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◆東病院の受付ロビー。
‡2008年3月17日(月)
 2クール目の抗がん剤治療入院。長女付き添い。
 10時35分、国立がんセンター東病院着。病室817号。前回入院時の隣の部屋。本日の担当看護師はGさん。

 体調は変わらず。頭痛・肩凝りが少しある。
 病院食のご飯をパンへ変更。どうも白米の匂いがいけないようだ。胸がムカムカしてくる。あとは様子を見ながら。

 G看護師が血圧測定にくる。上が102しかない。下がりすぎ?
 うっすらと頭痛。寝るとよくなるのだろうが、今はまずい。夜の眠りに備えて、逆に動かなくちゃ。

 夕方、急遽、事前点滴開始。明日から抗がん剤投与と決まる。一日前倒しで治療するとのことだ。入院期間が短くなるので、わたしとしてもそのほうが助かる。
 白血球は金曜日の1800から一気に増え3000。治療には十分だ。温泉での休養が効いたのかな。

 今日は一日中、軽い頭痛を感じていた。頭を振ると痛む。不快なり。二度目だというのに入院の緊張か?

 『晩年の美学を求めて』(曾野綾子/朝日新聞社)を読んでいたら、次のような一節があった。
*非科学的かもしれないが、人間の体のしこりが、長年の心理的な抑圧、つまりストレスと関係がある、という実感は私の中にあった。……人中に出ることが嫌いな私が組織や大勢の人前で暮らすことは、つまりいささかのストレスにはなっているのだと思う。
 しかし私が癌にならなかったのは、つまり私は根本の所で見栄っ張りではなかったからだ、と思う。

 ふむ、がんになったわたしは見栄っ張りなのか。そのようでもあるな。

 夜、お腹がすいて売店へ。あんぱんと納豆巻き、玄米スナック。甘いものが食べたいのだが、あんぱんはひとつにし、納豆巻きで我慢。満腹して、10時、消灯。レンドルミン服用。

‡3月18日(火)
 6時起床。洗顔と体温・体重測定。体重は56・24キロ(これが治療の基準体重となる)。
 目覚めはすっきりとはいかない。右肩近辺の鈍痛あり。夜中に3、4回、小用のために起きているので、熟睡感はない。胃腸の具合は普通。まだ立ちくらみあり。

 本日の担当はS看護師。いよいよ抗がん剤治療の開始だ。投与のメニューは前回と同じ。
 10時開始予定なのに薬が届くのが遅れ、1時間後の11時から5-FU、13時吐き気どめ、13時30分シスプラチン、16時利尿剤、16時50分最後の水分点滴。
 これだけ体に入れると、出るほうも多い。30分ごとに小水。

 現時点(14時)では体調良好。本も読める。死の話でも……。『がん患者学V』(柳原和子/中公文庫)では、

*一度、がん患者になったということは、大なり小なりがんとつき合って生きるしかなくなることを意味する。必然的に死が実態として眼前に立ち現れる。死は観念ではない。現実である。だから、がんになったら死の話は読まない、聞かない、見ないのが鉄則だ。

 ということで、師匠の教えを守り、極力、死について書かれた本は読まないことにしている。とくに、がんと闘って、結局、死んでしまった人の手記は絶対に読まない。

 

 先ほど、突然、部長回診。これまで見たことのない先生が入ってきて、「どうですか」と聞く。「今は大丈夫です」と答えたが、この回診になんの意味があるのだろう? こんなことで時間をとるのなら、もっとやることがあるだろうに。無意味……。

 昼・夜とも食事はOK。食べられた。ただ、夜になってちょっと違和感がある。いつもは食べたい夏ミカンに手が伸びず、別の刺激――たとえば甘いもの――を求めているようだ。ちょっと変。

 治療以外の時間の過ごし方。
 起床から朝食まで→日記。朝食から10時ごろ→般若心経の写経。2時から3時ごろ→風呼吸のみの気功法。
 こんなところだ。筋トレをどこかに入れたい。

 前回の経験があるのでとまどうことはない。調子はまだいい。今回はこのままでいこう。そうイメージすること。
 うん、それそれ、イメージが大事だ。
 今夜は寝るときに『がんのイメージ・コントロール法』(川畑伸子/同文館出版)についている、イメージトレーニングCDを聞くこと。

‡3月19日(水)
 抗がん剤2日目。6時10分、目覚ましで起床。昨夜はトイレなどで断続的な眠り。体調不良。熱があるような感覚。だるいし体が痛い。が、熱は6度7分。昨日の夜から変調。早くも副作用が出てきたようだ。

 便も出ない。がんばるも兆しまったくなし。玄米菜食と普通食の違いだろう。出るものが出ないということは、普通食は体に悪いと思ったほうがいい。

 朝食は食べる気なし。昼食から化学療法食に切り替えてもらう。量が少なくなる。それでもリンゴのみしか食べられない。夜はうどんだったので、全部平らげた。ところが、それが胃にとどまって消化されない感じ。いつまでもとどまり、ときには戻ってきそう。便がでないのと合わせると、胃腸が満足に働いていないのか?

 午前中だけ寝ていようと決める。ところが、夜まで起きられない。結局、終日ベッド。不快ゾーンを漂う一日だった。
 ときに節々の痛み、ときにのぼせのような顔の火照り、ときに二日酔いの気持ち悪さ、胃のむかつき。
 ひどくはないが、全身がじわじわ侵されていく。元気がなくなる。食べたいものはまったく思い浮かばず、カルピスソーダを買ってみるが、飲んでも爽快感はない。

 身を縮こまらせ、ひたすら寝る。点滴をしているから小用に起きなければならないが、それ以外はうつらうつらと寝ている。
 ほんの少し気分が良くなれば、落語を聞く。思わず笑いが出るようなら、回復基調かな。イヤフォーンは不便。寝返りが打てないし、横向きに寝れない。枕元スピーカーが必需品だ。
 音楽はどうか。クラシックなどはいいが、ポップスはだめ。内容が暗い。明るい歌がない。マイテーマソングのベニー・ケイを忘れてきたのが残念だ。

 うつらうつらと考えたこと。
 5年生存率、たとえばステージWの食道がんでは30パーセントというとき、この生存グループと残り70パーセントの死亡グループを分ける因子は何なのか?

 夜、ほんの小指ほどの便が出る。

 
‡3月20日(木)
 抗がん剤3日目。
 朝方、ようやく回復の兆し。パソコンに向かうことができた。空腹感はなし。いまだ便意もなし。おならはときたま出るから、腸内で発酵しているのは間違いない。腸の蠕動運動が不活発なのだろう。

 午後、カミさんたち見舞い。
 気分はよくなったが、便が出ない。何回も座るが出ない。このままじゃだめだと意を決し、なんがなんでものの決意で臨む。午後8時30分、ようやく短いゴボウ1本分ぐらいが出る。とりあえず安心、すっきり。わたしの場合、下痢対策より便秘対策が必要なようだ。

 今の放射線化学療法に関しては、やるべきことはすべてやっている。しっかり受けて、効果を出すようにイメージすること。

 問題は、次の3クール目、4クール目の抗がん剤治療をどうするかだ。その検討を始めること。有効ならば受ける、無効ならば受けない。判断基準は単純なのだが、有効、無効の見極めがむずかしい。医者にまかせても、立場によって、まったく逆の意見に分かれる。最終判断は、やはり患者自身ということか。

‡3月21日(金)
 抗がん剤4日目。今日で終わり。もう少しだ。
 朝からぐずぐず。胃腸の働きが悪く、すっきりしない。午前中、ほんの少々の便。化学療法食の少ない量でも、食べきると、胃の上部で止まっている感じ。消化されていかない。
 風呂に入って体を温め、運動をしたらよくなるかも、といわれ、久しぶりの風呂。気持ちよかったが、改善の兆しなし。午後もうつうつと過ごす。

 夜になると状態はいっそう悪くなり、本を読んでもテレビを見ても集中できず、横になっても眠れない。音楽を聴き、深呼吸をして、レンドルミンを飲み、そんな諸々のことに疲れはて、深夜、ようやく眠りに。
 例によって1、2時間ごとに小用に起きるが、そのあとなんとか眠れる。疲れてはいるのだ。

 昼間、ちょっと気分がよくなったときに般若心経を書いた。今日はそれぐらいで精一杯。特に夜の状況は今まででいちばん悪かった。病院生活に慣れたため、昼間が怠惰(体がきつことを理由に寝てばかり)になっていたせいもある。そこは反省。夜、寝るためには昼間が肝心だ。

 これだけ体の調子が悪いと、心もぐったりする。悪いほうへ、悲惨なほうへと、つい思考がいってしまう。そして、そんな考え方をしていると、免疫機能はどんどん落ちているんだろうと思い、それがまた惨めな気持ちを生みだして……。悪循環。
 断ち切るには?
 体の調子を上げること。そんなことは先刻承知。無理な場合、どうするのか?
 先輩たちはどうしてきたのか? 『ヨーガに生きる』(おおいみつる/春秋社)では、

*「いいか、病は病、苦しみは苦しみだ。そういう時こそ、それをよりよいほうへ引っ張ってくれるのが心ではないか」
「なぜ、お前の心を花の咲いている方へ向けないのだ。幸不幸というのは、心の向け方一つで決まるものなのだ。……」

 と、教えている。

 わたしの場合、体が苦しいときは、我慢してやりすごす方法しか知らない。数を数え、苦しい時間が過ぎ去るのをただただ待つ。途中で数を忘れる、気づいて1から数え直す。その繰り返しだ。

 同じ方法は心が苦しいときも使える。嫌な考えに頭が一杯になりそうになると、1から数を数える。集中するには1、2、3……という数の形を描きながら、数える。もし、数に集中できれば、嫌な考えは一時、頭から離れる。

 それにしても、「なぜ、お前の心を花の咲いている方へ向けないのだ」というが、こんなに苦しいとき、どうすればそうできるのか、そのやり方を知りたい。

‡3月22日(土)
 

 ようやく抗がん剤が終わった。あとは水で流すだけ。
 終日不調。これまで気にならなかったトイレの匂いがたまらない。小水を溜めているその匂いで、気持ち悪くなる。

 匂いでいえば、食事時の廊下の匂いもダメだ。配膳車が各病室に食事を配って歩く。そのときに漂う匂いで吐きそうになる。とくにダメなのが炊いた白米の匂い。炊きあがった銀シャリ……想像するだけでオエッとなる。

 病室にひとりいると気が滅入る。といって、外を出歩く気力もない。欝症状か。

 夜11時、点滴が外れる。それまで起きているのが辛かった。早く寝たいときは翌朝まで点滴しててもいい。点滴しながら寝るのには慣れた。
 抗癌剤は終わったが、不調。ほとんど寝ていた。

‡3月23日(日)
 終日不調。味覚がおかしく、食べられない。胃を中心に嫌悪感。便もうまく出ない。胃腸が働いていない感じ。とにかく不調が続く。いいかげんイヤになる。

 体の不調も今日までと思いつつ、もうこんな生活はうんざり。楽になれるのなら……いっそ……。窓が少ししか開かないようにしてあるのもわかる心境。これで窓が全開できたら……病室は8階だよ。おおコワ。

‡3月24日(月)
 退院。絶不調。荷物を抱え、ヨロヨロと帰宅。荷物は宅急便で送ればよかったと後悔。前回もそうだったのに、なぜに忘れるのだ、まったく。
 家に帰りつくまでが地獄。なんだか血圧が低い。抗圧剤が効きすぎているのか? 体重53・28キロ。入院時より約3キロ減。

‡3月25日(火)
 絶不調。とはいえ、放射線照射の通院があと3日残っている。やり通すしかない。入院しているときは、通院がなかっただけ楽だった。
 放射線治療のための入院はできないのか、聞いたこともあったが、それはできないと断られた。治療を受けに全国から患者さんが来るので、放射線は通院治療と決まっているそうだ。

 荷物は持たず、身ひとつで家を出る。パソコンを持ち歩くなどとんでもない。風が強い。そろそろ春一番か。駅のホームで電車を待っているとき、強い風にあおられよろけてしまう。まいったなあ。

 武蔵野線が、濃霧のために運休するなど乱れているようだ。柏の葉キャンパス駅からはタクシーでぎりぎり予約時間にセーフ。

 夕方、風呂に入ったあと体重を測ろうとして急に立ち上がったら、立ちくらみ。一瞬、気が遠くなった。どうにか踏みとどまったが、あと1秒続いていたら気絶していただろうな。
 血圧低下は明白。疲労感強。背中痛大。味覚異常で食欲なし。

 気になっていた冷蔵庫の賞味期限切れ食品を整理する。仕事から帰ってきたカミさんはそれを見て憮然。まだ食べられる、いやもう食べられないでケンカ。
 そのあと、なにやら気分すっきり。どうやら怒りがエネルギーを生んだようだ。怒るとろくなことはないと思っていたが、これは新しい発見だ。

‡3月26日(水)
 不調。朝、下痢。リニアックの放射線照射へ行く。残すはあと1回だ。
 帰宅後、かかりつけのHクリニックへ。最近の血圧記録(朝・昼・夜とも2桁台)を見せ、相談。抗圧剤をやめることにした。

 高血圧の薬を飲み始めて4年。一生涯、飲み続ける必要がある、と言われてきたが、皮肉なことにがんになって薬から解放された。
 考えられる理由はひとつ。ここ数か月で、体重が十数キロも急減した。それで血圧が正常になったのだ。肥満は血圧の大敵ということがよくわかった。

‡3月27日(木)
 

 不調。食べられない。問題は、味だ、味。味覚異常。
 スイカだけはうまいと思う。今の時期のスイカはさがすのが大変だし、値段も高い。だが、食べられるのはほぼそれだけ。見つけたら買いだめしておく。
 というわけで、朝食スイカ。口の中がざらつく。口内炎の兆し?

 早朝の気功を再開。ほんの10分だけ。まだ、疲れる。

 午前中はがんセンター東病院へ。今日はリニアックの最終だった。
 
◆リニアックの照射がすべて終わった。記念に一枚。それにしても、これは、まさにまな板の上の鯉状態だな。
 28回の放射線照射がついに終わった。記念写真を撮ってもらう。これで往復5時間の通院生活ともおさらばだ。心底ほっとする。
 やれることはすべてやった。あとは……お願いします……それだけだ。

 待合い室で見た老夫婦。ご主人は車椅子、奥さんがつきそう。ご主人は苦虫をかみつぶしたような顔で、面倒をみる奥さんの手をはらいのけ、自分でマフラーを巻く。典型的な亭主関白。こんな人が、がんになりやすいのだと思った。まるで自分を見ているよう。

 帰宅後、調子が悪い。ぼーっとテレビを見る。熱があり、体の節々が痛む気がする。入院中もそんな感じを覚えたが、熱はなかった。
 念のため計測。7度4分。これまで6度台を超えたことがなかったのに……。
 あわてて抗がん剤の副作用を読み返すと、白血球の減少による発熱があった。白血球が最も減少するのは、投与後10日〜14日とある。

 今日はまだ8日目。わたしの場合、前回は19日目が最少だった。まだ少なくなっていないはずだが。とはいえ、これ以上、熱があがってきたら、もらってある解熱剤を飲んで病院へ連絡だな。

 


 風邪という感じでもなく、これから体温が上がる感じもあまりない。が、夜8時ごろ、7度7分まで上がる。8度台に上がったら薬を飲み、先生の指示をあおぐことにする。白血球減少由来の発熱なら、入院という事態もある。

 10時30分就寝。直前に測ったら7度2分に下がっていた。よかった。レンドルミンを飲んで、即、寝ることにする。

‡3月28日(金)
 


 起床時の調子は普通。朝食は薬膳粥。食欲なし。
 午前中、居間の模様替え。すっきり。通院がなくなって、時間がたっぷり使える。気持ちに余裕ができるのは、いいもんだな。

‡3月29日(土)
 6時起床。床の中で書いている。体温36度2分。風邪の症状は感じない。一昨日の熱は疲れによるものか。

‡3月30日(日)
 昼食は何にするか、食べたいもの……と考えたすえ、田村のうなぎ。2時の閉店にぎりぎりセーフ。松を頼んだら量が多すぎ、無理して食べた。これだけ食べたのは最近では初めてだ。
 うなぎは喉の痛みも感じずに食べられる。味もちゃんとある。これまでどおり食べられる数少ない料理だ。懐は寂しくなるけど。

 帰りに高幡不動の桜散策。境内の桜はどれも満開。冬が過ぎ、春がやってきた。厄除けの線香の煙を体中に浴びる。今日の風はまだちょっと冷たい。 
 郭林新気功協会より留守録あり。治療で休みが続いたからな。
 夜、体温37度4分。まだ37度台が出る。心配だ。体重も下がり続け、今日は52・8キロ。これも心配。

‡3月31日(月)
 起床時雨。体調は普通。体温37度1分。微熱が続く。
 ご飯を食べる段になるとおかしくなる。味覚の異常、飲み込むときの痛み、両方が影響するのか、肩凝り、背中の張り、頭痛がしてくる。
 終日、頭痛がひどい。肩凝り・背中痛も。飲み込み痛もひどい。

 午前10時、八王子スポーツ整形外科へ。レントゲン診断の結果、背骨に、首の部分8度、背中の部分11度、腰の下部14度の曲がりあり。電気マッサージ、腰の牽引、マッサージを受ける。さらに、筋トレのやり方を教えてもらう。背筋の筋トレ用ゴム紐1メートル購入。

 昼食は京王SCのイタリアレストラン。食道を滑りやすいリゾットをと思ったら、ランチメニューにはない。しかたがなく似たようなラザニアを注文する。が、まったく食べられなかった。デザートのケーキはOK。

 疲れがひどい。中断していた郭林新気功を15分だけやってみた。終わると気分がよくなる。
 終わったあとはいつもどおり、風呂、夕食の準備。頭痛がひどい。喉も痛くなってきた(風邪か?)。肩から背中にかけての鈍痛が憂鬱。
 夜11時、体温37度8分。

‡4月1日(火)
 心配していた熱は下がった。が、喉は痛む。抗がん剤・放射線の副作用ではない。いつもの扁桃腺痛だ。起きたときからうっすら頭痛。こんな状態だと気分も滅入る。

 今日は退院後最初の採血・診察。強風でダイヤが乱れている。武蔵野線ではなく、秋葉原経由のつくばエクスプレスにして正解だった。12時15分柏の葉キャンパス駅着。タクシーで病院へ。

 採血後、診察までの間に病院の食堂で昼食。カレーうどん。なぜかうどんが食べられない。脳が受けつけない。スプーンをもってきて、カレー味の汁だけを飲む。これは大丈夫。腹は減っているのだが、たくさんは飲めない。

 カロリー補給の名目でアイスクリームを食べる。抹茶と黒ゴマ。ツルツル喉に入る。しかし、甘いものには罪悪感がある。「甘いものはがん細胞を増殖させる」という一文が頭にこびりついている。でも、これしか食べられないのだから……と言い訳。

 13時45分診察。白血球は4600で問題なし。飲み込むときの痛みは放射線照射による食道炎だろうとのこと。痛み止めの薬を処方してもらう。ポンタールシロップ。毎食前に10ml。胃の粘膜保護アルロイドGを毎食前20ml。

 CTと内視鏡の検査が15日にある。結果の確認も同じ日に入れてもらう。このときは概要のみ。生体検査などの詳細結果は、やはり1週間後でないと無理とのこと。

 そのころは、ちょうど3クール目の抗がん剤入院と重なる。抗がん剤は慎重に考え、どうするか決めること。できれば受けたくないのだ。
 体へのダメージが大きすぎる。退院した先週はほとんど寝てばかりという状況だし、退院から1週間が過ぎた今日も体調は不良。無理がきかない。筋トレなんかこれまでの10分の1もできない状態だし、胃腸は弱って便秘。それに頭痛・肩凝り・背中の痛み、さらに食道炎(これは放射線の影響だが)。いいことなんか何もない。

 これで、一部の医者が言うようにがんに効果がないとなれば、毒を飲ませる犯罪ではないか。よくよく考えること。セカンド・オピニオンも視野に。はたして抗がん剤単独使用で効果ありやなしや???

 薬局に寄って処方された薬をもらい、14時11分のバスで駅へ。京王線で八王子に出、八王子スポーツ整形外科へ寄る。牽引、電気、マッサージ。マッサージは右肩胛骨を中心。首では右側の凝りがひどく、マッサージ時の痛みも強い。気持ちがいいどころではない。こんなに強くていいの?
 考えたら首には転移したリンパ節がある。今はあまり刺激しないほうがいいような気がする。次回はやめにしておこう。

 帰宅は20時前。疲れはてた。強行スケジュールだったかも。レンドルミンなしで眠れそうだ。

‡4月2日(水)
 



◆日本ウェラー・ザン・ウェル学会
 自身も腎臓がんになり、それをきっかけに、がんの自然治癒の研究を始めた川竹文夫氏を中心とする民間の学会。患者の側に立って、現代のがん医療を変革したいという設立趣旨がすばらしい。さっそく会員になった。

 早朝5時に目覚める。今日は予定が何もない。そうなると嬉しくて、つい早起きしてしまう。こんな気分になれるということは、ようやく体調が戻ってきた証拠だ。

 たまっていた案件の処理。最大の案件だった日本ウエェラー・ザン・ウェル学会のイベント申し込みはすでに締め切られていた。満員。最初にネット検索したときに申し込んでおけばよかった。こんなに大人気だとは露知らず。代替医療を求める人が多いということか。

 気がつけばお昼はとっくにすぎ、あわてて昼食・気功とやっていると、すぐ夕方になる。カーペットなど、模様替えの買い物をする予定だったが、とてもこなせない。バタバタと夕方になってしまい、また頭が痛くなってくる。これは間違いなく精神的なものだ。

 今日から玄米菜食の復活宣言(昼に無意識に豚足を食べてしまったが)。

‡4月3日(木)
 目覚めは普通。食事を飲み込むときに、右鎖骨の先端あたりがピリッと痛む。こんなに離れたところがなぜ? ほかに右の奥歯痛。

 午後、スポーツマッサージ30分。3150円。気持ちいいというより痛いほうが強い。1週間後を予約。帰りに買い物。
 マッサージと買い物だけで疲れはてた。頭痛をこらえて風呂・夕ご飯の仕度。しんどい。

 風呂あがり、カミさんに体を見てもらう。首筋に一箇所、皮がむけているところがあるそうだ。胸は放射線を当てたゾーンがどす黒くなっている。背中はやや赤い程度らしい。
 放射線が終わったのが先週の木曜。1週間たって皮膚が変色しはじめた。胸も痛いので食道の炎症は続いているようだ。夏みかんの刺激でも胸が痛む。

‡4月4日(金)
 10時にF子先生のボディ・ライトニング。先生の透視によれば、がんは炭化している。鎧をかぶったように淀んでいた。それはきれいにしておきましたとのこと。根がどうなっているのか。次回の抗癌剤は、そのあたりをやるためなのかもしれない、と言う。
 
 帰ってきて気功をやったら、あっという間に夕方。何も片づかない。ただし、頭痛はなし。本当なら片づかないことにイライラして頭が痛くなるのに。ボディ・ライトニングが効いている?

‡4月5日(土)
 


 体調がようやく戻った感じ。ただし体力はまだまだの感。左の喉痛。右肩・鎖骨の先端あたりがピリピリする痛みは変わらず。

 10時30分M眼科へ。前々から気になっていた蚊文症の治療に行く。飛蚊症は硝子体が縮み、そのときゼリー状の硝子体の繊維がよれて影が映る。それが見えるものだそうだ。治療の飲み薬もあるが、今の状態なら放っておいたほうがいいとの診断。しかたがないか。

 もうひとつ、たまに出現する光のギザギザサークルは、これも蚊文症とのこと。ちょっと納得できない。小さいサークルが出現し、だんだん大きくなり、やがて消える。その間、サークルにかかる部分は、たとえば本を読んでいるときなどは文字が見えなくなる。これは明らかに蚊文症のゴミとは性質が違うと思うのだが。

‡4月6日(日)
 6時起床。喉の痛み、鎖骨先の痛みは変わらず。鎖骨痛はやや大きい。マッサージが原因か。明日もとれなければ病院へ行くこと。
 7時から早朝の気功。朝は久しぶりで気分がいい。

 お昼前からマンション見学。2件の新築物件を回っただけでクタクタ。お昼はグリーンウォークの中華バイキング。お粥と野菜ものでなんとかなった。味覚は問題ない。
 体力もそこそこOK。退院から14日目。2週間でようやく気分は元に戻った。少しずつ体力をつけていくこと。

 健康ファイルを確認したが、最古の記録は36歳のときの人間ドック。24年前だ。体重は52.7キロ。今がそれに近い。体力がともなえば、体重は50キロでもいいのじゃないか。次回の抗がん剤入院時、気分が悪ければ、食べないという選択肢もありかな(柳原師匠)。

‡4月7日(月)
 起床時は普通。動物病院へねこの送り迎え。6畳間の押入整理。風呂、夕食の仕度。パソコンのデータ整理。合間にねこの砂を買いにスーパーへ。夕方まで動きっ放し。疲れた。頭が痛い。
 カミさんは夕方6時半から会議だと。迎えにきてほしいという電話は10時過ぎだよ。へとへと。
 体が疲れているので、レンドルミンとは縁が切れた。なくても眠れる。

‡4月8日(火)
 





 起床時の体調は普通。喉の痛みはない。鎖骨痛はややおさまる。
 朝食時、カミさんに文句をつける。言いたいことがあれば、すぐ言うことにした。胸にためない、吐きだす。この際、相手の感情は度外視。今は緊急事態なんだから……。
 険悪な雰囲気はしかたがない。ただしフォローは必要だ。豪雨なので駅まで車で送っていく。

 11時、降り続く雨の中、長靴をはいて八王子スポーツ外科へ。3時間半待って診察。レントゲンの結果では鎖骨近辺に異常なし。痛みの原因は不明。マッサージによる一時的なものかもしれないとのこと。様子見。マッサージで痛いときは痛いと言うこと。

 帰宅3時半。遅い昼食。一日雨。データづくりをさぼっているが、それまでやるとまた頭が痛くなるだろう。今日はやめだ。

‡4月10日(木)
 朝から雨。楽しみにしていた農の学校は中止。ついてない。
 朝、カミさんとケンカ。農の学校の連絡網の件で。少しは考えろよな。頭にくる……。言えばすっきりだが、フォローをしとかなくちゃ。で、温泉さがしで午前中を棒にふる羽目になる。館山のペンションに決めた。
 裏のOさんのお婆さん逝去。お通夜は12日午後6時から。

 血液検査の依頼。布施先生に電話する。体調に変化があったのか、と聞かれる。用心のためだが、立ちくらみと答えておく。
 



‡4月13日(日)
 体調普通。ときおり頭痛がするぐらいで、体力を除き、あとは元に戻った感じがする。
 夕食後、腹具合が不良。早々に寝る。寒い一日だったし、少し食べ過ぎか?

‡4月14日(月)
 朝、腹具合が悪い。1時間ほど様子をみる。8時過ぎに起きだし、ねこを病院へ。その後、買い物で午前中がつぶれる。
 昼食、読書、雑草むしり、気功、風呂、筋トレ、夕食の仕度。時間が過ぎるのが早い。肝心の読書がほとんどできない。

‡4月15日(火)
 早朝5時起き。少し眠い。体調普通。
 今日は、東病院で治療後初のCTと内視鏡の検査だ。放射線と抗がん剤の治療がどうだったのか、結果がわかる。8時30分採血。9時30分CT。10時内視鏡と立て続けに検査を受ける。

 内視鏡の先生が「一部、ヨードをはじくところがあった」とのこと。ヨードをはじく=がん細胞……あ〜あ……。

 布施先生の診察時に問題の画像を見る。7ミリの大きさの病変が残っていた。正常な細胞はどす黒く変色しているが、ここはきれいなピンク色だ。がんの消失率70パーセントなのに、消えなかった……。

 意気消沈。声も出ない。が、先生は、18センチという病変を考えれば、7ミリは上出来、大きな問題じゃない、と楽観的だ。
 わたしとしては生真面目に、7ミリの病変がある、大変なことだ、と思ってしまうのだが、それぐらいの大きさだと、ヨードがうまく散布されなかっただけということもある。それに放射線の効果は、時間がたってから現れることも多々ある、と先生は言う。
 100パーセントじゃないのは悔しいが、放射線と抗がん剤2回の結果は、ほぼ成功といってもいいようだ。少し安心する。

 残った7ミリの病変をどう処置するのか、結論出ず。今日はあくまで画像のみの診断であり、最終的には生検の結果いかんによるからだ。生検でがん細胞が検出されない……かもしれないし。

 希望的観測はやめ、がんは100パーセント消えていないという前提で、3クール目の抗がん剤治療をやるしかないな。もうひとふんばり、がんばるか。

 白血球が2600と少ない。入院前に再度測ることになる。

‡4月16日(水)
 


 5時30分起床。6時から気功。体調普通。昼食時に胸の痛み。がんではないはず。食道炎か?

 朝いちで、市役所に国民健康保険証返却。カミさんの健康保険に扶養者として入れてもらうことにした。実際、そうなのだから仕方がないが、男子の面目丸つぶれ……なんて言ってる場合じゃないか。

 JAに寄ったが、菜花やネギなどだけ。今の季節は根菜類がない。竹の子はあるが、高い。手が出ない。根菜がないと献立が苦しい。
 玄米菜食はいいのだが、どうも食べる満足感に乏しい。肉、あるいは魚ならメインになるが、野菜だと何をメインにするか、思案のしどころ。工夫が必要。それと、近ごろの軟便は、玄米をよく噛まず、消化不良のせい?

 帰ってきて、気がかりだった庭の雑草むしり。終わって、粗大ゴミのカーペットを倉庫から出し、積み上げる。ついでに段ボールの片づけ。これでヘトヘト。昼を食べてゆっくりしたら、もう3時。今日2回目の気功。これをやると5時はすぐ。なんとも時間に追われる一日が続く。予定していた壁打ちにも行けず。

 『空腹力』(石原結實/PHP新書)を読む。

*私たちがおなかをすかせている状態では、血液中の栄養が悪くなります。すると、白血球もお腹がすいていて、ばい菌が入ってきたり、ガン細胞ができたときなどに、よく食べるというわけです。

 つまり、お腹がすいた状態はがんに効く、というわけだ。どうも単純すぎる気がするのだが、うっすらとした飢餓状態がヒト本来のあり方、という説もある。そちらの説は納得できるので、時にわが身を空腹状態におくのもいいのではないか。

‡4月17日(木)
 


 朝、息を吸うと左胸にきりで刺すような痛み。すぐに治まる。左の喉痛もある。
 5時30分気功。昼前から雨。午後、昼寝。少しのんびりできた。
 夕方6時、スポーツマッサージと鍼に行く。初めての鍼。何本も打っていくが、刺すときに痛いものと痛くないものがある。体を温めながら10分放置。抜いた後、アルコールで拭くときにピリッとくる痛みがあった。鍼とマッサージのあとは気分がいい。よくなっている感覚がある。

 『なぜ「粗食」が体にいいのか』(帯津良一・幕内秀夫/知的生き方文庫)を読む。

*前にも述べたように、マクロバイオティックもゲルソン療法も内容的に見ればかなり違います。しかし、冷静に考えてみると「厳しい」ということが共通するんですね。私はそのことにこそ、民間食養法の本質があると考えるようになったんです。
*激しい食事療法の一番の問題点は、栄養学的に考えれば、きわめて偏食だということです。

 うーん、これは玄米採食の否定か。肉、魚をいっさい食べない今の食事は、やっぱり偏食になるのだろうなあ。

 

‡4月18日(金)
 体調普通。胸が少し痛い。気のせいではなさそうだが、原因は……?
 朝から大雨。カミさんを送っていく。午前中データ整理。午後、車検の見積。釣り道具をホームセンターで購入。3時過ぎから夕食の仕度。で、一日が終わり。

‡4月21日(月)
 体調普通。一日1回、早朝の気功が定着した。朝は気分がいい。
 ねこが吐血。病院へ。吐血は口内の潰瘍からとのこと。歯茎の部分が貧血で白くなっている。お前も食べるのが大変だろう……。

 10時15分マッサージ+鍼。それから牽引と電気。体の手入れをしているという実感があり、効き目を感じる。
 帰りにダイソー、ユニクロ、ヨドバシに寄る。入院に備えた買い物。遅い昼食を食べ、午後の気功は断念して夕食の仕度。春野菜の味噌煮。まあまあかな。

‡4月22日(火)
 入院前の採血と診察のため、国立がんセンター東病院へ行く。
 採血の結果、白血球が2800と前回より200しか増えていなく、明日からの入院は延期。来週月曜にもう一度採血し、結果がよければ水曜日・30日に入院となる。

 さい先よくないな。
 おそるおそる、前回見つかった7ミリの病変の治療方針を聞く。
 すると、なんということだ、細胞検診で、がん細胞が出なかったと言うではないか。単なる染色不良のようだ。がんは消えていた!

 がん消失という最初の関門を突破! 悩みに悩んで決断した放射線化学療法は成功! まずはメデタイ!

 これが噂に聞く「寛解」という状態だ。いい響き。寛解だあ!
 「デジタル大辞泉」では、寛解をこう説明している。

*病気の症状が、一時的あるいは継続的に軽減した状態。または見かけ上消滅した状態。癌(がん)や白血病など、再発の危険性のある難治の病気治療で使われる語。例えば、癌が縮小して症状が改善された状態を部分寛解、癌の症状がなくなり検査の数値も正常を示す状態を完全寛解という。
 
 布施先生は慎重に言葉を選んでいる。まだ抗がん剤が2クール残っているので、治療が終わったわけではない、ということのようだ。

 だが、わたしとしては、目に見えるがんが消失したというだけで、心底ほっとした。がんは縮小どころではなく、なくなっている。「デジタル大辞泉」でいうところの「完全寛解」じゃないか。

 もちろん、がんが治ったわけではない。それは承知している。だが、今は喜びにひたりきりたい。
 よかった!
 ほっとした!
 生まれ変わった気分だ!
 いや、実際、死の淵からの生還、新しい誕生だ。今日はがん1歳の誕生日。おめでとう。よくやった!

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