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‡2007年12月28日(金)
 
◆冬でも暖かい沖縄は天国だった。リタイアしたらそんな沖縄で暮らすのが、わたしのささやかな夢だったのだが……。



◆森久保クリニック。ここで受けた胃カメラ検査が、わたしの運命を大きく変えた。

 年末の26日に沖縄から帰京。留守の間に「胃カメラの結果を聞きにきてほしい」と森久保クリニックから電話があったという。

 沖縄に遊びに行く前に検査を受けたのだが、結果は年明けでもいい、と思っていた。だが、森久保先生から連絡があったということは、検査の結果が悪かったのだろうと察しがつく。なんでもなければ、検査結果は年が明けてからでもいいことだから。

 何があったんだろう。まさか……。不安だ。

 翌27日の朝いちばんで森久保クリニックに行く。だが、本日休診の札。そうだった、木曜日は休みなのだ。
 仕事先のG社に忘れものがあったので、その足で五反田へ。

 28日。今日は寒い。カミさんは仕事に出かけた。わたしはコタツにもぐり込んでぐずぐず。10時すぎに重い腰をあげる。
 年の瀬も迫り、正月休みの前に診てもらおうとする人たちで、クリニックは混んでいた。順番がきて名前を呼ばれる。

 診察室に入る。覚悟は決まっているのだが、居心地は悪い。しかし、森久保雅道先生はたんたんと、
 「胃カメラの結果は悪いものでした。食道がんです。初期だと思いますが、詳しい検査をしないとなんとも言えません。紹介状を書きますので、どちらかご希望のところは?」
 と話す。

 がんの告知。なかば予期していたので、それほどの驚きはない。それにしても、先生の口調は冷静そのものだ。もっと深刻そうに、声をひそめて告げるのかと想像していたが。
 食道がんといわれてもぴんとこない……。先生からもそれ以上の説明はない。専門病院で詳しい検査を受けなければ、細かいことはわからないと言うだけだ。

 自宅に近い病院がいいだろうということで、日本医科大学 多摩永山病院・消化器外科 笹島耕二先生への紹介状をいただいて帰宅。

 帰ってきて、お昼から飲んで、だらだらと過ごす。今日ぐらい、いいじゃないか。酒でも飲まなきゃ、やってられない……。本当なら、今日は年内最後のテニス・スクールに行く予定だった。

 夜、仕事から帰ってきたカミさんに結果を報告。先生は初期のようだと言っていたよ、と初期のがんだということを強調して話す。
 カミさんは保健師をしているし、悪い結果だろうと予想もしていたので、わりに冷静だ。

 とにかく詳しい検査をしなければ、本当のところはわからない。年末・年始の休みをはさむので、診察予約は年明けの1月10日。あと2週間も先のことだ。その間、何もすることがない。

 がんには間違いないのだろう。だが、ひょっとしたら、検査ミスということも……ないか。いやいや、あるかも……。
 いずれにせよ詳しい検査だ。それをやらないことには、何も決められない。宙ぶらりんの状態はツライ。

12月29日(土)
  ◆フリーの編集者
 わたしの仕事は雑誌や本の編集。フリーでやっているので、いわゆる自由業というやつだ。生活は不規則で、酒・タバコは放せない。根をつめる作業も多く、世代的にも典型的な仕事人間。がんになる条件はそろっていた。ただし、その自覚はまったくなかったが。

◆還暦
 わたしの誕生日は1947年11月21日。だから、12月28日のがん告知は、還暦を迎えて約1か月後のことだった。60歳は、まさにがん年齢だ!


◆喉のつかえ感
 食道がんの自覚症状のひとつに、食べ物をのみ込むときのつかえ感がある。わたしの場合、とくに水気の少ないもの(パンやおにぎりなど)を急いで食べると、ウッとつまって、水、水ということがけっこうあった。
 それが気になっていたので、年に一回受ける人間ドックは内視鏡のコースを選んだ。実は過去2回、同じような経緯で胃カメラを飲んでいる。そのときは異常なしだったが、3度目の正直ということで、がんが発見された。
 午前中、自宅で仕事。気乗りせず、一日だらだら過ごす。フリーの編集者としては情けない。しゃきっとしないと、仕事がこなくなるぞ。
 30日も日曜なのをいいことに休み。本当なら、沖縄で遊んできた分、年末・年始の休みの間に仕事をするつもりだったのだが。
 時計が故障したのでヤマダ電機に行く。

‡12月31日(月)
 午前中、少し仕事をして、2時からテニスの壁打ち。1時間少々。
 夜、みんながテレビを見ているときに仕事部屋(自宅で仕事をすることが多い)にいき、初期だから、たいしたことはないと思いたくて、なんとなく遠ざけていた食道がんについて、ネットで調べる。
 衝撃! 還暦になったとたんの死刑宣告だった!
 
 調べてみると、事態は「あと1年生きられるかどうか」をも考えるべき深刻さだった。
 「がんなんか、今は、治らない病気ではないよ」
 という常識に当てはまらないのが、この食道がんらしい(もうひとつは膵臓がん)。

 食道がんと診断されてから、気になりはじめた喉のつかえ感が、なおいっそう強くなったように感じる。
 告知のときにはそれほどでもなかった恐怖感も、情報が積み重なるにつれ、渦を巻いて襲ってくる。人生最大の危機。まさか大晦日にそんな羽目に陥るとは、思いもしなかった。


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