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  ◆これまでほとんど乗ったことのないモノレールが毎日の足になった。


‡2008年2月21日(木)
 放射線の通院治療開始。8時25分に家を出、モノレールで立川→中央線で西国分寺→武蔵野線で南流山→筑波エクスプレスで柏の葉キャンパス学園→東武バスでがんセンターという片道2時間30分の通院。

 疲れる。夕方になるとグタッとなる。しかも時間が足りない。朝と晩、2回の気功(3時間)と通院(5時間)で一日が終わる。
 カミさんは働いているので、夕食はわたしの担当。食事をつくり終えると、精も根もつきはてる。肩から背中にかけて凝りがすごい。こんなのは今までに体験したことがない。

 昨日は、9時に寝床に入ったが、眠れない。睡眠剤を飲む。10時ぐらいには眠ったようだ。しかし、午前2時すぎには目が覚め、それ以降、眠れずに朝を迎える。

 気功をするため5時には起きだし、夜明け前の暗い林道を歩く。それ自体は気持ちいいのだが、夕方には疲労困憊。一日2回は無理?

 右手親指の爪が割れ、気になるのでR皮膚科クリニックへ。原因不明。炎症の塗り薬のみ処方される。
 食欲不振。ときおり右脳に痛み。軟便。息切れ・体力低下。

 



‡2月22日(金)
 通院2日目。電車内では読書。いちばん長く乗っている武蔵野線は、往復とも座っていけそうだ。
 気分はすぐれない。

‡2月23日(土)
 今日と明日、放射線治療はお休み。週5日制なのだ。
 口内不快。鼻孔が痛い。粘膜が炎症を起こしている。肩がゴリゴリに凝る。ときおり背中に痛み。右肩胛骨のにぶい痛み。気分が悪い。

 背中や肩甲骨の痛みは、テニスによるものだと思う。体力が落ちると痛む。スポーツ整形の予約を3月31日にとった。ずいぶん先になるが、スポーツ障害の専門病院なので、混んでいるようだ。
 体の不具合は、がんの治療に入る前に治しておくべきだった。

 今日も眠れない。睡眠剤を飲んで寝たのが10時前。2時すぎに目が覚めた。それから眠れない。これも治療の副作用なのかな。
 今、午前3時40分。日記を書いたり、本を読んだり……。4時間しか寝ていないのに、そんなことをしてて大丈夫かよ。明日は休みだからいいとして、何か対策を考えなくちゃ。

‡2月24日(日)
 今日は、午後1時30分にF子先生のボディ・ライトニング。終わったあとにイメージ療法を教えてもらう。
*がん細胞の崩壊イメージ
 酸素不足で固くなった細胞壁が壊れて(つまようじで突いた風船飴のはじけ方のような感じ)、細胞の中身がどろどろに流れだし、崩壊。
*治療のイメージ
 
◆健康な細胞には働きかけない
 F子先生の説明はこうだ。
 たとえば放射線の場合、心臓や肺といった重要な臓器を避け、食道がんの部位にだけ照射されるように強くイメージしなさい。強く思えば、放射線は曲がって進み、心臓や肺を貫くことはなく、害を及ぼすことはありません、と。
 これについては、まだとまどいがある。放射線が物質を貫いて直進することは、だれでも知っている事実だ。それなのに、強くイメージすると、放射線がカーブを描いて心臓を避け、肺を避けてがんの患部に到達する……というのだ。
 正直なところ、素直に従うわけにはいかない。が、リニアックで照射を受けている間は何もすることがないのだから、放射線がクニャッと曲がって心臓を避けていくのを想像するのも楽しいかな。
 ということで、リニアックがジジジジと鳴って放射線の照射を知らせると、曲がれ曲がれ、心臓や肺に当たるな、とイメージすることにした。
 病巣を黒地に白ヌキでくっきりさせ、そこだけに放射線や抗がん剤が集中攻撃をかける様子をイメージ。健康な細胞には働きかけないので害はない。

 4時前に帰宅。郭林新気功。風が強い。朝の練功後の肩凝りが腕の振りの緊張にあったことに気づき、肩・腕からできるだけ力を抜くようにした。

‡2月25日(月)
 下くちびるの真ん中に湿疹。朝、鼻血少々。ぎょっとする。副作用? 肩凝り、不眠は相変わらず続いている。

 昨夜も9時には床についた。睡眠剤で眠ったものの、いつもどおり夜中の目覚め。また、朝まで眠れないな……。
 つらつら考え、5時起床の気功はやめにした。気分よく起きることができ、やる気があればいいが、そうでなければ、やめる。脅迫的にやることはない。そう思い、今日はやらないと決めた。そのせいか、朝方(5時ごろ?)ちょっと寝た感覚がある。

 昨日からの強風は、今日も吹き荒れている。寒い。重い足取りで東病院に出かける。
 帰宅後、びゅうびゅうと吹きすさぶ林道を歩く。落ち葉が吹き溜まりになって、30センチぐらい足がもぐる。
 夕食が終わるとぐったり。気分悪し。肩から首にかけてパンパンに張って、超のつく凝り。

‡2月26日(火)
 

 放射線治療9回目。採血。布施先生の診察。
 放射線が11時で、診察が13時30分。時間があいたので昼食は9階の食堂で、きつね蕎麦+納豆+冷や奴。食べられないで蕎麦を残した。

 13時30分からの診察(10分遅れ)は特別のことはなし。気になる鼻血や肩凝りは、副作用ではないだろう、とのこと。愚痴を言って終わり。

 ところで、確認事項をひとつ。
 漠然とその日を送らないこと。
 というのも、今日まで、ちょっと先の目標(今だと放射線治療の終了)に向けて、一日をやりくりしてきた。それはこれまでの生き方と同じだ。ほとんどの目標はそれで達成できたのだが、がんを治すという大目標は、そのやり方では達成できない。それははっきりしている。

 そうではなく、今、わたしは生きている――。起きてから寝るまで、常にそれを感じていること。

 我慢する必要はない。疲れた→でもがんばってもう少しやろう→ではなく、疲れたら休もう、ということ。疲れをとるために休んでいても、今、わたしは生きている感覚はある。それがありさえすれば、なんでもOKだと思う。がんばってもいいし、休んでもいいんだよ。
 「今、私は生きています感覚」をもっともっと養うこと。養うというより実践かな。

 たとえば、治療の帰りの武蔵野線の電車内でこれを書いている。それが、がんばっているということではなく、書く気力がなければ寝ていたっていいんだ。今は疲れはてて寝てるしかない、それでも今、わたしは生きている、ということだ。

‡2月27日(水)
 朝、鼻血少々。先生は鼻の粘膜の炎症で、冬にはよくあること、と言うが、こんなに続くとやはり気になる。
 強風による電車の遅れを心配して30分早く家を出る。10時05分に病院着。10時45分には放射線治療終わり。昼食は新宿の立ち食い蕎麦。食欲なし。まずい。

 家に帰りついてしばらくはなんとかもつが、気功をやったあとは極端に気力が失せる。風呂と夕食の支度がしんどい。
 夜は相変わらず眠れない。退院からずっとだ。睡眠剤が放せない。眠れないまま、がん関連の本を読む毎日だ。

 

 『がんのイメージ・コントロール法』(川畑伸子/同文館出版)は、F子先生のイメージ法と重なる部分があり、興味深かった。たとえば、こんな文章だ。

*「治療が、自己治癒力の強力なサポーターとなって効果的にがんに働きかけ、がんを消していく」というイメージをはぐくみましょう。
*また、「治療の副作用が自分をボロボロにしていく」というイメージを持っているのであれば、「治療ががんだけにきちんと作用し、正常細胞は傷つけない」というイメージを描いてみましょう。化学療法に取り組む患者の何人もが、このイメージ法を取り入れることによって、副作用をコントロールできるようになったと報告しています。
 なかには、治療が自己治癒力と協力してがんに働きかけていることをイメージしているとき、がん細胞が「クシャ」とつぶれた音を聞き、その後、がんが消えたという患者もいます。

 こうしたイメージ療法は、アメリカの放射線腫瘍専門医のカール・サイモントン博士が開発したものだという。
 イメージだけで、がん細胞が「クシャ」とつぶれ、消えてしまう……。もし本当なら、これはスゴイ! 信じるか信じないかは別にして、やってみても損はないな。
 治療のためのイメージ画をつくること。

‡2月28日(木)
 

 食べ物を飲み込むとき、のどの痛みがかなりある。何気なくというのがいちばんひどい。用心しながらだとスルッと入るときもあるので、全体的にやられているわけではなさそうだ。関連して、左の胸がちょい痛。

 今日は放射線のほかに、布施先生の診察もあった。飲み込むときの痛みを訴える。鎮痛剤処方。ドロッとした白い液体で、食事の30分前に飲む。

 南流山駅で山菜そばの昼食。味がない。無理やり一杯食べた。電車内で日記。書くのにもやや慣れた。
 帰ったらねこが2階の日だまりで昼寝をしていた。それを見たら気功をやるのもおっくうになり、今日はヤメ。ねこと昼寝だ。

‡2月29日(金)
 午前3時過ぎに目覚め、それから眠れない。今日は機器の点検で放射線が休み。土・日を入れると3連休になるので、4時すぎに起きだし、たまっていた雑用を片づける。
 時間は不規則だが、便は一日1回は出る。ゴボウの色にそっくり。もっと黄色いほうがいいのかな。

  ◆カムカム鍋
 圧力鍋に水を張り、玄米と水を入れたカムカム鍋を置く。間接的に玄米を炊くわけだ。こうすると玄米がおいしく炊けるというので、買ってみた。
*追補(2011.10.13)
 2、3か月ほど使ったが、やはり面倒くさい。圧力鍋だけで炊いても味はそんなに変わらないので、使わなくなった。今はおひつがわりに使っている。
 ちなみに、玄米が炊ける電気釜も買って試してみたが、味は格段に落ちる。味でいえば、1・カムカム鍋、2・圧力鍋、3・電気釜の順になる。



 午前中にカムカム鍋が届く。さっそく、夕食は本格玄米ご飯にする。
 玄米は消化が悪いので、ひと口100回噛むこと。その注意どおり噛んでいると、100回もいかないうちに形がなくなってしまう。思いのほかうまい。が、皮だけはしつこく残る。がんを治す食べ物だと思うので気にはならない。
 炊くのに手間がかかりすぎるのが難点。玄米がおいしく炊けると宣伝している電気釜を買って、味が違うかどうか試してみるとしよう。

‡3月1日(土)
 夕方から夜にかけて相変わらず不調。肩の凝りがあり、右の肩胛骨付近が痛み、頭が重い。夜になると頭痛がしてくる。
 晩ご飯が収まるところに収まらず、ご飯を食べている、あるいは食べたという充実感がない。そのくせ、食べすぎの感あり。ものを飲むことに対して、無意識の緊張があるからなのか? 鎮痛剤の効き目はあまり感じない。

 もうひとつ、睡眠不足がある。昨夜は午前2時30分まで本を読んでいて、そこから睡眠剤を飲んで寝た。朝方、目覚めると、ねこが体の上に乗っていた。乗ってくるときは気づかなかったのだから、間違いなく寝ているのだが、寝たという実感がまったくない。これじゃあ夕方に疲れがどっと出るのも道理か。

 午前中、ねこを病院へ。帰りに買い物。
 夜、「それでもボクはやっていない」を観る。あれだけの悪環境下に置かれたら、わたしはたぶんダメだろう。あ〜あ、釈迦になりたい!
 それしか手はないじゃないか。そんな感想をもたらす憤りの映画だった。世の中に正義はない。どう生きればいいのか、釈迦……か。

‡3月2日(日)
 

 朝は5時過ぎに目が覚めたが、うつらうつらと眠り、起きたのは8時。今日は以前の眠りのパターンに近い。日曜日で休みという安心感があるからだろう。

 午後、気功に出かけたら、気分がいい。ただし、スローテンポ。いつもの場所のかなり手前で20分が過ぎてしまう。帰りはもっとテンポダウン。歩くだけなのに、体力が落ちている? ちょっとしたことで立ちくらみ。それが目立って多くなった。

 夕方から夜にかけての気分は相変わらず冴えない。肩の張りと頭痛の兆しがある。ほんのちょい無理をすると、そのふたつが牙をむいて襲いかかる……のを、なんとかやりすごしている。

 3日間の休みが終わった。明日から放射線再開。一日一日が勝負だ。がんは放射線で小さくなっている。なくしてしまうために、明日からまた、放射線、よろしく頼んますぜ!

 
‡3月3日(月)
 起きたときから肩凝りがひどい。これだけひどいと気分が滅入る。立ちくらみも少し。
 今日は放射線12回目。いつものようにリニアックのベッドに仰向けに寝て、ジジジジジ(1回)、少し間をおいてジジジジジ(2回)……と、計5回照射しているようだ。いつも数えるのだが、イメージづくりに熱中し、最後になると何回鳴ったか忘れてしまう。

 照射後、診察。放射線が抜ける背中側が少し赤くなっているといわれた。副作用がひどくなると、胸毛が抜けるとのこと。
 それから、水を飲むようにとの指示がある。腎臓の機能が悪くなると、抗がん剤治療ができなくなる。これで限度と思ったときに、コップもう一杯。体育会系ののりで……と先生は笑う。このところ水の量は無頓着になっていた。少し管理しなければ。

 モノレール→今日の予定の確認、中央線→脚の筋トレ、武蔵野線→般若心経・読書、筑波エクスプレス→肘の筋トレ――以上が毎日の通院電車内での予定。
 今は般若心経がおもしろい。段落単位で勉強しているが、なるほどと思うことが多い。

 帰宅したらねこの包帯が片足、外れていた(点滴用の針を固定している。抗がん剤治療のときのわたしと同じ状態)。病院へ連れていく。包帯をまき直してもらって帰宅。すぐに気功へ。このところ、リズムが悪い。呼吸と動作がなめらかにいかない。

‡3月4日(火)
 治療の帰りに秋葉原のヨドバシに寄り、電気釜を買う。土鍋というのが気に入った。これなら玄米もおいしく炊けそうだ。5万6000円也。それほど重くはないのだが、帰りつくころには息も絶え絶え。頭も痛くなる。
 しばらく横になってから気功。林の道を歩くにつれて頭痛はなくなる。精神性のものか? 

 気功から帰ってきたら、またまたねこの包帯がずれている。今日は院長が包帯巻き。両足とも吊るのはかわいそうなので、点滴針のある左足は特殊なテープを使用。クルクルッと巻き付けただけで、表面の凹凸がからみあって外れないそうだ。
 ねこの状態は悪い。体重は3・5キロ。以前は4・7キロ、診察につれていった最初の日が4・1キロだったのだから、もう限界か。

‡3月5日(水)
 朝、枕と布団にびっしりの抜け毛。なんで今ごろ? 抗がん剤の副作用ならもっと早いはずだが……。

 今日で放射線治療の半分が終わった。残り半分、がんを消すために働いてくれ。ジジジと放射されているときに思い描くイメージ、残り14日、これを明確に描こう。

*「治療が、自己治癒力の強力なサポーターとなって効果的にがんに働きかけ、がんを消していく」というイメージをはぐくみましょう。
*「治療ががんだけにきちんと作用し、正常細胞は傷つけない」というイメージを描いてみましょう。化学療法に取り組む患者の何人もが、このイメージ法を取り入れることによって、副作用をコントロールできるようになったと報告しています。
*なかには、治療が自己治癒力と協力してがんに働きかけていることをイメージしているとき、がん細胞が「クシャ」とつぶれた音を聞き、その後、がんが消えたという患者もいます。

 前にも書いたが、イメージにはこれくらいの力があるそうだ。イメージ療法をきちんとやることを再確認する。

 
◆頭冷やし
 怒るとろくなことはない。反省を込めて、怒りを鎮める抜書きを記録しておく。

『ヨーガに生きる』(おおいみつる/春秋社)
*感情にとらわれたり、感覚的な衝動に見舞われた時、それから逃げようとか、打ち消そうなんてことは考えないで、一瞬、まず肛門を閉めてしまうんです。
 かっと腹をたてたり、恐ろしいと思ったような時にですよ、それを鎮めようと、たいていの人は一所懸命努力するんですが、それは、一見もっともなようでいて、これほど無駄なことはないんです。それで押さえられればいいですけど、押さえられない。
 それよりも、それはそれで放っておくんです。それで気づいたら、さっと肛門を閉める。そして同時に、お腹の下の方にぐっと力を入れる。その時、肩に力が入ったり、上がったりしてはいけないから、肩の力を意識的に抜いてやるんです。
 肛門と、お腹と、そして肩と、この三つを瞬間、同時にやるんです。同時ですよ。一、二、三と次々にやるんじゃないんですよ。一緒にやらなきゃあいけない。
 また、一瞬でいいんです。いつまでもやっていたら、第一、息ができないでしょう。一瞬、そして、またお腹の力も抜いて、もとにもどし、次の瞬間にもう一度、という具合に何度でもやるんです。どうです、いたって簡単でしょう。

『ヨーガに生きる』(おおいみつる/春秋社)
「なぜ、お前の心を花の咲いている方へ向けないのだ。幸不幸というのは、心の向け方一つで決まるものなのだ。……」

『老いない体をつくる』(湯浅景元/平凡社新書)
*精神的ストレスを増やさない
1・何ごとにも良い面と悪い面があります。
2・自分と他人を比較しない。
3・自分中心に生きる。
4・来る者は拒まず、去る者は追わず。
5・家族を大事にする。
6・他人に迷惑をかけない限り、やりたいことを実行する。
7・年齢を基準にして行動を決めない。
‡3月6日(木)
 イライラし、ついつい夕食時にカミさんとやりあってしまう。頭冷やしの散歩。般若心経を唱えながら。
 ねこが餌を食べない。海老、ほたてを少々。心配。

 筋トレ休み。疲れた。頭痛。右肩胛骨の下あたりも痛い。肩凝りはほぼなくなった。
 食欲は正常。玄米菜食を実践中。果物の甘味をとりすぎ?

‡3月7日(金)
 6時起床。30分ほど前から目が覚め、ウトウト。目覚ましの音で起きる。がん以前の状態に戻った。もう少し寝ていたいという気持ちも同じ。
 気分は普通。歯磨き、洗顔、髪を整える。と、洗面台一面に髪がハラハラと散る。……なるようになるさ。ハゲも悪くない。

 今日は採血があるので早めに家を出、9時20分に東病院着。採血。放射線は10時40分に終了。11時30分、布施先生の診察。

 体調はようやく元に戻った、問題なしと意気揚々だったのに、なんと白血球が急減少、1100にまで減っていた。ぎりぎりの数値だ。1000を切ると放射線、抗がん剤とも休止。無菌室への入院になる。熱が出る可能性があり、そうなると面倒らしい。用心のため、解熱の薬を2種類処方される。

 ガックリだ。呆然と帰宅。疲れがひどい。気功も筋トレも休み。やる気が起きない。カミさんは仕事で遅い。ひとりぽつねんと飯を食い、テレビを鬱々と眺め、先行きに悲観しつつ、床を敷く。突然の状況変化に対応できない。どうすればいいのか?

‡3月8日(土)
 白血球は急減しているのに体調は普通。抜け毛と右背筋痛のみ。
 ねこを病院に連れていき、買い物をすませるともうお昼。時間に追われる感覚は相変わらず。やらなければならないことが山積しているのに、手つかずで時が過ぎていく。このあたりの焦燥感は以前と変化がない。のほほんと暮らすにはどうする?

‡3月9日(日)
 体調はほぼ元に戻った感じがする。食事の飲み込み違和感も解消。がんが縮小、消滅しているのだろう。飲み込みを意識しない分、緊張がなく、あれだけひどかった肩凝りがなくなった。

 今日も一日片づけ。だが、やることリストで終了の赤線が引けたのはたったの2本。先は遠い。夜、頭痛がひどい。デパスを飲む。爪の根本が痛み、爪の色も白っぽくなった。薮め。今週行ってクレームだ。

‡3月10日(月)
 4時に目覚める。気分は普通。6時まで床の中。雨の音が心地よい。爪が痛む。夜になると、肩から下がってきた凝りが背中一面に広がる。辛い。気功をやると楽になる。また風呂に入ると少しよくなる。
 体重が55キロを切る。それほど心配していない。20代は40キロ台、30・40代は54〜55キロ台だったのだから。そのころに戻っただけだ。

 病院に出かける。朝から雨。般若心経に夢中になり、電車を一駅乗り過ごして新松戸まで行ってしまう。そのうえ、戻る筑波エクスプレスでも快速に乗ってしまい、守谷に連れていかれる。いつもより20分も遅れ、10時50分着。放射線11時20分終了。その後、放射線科の診察があり待たされる。

 白血球の減少は放射線の影響かと聞いたら、いや、抗がん剤とのこと。ホント? 抗がん剤を終わって3週間はたってるぜ。ま、髪の毛も抜けていることだし(これは放射線の影響はありえない。頭部にはかけていないから)、遅れて副作用が現れているのかも。

 帰りの電車内。今日は眠い。書くこともなくなった。……曾野綾子さんの『戒老録』を再読している。

 性格はなかなか変えられない。がんになっても、すぐにかっとなりどなりまくる短気な性格は変わらない。がんには、のほほんと過ごすのが最良なのに。なぜ変わらない?
 そのままだと死んじゃうよ。まさに「お前の心を花の咲いているほうに向けないのか」だ。

 放射線科の診察に待ち時間をとられ、いつもより遅く3時帰宅。気功。雨があがり、日が射している。水を含んだ林のにおい。冬の乾燥時とはまた違う。ひと雨ごとに春がくる。ウグイスも数日前に初声を聞いた。今日も鳴いている。これからかまびすしいだろう。

 郭林新気功は、1月15日にオリエンテーションを受けてからもうすぐ2か月。あなたの病状なら毎日2回やりなさい、と萬田代表に言われたが、とても時間がない。できるだけやる。
 「シシフー」のリズムは少しずつ身についている気がする。が、ときどきボーッとしてしまう。「シシフー」は常に頭の中で繰り返していないとダメ。達人になると意識しなくてもできるのだろうが。

 気功が終わるともう5時。夕食の仕度。ねこの世話。風呂。筋トレ。考えるとどっと疲れが出てしまう。家事にどう取り組むか。人生は雑事の積み重ね、とさとすのは曾野綾子さんだが、まだ雑事を楽しめない。

 
‡3月11日(火)
 6時、目覚ましで起床。眠い。もう2時間……。
 寝るときは睡眠剤のレンドルミンを飲んでいるが、そろそろ不要かも。夜中にねこに起こされ、えびえさをやった。眠いのはそのせい。
 気分は普通。肩・背中の凝りが若干。抜け毛は相変わらず。

 布施先生の診察。10時30分の予定が30分遅れ。診察室に入ると研修生がふたり。いつもは時間どおりなのに、このせいか。
 血液検査は、白血球が1600まで増大。増える方向にあるようだが、入院には2000が必要。金曜日に採血して結果をみる。入院延期もある。それは避けたいのでこの3日間は休養を心がけよう。

 夕食は、このところおいしさを感じない。飽きた。玄米ご飯がまずい。菜食は、何を食べてもおかずに思えない。
 食べ物がおいしくないので食べたくない、という気持ちになったのは、生まれて初めてだ。発端は入院中の病院食。あれが元凶だった。

 腹は減る。だが、いざ食べてみると、「おいしい!」という感じがしない。口に入れても飲み込めない。
 腹が減れば、味があろうがなかろうが、口に入れられるものならなんでも可だったのが、今はこのていたらくだ。……ひょっとしたら味覚がおかしくなっている?
 その可能性はまったく考えなかった。それとも精神の問題?

 『文藝春秋」4月号で、立花隆氏が「ボクはがんを手術した」という手記を書いている。今、活躍している人の多くががん年齢だから、体験者が出てきてもおかしくない。都築哲也氏もそうだし。

 読んでみると、膀胱がんで、内視鏡手術ができる段階のようだ。転移もしていないのでたちもよさそう。血尿で気づいたそうだが、早い時期の発見なのだろう。
 がんと同定され、手術まであれよあれよと進んだと言っているが、わたしみたいに治療法で悩んだりはしなかったようだ。内視鏡手術だとすれば、たしかに他の選択肢を考える必要はない。幸いなるかな。

‡3月12日(水)
 5時ごろ、ねこに目覚めさせられる。そのままウトウト。6時30分起床。気分は普通。痛みなどもない。背の凝りは感じない。

 8時に家を出る。いつもよりひと電車早くする。10時15分着。これなら、次回から10時30分治療予約でいけそうだ。10時55分、放射線終わり。11時11分のバス。11時43分電車。

 帰宅後、気功、夕食のしたく。相変わらず玄米ご飯がまずい。食事を考えるだけで気持ちがなえる。食べたくない。こんな気持ちは生まれて初めて。やはり味覚障害か?
 対策は、ご飯に味をつける→炊き込みご飯にしてみた。まあまあ。ご飯そのもののおいしさを味わうのは当分無理みたい。

 
‡3月13日(木)
 ご飯がまずくて食べられない(薄味のもの全般)。ときおりうっすらと頭痛。右肩胛骨が思いだしたように痛む。
 目覚めは寝不足気味。寝つきが悪いからだ。10時には眠りたい。心配事が頭をよぎると眠気がなくなる。今もレンドルミンを飲んでいる。寝る前に聞くCDは、イメージコントーロールではなく眠れる音楽系がいいのかもしれない。

 午後は1時30分、月1回のF子先生のボディ・ライトニングに行く。受けている最中、2、3回、ウトウトしてしまう。

 オーラボディでは、がんは動いていないので、死滅している状態のようだという。放射線は心臓には当たっていなく、肺の端に少しだけ。

 ほっとする気持ちがある。
 ときおり頭をかすめる「放射線は手術に比較して確実性がない」という大津先生の言葉。確率の問題だ。手術は100パーセント。放射線は、わたしの場合、消失確率70パーセント。30パーセントある悪い目が出れば……。

 放射線照射をあと8回を残したこの時点で、がんが死滅しているという透視は嬉しい。喉のつまり感がなくなっていることも、放射線の効きを実感できる。あと8回、しっかりとトドメをさして、食道、鎖骨上のリンパ節とも元に戻したい。どうやらそのようになりそうだ。

 帰宅後ねこのえさやり。何をやってもほとんど食べない。覚悟を決める必要がありそうだ。寿命なら気も楽なのだが。
 慚愧に耐えないのは、早く気がつかなかったこと。ここまで重篤になる前なら、食事療法なども可能だったのだから。体重が軽くなった、という家族の言葉を、ちゃんと聞いておけばよかった。それが悔い。

‡3月14日(金)
 

 体調変わらず。
 今日は採血・診察のみ。放射線は機器のメンテナンスで休み。
 採血の結果、白血球1800で、治療不可。入院が月曜の予定なので、とりあえず入院して様子をみることになる。

 治療がないのでいつもより早めの帰宅。雨が少々。気功はお休み。疲れて気力なし。
 4時前、近所のHクリニックへ。降圧剤が効きすぎかも、という話をしたら、別の種類に。アムロジンは変わらず、それにプラスしてオルメテックを処方される。

 夕方になっても気力は戻らない。ドロンとした気分で、ノソノソと風呂の仕度、夕食の仕度をする。
 雨が激しくなる。降ってくれたほうが風邪の予防にはいい。カミさんを迎えに多摩センターまで。
 明日は温泉旅行。仕度をして寝る。一日の〆がうまくできない。今日のH先生の話で、下がりすぎた血圧は、気力、やる気を削ぐというが、どうもそんな感じがする。

‡3月15日(土)
 土・日と湯河原の伊豆山温泉へ。走り湯の伝えがある三大古伝の温泉とか。庭の一隅にある離れの温泉がそれを髣髴とさせる。流れ出す鉄湯が石造りの風呂や床に染み入り、味のある鉄色をつくりだしている。たいした造りじゃないが、これが温泉だ。

 屋上の露天風家族風呂もいい。目の前が大海原で風がスウーッと入ってくる。眺望よし、風よし。放射線治療用に線引きされた体だから、遠慮して大浴場には入らないが、見たところこれまた絶景。温泉宿としては文句なし。

 元気が出る。この休みが終われば、月曜日から2クール目の抗がん剤治療が始まる。温泉の癒しパワーを満喫しておかなくちゃ。

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