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◆北川温泉の手前にある大川温泉の「磯の湯」は波打ちぎわの露天風呂。粗末な漁師小屋のようなたたずまいが渋い。
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‡2013年3月16日(土)~17日(日)
伊良部島合宿の疲れを癒しに伊豆の北川温泉へ。天気もよく、沖縄と変わらない暖かさでのんびりできた。
ひと風呂浴びて、部屋でゴロンと横になりテレビをつける。このごろはどうもCMがアホらしくて見ていられない。こんなんで世の中が動くなんて、いったいどうなっているんだよ。
とはいえ、世の中アホばかりと言っているだけで、何もしなければ、老人の繰言。それはいけないですよ、ご隠居。
‡2013年3月25日(月)
午前中、歯科クリニックの検診。沖縄に行っている間、右奥歯でものが噛みにくくなったこと、左下奥歯にピリピリした痛みが出てきたこと、その2点を診てもらう。
右奥歯の異常は、歯周病がすすみ歯がしっかりしていないからだそうだ。これは来週、麻酔をして歯周ポケットの奥をきれいにし、歯茎をひきしめることで処置。
左下奥歯のピリピリ感は、バイ菌が歯の根元に入り、膿んでいるためとのこと。しばらく様子見。治療というよりは、自分の免疫力で治しなさいというニュアンスの説明だった。
今日の朝日新聞に「がん幹細胞、狙い撃ち治療 再発・転移させず根治図る 初の臨床研究へ」という見出しの記事があった。
「がん幹細胞」は再発や転移の原因ともされる「親玉」のようなもので、休眠状態でしぶとく生き延びるという。この親玉を狙い撃ちにすることで、再発・転移を封じこめる。もしこれが成功すれば、5年間も様子をみたあとに完治の判断を下すといった、生殺し的状況は一掃されるだろう。
臨床試験はわたしが通う国立がん研究センター東病院で行われる。いい結果が出てほしいものだ。
‡2013年3月26日(火)
午後、別所公園のテニスコートでゲーム。4時間借りたのでいつもの倍。これだけやると堪能できる。
ウォームアップのランニングでおなかに膨張感あり。ちょっと不快だ。
‡2013年4月1日(月)
歯科クリニックで右上奥歯の歯垢除去。麻酔をかけてやった。初めての体験。歯周ポケットが6ミリにもなっており、それが原因で強く噛むことができにくくなっている。はたしてどうなることやら。
‡2013年4月10日(水)
プリンターがついに動かなくなった。どうしよう。
プリンターのモデルチェンジは9月、10月ごろ。つまり、年賀状印刷の前に新モデルを投入し、買い気を起こさせる戦略のようだ。となると、あと7か月。その間、待って新モデルにするか、それとも今買うか。
必要なときが買い時だ。寿命のつきたエプソンプリンターのかわりに、ブラザーのインクジェット複合機を購入した。
これまではエプソン製しか使ってこなかったが、今回初めてブラザー製のものを選んだ。4色独立インクによるコストパフォーマンスが決め手。ヨドバシの通販で1万2800円。ポイントがたまっていたので差額の1112円ですんだ。
午後1時までに注文なら、今日中に届くとはおそれいった。注文したら夜の8時ごろに届く。梱包用の段ボールの角がぶつかってつぶれていたが、支障なし。
‡2013年4月16日(火)
終日、サンティアゴ巡礼のHP作成。結局、伊良部島合宿の間には完成せず、持ち越してきた。テニス練習は休み。腰が痛むし体がだるいので。
3時のお茶のとき、ふと思いだしたのが、昨日15日は新生の5歳誕生日だったこと。5年前の4月15日、検査でがん消失が確認されたのだ。
九死に一生を得て、新たに生まれ変わった日が4月15日。最初のころは、2歳になった、3歳も無事に迎えた、と喜んでいたのに、5歳にもなると、コロッと忘れている。のど元過ぎればなんとやら、だ。
ま、それも大過なくすごせている証拠。よきかな。
‡2013年4月20日(土)
土曜日は定例のテニス練習。近所の小学校のコートで、いつものメンバー。午後は別サークルのゲーム。今日は一日テニス漬けだった。
夜、次男が彼女を連れてくる。5月から一緒に暮らすという。わたしのころには考えられなかった展開だ。言うべき言葉もない。だから、何も言わないが、なんというか、これが時代の流れというものなのか。人は世につれ、世は人につれ、か。
ま、これからの人の世は若いやつらにまかせるしかないのだし、自分がやりたいと思ってやることだから、なんとかうまくやっていくだろう。心配のタネがひとつ減ったと思えば、わたしも少しは気楽に生きられるというものだ。
‡2013年5月6日(月)
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◆野良だったクロが勝手に家に上がりこむようになって十数年。いつの間にか歯が抜けるような老猫になってしまった。
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やっぱり飼い猫のクロがおかしい。餌を食べない。体が軽くなった。それで、かかりつけの獣医に連れていく。
腎機能がやや低下。ただ、食べないのは歯のせいかもしれない。歯がぐらついており、結局、抜いてしまった。傷が治れば食べるだろう。数日、抗生物質と栄養剤の注射に通うことになる。
‡2013年5月17日(金)
夜中の2時に目が覚めトイレ。それから眠れずにイヤホーンで音楽を聴く。が、ダメだった。中途覚醒がひどくなったように思う。横になって目をつむっても意識が冴えるばかりで、寝ているのが苦痛になる。イライラして、眠れないことに気分が落ちこむ。
しかたなくスタンドをつけ、道尾秀介の『ラットマン』を読み、さらに暗い気分になる。おちこんだときはハッピーエンドの小説じゃないとダメなのに、選択を誤った。眠れぬまま朝を迎えるしかないな。
解説が大沢在昌だったので、読んでみた。
小説家を続けられるか、との(大沢の)問いに、好きで好きでたまらないから、続けられる、という答えが紹介されており、うん、そういうもんだよな、と思う。
‡2013年6月1日(土)~2日(日)
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◆伊東温泉。検査前の縁起かつぎというか、恒例の温泉休養。英気を養い、イザ、最後の検査へ出陣、というわけだ。
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土・日と伊東温泉。特別のことなし。夕食のバイキングは久し振り。
圏央道が相模原まで開通しており、それを通ったら以前に比べてかなり早くなった。
‡2013年6月5日(水)
今日は寛解5年目の最終検査。これにパスすれば、がんの完治となるのだが……。
半年ぶりのがん研究センターは受付のやり方が一新されており、とまどう。来るたびに何かが変わっており、いつも迷うのはなんとかならないものか。スパッと全部を新しくすればいいものを。文句を言っても始まらないか。
CTはいつもどおり。予約時間より早く始まり、順調に終わる。テキパキとスピーディな流れは実に気持ちがいい。
15分後に内視鏡の予定だが、これはいつものようにダメ。今日なんか受付に「本日は人数が多いので時間が遅れることもあります」の貼り紙がある。
毎度のことだけど、予約制なのに、なぜ、予約時間を守れないほどの人数をいれてしまうのか、そこのところがどうもわからない。そして、貼り紙一枚で待たせるのをなんとも思わない無神経さ。同じ病院なのに、部署によってこれほど違いがあるのは、いったいどういうこと?
内視鏡は、気持ちが悪くなる3歩手前でしのぐことができた。以前に比べればましになった。検査そのものは順調。最後に先生が「変わりありませんよ」と言ってくださったのが大変ありがたかった。来週の検査結果の診察まで気持ちの余裕ができる。
それに今日は「生検」もなかった。ということは、目視ではまったく異常がないということだ。どうやらうまくいきそうだ。
待合室にドトールコーヒーが店を開いていた。清算待ちの時間にワッフルを1個食べる。低血糖対策だ。
‡2013年6月12日(水)
夜中から雨。台風の影響で梅雨らしい天気になった。雨の日は気功を休むので、朝はのんびり起床。
終日、HP作成。
夕方、車庫から車を出し、壁打ちをやる。雨の日に体を動かすとしたら、これしかない。ラケットが天井に当たるので大きな振りはできないが、これはこれで柔らかな当たりの練習になる。30分もやると汗が出てくるから、気晴らしのいい運動だ。
今朝の朝日新聞の「オピニオン」に、工藤玲子さんのインタビューが載っていた。柳原師匠のそばにいて、師匠のがんとの闘いを見、死を見てきた編集者・ライターだ。
思えば、暗中模索で途方に暮れていたわたしに、がんとの闘い方を教えてくれた最初の本が『がん患者学』だった。
だから、著者の柳原和子さんを勝手に師匠と呼んでいるのだが、寛解5年目の検査結果が2日後に出るというこの時期に、何気なく開いた新聞に師匠の名を見るとは、やはり縁があるとしか思えない。
師匠に出会ってから5年の月日が流れ、師匠がなしえなかった「治れば勝ち」の状況にあと一歩のところまできた。
しかし、こんなことを言うと、師匠には叱られるだろう。師匠は、「治れば勝ち」で「治らなければ負け」という価値観は脱却すべし、としていたからだ。
不肖の弟子のわたしは、いまだ脱却できずにもがいている。治りたい、がんに勝ちたい、という気持ちを抑えることができないのだ。どうしようもない弟子だが、ご寛恕を。
記事で、師匠のご尊顔を拝することができた。吉兆なり。
‡2013年6月14日(金)
10時、がん研究センターでの定期検診。検査結果が出た。すべてに異常なし。完治――! 布施望先生からお墨付きをいただく。5年生存率30パーセントのきびしい戦いだったが、ようやく今日で終わった。
よかった。ほんとうによかった!
「検査はこれでやめにしてもいいけれど、どうしますか」
「用心のために年1回は検査を続けたいです」
「それじゃあ、CTは放射線の危険性がありますから、何かがあったときだけに検査するということにしたほうがいいと思いますよ」
「わかりました。血液検査と内視鏡検査をしばらくやります」
ということで、年1回、検査を続けることにした。
完治したのだから病院とはスパッと縁を切る、という人もいるだろうが、心配性のわたしとしてはなかなかできない。もう少しこの病院とのおつきあいが続く。
清算を終え、病院の外に出ると梅雨のシトシト雨が降っている。雨に濡れながら、病院の写真を撮る。
2013年6月14日、生き延びてこの病院を去ることができる。
最初にこの病院に来たのは2008年1月9日。それから5年半が過ぎたことになる。長い年月だったが、ともあれ、食道がんとは、これでおさらば、だ。
闘病と養生の5年が終了した。
これから、新しい5年を生きはじめよう。
さて、何が待っているか、少しワクワクしている。
(完)
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