▲雨と霧にかすむピレネーの巡礼路で見かけた小屋。がっしりとした石造りで、緊急時には頼りになりそうだ。
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最初の難関、ピレネーを越える
【4日目12年9月12日(水)OrissonRoncesvalles17km/累計25km】

 6時起床。夜半からの雨は降りやまない。昨日はあれだけいい天気だったのに、今朝は肌寒い。まだ暗い中、ヘッドランプをつけて支度をし、テントを出る。

 7時朝食。食べている間に少しずつ夜が明ける。8時前に出発。だいぶ明るくなり、ヘッドランプはいらなそうだ。今日が本格的なピレネー越えだというのに、雨そして霧だよ。

 今日は重装備。リュックにはレインカバーをつけ、カメラはニコンの一眼レフをしまいこんで、防水のオリンパス・コンデジにする。靴はゴアテックスの防水仕様(ミズノLD50Ⅳ)だから問題なし。100円ショップで買ったレインズボンを腿で切り取り、それを両脚にはいて膝の上でバンドで止める。あとはポンチョをすっぽりかぶれば準備OKだ。いざ、出発!

▼気合を入れて歩き始めたが、雨と霧で見通しは悪い。前を行く巡礼者の姿もかすんで見える。

 雨対策は万全のはずだった。ところが、歩いているうちにいろいろと不具合が出てきた。まずはポンチョの大きさだ。

 リュックだけなら問題なかった。しかし、今回、カメラ用のショルダーバッグを新調し、それを胸の前に下げるようにした。すると、ポンチョの丈がズズーッと短くなる。そして、丈が短くなった分、腰の下が濡れやすくなる。
 体の前後がふくれるのだから、ポンチョの丈が短くなるのは当然のことなのに、考えがおよばなかった。

 さらに、脚だけのレインズボンが、歩いているとズリ下がる。膝上で止めたバンドをきつくすると、痛いし血行が悪くなりそう。これなら腿のところで切り取ったりせず、普通のレインズボンとして使ったほうがよかった。

 なぜ、そんなことをしたかというと、レインズボンの蒸れがイヤだったからだ。夏場などは蒸れでびっしょりになるほど。どだい、腰のあたりはポンチョで雨が防げる。レインズボンは膝下だけをカバーすればいい。蒸れも少ないだろう。そう考えてばっさり切り取り、腰の部分は捨ててきたのだ。

 失敗だったな。どこかでレインズボンを買おう。ついでにキングサイズのポンチョも。

 霧が深くてまわりの様子はまったくわからない。
 歩き始めて30分ほどか。このあたりは山といっても木が一本もない。一面芝生の山だ。牛や羊が食いつくすとこうなると聞いた。丈の高い草はすべて食べられ、成長する暇がないためだという。

▼霧が深い。このあたりは山というより草原のような雰囲気だ。道路わきの石積みは巡礼者が積んでいったものだろう。電話マークの下の「112」は、EU加盟国共通の緊急電話番号。

 そうそう、つい先ほど、車が一台、サイドテントを張って道路わきにとまっていた。てっきりボランティアの人がやっていると思い、山積みされたバナナを1本いただき、半分ほど食べて、値段が書いてあるのに気づいた。あわてて払う。1・5ユーロ。バナナ1本150円は高いなあ。

▼車の脇に大きなテントを張り、果物や飲み物を置いてある。人家はもちろん店などないところだから、巡礼者が立ち寄るのは当たり前。なぜかわたしはボランティアだと思いこんでしまったが、商売だった。

▼この案内の「BUEN CAMINO」を見て、巡礼者を歓迎している人たちのサービスだと思ったのだ。案内書の下のほうに日本語発見!「フランスの最後のスタンプだよ!! 」と書いてある。ならば、もらっておかなくちゃ。その下には、車の絵があって登り坂、そして頂上、下りと描いてある。先は大変そうだ。

 フランス側の最後のスタンプ、ということは、そろそろスペイン領に入るのかな。
 7、8分歩いたところでガイドブックに出ていた十字架発見。このあたりは標高1300mで、ここから旧道に分岐し、最後の峠越え、標高1430メートルのレポエデール峠をめざす。

▼この十字架が旧道への分岐の目印だという。雨は小降りになったが、霧はあいかわらず濃い。晴れていればすばらしい眺望が望めるのだろうが、ま、雨のピレネーもまたよし、としよう。

 歩きやすかったアスファルト道路に別れを告げ、山道に入る。時計は10時をまわっている。道の脇は牛の糞だらけ。ちょっとした上りの道が延々と続く。それほどきつくはない。
 20分ほど歩くと芝生の山はなくなり、右側が林、左側は牧草地になった。

▼先ほどまでの芝生の山道とは違い、森に分け入る感じがする。二股になっているところに出たが、道端の石標には、うっすらと黄色い矢印が右を指している。迷わずそちらを行く。

▼3分ほど歩いたところで水飲み場。ローランの泉だ。ということは……。

▼あの先に見える柵がフランスとスペインの国境じゃないのか?

 当たり! ここが国境だった。ガイドブックに書いてあるとおりで、木の柵と幅1メートルほどの鉄格子の橋があった。
 知らなければ素通りしてしまうほどに愛想がない。できればちゃんとしたゲートを設け、「国境」と大書してほしかった。サンティアゴ巡礼路の本番、スペインの始まりなのだから。

▼雨で道は悪いし、どうも国境を越えたという感激はわいてこないなあ。いまいちの国境越え。とはいえ、ここからいよいよスペインだ。長い長い道が続く。

 11時45分、小休止。おなかがすいて昼食用のパンを食べる。そういえば、朝食はまずしかった。カフェオレ、ジュース、パンだけの簡単なもの。ないよりましという程度だ。

 このあたりはかなり急な坂道。ぬかるんで滑りやすいし、女性なんかはカニ歩きをしている。わたしも足を滑らせて尻餅をつきそうになった。ピレネーあなどりがたし、だ。
 雨がけっこう激しく降ってきた。状況最悪。が、気分はよし。

▼避難小屋で休む巡礼者たち。どう見ても70歳は越えている女性もいるが、元気そのものだ。

 12時44分にようやくロンセスバージェスの最初の建物が見えてきた。8時に出発してから約5時間で17km踏破。雨のピレネー越えにしてはまあまあじゃないかな。

▼山道が終わり、前方に建物が見えてきた。今日の目的地ロンセスバージェスの町だ。

本格的なアルベルゲに泊まる

 巡礼路では、最初の心配とは裏腹に、道に迷うということはまったくなかった。だが、巡礼路が終わり町に入ると、行先がまったくわからなくなる。
 標識はあるが、読めない。聞きたくても雨の中、『指さし会話帳』を手にスペイン語なんてやってられない。どだい、暇そうな人がいないじゃないか。

 町に入り、巡礼事務所でスタンプを押してもらう――基本中の基本のこれができない。
 雨の中を立ちつくすことしばし。やっぱりこれしかない。ほかの巡礼者の後をついていく、という必殺技だ。

 今朝、アルベルゲを出発したのは60人近くいるはずだ。ほとんどはここで泊まるはず。待っていると、三々五々、やってくる。だが、うまくいかない。すぐに事務所に行く人ばかりではない。予約したホテルに先にチェックインし、それから事務所に行く人もいるようだ。

 わたしには、今晩泊まるところをさがすという仕事もある。
 右往左往しながら町をふらついていると、親切な人がこっちこっち、と言ってくれたので後についていくと、あった!

 「Orreagako Aterpeao」は読める。ロンセスバージェスのアルベルゲ。これぐらいならわたしにだってわかる。その下の2行は不明。ちなみにスペイン語は、ローマ字式に読めばいいとのこと。ただしいくつか例外があって、「ll」は「じゃ」とか「りゃ」と発音するそうだ。

▼案内板の「Orreagako Aterpea」をあとで調べたら、バスク語(バスク地方の言語)で「ロンセスバージェスのアルベルゲ」という意味。なんのことはない、スペイン語とバスク語が併記されているわけだ。でも、この書き方だと、とても併記とは思えないよなあ。どう見てもひとつながりの文章だよ。

 外観は古い石造り。アルベルゲは修道院が運営しているそうだ。
 建物の中に入るとすぐに受付があり、若い女性に一枚の用紙を渡された。昨日のアルベルゲはそんな手続きはまったくなかったのに? わたしはスタンプをもらいに来たのだが、それでも記入する必要があるの?

 用紙のスペイン語は不明だが英語が併記されている。じっくり見ること数分、要はあなたの宗教は何か、歩いていくのか、目的は何か、といった質問に、いくつかある答えのうちの該当するものに〇をつければいいだけのようだ。

 宗教は「なし」で、巡礼の手段は「歩き」と。
 目的? これはどこかで読んだ記憶があり、無宗教の人は「スピリチュアル」に〇をつければいいと知っていた。

 用紙を返すと、名前を書けといわれる。なるほど、記入欄がある。書いて渡すと、
 「歳は?」「64です」 「国は?」「日本です」
 これまた記入欄があるのに、、気がつかなかった。答えを聞いた相手が、今度はパパッと記入してくれる。

 以上で受理。このとき、用紙の記入内容と照合するため、パスポートの提示を要求される。ずいぶん厳重なものだ。昨日とはまったく違う。こんな手続きはいっさいなかった。
 照合が終わると、ようやくクレデンシャルにスタンプがポン!

 やれやれ、終わった。
 と思ったら、レジに向かってなにやら打ちこんでいる。えっ、お金をとるの? スタンプをもらうだけなのに?

 びっくりしているわたしに話しかけてくるが、当然のことながら意味不明。すると、両手を合わせて頬にもっていき、頭をかしげる。そして、ベッド、ベッドと言う。

 これならわかる。万国共通、宿泊料という意味だろう。
 渡りに船だ。スタンプをもらったあと、どこかホテルをさがそうと思っていた。だが、このアルベルゲには、予約もしていないのにベッドがあるようだ。受付での手続きも、泊まるためのものだったんだ。
 了解。大きくうなずいて、OK、OK!

 領収書みたいなものをくれたので見ると、「AK……」と「日付」、それに「130」という数が書かれており、10ユーロと印刷されている。

▼アルベルゲの受取り。辞書を引き引き調べると、AKなんたらは、Nombre=名前なので、わたしの名のAkira、その下の日付はわかる。そしてLitera=ベッドだというから、No130というのがベッドの番号。この数字の1がわかりにくかった。ひょっとして記号? あるいは7? 実際にベッドをさがしてみて、数字の1だとわかった。アルファベットも数字も、クセのある書き方をする人が多い。料金の交渉などでメモ書きされて読めなければ、自分でも数字を書いて確認するほうがいい。

 受付はすませたが、実際に部屋に入れるのは午後2時からとのこと。しばし待機。
 寒い。ズボンがかなり濡れている。シャツは汗で、これまたグッショリ。ロンセスバージェスは標高950mだというから、こんな悪天候になると気温も下がるのだろう。

 時間になり、受付の脇にある階段のロープがはずされ、待っていた巡礼者がぞろぞろ上がっていく。濡れてよごれた靴は、事前にぬいで靴箱に入れるあるので、みんな靴下だ。
 ここは最近改造されたとみえ、外観とは違い建物内はどこもきれいだった。

▼アルベルゲの外観。以前は修道院として使われていた建物なのだろう。歴史は古そうだ。

 2階に上がると、片側に幅2メートルぐらいの長い通路がある。その通路に沿って、2段ベッドが2つ、向かい合わせに置かれ、それがひとつのコンパートメントになっている。ざっと見たところ30ぐらいに区分けされていそうだ。

 端から順に見ていくと、ベッド番号「?30」は「130」だろうと見当がついた。さがしあてたわたしのベッドは上段。ちなみに下も隣も女性。男女区別なしとは知っていたが、やはり気になる。隣の2段ベッドの2人づれは親子のようだ。

 リュックはベッドに置くな。そんな注意があったなあ。さて、2段ベッドの上段の場合、リュックの置き場所は?
 通路の隅にでも置くしかないか。そう思っていたら、おじいさん、こっちだよ、という感じで、娘さんが教えてくれた。リュックを置くための鍵付きロッカーが、ベッドの奥の壁際につくってあった。

 必要なものだけ取りだしてベッドに放り上げ、なにはともあれシャワーだ。着替えを持ってシャワー室へ急ぐ。それでもすでに順番待ち。
 シャワー、洗濯、洗面、トイレなど、数に限りがあるものはすばやく――これが鉄則だと巡礼体験記に書いてあったけど、そのとおりだ。

 あ~疲れた。
 シャワーで汗を流し、洗面所で洗濯をすませ、ベッドに戻ると、もう動きたくない。窓から外を見ると雨はしとしと降り続いている。そんな中、もはや町に出ていく気力も体力もない。疲れすぎて食欲もないし、このまま寝てしまおうか。

▼ぼんやり外を見ていると、雨の中をやってくる巡礼者がいた。ピレネー越え、お疲れさん!

 洗濯物をベッドのまわりに干したものの、ほんの少ししか吊るせない。ほかに干せるようなところはないし、あとは濡れたままビニール袋に入れ、明日まわしだ。

 ベッドで横になっていたとき、突然思いだした。別棟の共用スペースを観察したとき、洗濯物のイラストがあった。ひょっとしてそこに干すスペースがあるんじゃないの?

 ビンゴ! あるどころじゃなかった。洗い→乾燥まで、そこですべてやってくれるのだ。しかも3ユーロたらずで。なんだ、自分で洗うことはなかった。

 さっそく濡れたものを全部、頼んだ。できあがりは夜の8時か9時ごろだという。10時にはクローズ。でも、明日の朝は6時からやってるよ、と担当のおばさん。
 じゃあ、頼んでおいて寝よう。取りに来るのは明日の朝でいいや。

 共用スペースの一角にある自動販売機でパンとジュースを買い、夕食。ここは食堂兼休憩スペースかな。大きなテーブルが並んでいる。電源もあったので、ノートパソコンを持ってきて日記を書く。

 9時過ぎに就寝。10時にはブザーが鳴って電気が消えた。


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       ◆聖地巡礼:カミーノ・デ・サンティアゴ