‡2008年6月20日(金)
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◆気功で歩く林道は、夏になるとやぶ蚊が多い。
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5時15分起床。調子はまあまあ。今日の体重53・3キロは、去年の同時期より15キロ減。BMIでは痩せすぎの部類に入るが、問題を感じないので、まあいいか、と思っている。
久しぶりの早朝気功。虫除けを胸からぶら下げていったのに、やぶ蚊
に刺された。林の中の小道は、今の時期から蚊がぶんぶん飛びまわっている。これから夏にかけては蚊との闘い。防虫剤のいいやつをさがす必要ありだな。
カミさんを仕事先に送った帰り、JAへ寄る。9時前だというのに人だかり。野菜があっという間になくなるわけだ。
午前中、データ整理。お昼は2時間も休んでしまった。午後もデータ整理。お風呂に入ったあと筋トレをごく軽く行う。
‡6月23日(月)
八王子社会保険事務所へ行く。年金の繰上げ支給の相談。自分で計算した金額を確認する。数百円の違いでほぼ合っていた。
60歳から繰上げ支給にすると、30パーセントも減額になる。満額もらえる65歳まで待つ、という選択肢もありだが、どうにも強気になれない。申請するしかないと決断する。
‡7月1日(火)
今日は、治療終了後、最初の検査だ。5時起床で、国立がんセンター東病院へ行く。
まず採血、それからCT、次に内視鏡という順番で検査を受ける。
採血の結果はすぐにわかり、白血球が2100に減っていた。赤血球・血小板も減少。用心すること。
内視鏡で見た食道・胃・十二指腸には異常なし。ただし、解析に時間のかかる生検やCTの結果は、15日の診察時までお預け。
5時帰宅。検査は一日仕事だ。疲れて9時30分就寝。
‡7月5日(土)
家の雑用を片づけ、魚を買いに出かける。今日から魚を解禁にした。夕食は大トロの刺身とマグロの目玉の煮付け、それとウナギ。魚解禁の大盤振舞だ。
ネットでさがした魚屋・鉄ちゃんは、隠れた名店のようだ。営業は木・金・土の3日間のみ。老夫婦が趣味でやっている感じ。おいしいマグロが安い。
‡7月6日(日)
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◆講演会
今回のテーマは「ガン・治る理由を積み上げろ」ということで、サブテーマに「治す戦略・治る確信」とある。
この「治す戦略」というのには大いに期待した。病気になった場合、治す戦略を授けてくれるのは医者だが、がんに限っては、医者が治す戦略を持っていない。とくに、寛解に至ると、それ以上の治療法はない、といわれる。でも、がんは治っていないのだ。
患者としては途方に暮れるしかない。そんなとき、治す戦略などといわれると、ついつい期待してしまうのは人情だろう。
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本日のメインイベントは、「日本ウェラー・ザン・ウェル学会」の講演会だ。神保町の日本教育会館に10時着。8階の会場に行くとほぼ満員。300人が席を埋めていた。
司会者は角刈りの神経質そうな男性。一瞬、川竹文夫代表かと思ったが違うようだ。
基調講演で登壇した川竹代表も、神経質・几帳面・真面目・頑固・理屈大好き……という雰囲気が濃厚に漂う。それはわたしも同じで、やはり、がんになる人にはどこか似かよった雰囲気がある、と感じた。
午前の講演のテーマは「徹底」。徹底しなければ治らない、という主張はうなづける。が、問題は徹底する「内容」だ。それが「科学的根拠」のないものならば、徹底は時間のムダ。特にガンの治癒をめざす場合は、とりかえしのつかないロスになる。
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◆治ったさん
日本ウェラー・ザン・ウェル学会では、完治した元がん患者を「治ったさん」と呼ぶ。そして、医者ではなく、彼ら成功者の体験に学ぶことが、成功を収める最善の道だという。
「治ったさん」は「治す教師」――という位置づけはすばらしいと思う。
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治ったさんふたりの冷え取り・瞑想呼吸は悪くはない。だだし、それのみでがんが治るという根拠は薄い。わたしにはそう感じられる。もちろんエビデンスもない(はずだ)。
徹底というテーマ自体はいいのだが、問題なのは折にふれて出てくる医療批判の論調だ。
たとえば、抗がん剤が効かない(治癒できない)のはわかる。が、治療手段がそれしかない場合もあるのだ。
効果0ならだれも使わない。10パーセントにしろ20パーセントにしろ、効果がある。たった数か月の延命だとしても……。ひょっとしたら奇跡的に「治る」かも……。
患者はそこに賭けるしかない。それを全面否定して玄米菜食に賭ける気には、わたしはどうしてもなれないのだ。
抗がん剤は百害あって一利なし。絶対受けるな――。
だが、その主張を裏づけるエビデンスはどこにあるのか?
要はエビデンスだ。それしか議論の物差しはない。それがなくて主張するなら、信仰、川竹教になってしまう。どうもそんな色が見えるのは、わたしの勘ぐりすぎか。ともかく、腑に落ちない、のだ。
午後のテーマは「変化」。合理的な考え方だし、大賛成。
がんになった自分――これを変化させなければがんは治らない。
変化しなければ、というのは、頭ではよく理解できる。が、いざ実行となると、いろんな理屈をつけてやらない。
ダメな自分→変わりたい→でも変わるための行動に移れない→なぜなら、心の奥底ではダメな自分に慣れており→変わるためのエネルギーを出すのがおっくうだから……。
このずるずる環境を絶ち切るコツは、このままいったら○か月後、○年後の自分はどうなるかを想像してみること。
この川竹代表の実践アドバイスは、非常に有効だと思う。変わりたいけれど変われない、というときは、このやり方を使ってみよう。
もうひとつ、参考になったのがイメージ法。具体的には、体に対する感謝、各臓器にお礼を言う。これも試してみる価値ありだ。
「徹底したやり方をひとつ持つこと。それが自信につながる。得意技を持ちましょう」
この呼びかけは、寛解1年生のわたしにとって、とても重要なアドバイスだった。徹底すること。いい言葉をもらった。
‡7月8日(火)
久しぶりに郭林新気功の教室に行く。帰りは八王子にまわり、スポーツ整形でマッサージ。そしてトレーニングのオリエンテーションを受けた。
オリエンテーションの体のチェックでわかったのは、土台がかなり歪んでいること。歪みを放置したまま筋トレをやってもテニスをやってもうまくいかない。まず、スポーツができる土台を作り、それから筋トレ、テニスと段階を踏んでいく必要があるとのこと。
納得。トレーニング代は1か月5万円。これは痛いが、やることにした。寛解1年生になった今年の目標は、5年生存のための土台を作ること。まずは体の土台づくりから。これまで一顧だにしなかった体の手入れによって、体力がつき、免疫力が高まればいうことなし。
‡7月9日(水)
今日から治療後の骨休め、5泊6日の小笠原旅行だ。当初は沖縄とも思ったのだが、たまたまカミさんの知り合いが小笠原に赴任し、面倒をみてくれることになったので、東京都の南国にした。
東京都とはいえ、小笠原は沖縄に行くよりはるかに時間がかかる。10時に竹芝埠頭を出港したおがさわら丸が到着するのは翌日の11時30分、じつに25時間余の船旅だ。交通手段はこれしかない。
だが、まあそれだけの価値はある。不便なかわり、沖縄よりもっと色濃く自然が残っていた。
島に着いたその日の夕刻、ふらっと海岸の散歩に出たら、産卵で上陸してきたウミガメに遭遇。遠目には大きな黒い岩だが、それがゆっくりと動いている。なんだ? と思って近寄ったら巨大な亀だとわかった。
残念ながら、砂浜の溝にはまり、産卵をあきらめたのか、Uターンして海に帰っていった。見上げた空は満点の星。
何をするでもなく、のんびり、ゆったり流れる時間の中で、島の夏を満喫した。島だから、どこに行っても海が見える。海はいい。広くて青くて、風が涼しい。治療で痛めつけられた体がほぐれていく。
◆小笠原の海。 |
‡7月15日(火)
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◆CT画像に写った放射線性肺臓炎(右の○の部分)。検査のたびごとに「X線診断レポート」を渡され、それには所見や画像が掲載されている。話だけではなく、こうしたデータを渡してもらえるのはありがたい。
所見にはこうあった。
〈肺野〉左S10にconsolidationが出現している。radiation pneumonitisと考える。転移を示唆する所見なし。
先生の説明では、肺に硬結・硬化が見られ、放射線性肺臓炎だと考えられる――ということだ。
◆PSA値
PSAは前立腺でつくられる蛋白質で、前立腺にがんがあると血液中に出てくる。このPSA値と前立腺がんの関係は次のとおり。
*4以下→陰性(がんの確率10%未満)
*4・1〜10→疑陽性(がんの確率20〜50%)
*10以上→陽性(がんの確率60%以上)
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今日は東病院で診察。7月1日に受けた検査の結果を聞く。南の島で元気を取り戻したと思ったが、放射線の晩期障害が出ていた。放射線性肺臓炎。CT画像には左の肺の先端に白い影が写っている。
この肺炎は、5〜7パーセントの確率で発生し、3パーセントは入院が必要になるという。わたしの場合、放射線を当てる範囲が広かったから、肺もけっこうやられたのだろう。ただ、それほどひどくはなく、しばらく様子をみることになった。咳、熱、息切れ、胸痛に要注意。
白血球も2200と芳しくない。小笠原で養った英気も、空気がもれた風船のような塩梅だ。なんだかがっくりときた。元気なく帰宅する。
‡7月22日(火)
Oクリニックで前立腺肥大の診察。血液検査の結果が出て、PSA値は0・599。基準値4以下なので陰性。前立腺がんの心配はない。白血球、赤血球ともまだ減少したままだった。
‡7月29日(火)
このところ、脚にしびれ感がある。顔を下に向けてふっと息を吐いたときなど、脚がビビッとしびれる。以前の体表のしびれと同じく、抗がん剤による抹消神経の障害だろう。
退院から1か月以上たってもまだ副作用が続いている。血液の状態もなかなか上向かないし、抗がん剤の毒性おそるべし、だ。
‡8月7日(木)
今日から3泊4日の予定で宮崎に帰省。夏休みという名目だが、がんの報告が目的だ。幸い寛解でがんは消えているし、わたしも一見元気そうに見えるから、母や姉の衝撃も少ないだろう。
勝手にそう思っているだけで、本当のところはわからない。が、知らせないわけにもいかない。まったく、がんというやつは面倒なものだ。
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◆重野哲寛先生
最先端の現代医学と中国で古代から伝わる栄養学の指南書『神農本草経』を結合し、機能性食品複合体をベースとした「積極的食事法」により、心・脳・身体の癒しのシステム「ゆらぎの医学」を樹立。現代の食文化に多大な影響を与えた。北海道大学医学部、同大学院卒業。医学博士。1932年〜2003年。(ホームページのプロフィールより抜粋)
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姉から重野哲寛先生の健康補助食品を勧められる。サプリメントについては勉強不足だが、姉の知り合いの女性が体験者で、話をしにやってきた。
夕方から3時間ほど話を聞く。誠実そうな人なので、効果に偽りはなさそうだ。とはいえ、個人的なデータだからエビデンスのある話じゃない。あくまでもその人の場合はこうだった、というレベルとしてとらえる。
勧められたサプリメントは次のとおり。
★トコワカ(\11,550)+パールC(\3,150)+菊寿(\19,425)+プレアーゼS(\7,300)→いずれも粉末。この4種を混ぜ合わせる。毎食時、スプーン山盛り2杯。
★霊芝(\105,000)→1日4回、食間(お腹がすいている時)、スプーン3杯を熱湯でとかして。
★メイゲン(\8,925)+リノレン(\8,925)→毎食時、2粒。
★万優膏(\8,925)→毎食時、5〜6個。
以上、8種類を勧められる。効果は食べればすぐに現れるとのこと。計173,200円。
高いか、安いか。食品として考えた場合、この値段は常識を超えているだろう。薬なら病気が治ればやめられるが、薬ではなく健康補助食品だから、原則的にやめるという時期がこない。
もちろん、健康になったと自覚すればやめてもいいのだろうが、わたしの場合は最低でも5年は必要だ。1年で2,078,400円。5年で1000万を超える食品代。しかもひとり分。どう考えても無理がある。
姉が熱心に勧める。わたしは「エビデンスあり」が原則だ。しかし、やってみなければわからない。がんの代替療法は、おしなべて体験の世界だ。エビデンスをとるための環境が整っていないのだから、これはしかたのないこと。
その体験者が太鼓判をおす。がんはこれで治る、と。漢方だから、興味もある。ためしにいくつか選んでやってみることにした。代金は姉がはらってくれるというし……。ありがたいことデス。
‡8月14日(木)
今日から食事内容を記録することにした。健康な体をつくる基本は食べ物だから、がん再発防止策として、食養生は大きなウエイトを占める。柳原師匠も『私のがん養生ごはん』で力説している。
*食べることとがん患者の、いや人間の体調は、けっして無縁ではない。
おっしゃるとおりだ。カミさんは仕事なので、わたしが夕食をつくっているが、この際、養生ごはんの道をきわめてやろうじゃないか。
ともあれ、寛解1年生のわたしには、今のところできるのは、以下のようなことしかない。
*ひとつは、食養生だ。玄米採食を基本にした、日本の食をこころがける。肉はNGだが魚はOKにした。酒はきっぱりとやめた。正月以来、飲んでいない。5年は続ける。
*ひとつは、基礎体力をつけること。筋トレ、テニス、ストレッチ。疲れたら休みつつ、でも続けること。
*ひとつは、気功をはじめとする東洋の養生法を実践すること。
‡8月21日(木)
気功も筋トレも料理もテニスもプラトー状態に入っている。やる気が失せている。やってもうまくいかなくておもしろくない。目立った効果が感じられないからだ。
対策は?
我慢して続けるしかないだろう。今日一日しか生きられないとしたらどうする? 明日はないのだから、今日一日を充実して生きることに全力をつくす。今日だけ……という気持ちの持ち方しかない。
それと、やるべきことはたくさんあるが、優先順位一位のものをやる。ほかはやり残してもいい。今日だけ……なのだから。
今日は料理のことをやる。
3時から買い物を兼ねてウォーキング。この半年、歩くことから遠ざかっていた。特に6月以降はどこにいくにも車。反省して、JAとスーパーの買い物は歩きにする。ラケットもバッグに突っ込んでいく。
スーパーで天然ぶりの荒身を発見。大根もあった。久しぶりに濃厚なブリ大根にしよう。いろいろ買い物をしたらバッグがずしりと重い。帰り道のグランドで壁打ち少々。そんなこんなで5時をまわる。シャワーを浴びて夕食の仕度。ブリ大根はいい仕上がりだ。
‡8月23日(土)
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◆たべ研
三多摩たべもの研究会、通称たべ研は、三多摩地区に住む消費者と生産者を中心に設立された共同購入会・宅配グループだ。有機農産物や無添加食品を扱っているので、ときどき宅配を頼んでいる。
◆無農薬
玄米は精白されていないので糠層があり、そこに農薬が残留しやすい。玄米は白米の4倍もの残留農薬が検出される、というデータもある。その点は不安になるが、残留農薬は国の安全基準に則っており、食べて有害なものが市場に出まわることはない。なので、無農薬にこだわる必要はないのだが、念のために無農薬にしておこう、ということだ。お金が続かなくなったら、農薬栽培の玄米でもいいと考えている。
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午後、たべ研のお店に行く。狭い。扱い商品は宅配システムより少ない。高知産の無農薬玄米はなかったので庄内産を買う。JAだとコシヒカリ玄米が5kg2341円。ここだと庄内産コシヒカリ玄米が3760円。1400円も高いが、無農薬ということを考えれば、しかたがないか。
‡9月1日(月)
今日は東病院で内視鏡の検査。喉を通るとき少し痛む。ルゴール散布の灼熱感はあまり感じない。逆流性食道炎の様子を見てほしいと頼んでおいたが、たいしたことはないとの所見だった。炎症もない。
1時間休んだあと、布施先生の診察。異常は認められないとの診断。再発について聞くと、リンパ節が要注意とのこと。腰が痛むので骨転移について質問。早い時期に現れることは少ないらしい。どうしても気になるなら検査はできるというが、テニスのせいだと思うので遠慮する。
帰り、筑波エクスプレスの車内で急に気分が悪くなる。顔から血の気が引き、冷や汗が出て、吐き気がする。二日酔いのときのような感じだ。酒なんか飲んでないぜ。
原因が思い当たらない。内視鏡は異常なしといわれ、「再発してない、助かった!」と大喜びで、気分は最高だったのに、なんだ、これは?
終点の秋葉原に着くころには少しよくなったので、ヨロヨロ歩いて総武線に乗り換える。新宿まで我慢して立っていたが、駅についたらもう限界。改札の駅員に言うと、すぐそばに救護室があり、案内されて横になる。
つらつら考えるに、これが貧血というやつか。よく見聞きするが、自分がそうなったのは生まれて初めてだ。
駅の救護室で横になるなんてのも初体験。救護室とはいうが、おそまつなものだな。それでも横になれるだけ助かる。改札の裏側なので客と駅員のやりとりがよく聞こえる。いろんな人がくるもんだ。少しうるさい。
冷房が効いてきて肌寒くなったが、毛布をかけるのも面倒だ。そのまま30分ぐらい休んで起きあがった。
貧血を起こすほど造血作用が傷害されているのだろうか?
Hクリニックに寄って、先月の23日に受けた血液検査の結果を聞く。内容はよくない。白血球は3500で20日前から200アップしただけ。案の定、赤血球も貧血傾向を示している。それにしても回復が遅い。
‡9月2日(火)
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◆帯津三敬病院。玄関前は門もなく開放的だ。
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午後、帯津三敬病院へ行く。埼京線で、川越のひとつ手前、南古谷まで2時間強。駅を降りたら日差しが強烈だった。9月になったというのに、射すような日差しは夏復活。
線路沿いの道を歩くこと10分、帯津三敬病院があった。
帯津良一先生の著作は何冊か読んでおり、そのなかの『あきらめないガン治療』(PHP新書)で、
*私は、その自費部分(注:保険がきかない漢方)を一日およそ一〇〇〇円に抑えようとしました。そうすると月三万円ですから、患者さんの負担もそれほど多くならないと考えたのです。
という一節がある。
これは非常に重要な問題だ。
命とお金を天秤にかけることはできない。命が重要に決まっているじゃないか、と人は言う。それはわかっている。しかし、悲しいかな、命とお金を天秤にかけざるをえないのが、わたしの現実なのだ。
これからの5年間、生活しながらがんと闘っていくには、費用対効果の観点がなければ、闘いそのものが頓挫してしまう。そんな状況に置かれていると、帯津先生のような考え方の医療者がいることは、大変にありがたい。
漢方はH薬局で処方してもらっているが、それは生薬ではない。一度、生薬の効果をためしてみたい。そんな思いがあり、また、帯津先生の統合医療という考え方にも賛同し、治療が終わったら帯津病院に行ってみようと考えていたのだ。
受付では予約が通っていて、スムーズに運ぶ。30分ほど待たされて漢方医の滝原章宏先生の診察。上半身裸になり、診察台に横たわる。触診、問診。時間をかけて診てくれる。
説明はわかりやすい。ただ、わたしの期待が大きすぎるのか、どうもしっくりこない部分もある。わたしの要望が、がんの再発予防という漠然としたものなので、処方がむつかしい面はあるのだろう。何かの病気なら、もっと具体的な話ができるのかもしれない。
それにしても、とおりいっぺんの説明という感じを受ける。結局、体力増強と冷え対策という処方に落ち着いた。姉が勧める鹿角霊芝もよく知らないようだ。鹿の角と霊芝、ふたつの漢方と思っている節も感じられた。ちょっと残念な気がする。
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◆効き目が同じ
生薬と生成された顆粒状の漢方では、効き目に違いがあるのではないか? これはわたしの素朴な疑問で、わたし自身は、生薬のほうに軍配をあげたいと思っている。
というのも、生薬は煎じた汁をそのまま飲む。一方、製品化された漢方は、生薬を煎じ、凝縮、乾燥、顆粒状に製品化という工場作業でつくられる。製薬会社では品質管理に万全をつくしているから、不純物など混ざりようがないだろう。
しかし、生薬の生薬たるゆえんは、不純物が多くまざっているところにあるのではないのか。薬効は、その不純物も含めて得られるものかもしれない。……と、これは素人考えだが。
ちなみに、保険が適用される漢方は約150種類。煎じ薬に使用する生薬も、200種類以上に保険が適用されるという。
◆人体模型
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薬の窓口で、生薬を21日分、ドサッと渡される。煎じ方の説明があり、それが面倒くさい。が、これが本道だ。昔からそうやってきた。便利に飲める今様の漢方もいいが、効き目が同じとは限らない。
夜、煎じてみた。1時間半かかる。タイマーをセットすればつきっきりというわけではない。便利な抽出器もあるそうだが、しばらくは手作業でやってみる。生薬の漢方が合わないかもしれないからね。
‡9月4日(木)
朝から雨で、久しぶりに一日家にいた。蒸し暑くてやる気が出ない。
ネットで注文した「糠床」が届く。さっそく、キュウリ、ナス、大根、ニンジンをつける。発酵食品は食養生の重要なアイテムらしい。みんなが勧めているので、わたしも取り入れることにした。
糠床にさわるのなんて生まれて初めてだ。泥遊びの感じだな。
遊びといえばもうひとつ、きのう届いた人体模型もある。じつによくできており、皮膚をパカッと外すと内臓が現れ、ひとつひとつ取り外せる。内臓の形や位置など、一目瞭然だ。リアル感は解剖図なんか比べものにならない。
これは、わたしが「郭林サーチ」と名づけた、体内を巡りながら癒すイメージ法のために買ったものだ。
これまで考えたこともなかった自分の体や臓器。がんになって初めて、そのひとつひとつが懸命に働いてくれ、おかげで健康を保っていられることを痛感した。少しは応援しないと、そのうちストライキを起こして働かなくなるかも。
そんなわけで、郭林新気功の休息(気化)20分のとき、癒しのイメージ療法をやることにした。シナリオは次のようなものだ。前提は映画の「ミクロの決死圏」のように、ミクロの大きさの潜航艇で体内に侵入し、癒し光線で各臓器を健康にしていくというもの。
〈癒しのイメージ用シナリオ〉
制服の衿のボタンをカチリと止め、ヘルメットをとって立ち上がる。カツカツカツ。シュルッと潜航艇のドアが開き、ステップが降りてくる。3段上がって艇内へ。操縦席につく。シートベルトがするすると体にまとわりついて締める。ヘルメットをかぶる。顎紐も自動で締まる。
ハンドルに手をかけると親指の位置に始動スイッチが当たる。グッと押す。かすかな振動と同時に潜航艇に生命が宿るのがわかる。
出発! 声に反応して艇がぶるっと身震いする。ハンドルを引き、右に大きく舵を切る。潜航艇は急激に加速し、黒々した頭部に近づく。髪の毛はまるで神殿の柱のように太い。その黒い柱の間に百会が見える。サーチ光線オン、癒し光線オン、レベル1にセット。侵入――。
脳内サーチ。右脳を真上から見下ろしつつ、ゆるやかに円弧を描いて観察。縦方向に1周したら、横に周回。上に出たら延髄に入り、脊柱から気管支へ移動。鼻の方向を観察して、下降。喉頭部、咽頭部を過ぎるとすぐに食道が見える。癒し光線のレベルを10・フルパワーに上げる。
光線を照射しつつ食道をゆるやかに下降。やや左に曲がると胃の入り口。逆流性食道炎はないか?
胃に入ったら癒し光線をレベル5にダウン。ゆるやかにループを描きつつ進行。異常はないかサーチする。
胃が終わると十二指腸が始まる。下降→水平→上昇で小腸につながる。小腸の細い管内をくねくねと進む。小腸をポンと突き抜けると、そこは大腸の巨大な空間。左を向くと盲腸があって行き止まり。右に進む。大腸もゆるやかにループを描いて進む。お腹の右側面を上昇、水平に舵を切って、下降。最後はお腹の中央へと曲がっている。そこが直腸そして肛門。
いったん肛門から飛びだし、少し進んでペニスの先端・尿道から再び体内へ。すぐに前立腺が見える。ここは癒し光線をフルパワーにして十分に浴びせかける。上に位置する膀胱も同じ。
膀胱から延びる尿管を通り腎臓へ。右の腎臓の上には脾臓。そして腎臓とくれば肝臓を忘れてはいけない。胃の上、肺にやや隠れて位置する肝臓。ここは巨大工場だ。そして体の前面で存在感を示す肺臓。特に左は放射線性肺臓炎になったので注意が肝要。
最後に心臓の周りをぐるりと一周。心臓は晩期後遺症の恐れあり。じっくりと癒し光線をあびせ、後遺症が発生しないように。
以上で郭林サーチ終了。胸の檀中から飛び出して帰還する。
こんなシナリオにもとづいて、臓器をイメージしながら癒し光線で元気づける。20分のイメージ療法だが、やってみるとおもしろいものだ。
‡9月9日(火)
5時起床。左の喉が少し痛い。朝晩は寒く感じる。体幹と足先を冷やさないこと。
3週間ぶりの気功教室。昇降開合を習う。前回は終わったとたんに忘れてしまったので、今日はカメラ持参。ところが、あとで見てみたら、フラッシュがついた画面のみ鮮明で、ほかは暗すぎる。ほんの数カットしか使えない。ショック。
忘れないように、1階のロビーで復習。すると、練習中にメモをとっていた男性がやってきたので、確認した。今回はまあ大丈夫だろう。
彼の話を聞くと、気功にずいぶん時間をかけている。毎朝4時15分起床で、一日4時間ぐらいやっている。えらいもんだ。とても真似できない。
帰り、Oクリニック。前立腺肥大の薬、デトロシトールを2mgから4mgに増量する。
待合室でNHKの月刊誌を読んでいたら「最新食道癌の治療」という記事が目についた。食道がんは転移・再発しやすいがんとある。
化学放射線治療がかなり有効で、3分の2の人のがんが消失。ただし、そのうちの3分の1は3年で再発。結局、治癒するのは3分の1ほど。33%……。こんな数字を読むと、やっぱり動揺する。
‡9月10日(水)
食道がんは再発しやすい。これを肝に銘じておくこと。再発を前提として生きる、その覚悟が必要だ。再発しないことを願い、努力する。だが、万が一、再発したらどうするか。覚悟を決めること。
柳原和子師匠の『百万回の永訣』(中央公論新社)が届いた。サブタイトルは「がん再発日記」だ。夜から読み始める。
‡9月11日(木)
柳原師匠の『百万回の永訣』を読了。初発から6年半を経て再発した卵管がんの治療記だ。
現代医学による治療としては、抗がん剤→手術→抗がん剤→ラジオ波治療を経て、骨盤内の再発がん、肝臓への転移がんを治療、2年で寛解している。
その間、数か所の病院・数人の医師の診察・加療を受け、そのときどきの最善の治療をつくしているように感じる。はた目にはドクターショッピングとうつるぐらい、医者・病院を変えている。その行動力には感服。
代替医療も受けている。北陸在住のオステオパシー治療師の話は興味深い。最初は全幅の信頼を寄せているが、結果はまったく出ない。それでも何度か通い、最後に、師匠は、弱い人に頼ってしまったという気持ちを抱く。
オステオパシー治療は失敗だったが、それに対する感想はない。刺絡療法も奇跡的な結果は1回目だけで、あとは効果が薄れてしまう。
そのほか、通常の代替療法もやっているが、その効果の判定は明確に述べられてはいない。
結局、寛解をもたらしたのは、抗がん剤とラジオ波治療のようだ。
‡9月25日(木)
今日は帯津三敬病院。おにぎりを持っていく。
8時45分出発。病院11時着。それから3時間後、午後2時に診察。実に3時間の待ち時間で、診察は15分。4時30分帰宅。一日仕事だ。毎度のことだが、これにはさすがにウンザリする。
漢方の効果が実感できない。それをたずねると、滝原先生は、目に見えて効果が現れるものではないと言う。そんなもんかなあ。ちょっと納得いかないけど。
今回は処方を変えたと言い、実際、もらった生薬は、今までにはないシナモンの香りがする。新しい処方に期待しよう。
‡9月30日(火)
9時30分から国立がんセンター東病院でCT検査。9時着。珍しく予約時間前の9時20分に呼ばれ、アッという間に終了。次の採血が長蛇の列。それでも10時前に終了。楽勝で帰宅。
電車の中からなんだが疲労感が強い。帰ってお昼ご飯を食べたら、もう動くのがイヤになる。無性に甘いものが欲しくなり、クッキーをむさぼり食う。
今日の動きはそれほどのものでもない。なのにこの疲れ。体はまだまだ元に戻っていない。検査のために朝ご飯を抜いたのが影響しているのだろうが、それでも以前はお昼ご飯を食べれば、仕事はできた。この体たらくにガックリ。
‡10月9日(木)
疲れを感じることは、極力やらないことにした。その手初めに「農の学校」をやめる。肉体的に疲れることもあるが、なんだか義務感にかられるようになったからだ。
やりたいことをやる。いや、やりたいことしかやらない。これが、今後5年間の行動指針。つき合いが悪い、わがまま、自己中――と言われるのはつらいが、ま、笑ってやりすごそう。
‡10月23日(木)
今日は帯津病院。11時30分病院着。終わって病院を出たのが午後4時。実に4時間半も病院にいた! 診察は10分足らず。
帯津先生の著書に「病院も『場』のひとつであり、そこが居心地悪いと治る患者も治らない」と書いてあるが、この待ち時間の長さはなにをか言わん! だ。居心地が悪いこと、このうえなし。
予約の意味がないじゃないか。窓口の人に苦情を言う。だが、やんわりとあしらわれた感じ。帯津先生、言ってることとやってることが違うじゃないの。夜まで怒りまくり。
‡10月26日(日)
木曜日から読んでいた『がん哲学外来の話』(樋野興夫/小学館)読了。がんになっても、がんでは死なない――というメッセージが心に響く。めざすところは同じ。
がんの実像を再確認させられた一節を抜書きしておく。
*がん化は、たった1個の細胞の小さな遺伝子変異からスタートします。その細胞が分裂を繰り返して10億個にまで成長して初めて1センチの早期がんになるのですが、ここまでに5年から10年かかります。さらに立派な臨床がんになるには20年はかかると考えられている。つまり、がん細胞が大成するには大変な時間がかかるのです。
1000個のがんの芽があっても大成するのはせいぜい1個で、ほとんどは途中で死滅してしまいます。さらに、転移しようと血管の中に入っても、血液の激流に飲み込まれると、ほとんどのがん細胞は死んでしまう。つまり、生き残れるのは相当な強者なのです。
さて、問題はなぜ生き残れたのかです。ひとつの細胞のがん化から初期病変を経て臨床がんになるまでには、いくつもの段階を昇って手順を踏まなければなりません。がん細胞は辛抱強く、尺取虫のごとく着実にその手順を踏んでいく。性急に先を急いだりしないのです。
また、がん細胞は与えられた環境に応じて、自由に表面(顔つき)を変えます。それによって転移が可能になるのですが、正常細胞にはそんな融通性はありません。肝臓を構成している正常細胞は、ほかの臓器で生きることなどできない。がん細胞は自らの形に固執せず、自由自在に形を変えて、たくましく生き延びていく。郷に入っては郷に従う賢さを持っているのです。
さらに、がん細胞は飢餓状態にもめっぽう強い。正常細胞の10分の1の栄養で生きられます。たとえば自ら作り出したものを外に出し、その回転で外にある欲しい栄養素を取り込む。まず自分から与えることで受け取る、という知恵があるのです。
今闘っている相手は、これほどに手強いやつだということを、再認識させてくれる本だった。
‡11月18日(火)
『ガン日記』(中野孝次/文春文庫)を読む。
中野氏の食道がんはステージTとのこと。それでいながら、胃の上部あたりに鈍痛を感じ、体調不良を感じていたそうだ。あるいは背中の耐えがたい痛みなど。これほどの自覚症状がありながら、ステージTとは信じがたい。
2月17日がん告知、3月18日入院、治療。退院・再入院のあと、7月16日逝去。告知後5か月、治療後3か月で死去。ステージTにしては早すぎる。最初に行ったD病院では余命1年と告げられた、と日記にあるが、ステージTでそれはありえないだろう。どうも気妙。
……79歳という年齢のせいか? 抗がん剤、放射線治療の副作用に耐えきれなかった? それともステージTは偽りの告知なのか?
治療はわたしと同じ化学放射線。抗がん剤は24時間×5日を2クール、放射線は1・9グレイ×30日=57グレイ。
わたしの場合は、抗がん剤24時間4日×4クール(寛解後の微小がん対策の2クール含む)、放射線1・8グレイ×28日=50・4グレイ、で微妙に違う。
‡11月20日(木)
早朝の気功は休み。疲れた。気力なし。
午前中、帯津病院へ。例によって待ち時間が長い。今日は3時間待ち。その間、病院の外に出て散策。小川の土手を歩きながら、昼食のおにぎりと芋を食す。のんびりした田舎だ。
漢方処方は夜間頻尿用にしてもらう。体の冷えがなくなると、排尿の回数が減るらしい。ただ、頻尿は治らないと言われてしまった。滝原先生は自分もそうだと言う。老いの必然か。
‡11月21日(金)
61歳也。夜、田村のうなぎ。気のせいか、季節のせいか、夏場のうなぎよりやや味まずし。カミさんから財布をもらう。特別の感慨なし。がんから生還し、生まれ変わった誕生日を4月15日と定めたせいか。
‡11月27日(木)
終日、読書。『がんが消えた』(寺山心一翁/日本経文社)を読む。
典型的な神秘体験の治癒例。現代医療では治せなかった末期がんが自然治癒力で治ったと言う。がんは敵ではなく自分の肉体の一部であり、がんに愛を送ることでがんを治す。
たしかに敵と考えるのは妥当ではないと思う。だが、愛を送ることもむずかしい。
愛を送ることで痛みが和らぐと寺山氏は言う。そんなこともあるだろうが、バイク事故で転倒して骨折の痛みがあるとき、愛を送って痛みを我慢しないで、早く病院の手当を受けたらいいのに、と思ってしまう。
‡12月10日(木)
今日の新聞に景気さらに悪化の見出し。だれも望まないのに、なぜ景気は悪くなるのか?
大手のメーカーが数万人規模のリストラを打ちだしている。国も人員削減だとか。それで業績改善という。だが、削減された人々はどうなる。どこかで働いて食べなければ。どこで、どういう風に? 削減すればいいというものでもないだろう。
11時、F子先生のボディ・ライトニング。
再発を心配して、そのことに心をくだくのはやめたほうがいい、と言われる。再発という言葉を頭に思い浮かべるのがよくない。再発防止というその言葉の裏には、再発するという思いが秘められている。表裏一体だから、表から再発という言葉を取り除くこと、という。
郭林の誓願の言葉を変えることにした。これで3代目になる。
「郭林新気功で食道がんを治し健康な体になる」(初代)
「郭林新気功でがんの再発を防ぎ健康な体になる」(2代目)
「郭林新気功で心身ともに健康になる」(3代目)
‡12月12日(金)
起きて気功をやる気がわかない。闘がんの日常にくたびれてきているような気がしないでもない。手抜きを考えはじめた。まだ半年もたたないというのに。
『末期がんを克服した医師の抗がん剤拒否のススメ』(星野仁彦/アスコム→アスキー・コミュニケーションズ改め)を読む。
*がんとは、すべての病気のなかで、もっともひどく栄養代謝の乱れた病気である。腫瘍にだけ目を向けるのではなく、身体全体の栄養代謝の乱れを正せば、それでがんが治る。
ということを、ゲルソン療法で有名なマックス・ゲルソンが言っている、とある。なるほどなあ。じつに納得できる言葉だ。
‡12月22日(月)
朝5時起きで今年最後の検査へ。7時40分がんセンター東病院着。引換券8番。惜しいところでラッキー7を逃した。
採血、CT、内視鏡と順調に進み、予定時間より早く終了。12時の布施先生の診察を待っているとき、突然、気分が悪くなる。また貧血だ。
最初のCTのときから予兆はあった。造影剤の注入で身体が熱くなったとき、いつもは気持ちいい方向に振れるのに、今日は気持ち悪い方向に振れた。
なんとかくい止めて、気持ち悪さには至らなかったが、次の内視鏡でもいつものような眠さが少ない。何かが貧血へと導いている?
今日は病院の待合い室で気分が悪くなったので助かった。空いているソファーで横になれたし、もっと気分が悪くなれば、すぐに処置してもらえる。次回は様子見の時間も考慮すること。
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◆CR
complete remission の略で、完全寛解の意味。検査のあとの診察時に渡される報告書に、この文字があると、心底ホッとする。
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結果は内視鏡的には問題なし。CRと判定される。ただ、生検とCTの詳細結果は年明け。
これで検査を2回クリアー。検査の前はやはり緊張する。治療後1年は3か月おき、2年になると4か月おき、3年以降は半年おきだそうだ。
来年3月、6月と行って1年目が終わり、次から4か月おきの10月・2月・6月で2年目が過ぎる。そして3年目……。先は長いなあ。
‡12月28日(日)
去年の今日が、がん告知日。あれから1年たった。長いような、短いような日々。……元気で生きている。
‡2009年1月1日(木)
新年。7時から気功を始め、たっぷり2時間。9時過ぎに朝食を食べ、年賀状の返事を書く。賀状を見て驚いた。Aさんが食道がんの手術をしたとのこと。わたしより10歳は若いだろう。若いといえばKさんも胃がんの治療をしたそうだ。がんになる人が増えたのを感じる。
昼食後、新年の予定表などを作って、壁打ち。夕闇が迫るまで。淡々と元旦が過ぎる。
‡1月6日(火)
12月22日に検査した3か月検査の結果が出た。すべて問題なし。細胞検査をした食道のただれた部分の組織もがん細胞なし。放射線による肺炎も治っていた。一安心。
‡1月8日(木)
昨夜、わたしが寝たあとにT氏が亡くなったとの電話あり。肺がんだそうだ。3人にひとりががんで死ぬ時代……。合掌。
‡1月10日(土)
夜、T氏のお通夜。久しぶりに旧知の面々に会う。Aさんの食道がんは内視鏡手術とのこと。ステージ0のがんだった。まずはめでたい。Sさんは10年前に喉頭がん(放射線治療)と膀胱がんを患っている。Nさんのご母堂は最近胃がんの手術をしたばかりで、腸閉塞で救急車騒ぎ……。3人寄ればがんの話題の感あり。
‡1月13日(火)
3か月ぶりに郭林新気功の教室へ行く。驚いたことに作家のH先生が来ていた。舌がんが再発したと言う。
今は抗がん剤で治療中。昨年の10月に再発がわかり、11月からこの教室に通っているそうだ。わたしはずっと休んでいたので、まさに奇遇。
気功の練習が終わったあとに、情報交換で3時間も話し込んでしまった。話を聞くと、再発というか、限りなく小さくなっていた初発がんが、2年の時を経て勢いを取り戻したという感じがしなくもない。
前回は抗がん剤が劇的に効き、また信じられないことだが、超能力者にがんを消してもらった、とも言っていた。
その話を聞いたのは、わたしがまだ仕事をしていたころ、原稿依頼の雑談のときだった。わたしもがんになったらその能力者に治してもらいたいですね、などと軽口をたたいた記憶がある。
初発のときは、手術をする直前で奇跡的にがんが消え、手術をせずに退院している。再発なら局所再発ということか。今、服用している抗がん剤はTS44だそうだ。
‡2月10日(火)
確定申告書の作成。医療費の一覧を作った。192万3270円也。これでわたしの食道がんが寛解した。命を買ったと思えば安いものだ。日本の皆保険制度に感謝。
夜、DVD「最高の人生の見つけ方」を見る。
わたしもつくってみるか、「棺桶リスト」を。仕事をやめた今、残されているのは、死ぬまでの間に何をするかだけだ。幸いにして、しなければいけない義務のある事は何もない。したいことをするだけでいい。映画のように、したいことのリストをつくってみるのも、おもしろいじゃないか。
‡2月26日(木)
食養生が一番重要なテーマだというのに、食べたいものがない。つくるのもおっくう。意気があがらない。結局、おいしいものをつくれないからだ。
愚痴はいいたくないが、肉を使わないと決めてしまったのが足枷になっている。野菜だけではダメだと思って、治療明けの7月から魚を解禁にした。
しかし、魚もバリエーションが少ない。今の季節なら、ブリ大根、サバのみそ煮、サバカレーかサバコチジャン煮、そして鉄ちゃんのマグロ刺身。わたしがつくれるのはこんなものだ。1週間ぐらい間をあけても、「またか」感は否めない。そろそろ肉を視野に入れるべきか。
‡3月10日(火)
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◆e-クリニック
がん患者を対象にしたインターネット上のバーチャル・クリニック。わたしは、がんを治すために必要な情報を得たり、サプリメントを購入するために会員になった。
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午前中は「e-クリニック」の資料を読む。その考え方には大いに賛成。同封されていたサプリの販売一覧が問題といえば問題かな。値段が高すぎる。要検討。
同クリニックの医師が著した『がん完治の必須条件』(岡本裕/かんぽう)を読む。
*一般に「がん」と呼ばれるものは、がんの本体ではなく、現象にすぎません。したがって、現象として表れた「がん」を削除(摘出)しただけでは、がんの根本的な治療にはならず、完治は難しいのです。
*要するに、がんの正体は、低下した免疫力、栄養不足なのです。がん細胞の増殖は、単なる結果にすぎません。適切な表現かどうかは分かりませんが、仮に、がんを敵と考えるならば、敵は現象としてのがんそのものではなく、免疫力の低下、体力の低下、そして気力の低下なのです。
したがって、本当に対処しなければいけない対象は、がん細胞ではなくて、むしろ免疫力の低下、体力の低下、気力の低下なのです。がんは単なる結果としての現象に過ぎないのです。
そのとおりだと思う。特に治療が終わってしまった今は、「免疫力の向上、体力の向上、気力の向上」によって、最終目標の完治をめざすべきだろう。
‡3月24日(火)
今年初の3か月検査。内視鏡のとき、気分が悪くなりそうだった。帰りの電車で軽い貧血。
‡3月31日(火)
検査結果を聞きにがんセンター東病院へ。すべて問題なし。
次回検査は6月。「それで1年が経過したことになりますね」と布施先生は言う。先生は、治療終了の昨年6月を起点としているので、次回の検査クリアーで1年が過ぎるとしているわけだ。
わたしは、寛解がわかった4月15日を起点にしているので、ずれがある。ま、どちらにせよ、先はまだまだ長い。
‡4月15日(水)
寛解から1年経過。記念に田村でウナギを食す。カルテ的には6月の検査で1年目が終わったことになるから、まだ少し先だが、なにはともあれ、元気でウナギを食べられるのはいいことだ。
‡6月21日(日)
2回目のウェラー・ザン・ウェル学会のシンポジウムに出席する。前回も感じた違和感が、今回はいっそう強い。
現代医療を全否定し、抗がん剤や手術を選ぶがん患者を笑い者にする。わたし自身、さんざん迷いつつも抗がん剤を使った。その苦悩を、無知だ、もう手に負えない、とあざ笑うような態度に息苦しくなる。
生きたいと必死に思い、苦しい副作用を承知で抗がん剤を選択する。その行為をだれが愚かだと言えるだろうか。そんな言い方がまかり通る集いなんて願い下げだ。
唯一の収穫は、安保徹先生の「解糖系―ミトコンドリア系」の講演。ミトコンドリア系に比重を置いた生活が、がんを抑制する、という説はとても興味深かった。
‡6月23日(火)
がんセンター東病院の定期検査。採血・CT・内視鏡のコース。
今日は内視鏡の胃をふくらませる飲み薬が気持ち悪く、ムカムカした。さい先悪いと思っていたが、案の定、検査中に牛のように大きなげっぷが突然出現。初めての経験で、自分でも驚いた。
我慢するといった状況ではなく、まったく突然の出来事でどうしようもない。少し間をおいて2回目、3回目と出る。先生に我慢しなくてもいいよと言われ、小さなげっぷまでしてしまった。
1時間休んで帰ったが、電車内でまたもや貧血。これで立て続けに3回。検査のたびに貧血が起きるのは異常だ。来週の診察時に相談すること。
‡6月30日(火)
先週の検査結果を聞きに行く。問題なし。ホッとした。のどの詰まりの違和感を覚えていたので本当によかった。今回は検査結果に自信がなかったので、安堵の思いが強い。
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◆腫瘍マーカー
血液検査で測定している腫瘍マーカーは2つある。ひとつは「SCC」で、扁平上皮がんで高い陽性率を示すマーカー。もうひとつは「CEA」だ。これは消化器系がんの検査に広く用いられるもの。
昨年の9月30日の検査から測りはじめ、今度で4回目になる。まだ上限を超えたことはないが、SCCが上限まできたので少し心配だ。
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白血球は改善の兆しなし。3400で停滞。リンパ球数も減って1140。安全圏の2000までまだまだ。腫瘍マーカーもSCC値が上限の1・5まで上昇している。このあたりは不安材料だ。
まずは白血球を増やすこと。免疫力を高めればSCCも下がるはずだ。布施先生は心配していないが、わたしとしてはもう少し白血球・リンパ球を上げたい。e-クリニックのサプリメントも効果が上がっていないし、そのあたりのことを聞いてみること。
貧血は麻酔薬のせいらしい。次回は半分にすることになる。
帰りの電車では背中が痛く、疲れて足どりも重い。新宿で昼食。京王デパートのレストラン街をさがしまわり、ステーキを食べる。
久しぶりながら、あまり肉の味がしない。次回までにおいしいステーキをさがしておこう。検査結果を聞いた日の昼食は、禁断のステーキと決めるのも一興。これからは4か月おきの検査になったので、年3回の肉の日になる。
がん寛解1年を終えることができた。この1年は無事だったが、浮かれてはいられない。勝負はこれからだ。体内に散らばっている(かもしれない)微小がんは、1年では検査で見つかるほどの大きさには成長しないだろう。だが、2年、3年と増殖を続けるうちに、やがて検査で見つかる大きさに達する。それが再発がん。
いずれにせよ、がんは発見されたときに初めて実体化し、その人はがん患者、すなわち病人になる。発見・告知の前と後で、本人の健康自覚にはまったく変化がない。にもかかわらず、告知の瞬間から病人になる点で、がんは珍しい病気だ。
原発がんから散らばったがん細胞が増殖し、2年目、3年目に発見されて転移がんとなるか、小さいまま発見されることなく、本人は病人にならずにいられるか、それはひとえにがんの増殖にかかっている。
がんを増殖させない。がん寛解2年目は、それがより大きな目標になる。がんばろう。
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