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サンティアゴに着いたのが10月20日。このときは元気だった。
‡2012年11月11日(日)
 なんと時間がかかったことか。
 10月25日にサンティアゴから帰ってきて2週間がすぎ、ようやく机に向かえる状態になった。最初の1週間は気力がなく、次の1週間はぎっくり腰のためだ。

 帰国直後の1週間は、心身ともにだるくて、やる気がわかない。時差ボケはそれほどひどくないので、たぶん、旅の最後の10日間がいけなかったのだろう。
 あのころは、高揚感がまったくなくなっていた。ワクワク・ドキドキ、あるいは達成感・満足感がまるでない日々が続いた。
 季節も悪かった。晩秋の寒くてうんざりするような日が多かった。
 スペインの街も人も風物も、少し飽きがきていた。

 まあ、そんなわけで、虚脱状態の1週間を過ごし、さて体を動かそうと重い腰を上げ、テニスの練習を2日ほどやった。が、腰が異常に痛む。そして3日目の午後、急激な痛みが襲いかかって動けなくなる。ぎっくり腰だ。それからは這って動くようなありさまだった。
  ◆ぎっくり腰
11.02(金)――午後、腰部痛がひどくなる。ほとんど動けない。ぎっくり腰のようだ。夜、痛みによる熱が出る。
11.03(土)――動けない。横になったまま。
11.04(日)――動けない。力を入れるコツが少しわかる。脚と腕に力を入れ、腰は使わないこと。
11.05(月)――少しよくなった。治っている実感がある。
11.06(火)――変化なし。
11.07(水)――少しよくなった。体の回復力にまかせているだけで、治療は何もしていない。寝る前にお風呂で体を温め、プロテインで筋肉修復のたんぱく質を補給している。あとは安静。
11.08(木)――かなりよくなった。急激に回復している。
11.09(金)――当初の動けない激痛箇所は癒えた。が、以前の痛みが右腰の奥深くに残っている。少し動いてみたが、まだダメ。壁にボールを投げて、腰を曲げてボールを受けることができない。棒立ちのまま。
11.10(土)――車で外出。腰の動きがままならない。まるで歩き方を練習する赤ちゃんみたい。ぎこちない。腰の奥に古傷の痛みがある。
 ここにきて、腰がようやく癒えてきた。長かったなあ。

‡2012年11月13日(火)
 動けるようになったので、市立病院の整形外科を受診。ぎっくり腰はほぼ治ったが、慢性的な腰痛がある。それに右肩も時々痛む。
 診察では腰を叩いて痛みがあるかどうかを聞かれた。が、叩くだけではどこも痛まない。様子見ということに。
 一方、右肩は、押された2方向とも痛む。それで、レントゲンで詳しく診ることになる。

 たまたま受診した先生が肩の専門家で、詳しい話を聞くことができた。
 肩関節は特殊な構造で、受け皿が平ら。そのため自由度が大きい。逆にいえば外れやすい。それを防ぐのが筋肉。
 今の状況は肩の骨が強くこすれ(その証拠にレントゲン写真が白くなっていた)、筋肉が痛んでいるかもしれないと言われた。で、日を改めてMRIを撮ることになる。

 肩の痛みはサーブ練習をやりすぎたときに出るだけで、普段はそれほど気にならない。肩より腰のほうが日常的に痛みを感じ、本当はその治療が今日の目的だったのだが……。

‡2012年11月17日(土)~18(日)
 土・日と日光の温泉へ行く。安静に過ごせたので、腰痛はやや軽減。ただし、ゼロにはならないところが始末に悪い。ここ数年で、すっかり慢性化してしまった。

‡2012年11月22日(木)
 


 サンティアゴから帰国後、初めてのテニススクールへ。長い休みにもかかわらずストロークはそこそこやれた。だが、ボレーとスマッシュはまったくダメだった。体が動かない。

 午後、カメラのレンズを修理に出す。5年保障に入っていたので無償修理になった。2、3週間かかるようだ。12月の頭に香港旅行を予定しているが、それには間に合わないかもしれない。
 帰ってみると、留守録があり、修理に出しているリュックも無償でやるとのこと。サンティアゴ巡礼で使っているうちにストラップが切れそうになったのだ。買ったばかりだし、有償はないよな、と思っていたが、メーカー判断で無償修理になった。さすが老舗のクーガーだ。

‡2012年11月24日(土)
 午後、デスクトップパソコンのSDカードが読めなくなり、サポートに電話。結局、パソコンを送って検査・修理してもらうことになる。HDの故障・交換から始まり、これで3度目のトラブルだ。

 保証はあと2週間後に切れる。通常は1年だが、3年に延長しておいてよかった。
 偶然なのか、正規の1年保障が切れると、故障が次々に起きた。最初のトラブルは、正規保障の1年が過ぎた直後のことだ。それから半年ほどして2度目、そして買って3年目でまたトラブルだ。延長保証に入っていなければ、いずれも有料での修理になるところだった。
 ハズレの買い物だったのか? それとも、1~3年しかもたないような造りなのか?

‡2012年11月26日(月)
 


 今日は、寛解5年目の中間定期検査。血液検査➔CT検査➔内視鏡検査。もう慣れっこになっているはずなのに、内視鏡検査が終わったあと、リカバリー室で休んでいると気分が悪くなる。歳のせいかなあ。

 検査結果は1週間後にわかるが、今日は内視鏡検査での生検はなかった。ということは、目視では異常は見当たらないということだ。以前ならそれだけで元気がわいてきたのに、今日はいまいち気分が盛り上がらない。歳とともに検査のダメージが大きくなり、気力で補いきれなくなっているのかもしれない。

‡2012年11月30日(金)
 午前中、新しい歯科クリニックへ行く。ネットで検索し、歯周病専門医が見つかったので、これまでの歯科医院をやめて鞍替え。
 最初にクリニックの方針について説明があり、なかなかのもんだと感心する。今日はレントゲンと診断のみ。治療は次回。最初は感心したが、やや拍子抜け。

 午後は市立病院の整形外科へ。右肩のMRI撮影。これがなんと2万800円もかかった(自己負担6450円)。まあ、先日受けたがんの血液検査+CT検査+内視鏡検査が7万2670円(自己負担2万1800円)に比べれば安いが。

 2万だ、7万だ、という金額を見るとギョッとする。だが、いつもはそちらを見ることはない。実際の支払額、6450円や2万1800円だけを見て、支払いをすませる。
 わたしが思うに、ギョッとするかしないか、そのギャップが医療費のムダ使いを生んでいるような気がする。
 日本は皆保険だから、医療費は原則3割負担。残りの7割はみんなが保険料や税金で負担してくれるから、清算窓口で自分のふところが痛むわけじゃなし、気にすることもない。

 


 しかし、もしもこれが、全額自己負担だったらどうする? 今日の検査料金は7万2670円と言われた日には、がん治療のためとはいえ、頭をかかえてしまいそうだ。

 皆保険さまさまということで、この制度はなんとしても守っていかなければならない。しかし、「2011年度の医療費が37兆円超え」というようなニュースを目にすると、皆保険制度があぶなくなりはしないかと不安になる。
 だって、11年度の税収は43兆円だぜ。収入が43兆円しかないのに医療費に37兆円も使ったら、残りはいくらだよ。たったの6兆円。それで国の運営ができるわけがない。国債発行という借金に頼らざるをえないのも道理……。

 という計算はありえないが、実際は医療費にいくら税金を使っているのか、ちょっと調べただけではわからなかった。
 大ざっぱにいうと、わたしたちが払っている健康保険料は医療費の6割、不足4割が税金による補填という感じだろうか。金額でいえば15兆円ぐらい。
 37兆円に比べればだいぶ安くなったように感じるが、11年度の国家予算が92兆円(一般会計)だから、15兆円といえば6分の1に当たる。

 この金額が、高齢化によって右肩上がりに増え続けることはだれもがわかっている。たぶん、わたしを筆頭にする団塊の世代が死に絶えたこ
  時代のお荷物という、自虐めいた言葉で自分たちの世代を語るのは、日本という国に未来が感じられないからだ。
 いつの間に日本は、そんな国になってしまったのだろうか。そして、そんな国にしてしまった責任は、いったいだれにあるのだろうか。
 責任の一端は、間違いなくわたしたち団塊の世代にある。
 1947年から1949年の3年間に生まれた団塊の世代の人数は、664万人(2009年の人口推計)に及ぶ。これだけの数の人間が現役を退き=税金を払わなくなり、逆に年金をもらうようになれば、国に与える経済的ダメージは巨大なものになる。
 そうなることは、だれもがうすうす気づいていたのに、目先のことにかまけ、対策を考えようとしなかった。その最大の責任者は、被害をもたらす人間、すなわち団塊の世代だろう。
 自分たちの存在が日本を繁栄させてきたのは自負してもいい。だが、年老いて社会のお世話にならざるをえなくなったとき、きちんと面倒をみることのできる社会を築いておかなかったのは、とりかえしのつかない失敗だった。
 こうなったら、楢山節考の世界になっても自業自得だから、団塊世代の社会保障費を削って日本経済を立て直してほしい――といささかやけにもなろうというものだ。

ろ、どうにかもちなおすのだろう。その意味で、団塊の世代は時代のお荷物の象徴ともいえる。

 話がそれるので、それはさておき、医療費の増加を少しでも抑えるための意識改革として、診療当日10割支払➔後日7割還付というやり方は、けっこうギョッとすると思う。
 ギョッとすれば、なんとか安くおさめようと考える。たとえば、受診後にもらう薬。私の経験では、もらった薬を使いきったことは一度もない。
 今度の腰痛・肩痛でも鎮痛剤と湿布を処方された。が、鎮痛剤は一錠も飲まずじまい。湿布は半分ほど使い、残りは薬箱で眠っている。

 当日10割払いとなれば、使わないだろう薬は減らすなど、自己抑制が働くような気がする。結果として、使わずに捨てる薬がなくなる。日本全国で考えれば、塵も積もってなんとやらで、数百億円、あるいは数千億円が節約できるかもしれない。ま、そんなにうまくはいかないだろうけど。

 MRI撮影後、右肩の最終診断は、肩の骨にくっついている筋肉群=腱板が一部断裂し、そのために痛みが出ている、というもの。
 治療としては、断裂した腱板を手術で縫いつけるしか方法がない。手術は「全身麻酔、入院3~4週間、リハビリ6か月」というけっこう大変なものになる。さて、どうしましょうか、という説明だ。

 どうしましょう、と言われてもなあ。即手術というわけにはいかない。命に別状があるわけでもないし、ここは様子見しかないだろう。痛みがひどくなったら、また相談にきます、ということで診察終了。
 これまでは肩の筋肉をきたえれば痛みも消えると思っていた。だが、断裂はきたえて治るものではない。きたえようとがんがん使うと、逆に断裂は広がるばかりだ。
 マイッタな。肩に負担をかけないように使うとなれば、サーブの威力はがた落ちだ。どうすればいいんだ?

‡2012年12月4日(火)
 
観光ツアーは見るところが多すぎて、次から次へとせきたてられる。もう少しのんびりしてもいいと思うが、たくさん見てまわりたい人もいるだろうし、あまりわがままは言えない。
 写真は「1881ヘリテージ」という有名なショッピングセンターらしいが、買いたいものもないなあ。
 今日はがん定期検査の結果を聞きにいく日だ。
 7時半出発。乗継の立川駅で特別快速に乗ってしまい、次に乗り換える西国分寺駅は止まらずに通過。電車に乗るのも半年に1回だから、こんなていたらく。予約時間の10時ぎりぎりに病院着。

 検査結果はすべてOK! これで寛解4年6か月をクリアーした。おめでとう!
 あと6か月、養生に専念すれば、寛解5周年を無事に迎えられそうだ。粛々とやるのみ。

‡2012年12月6日(木)~9日(日)
 検査結果がいいことを見越して申し込んでおいた、香港・マカオの観光ツアーに参加。3泊4日で5万5000円。
 なるほど、ツアーとはこんなものか。安いし安全だけど、あれもこれもと欲張りすぎ。なかなか息抜きができない。もっと自由時間が多いと楽しいだろう。わたしにはサンティアゴのような自由気ままな旅が性に合っているようだ。



‡2012年12月11日(火)
 


 がん養生最後の6か月間をつつがなく過ごすため、冬の寒い時期は沖縄で過ごすことにした。ここ数年、寒くなるとどこかしら体の故障が起きている。寒さで体が緊張し、筋肉も固くなるのだろう。

 そこで、年明けの1月9日から3月9日までの2か月間、宮古島の長期滞在施設に行く。昨年、宮古島を歩いて一周したときに見つけたものだ。自由に使えるテニスコートがあるのが決め手。寒さから解放されることで柔らかい筋肉を取り戻し、テニスもうまくなれば、一石二鳥というものだ。今から楽しみ。
 
 今日は航空券の予約。しかし、羽田発でいちばん安いスカイマーク便がとれない。必要事項を入力している間に空席がなくなったのだ。
 調べてみると、自動入力のアプリケーションがあり、それを使うと必要項目があっという間に入力できるという。先着順の予約の場合、みんなそうしたアプリを使っているのだろう。いやはや、知らないということはみじめだね。

‡2012年12月15日(土)
 



 いろんなものがうまくいかない。
 年賀状を印刷しようとしたら、プリンターが故障。もう寿命みたいで、手の打ちようがない。

 次は車。車検をとったばかりなのにファンベルトが切れ、対応策をネットで調べているうちに、わたしの車がリコール対応車種だとわかる。タイミングチェーンが伸び、それによって出力低下などの現象が出ているようだ。さらに、右前のタイヤから発している異音も気になる。

 かてて加えて、テニススクールに忘れてきた上着。スクールから見つからないという電話があった。ポケットに腕時計を入れておいたせいか。
 それにしてもどんなやつが忘れ物の上着を盗っていくんだろう。信じられない。……あ~あ。

‡2012年12月18日(火)
 車の不具合の件で電話をかけまくり、午前中を使ってしまった。だが、まったく成果なし。
 最初は、メーカーである日産のお客様相談センターへ。ここはお話にならない。問題を相談・解決しようという態度がかけらもない。はなから拒否の姿勢がありありだ。いったいなんのための相談センターなのか。

 しかたなく、消費生活センターなどに電話相談。ちゃんと話を聞いてくれ、相談にものってもらえる。だが、行政の相談機関は能力不足の感じを受けた。問題解決の具体的なノウハウが提供されない。得手・不得手の分野があるのだろうが、たらいまわしで4機関、どこもうまい解決策をさずけてはくれなかった。

 最後は国交省のホットラインに電話。不具合の状況を報告しておいた。期待うすだが、いちおう欠陥事例として記録されるので、そのうちリコールの対象になるかも。

‡2012年12月22日(土)
 


 車検をしたジョモに出かけ、不具合の交渉。再度、チェックして対策を考える、ということになる。なんとかなりそうなので、少しは安心して年が越せる。

‡2012年12月31日(月)
 午後からテニスの練習。あまり熱が入らない。金・土・日と伊豆の温泉(土肥温泉・熱川温泉)に行ってきたので、なんだか疲れている。温泉に行って疲れるというのも変だが、だらけてしまうとどうもいけない。
 トロトロやっているうちに晴れていた天気が曇りになり、雨がポツポツ降ってきたのでやめる。なんともしまらない2012年の打ち納めだった。

‡2013年1月1日(火)
 新しい年が始まった。
 今年は寛解5年目の大願を迎える。これが最大のイベントだ。そして、その後をどうするか、どう過ごすか、新たな船出の目的地を設定すること、これも大きなテーマだ。

 午後からテニス練習。少しずつうまくなっていくようで、テニススクールの年末ゲーム大会では振替クラスで優勝カップをもらった。が、正規のクラスでは2勝しかできず、敗退。まだまだ腕が未熟。
 7日から2か月、沖縄の伊良部島で過ごすが、まあ、いってみればテニス合宿のようなものだ。みっちり練習して、腕を磨こう。

‡2013年1月7日(月)
 

 冬の寒さを避け、今日から南国・沖縄暮らしだ。
 4時起床。高速バスで羽田へ。JALの直行便で宮古島まで行く。
 宮古島空港は土砂降りの雨。空港の食堂でお昼を食べている間に薄日がさしてきたが、天気は悪いようだ。

 空港から平良港までタクシー移動。平良港からはフェリー15分で伊良部島に渡り、宿の送迎車で「南の小さな島の宿 オーシャンハウス in
 
さしばの宿泊施設。わたしが長期滞在するC号棟。広い敷地の中にはコテージなども点在している。

さしば」に行く。
 宿というけど、わたしが滞在するのは、一見公団アパート風の建物で、「下地島空港施設株式会社」が運営する宿泊施設だ。

 下地島という名前でわかるとおり、ここは伊良部島の隣にある小さな島。とはいえ、2つの島はあちこちに橋がかけられおり、初めての人なら島が2つあるなんて気づきもしないだろう。
 どだい、2つの島を隔てる海峡が40メートルぐらいしかない。どう見ても小さな川だ。もちろん海だから、なめるとしょっぱいが。

 わたしの部屋は103号室。6畳の洋室ベッド+キッチン+風呂・トイレ。水道・光熱費込みでひと月7万2450円だ。滞在後半は和室の402号室に移る予定だが、ひとり暮らしの長期滞在には十分だろう。

 キッチンでは自炊もできる。最初はそれも考えたが、やめにした。
 もともとはANAやJALのパイロットが、操縦訓練を行うための宿泊施設なので、施設内には食堂もある。それを使うことにした。
 わたしは玄米採食が基本だが、2か月ぐらいやめたってどうということはない。サンティアゴ巡礼でも影響はなかった(ように思う)。寛解5年目にもなると、当初の生真面目さは良くも悪くもうすれてくるものだ。

‡2013年1月8日(火)
 
土砂降りの雨。スコールのようなものだから長くは続かない。




テニスコート。降ったりやんだりの天気が続き、なかなか使えない。








猫が2匹。カメラを向けると知らん顔。
 昨日の雨が続いている。明け方には土砂降りの雨音も聞こえた。予報どおり、今週は雨の毎日のようだ。
 今朝は7時になっても明るくならない。雨のせいもあるだろうが、日本の西のはずれだから、明るくなるのは7時半が妥当なところか。

 6時起床、6時30分から気功、8時朝食――というのが毎朝のパターンかな。トイレは朝食後、食堂のウォッシュレットですませる。部屋のトイレと違って快適だ。
 で、9時から12時まではサンティアゴ巡礼のHP作成。今回の伊良部島合宿の目的のひとつがこれだ。集中してやらないことには、いつまでたっても終わらない。

 お昼を食べ、午後はテニスの練習。コートまでは歩いて3分。練習用の球出しマシンは宅急便で届いている。相手がいなくても、ひとりで練習できる。
 なのに雨がやまない。小糠雨だが時に大降りになる。
 まいったぜ。沖縄の1月、2月は天気が悪いとは知っていたが、これほどとは思わなかった。

 伊良部島に来てからの雨は霖雨に近い。霖雨とは、降ったりやんだりが何日にもわたって続く雨、と辞書にあるが、ぴったりだ。このところの伊良部はそんな状況で、霖雨は日曜まで続くようだ。参りました。

 午後の3時ごろになって雨がやんだ。いつ降りだすかわからない空模様だが、やんでいる間にスーパーまで買い物。
 帰ってきてもまだ雨は降らない。そこで、壁打ちをやってみる。オムニコートなので、少しぐらい濡れていてもやれなくはない。

‡2013年1月10日(木)
 早朝気功をやる。部屋を出たところで、猫が2匹まとわりついてきた。野良のようだがわりときれい。一匹は尾が長いサバトラ、もう一匹は尾が短いキジトラ。いい友達になれそうだ。途中で雨がぱらつきだしたのでUターン。

 午後、一昨日とは別のスーパーに行ってみた。サラダ用の野菜が古い。比較的よさそうなグリーンリーフを買った。
 片道20分。行って帰ってくると1時間ぐらい。買ってきたソーセージを猫にやる。喜んで食べていた。

‡2013年1月11日(金)
 
 夜明け前の暗い道を気功で歩いているとき蛍を見つけた。なんとなんと、まさかこんな時期にホタルとは。夜は秋の虫の鳴き声でにぎやかだし、避寒という意味では理想の場所だ。それにしても蛍はやりすぎだと思うがなあ。

 今日で、沖縄に来て5日目。初めて太陽が顔をのぞかせた。早朝の気功のときは雨粒が顔に当たったので、今日も降るのかと思ったが、曇りの予報をくつがえして太陽が出た。
 初めて球出しマシンを使い、テニスの練習をした。汗が気持ちいい。

‡2013年1月15日(火)
 夜半、伊良部島に来てから吹き続けていた風がようやくやんだ。朝は無風。いい天気だ。毛布を干してファブリーズしよう。気になる臭いもなくなるだろう。

 物干し竿を外し、ベランダの床に置いてきれいにふいていく。終わって頭を上げたら、ベランダの外壁に設置されたエアコン室外機の底部に、思いきり後頭部をぶつけた。頭が割れそうな衝撃で、一瞬、クラクラッとめまいがする。
 ウッとうめいて頭をかかえ、しゃがみこむ。後頭部をさすると大きなコブがぷっくり。そのまましばらくうずくまり、どうやら痛みをやりすごした。
 すぐに、濡らしたタオルを冷凍庫で冷やして頭に当てる。

 それにしても、ひとり暮らしだとこういうことがいちばん困る。あのまま意識を失っていたら、だれにも気づかれずに数日は放っておかれたかも。オー、コワ。

 冷やしたタオルを鉢巻きにし、頭痛は? 吐き気は? と、様子を見ながら毛布を干す。だいたい、毛布が臭いのがいけないのだ。ちゃんとクリーニングしたものを置いとけよな、と八つ当たり。
 そのうち痛みがおさまり、大丈夫そうだ。

 お昼を兼ねてスーパーまるきへ行く。
 買い物のあと、スーパーの2階にあるレストランで、渡口の浜の白砂を見ながら、ランチの海鮮丼を食べる。コーヒー付きで650円は安い。

 午後、ジョギング30分。それからテニスの練習3時間。いい天気で気持ちがいい。頭のこぶはふくらんだままだが、どうやらそれだけですんだようだ。

 部屋に戻るとドアの前で猫が待っている。このところ、朝と夕方、こうして2匹が待っているようになった。しかたがない。今日は買ってきたドライフーズをあげる。夢中になって食べる。

‡2013年1月20日(日)
  4階の眺望。廊下側からの眺め。とんがった屋根の建物は食堂。奥の建物は操縦訓練に来るパイロットたちの宿舎。
 今日は1Fの洋室から4Fの和室へ引っ越し。1時間ほどで終了。
 生活にはベッドのほうが楽だが、6畳だと狭苦しくて息がつまる。和室はベッドがないぶん広く感じる。
 それに、4階の眺望は1階とは比べものにならない。いい眺めだ。第一印象はグッド。



 

渡口の浜。東側から見た砂浜。今日は人っ子ひとりいない。天気はいいし、これで風さえなければ泳げるな。
 テニスの練習は休みにした。午後からジョギングで渡口の浜へ行く。ゴルフ場の脇を通り、伊良部橋を渡って浜の西側入り口に着く。
 そこで急におなかがキュルキュル鳴りだし、今にも漏れそうな気配。なんだこれは? 下痢か? 

 たしか、もうちょっと先にトイレがあったよな。そこまで我慢、ガマン!
 腹筋を弱めると間違いなく漏れる。下腹に力をこめつつ、内またの小走り状態で必死の力走……。ギリギリで間に合った。あ~、すっきり。

 渡口の浜は風が強かった。海面も白い波が乱舞している。真っ白い砂浜を走り、浜の東側で振り返ると、やはりこちらから見たほうが砂浜が長く見える。なぜかはわからないが。



 
茶店のテラスで3時のお茶もいいもんだ。
 浜の東側の入り口には小さな茶店がある。そこのテラスでアイスコーヒーとサータアンダギーの3時。午後のまぶしい日差しに輝く海を眺めながらのんびりくつろぐ。
 太陽が暑い。よしずの天井がその光をさえぎり、いい塩梅だ。松林で囲まれたテラスには、強い風があまりこない。これまたいい微風。こんな午後は久しぶりだなあ。

‡2013年1月21日(月)
 早朝、気功のために1階に降りたら、猫が2匹、103号室の前でうずくまっていた。わたしが出てくるのを待っているのだ。わたしが4階に移ったことをまだ知らない。

 4階への引っ越しを機に、猫の餌やりを考え直した。あと2か月弱の滞在だが、その間、餌をやり続けると、野生の狩猟本能が衰え、自力で生きられなくなるのでは? わたしが帰ったあと困りはしないか?
 などと考え、餌は昼間に出会ったとき、適当にやることにして、朝・晩、定期的にやるのはやめることにした。

 そう決めたら、猫から姿を隠すのにひと苦労。4階からそっと降りてくると、103号室の前で待っている。わたしの姿を見つけると駆け寄ってくるので、陰から様子をうかがいつつ走り抜ける。なまじ餌を与えてしまった因果応報なり。

 このところいい天気が続き、テニスのマシン練習も充実してきた。体をきたえ、最終検査に備えるという目的は、着々と実現されつつある。

‡2013年1月24日(木)
 無風、快晴。いい天気に誘われ、気分ウキウキでコートへ。フロントに寄ったら、昨日やってきたMさんご夫妻を紹介された。
 ご主人がテニスをやるそうで、さっそく練習。御年80歳と聞いてびっくり。とてもそんな歳には見えない身のこなしで、軽々とボールを打ってくる。さすがにスピードはないが、実に安定している。

 1時間ほどラリーをやってMさんが引きあげたあと、作業服を着た中年の男性がやってきた。下地島空港施設に勤務しているというNさん。わたしがひとりで練習しているのを見て、お相手しましょうか、と言う。
 この人も上手だった。テニススクールでいえば上級クラスの腕前だ。日暮れまでボールを打ち合い、いい練習になった。これまではひとりきりだったが、急に相手が2人も現れ、楽しくなりそうだ。

‡2013年1月29日(火)
 
食堂。宿泊客のほかに空港施設で働く人や操縦訓練に来たパイロットなどが利用する。


 朝、食堂に行くと、Mさんが洋食セットを食べていた。わたしは和食セットにする。どちらも400円。この食堂は空港施設の社員食堂的なものなので、なんでも安い。

 食べながら話を聞くと、Mさんは午前中ゴルフをやり、そのあとでテニスの練習に来るという。合間には自転車で島を走りまわり、ときにはフェリーに自転車を積み込んで宮古島まで遠征するそうだ。80歳でその行動力は驚異そのもの!

 わたしが80歳になったとき、そんなパワーがあるかどうか心もとない。だが、いい目標ができたと思う。これまで年老いた自分のイメージを思い描けなかったが、Mさんのような80歳をめざせばいいのだ。

 朝の食堂には、ほかにも何人かの長期滞在者がやってくる。よく顔を合わせるのは名古屋から来ているAさん、新潟のHさん。Mさんも含め、彼らは毎年、ここで冬を過ごしているそうだ。

‡2013年1月31日(木)
 今日で1月が終わり。午前中はHP制作、午後はテニス練習というパタンーができた。ほぼひと月、そんな生活を送ったら、なんだか変わりばえのしない毎日で、淡々とした日々の繰り返しだなあ、と思う。退屈というか平凡というか。

 自然のほかに何もない伊良部島を選んだのは、ただただ沖縄の暖かさに包まれ、ゆったりと暮らしてみたかったからだ。特別なことは何もなく、昨日と同じ今日が過ぎ、明日もまた平穏な時間が流れていく。

 がんを告知され、闘病を始めたころ、そうした生活をいかに望んだことか。それなのに、いまさら何を言ってる。異常事態が生じないと平凡な暮らしのよさがわからないなんて、アホンダラもいいとこだ。

 寛解5年目の最終検査が4か月後に迫っている。クリアーできれば食道がんの完治。5年前には夢でしかなかったことが、もうすぐ現実になるのだ。粛々と養生の日々を送るべし。

‡2013年2月5日(火)
 風はあるものの上天気。例によってMさんと練習していたら、早番の勤務を終えたNさんがやってきた。友だちをさそってきたので計4人。
 久しぶりにゲームができると張り切ってやるものの、うまく動けない。練習の成果が感じられず、毎度のことながら、練習とゲームを結ぶ架け橋はナニ? と悩む。
 とはいえ、練習よりゲームのほうが断然おもしろい。日暮れまで楽しむ。1時半から6時半まで外で遊んでいると、さすがにやりすぎだあ~。くたびれた。

‡2013年2月7日(木)
 
◆下地島から見た伊良部島。白い建物はホテルサウスアイランド。
 午前中はHP作成。午後はテニスの練習とゲーム。
 今日のゲームには新人2組が参加。M氏ご夫妻・W氏ご夫妻。長期滞在の常連さんで、毎年、冬はここで過ごすそうだ。来週になるともう1組来るらしい。

 最初はひとりぼっちのテニスだったが、ここにきて急に人数が増えた。皆さん、わたしより年上だが、元気そのもの。テニスだけではなくゴルフもやるそうで、とにかく足腰が達者だ。
 65歳のわたしがいちばん若いのだから負けてはいられない。気合も入ろうというもの。コートを走りまわり、今日もまたくたびれた。

‡2013年2月8日(金)
 夜中から雨・風強し。今も雨が横に流れるほどの強風が吹いている。せっかくかみさんが遊びに来るというのに。
 ネットで調べると、航空便の遅れが出ており、フェリーも強風で運航中止になるかもしれない。悪天候でやきもきしたが無事到着。やれやれ。

‡2013年2月9日(土)~11日(月)
 かみさんが遊びに来たので連続3日の休養日。レンタカーを借りて伊良部島をまわる。雨の予報であきらめていたが、予想外の晴れ間もあり、天気はまあまあだった。

 ここで暮らすとしたらどうだろう……。
 島をまわりながらそんなことをかみさんと話したが、2人ともあまり明確なイメージが描けない。島に移住してピザ屋を開いているご夫婦にも会った。そうした暮らしもいい。だけど、どうしてもというわけでもない。要は、それほど乗り気ではないということだ。

 がんが治ったら、余生を沖縄でのんびり暮らしたいとは思う。だが、まだ機は熟していないのかな。
 がんが治ったあとをどう過ごすか、それも今回の伊良部島合宿のテーマのひとつだが、まだまだ考えはまとまらない。



‡2013年2月15日(金)
 

 朝は晴れていたのに、すぐに曇り、そして雨が降りだした。そのまま降り続け、終日雨。したがって今日はHP制作で部屋にこもりきり。ようやくパンプローナにやってきた。巡礼旅はまだまだ続く。終わりが見えない。
 夜、テレビのファミリー劇場でコマーシャルなしの「あずみ」をみる。久しぶりに11時まで起きていた。
 昨日食べたものの記憶がすぐによみがえらない。ボケの前兆?

‡2013年2月25日(月)
 



 朝、食堂に行くと、最近やってきたTさんがマスクをしてぐったりしている。風邪らしい。近くに寄るとうつるから、と言われ、離れて座る。かなりのお歳だから、体力の低下が原因なのだろう。

 わたしもこのごろは、テニスのあと、スタミナの消耗が激しい。ご飯を食べる気がせず、口当たりのいい菓子パンを食べるだけで、ぐったりと寝転んでテレビを見る。
 これじゃあイカン。もっと休養をとること。テニスもいいが、目的はがんの養生だ。それを忘れたら虻蜂取らずだ。合宿も最終ステージなんだから気持ちよく締めよう。

 お昼はホテルサウスアイランドの2階にあるレストランで刺身定食。1000円。ランチのほうがは安いけれど、今日はかき揚げだったのでパス。揚げ物は食べないことにしている。

 店に入るとHさんがいた。この人はなんともうらやましい生き方をしている。新潟の在だが、冬は暖かい沖縄で3か月、夏は涼しい北海道で2か月、そのほかに気が向けばキャンピングカーで東へ西へ、だとか。

 新潟だったら夏は涼しいでしょう、と言うと、いやいや暑い、暑いと笑っている。そんなHさんが長期滞在する夏の穴場を教えてもらった。北海道の登別に、3食付きで月10万円の温泉宿があるそうだ。
 クーラーがないから、海側の部屋にすること。山側は暑いからね。
 それから、避暑ということなら、標高の高いところもおすすめ。たとえば草津なんかけっこう涼しいよ。

 なるほど。いろいろ考えてやってるんだ。
 10年以上もそんな生活をしているというから、なんというか遊牧民だね。1か月も家にいるともうどこかに行きたくてたまらなくなるそうだ。

 奥さんは? と聞くと、最初は一緒だったが、すぐに飽きてしまったと言う。しょせん女にはわからない世界さ、とHさん。ま、そんなもんだ。
 わたしもHさんのような生活ができれば言うことなし。キャンピングカーなんてあこがれるなあ。本格的なものになると、一台1000万超らしいけど。

‡2013年3月4日(月)
 



◆テニスコートの隣にあるグランド。練習前にはここを走ってウォーミングアップしていた。その踏み跡がうっすらと刻印されている。ここまでやったのだから、5年目の最終検査は大丈夫だ。自信をもって検査を受けようぜ。
 8時半起床。疲れていると思ったら朝寝で回復することにした。気功は休んでもいい。それより疲れをとって、免疫力第一の生活にすること。
 今朝も起きたくなるまで布団の中にいたら、8時半になっていた。あと10日で伊良部島合宿も終わる。疲れきって東京に帰るなんてのは愚の骨頂だ。クールダウンということで、体を落ちつかせよう。

‡2013年3月8日(金)
 夜中の3時ごろに目が覚め、それから朝まで眠れない。運動量を減らしているせいだろうが、これもけっこう辛いものだ。帰ったらちゃんと診てもらうとするか。
 切迫尿意といい中途覚醒といい、どうも老年期特有のもののようで、元のような状態に戻ることはないのかもしれない。

 午後のテニス練習はひとりだった。Mさんは休養。ほかのテニス仲間は、昨日で全員帰ってしまった。そろそろ春だからね。



‡2013年3月14日(木)
 今朝は猫に最後の餌をやる。
 2か月と1週間の伊良部島合宿が終わり、帰京。
 島に来た日と同じように雨まじりの天気だ。それもいい。晴れた日は汗を流し、雨の日はゆっくり休む。自然がつくりだすリズムに身をまかせると、ゆったり生きることができる。
 この島で暮らしてそれがわかったような気がする。


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