)が必要となる」

 これは準備万端整っている。OKだ。

 「アルベルゲには公営と私営がある(P、26参照)。公営のアルベルゲは予約できず、その日に受付をした先着順となっている」

 問題はこれ、先着順というやつだ。
 これまでわたしが体験したお遍路の巡礼旅では宿の予約が常識だから、泊まるところの心配はしたことがない。が、サンティアゴ巡礼ではそうもいかないようだ。到着してみなければ泊まれるかどうかがわからない。これは大きな不安材料だ。

 とはいえまだ2時台、満員ということはないだろう。
 アルベルゲの入り口を入ると、左手は食事スペースらしく長いテーブルが2列並んでいる。ほかに小さなテーブル席が1列。そして右側に受付があった。

 さっそく宿泊交渉。言葉にはまったく自信がないので、最初から『旅の指さし会話帳』を手にして「ひとばん 泊まる」と言うだけ。

 こう言えば、すぐに「イエス」と答えてくれるとばかり思っていた。なのに、受付の女性は英語で何やら話してくる。何回も聞き直し、ようやく「電話、あるいはインターネットで予約しているか?」と聞いているとわかった。

 携帯電話は持ってない。パソコンはあるけど、宿のメールアドレスなんか知らない。
 それに予約? そんなの聞いてないよ。アルベルゲは先着順じゃないのかよ!

 日本語だとこうまくしたてるところだ。が、悲しいかな「ノー」と言うのが精いっぱい。

 それからすったもんだ。彼女いわく。
 「ベッドは予約でいっぱいで、空きはない」
 ……先着順はどうなんだ!

 「あなたの選択肢は2つ。先に進めば18kmでロンセスバージェスのアルベルゲ、戻れば3kmでオントのアルベルゲ、どちらでも」
 ……予約客はほっといて、先着順にしてくれよ!

 心の叫びが通じるわけがない。彼女が言っていることもわたしの推測だから、たぶんそんなことだろうと、勝手に解釈したものだ。

 選択と言われても……もはや戻るしかないだろう。これから18kmも歩けるか、鬼女め。と思っていたら、意外にも電話で空きを聞いてくれると言う。
 今来た道を戻るのはしゃくだが、「オント、オント」と連呼し、近いほうを選ぶ。

 だが、返事は無情にも「満員です」。
 あ~、初日から宿なしかよ。……こうなれば、だれかの巡礼記に書いてあった軒下で野宿しかないか。なんてこった……来るんじゃなかったな。

 さて、軒下を貸してくれ、とはどう言えばいいんだ。
 いくら『指さし会話帳』を繰っても、うつろな目には単語が飛びこんでこない。

 すると、またもや意外なことに件の彼女が、
 「テントでもいい?」と聞いてくる。

 このときほどありがたかったことはない。なんだ、鬼女じゃなく、親切な娘さんじゃないか。一も二もなくOK、OK! こうして、夜露に濡れる心配はなくなった。それにしても、巡礼1日目からテント泊かよ……。

 受付で清算をすませ、アルベルゲの裏手にまわる。建物の裏は低い丘になっており、そこにテントが張ってある。

▼テントはアルベルゲの裏手の丘にあった。2段になった平地に各3張、計6張のテントが設営されている。すでに4張には先客がいて、空いていたのはわたしが泊まった中央のグリーンテント、それに右奥のブルーテントだけ。午後遅くになってそのテントにも客がきたので、テントまで満員という盛況だった。

 ちなみに宿泊料金は30ユーロ=3000円。夕食・朝食付きだが、テント泊でこの値段は高くないか? でも文句は言えないよ。安心して寝られるだけでもありがたいことデス。

 テント内に荷物をほどき、シャワー&洗濯。シャワーは専用コインを入れると、5分間だけお湯が出るとのこと。え、たったの5分!

 もらった専用コインを入れ、壁のボタンを押すと冷水が吹きだす。
 お湯じゃないのか、と驚いているうちに少しずつあたたかくなり、まあまあの温度になった。と思ったらシャワーがとまる。

 なんだ、なんだ……? 1分もたってないぞ。
 もう一度、ボタンを押してみると再び出だす。しばらくするとまたとまる。30秒ぐらい出てはストップをくりかえすみたいだ。出っぱなしじゃないということで、たぶん節約のためだろう。
 このやり方だと、5分あれば、髪を洗い、体を洗っても、おつりがくる。よく考えたもんだ。

 6時30分から夕食。食堂には総勢60名ぐらいの人がいた。小さいアルベルゲのどこに、これだけの人が泊まれるのだろう。夕食のメニューは写真のとおり。質素。

▼豆のスープにソーセージ。あとは定番のフランスパンとカフェオレ。ただし、ワインの瓶が大量に配られており、みんなはそれを楽しんでいた。水を飲む人はごくわずかで、断酒をしているわたしはそのひとり。

▼巡礼者には年配の人が多く、彼女のような若者は珍しい。夏は学生も多いというが、今の時期は圧倒的にご老体が主役だ。今晩の顔ぶれで驚いたのは、彼女の大先輩に当たるご婦人が大多数を占めていたこと。気をつかってか、そんなおばさんたちに皿を配る姿がけなげ。

 夕食の最後に3列のテーブルごとに交代でスピーチということになり、手をあげてはいろんな国の人がいろんなことを話す。みんなスピーチのコツを会得しているみたいで、笑い声がたえない。もちろん、何を話しているのか、ほとんどわからないが。

 前の席のおばさんが、あんたも何か話しなさいよ、とうながすが、遠慮する。わたしはジャパニーズオンリーだから、話してもだれもわからないよ。

 夕食が終わり、テントの中に寝袋を広げて、寝る準備が整った。歯も磨いた。就寝。
 テントの外は霧が出ているみたいだ。どれぐらい寒くなるかわからない。今は半袖、半ズボンでOKだが、すぐに着られるようにシャツやタイツを枕元に置いておく。

 疲れた。精神的な疲れが体にも伝染し、ものすごく疲れている。

 夜半から雨になる。よかったよ。野宿だったら悲惨なことになっていた。
 尿意で目が覚めたのだが、ぶつぶつ文句を言いながらも行くしかない。雨の中、ヘッドライトをつけ、足音を忍ばせて隣のテントの脇を通り、アルベルゲのトイレに行く。時計は午前1時15分をさしていた。

 それから少し寝たと思ったら、またトイレに行きたくなって目が覚める。4時ごろか。やってられないよ。よくよく考えたら、寝る前に持病(夜間頻尿)の薬を飲んでいなかった。肝心なときにダメだ、こりゃ。

 そうこうしていると、テントから雨が入ってくる。昼間、風通しのために覆いをまくり上げた側面の窓からだ。正面の覆いも開けっ放しだったので、テント内に干しておいた洗濯物がびしょ濡れで元の木阿弥状態だ。

 もう少し時間はある。寝るしかないか。横になっているだけでも疲れはとれる。


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