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2008年1月1日(火)
 食道がんがこれほど致命的なものとは、まったく知らなかった。
 食道にがんが発生したら、切り取る。でも、がんの部分だけを切るわけではない。食道全部を切り取る。全摘手術。
 結果、生体へのダメージが非常に大きな手術になる。しかも手術中に死亡する確率が数パーセントという、現在では考えにくいほど危険な手術らしいのだ。

  ◆ガン病棟からの脱出
 食道がんと告知されたオミノ アツシ氏が、闘病の実態をつづったホームページ。
 これほど真剣に読んだネットの文章は、はじめてだった。そして、多くのことを学び、勇気づけられ、自分もがんに勝ってやる、という強い気持ちを持つことができた。
(注:オミノ氏のホームページは、今は接続できない。サーバー使用の契約終了のためのようだが、まことに残念なことだ)






◆生存率
 がんという病気には、特有のワードがいくつかある。そのなかでもっとも重要なのが、この生存率、正確には「5年生存率」だろう。
 がんは、最初の手術(治療)が成功しても、治ったことにはならない。多くの人が勘違いするのはここだ。
 手術成功→治った!
 そう思いたいのはよくわかる。だが、手術でがんがなくなってから、5年間、転移・再発がなければ、はじめて治ったといえる。
 逆に言えば、最初の手術が成功しても、転移・再発し、5年以内に亡くなる人が相当数いる、ということだ。


 食道がん体験者が書いた「ガン病棟からの脱出」を読んで、愕然とした。なぜ、たいしたことはないと楽観していたのか! わたしも、そしてカミさんも……。ああ、無知ほどこわいものはない。

 午前5時10分。ネットの情報をプリンタがー吐き出している。大晦日から元旦にかけ、8時間近く、パソコン画面を読んでいた。いや、読んで要点をメモなんてダメだ。すべてプリントしなくちゃ。プリントして、徹底的に分析・検討するべきだ!

 07年最後の夜は、朝までネット情報を夢中で読むことになってしまった。 自分の体内にできているガンの正体を知るにつれ、体が震えだすような衝撃に襲われる。みぞおちのあたりが締めつけられる。

 膨大なデータを読んでいて、手術ではなく(ダメージが大きすぎる)、放射線化学療法がよさそうな感触を得た。生存率はほぼ同じだそうだ。
 放射線化学療法とは?

 朝6時に寝床に入るが眠れない。

 新しい年――08年。10時前に長男や孫たちが来る。がんのことは、まだカミさんにしか話していない。いつもどおりに……。

1月3日(木)
 元旦、2日と、頼まれていた仕事を片づける。仕事にかこつけ、ひとり部屋にこもる。子供や孫たちが集まった正月の華やかな気分は、今のわたしにはとても耐えられない。役者にはなれないなあ。

 夜、アマゾンで購入した本を読む。
 『がん患者学』(柳原和子/中公文庫 T・UV)。『いちばん新しい食道がんの本』(幕内博康/二見書房)。

 がん告知より6日目。食道がんの恐ろしさを知ってから4日目。知れば知るほど、がんへの恐怖がふくらんでくる。そんながんとの闘い――闘って、撃退できれば万々歳だが、現状維持でもいいと痛切に思う。
 相手はあまりにも強すぎる。勝ち目があるとはとうてい思えない。だったら現状維持。だって、体のどこも悪くない。それが今の実感なのだから。あえて無謀な闘いを挑むことはない……。

 

1月4日(金)
 仕事先のG社に行く。M氏が出てきていた。頼まれていた仕事を渡したあと、事情を話し、翌月から先の仕事を断る。
 帰り、立ち食い寿司で遅い昼飯。

 夜、『がん患者学』を読みつぐ。
 著者の考え方はよくわかる。医者にまかせきるのではなく、自分が主体となってがんを治すこと。そのとおりだと思う。正面からがんと闘う姿勢に勇気をもらった。これから、著者の柳原和子氏を、がん治療の師匠と仰ぐことにしよう。

 読書のあと、日課になったネットでの情報検索。放射線治療を第一候補にしたい。森久保先生に紹介された消化器外科はパスしよう。
 新たに放射線治療の病院さがし。とにかく時間がかかる。命をあずけるのだから、妥協は許されない。ネット上で病院をさがしていると、まるで迷路を歩いているかのような状況になる。疲れた……。

‡1月5日(土)
 
◆東病院
 1992年、旧国立柏病院と旧国立療養所松戸病院が統廃合され、柏キャンパスに東病院として開設される。これにともない、築地キャンパスの病院は中央病院となる。
 東病院は、主に肺がん、肝がんを中心とする難治がんの診断・治療・研究と、終末期がん患者に対する緩和ケアを扱う。1997年には陽子線治療棟が完成し、世界で二番目となる臨床専用の陽子線治療装置が設置された。
 今朝もネットで病院さがし。これだ、というところはない。それなら、「ガン病棟からの脱出」に登場する、国立がんセンター東病院に決めてもいいのでは?
 国立がんセンターの中央病院は、受診予約が4週間、5週間待ちの状況。とてもそんなに待ってはいられない。しかし、放射線治療を主体に設立された分院の東病院は、予約が取りやすいようだ。
 カミさんが聞いてくれた都立の病院も候補になる。もう少し考え、最終結論は明日にしよう。

‡1月6日(日)
 今日で正月休みも終わり。明日から本格的にがんとつき合う日々が始まる。遅めの昼食は「鳥山」。多摩の峠の中にあった。
 夕刻、ヤマダ電機などで買い物。すっかり日が落ちてから帰宅。

 






 夜、カミさんとの話で少しむっとする。病院を決めるのに際し、わたしは手術はしたくないと言っているのに、手術でとってしまえば安心――という、まさに外科主導の日本医療の典型的な発言(わたしにいわせれば暴言)をするんだもの。
 いやしくも医療に従事する者として、そんな無責任な言葉を吐いてもいいのか。手術なら大丈夫という根拠は、いったいどこにあるんだ。カチンときた。口論。

 がんを切って治す、がんを放射線で治す、どちらがより長く生きられるのか、ぜひとも知りたい。

 情報が少ない。結論を出せない。必要な情報をカミさんの知り合いの医療関係者に聞いてもらうことにする。以下はそのリスト。
●食道がんに関して知りたいこと
*本人の希望→手術はしたくない。放射線治療を望んでいる。
*その場合、国立がんセンター東病院を第一候補に考えている。
*東病院の評価は?
*東病院のほかに、放射線治療で評判のいい病院はないか?
*放射線治療というものの評価は?(食道がんの場合、5年生存率は外科手術と同じぐらいと聞いているが)
*化学治療(抗ガン剤)併用はやむを得ないのか?
*放射線治療とは別に、外科治療の所見も聞きたい。候補として考えている都立駒込病院と都立墨東病院の特徴は?(特徴によってどちらかを選びたい)
*ほかに消化器外科では、虎ノ門病院、東京医科歯科大学病院の評価が高そうだが?
*手術、放射線、抗ガン剤のほかに、新しい治療法はないのか?

 寝る前にデザイナーのTさんにメールを送る。事情を説明し、当分の間は仕事ができなくなることを報告する。

‡1月7日(月)
 幕の内も明けた。戦闘開始。朝、8時30分、国立がんセンター東病院へ電話。予約がとれた。初診は9日午後1時30分、明後日だ。
 よし、もう迷わない。こんなに早く予約がとれたのだから、放射線治療にするときは、この病院に決めよう。
  ◆高血圧
 血圧は、上が140〜150、下が90〜100で、プロブレス8mgとコニール4mgを飲んでいる。飲み始めて4年たっている。
 総合窓口2番。高血圧の薬のデータが必要。担当医には著作の『防ぐ、治す 食道ガンの最新治療』を読んだ大津敦先生を指名した。

 森久保クリニックへFAX。紹介状の宛名変更を依頼する。開院したころに電話すると、書いておくので明日取りにきてほしいと言われる。えっ、宛名を変えるだけなのに?

 




 何事にもジリジリ焦っている気持ちが、些細なことでいっそうあおられる。カミさんに話したら、封筒の上書きだけではなく、中の書類にも宛名があるから、結局、全部つくりなおしらしい。封筒の宛名だけ変えて一丁あがりとはいかないようだ。……アセルナ。むずかしいが、焦るな。

 外科手術の候補は都立駒込病院にする。医師を指名した紹介状でなければ、予約不要とのこと。森久保クリニックに紹介状を依頼する。

 仕事先のT編集長から紹介された漢方のH薬局に電話。午後1時から3時ごろなら都合がいいとのこと。明日行くことにした。がんに効くというもので、やれるものはすべてやっておきたい。

‡1月8日(火)
 G社に電話。仕事はかなり片づいた。
 午後、H薬局で漢方を処方してもらう。柴胡加竜骨牡蛎湯(さいこかりゅうこつぼれいとう) 合(ごう) 六味丸(ろくみがん)。一日一包、2週間分。8800円。
 漢方は初体験で、期待をかけていた。だが、がんに効く漢方はないとのことだ。考えてみれば、がんの特効薬なんか、この世のどこをさがしたってありはしない。もし、あるという人がいれば、それはインチキに決まっている。
 切羽詰まると、そんな常識もすっとんでしまう。藁にもすがるとはこのことか。H先生にさとされ、まずは弱った体を補強する漢方から始めることにした。

 帰り道、森久保クリニック。紹介状2通を受け取る。菓子折持参。高幡不動より歩いて帰宅。いつになく疲れる。

‡1月9日(水)
 





 午後1時30分、国立がんセンター東病院で初診を受ける。担当の大津敦先生は温和で真面目そうなドクター。
 これまでの経過を聞かれたあと、首のまわりのリンパを触診。診察はそれだけで、あとは検査予定。17日→内視鏡、23日→CT、28日→X線。そして、23日のCT検査後、病状の説明とのこと。死刑判決となるか、それとも……。カミさんも同席したほうがいいようだ。
 大津先生、ほんとうによろしくお願いします。

◆国立がんセンター東病院。

 






 東病院はそれほど大きくはなかった。わりと地味な印象。診察をすませて会計を終え、バスの待ち時間があったので、病院の裏手を散策。緩和ケア病棟があった。芝生と花畑が広がるいいところだ。
 病棟は平屋建ての個室で、明るくて雰囲気はいい。だが、そこには決して入りたくない。いや、絶対に入らない!

 バスで柏の葉キャンパス学園駅へ。まだ3時。駅前のららポートに入ってみた。屋上に箱植えの農園があった。ベンチに腰掛けてぼんやり過ごす。
 
 夜、久しぶりに体重を測った。59キロ台。ぎょっとする。これまで67〜68キロはあったのに。あわててもう一度測定。60.1キロ。ダイエットの成果? いや、そうではあるまい。がんの影響……!?

‡1月10日(木)
  ◆郭林新気功(かくりんしんきこう)
 中国画の画家としてまた指導者として活躍していた郭林女史が、40歳のときにかかった進行がんを克服するために自ら編みだした気功法。中国では、がん克服の気功として30数年の実績を持ち、高い評価を確立している(ホームページより抜粋)。 
郭林新気功協会


◆セカンドオピニオン
 がんを治すのは医者ではなく自分、と決めたときに、すべてを医者にゆだねるのではなく、可能な限り自分の足で情報を集め、判断の材料にしようと思った。極端なことを言えば、医者を信用するな、ということ。
 というのも、現代医学は、まだがんを治すことができないからだ。最新の治療法といえども、試行錯誤の段階にある。医者自身が迷っている。
 そんな現状では、ひとりの医者の意見だけにすがるのは危険すぎる。素人のわたしにできるのは、複数の医者の意見を聞き、より合理的と思える方法を選択することだ。


 朝、郭林新気功(かくりんしんきこう)協会にメール。15日の教室に参加させていただきたいとお願いする。郭林新気功は、別名がん気功ともいわれているものだ。柳原師匠の『がん患者学』で知った。とにかく、やるべき手はすべて打つ。気功もそのひとつだ。

 9時、都立駒込病院へ。10時30分着。今日が初診だ。
 駒込病院は、外科手術の所見を聞くための受診。わたしとしてはセカンドオピニオンのつもりだ。
 初診の手続き後、2階へ。待合所には人の群れ。年始からの病院巡りで少しは慣れたが、病気の人のなんと多いことか。

 11時30分、出江洋介医師の診察。経過説明。森久保クリニックでもらってきた胃カメラの画像を提出。上半身裸になってベッドに仰向けになり、触診と目視。その後、検査のスケジュールを決めていく。
 がんセンター東病院の予定とだぶらないよう、日程を調整。16日→内視鏡、21日→造影X線、2月4日→CT、6日→最終診断。 がんセンターは23日が最終診断だから、かなり間があいてしまう。

 持参した胃カメラの写真から判明したこと。
 わたしの食道下部(胃との境目)は締まりがない。そのため、胃酸が逆流して食道に入り込みやすく、がんの誘因となった可能性もある。
 これは、初めて聞く所見だった。胃カメラ写真を預ける。

 





 5時過ぎに帰宅。疲れた。
 週末に行く温泉宿を決める。網代の大成館。空室があったのでネットで申し込んだら、その部屋は手違いで満室だという。結局、空いていたのは一泊3万2000円の部屋。高い。でも、ここで英気を養っておかないと、体がもちそうにもない。申し込む。

‡1月11日(金)
 





 終日、資料本を読む。『私のがん養生ごはん』(柳原和子/主婦と生活社)、『安心できるがん治療法』(近藤誠/講談社+α文庫)、『抗がん剤のやめ方始め方』(近藤誠/三省堂)。

 T編集長から電話。能力者を紹介される。

‡1月12日(土)
 一泊で伊豆の網代温泉。こんな機会でもないと、露天風呂付の部屋など高くて泊まれない。お金は生きているうちに使わなくちゃ。雨だったが、それもまたよし。ビールだけは余計だった。たった1本なのに、なぜか苦しい。今までにないことだ。

‡1月14日(月)
 成人式。街でちらほら振り袖姿を見かける。
 部屋の片づけ。たまっていた本を段ボールに詰め、物置へ。すっきりした。しまった本を紐解くことがあるやなしや。

‡1月15日(火)
 

◆早稲田奉仕園の建物。郭林新気功の教室は奉仕園のフロアを借りて行われていた。

 午前中、仕事でG社へ。
 午後は、西早稲田の早稲田奉仕園、郭林新気功の教室へ行く。初めてだったが、飛び入りで気功教室へ参加。歩行と呼吸を同調させる「風呼吸自然行功」をならう。

 「吸って、吸って、吐いて」「吸って、吸って、吐いて」……。
 代表の萬田靖武氏の声に合わせて呼吸しながら、ゆっくり歩く。右足を踏みだすときが「吸って、吸って」、左足が「吐いて」のリズム。歩行に合わせて両手を左右に振る。20分歩いたら、足の出し方を逆にして20分。合計40分の歩く気功法。
 呼吸はけっこう速い。ただし、強く呼吸しては危険とのこと。風呼吸は危険な呼吸法なので、慎重にやってほしいと念をおされる。
 ちなみに、初心者には「吸って、吸って、吐いて」のかけ声だが、上級者になると「シ、シ、フー」という中国式のかけ声になる。ひとりでやるときは、もちろん心の中で唱える。

 その後、別室で個人オリエンテーション。郭林女史の子宮がん体験から生まれたいきさつ、理論、注意など、マンツーマンの講義。

 明日から1セットがんばります、と言うと、1セットじゃ少ないと言われてしまう。時間がとれるだろうか。
 40分の本功、その前後に各5分の予備功と収功、そして最後に20分の休息(気化)。これが1セット=1時間10分(実際にやってみると1時間半は必要のようだ)。これを一日に2セット、3セットやれるのか?

 ところが、それを実践している人たちがいた。気功教室の指導員たちだ。彼らは郭林新気功でがんを治し、その後、5年、10年と生き延びていると言う。それは、日に2セット、3セットやる気功のおかげ。まさに生きる見本。励まされた。

‡1月16日(水)
 11時、駒込病院で内視鏡検査。喉の部分も診るので、軽い麻酔をかけるとのこと。点滴で睡眠剤を入れられ、ウトウトしているうちに、いつの間にか検査が終わっていた。
 途中、2、3回、起きなくちゃと思い、動いたようだ。今、大事なところなので動かないで、という声が聞こえたことだけは覚えている。

 お昼は病院の食堂ですませる。うどん+小鉢+冷やっこ。
 3時過ぎに帰宅。ネットで七生丘陵の地図を調べ、自宅の裏山から高幡団地に抜ける林道を見つける。さっそく、ならったばかりの郭林新気功で林の中を歩く。
 料理用タイマーをポケットに入れて時間をはかる。

 



 夜、能力者のF子さんと連絡がつく。24日には東京・国立にいるとのことで、午後1時に会いにいくことにした。

 入院・治療まで、できる限り体力増強に努めること。それが免疫機構の強化にもつながる。
 『癌の生態学』(佐藤博/ブルーバックス)を読む。

‡1月17日(木)
 10時30分、国立がんセンター東病院で内視鏡検査。今まででいちばん長く感じた。けっこう辛い。我慢できなくはないが、後半、しゃっくりが出て困った。

 先生は二人いて、ぼそぼそと交わす会話が気になる。話の雰囲気では、ひと目でがんとわかるほどではない?

 ヨードをかけて検査する。胸が焼けつくような気分。胸焼けのひどいものといった感じだ。食道だけではなく胃のほうまで調べ、最後に中和剤をかけた。

 終わってから、別室のベッドで1時間横になる。同じようにベッドに寝ているのは60〜70代の人ばかりだ。ご同輩、お互い、これからですな。

 寝過ごして12時15分、会計。今日はつくばエクスプレスで帰る。秋葉原でヨドバシカメラに寄り、モバイルPCをみる。どれにするか、いまいち決めかねる。

 帰宅後、郭林新気功1時間半。「シ、シ、フー」のタイミングが、まだうまくつかめない。風呼吸が終わったあと、部屋を暗くして休息。これが気持ちいい。

‡1月18日(金)
 10時、日野市の「農の学校」の開校式。市長以下、来賓、関係者の数のほうが、受講生15名より多い。市長が力をいれているようだ。
 開校式のあと、受講の説明、農場などの見学。帰りにワークマンで地下足袋などを買いそろえる。

 がんとの闘病がひかえているので、やめようかどうしようか迷った。でも、引退したら百姓をやって自給自足で暮らしたい、という夢を捨てきれない。先のことはわからないが、やれるだけやってみるか。そんな思いで、受講することにした。

 帰宅後、郭林新気功。終わりの10分、眠くてふらふら。
 このところ、時々頭痛がする。何かの徴候か?

‡1月19日(土)
 『ガンから二度の生還』(真田是/かもがわ出版)を読む。
 「自分のいまの状態はどういうところにあるのか」
 「その日その日の体調の好不調はなぜか」
 「眠れたときと眠りが少なかったときの違いはなにによるか」
 「どんな日課の時にどうなるのか」
 「どんな食事をとった時にどうなるのか」
 などといった項目が、とても気になる。今までまったく無関心で暮らしてきたが、こういった小さな気づきがとても大切なんだ、とわかった。

 朝、郭林新気功1時間半、昼1時間半。夕方もやるつもりだったが、いろいろとやることが多く、時間がない。気持ちが焦る。あまりいい傾向ではない。もっとゆったりかまえること。
 優先順位をつけ、明日でいいことは明日に。

 


‡1月21日(月)
 午前中、駒込病院で造影レントゲン。鼻から挿入したチューブで、バリウムを少しずつ流し、撮影。お腹は張ってくるし、苦しいといえば苦しかった。

 帰りに、漢方のH薬局(新処方)、ヨドバシカメラとまわり、暗くなって帰宅。疲れて郭林新気功どころではない。カミさんは仕事で遅くなると言っていたので、風呂をわかして入り、ひとりで夕食。

‡1月22日(火)
 午前中はG社で残っていた仕事をする。
 午後、郭林新気功の教室へ。毎週火曜日に開かれている。今日は初功の講義と実践。女性ふたりがお仲間。右隣に座った女性は、子宮がんが肝臓と脳へ転移。脳のがんはガンマナイフで消去したという。抗がん剤の治療中。右手首に点滴用の管をつけていた。

 彼女は、代替療法もいろいろやっているみたいだ。玄米菜食や温熱療法。ただし、萬田代表より、肉や魚を拒否する玄米菜食はダメとさとされた。たしかに体力が勝負の闘いの最中に、タンパク質や脂肪を拒否するのは合理的ではない。漢方のH先生もいうように、要はバランス。偏りすぎていいことはあまりないだろう。

 柳原師匠が実践した仙人のような暮らしも、それを徹底しすぎると栄養失調になってしまう。俗世間を離れるのはストレスを避けるため、玄米菜食にするのは人工的な食べ物を避けるため、山の中を歩きまわるのは健康のため――であり、決して仙人のような世捨て人になるためではない。それでは病気も治らない。

 3年、そして5年、10年と生き延びるためには、これまでの生活でがんの原因になったものを、避ける、改める、捨てる。ただし、極端にならないこと。バランスを忘れるな。

‡1月23日(水)
 国立がんセンター東病院。10時45分からCT検査。ちらりと見えた治療票に「食道癌」の文字が。うっと胸がつまる。これがまさに現実!

 「息を吸って、止めて」を2回。その後、造影剤を注入。体がカッと熱くなる。体のまわりをドラムが回転しはじめ、同じく「息を吸って、止めて」を2回で、CT検査終了。ものの5分ほど。11時には終わる。

 11時30分の大津先生の診断は、1時間遅れで、12時30分に呼ばれて診察室に入る。いよいよ検査結果の説明だ。カミさんと二人、神妙に椅子に座る。

  ◆ステージ
 がんの病期は、ステージ0〜Wまでの5段階に分かれる。0とTが早期のがん、それ以降は進行がんと分類するのが一般的だ。当然のことながらステージが進むほど治癒はむずかしくなる。


◆内視鏡治療
 ステージが0期(状態によってはT期も)の場合は、がんが粘膜にとどまって転移もないとされるので、内視鏡による粘膜切除(内視鏡的粘膜切除術)でがんを取り除くことができる。2、3日の入院ですむ治療法であり、これに期待をかけていたのだが……。




◆再発
 この場合の再発は、食道に再びがんができることをいう。局所再発といい、別の臓器に転移・再発するものと区別している。
 局所再発の場合は、救済治療として内視鏡的切除を行う。それができなくて、食道全摘の手術となると危険性がかなり高くなる。

 「食道がんのステージTです」――よかった! 本当に初期だ!
 「ただ、先ほどのCT検査の画像を見ると、リンパ節転移の可能性があり、もしそうなら、ステージはUになります」――ガーン!
 微妙なところだそうだ。さらに検査が必要だと言う。ステージTなら内視鏡治療もあり、と期待していたが、それはあきらめたほうがよさそうだ。

 大津先生の説明が続く。
 がんの根治を目的にした治療法は、手術と放射線のふたつ。抗がん剤は補助的治療(これで完治するがんは非常に少ない)。
 食道がんの場合、手術と放射線という選択肢があり、それぞれにメリット、デメリットがある。

*手術のメリット(→放射線のデメリット)
・確実性がある。
 がんの部位、さらに転移が考えられるまわりのリンパ節など、すべて切り取ってしまうのだから、100パーセントの確率でがんが消失する。
 これに対し、ステージTの放射線化学療法でのがん消失は90パーセント。しかも、そのうちの20〜30パーセントが再発する。手術に比べ、確実性はかなり低い印象を受ける。

・実績がある。
 がん=手術という時代が続き、高度な医療技術が開発されてきた。後発の放射線療法が遅れをとるのは当然。実績ではたちうちできない。

 













*手術のデメリット(→放射線のメリット)
・体の負担が大きい。
 食道がんの手術は、食道を全摘し、胃を整形して喉まで吊り上げて接合――という大手術になる。手術中はもちろん、手術後も体の負担を覚悟しなければならない。
 一方、放射線は食道を温存でき、副作用はあるものの、体への負担は手術に比べて軽いといえる。

 うーん。むずかしい。どう判断すればいいのか。確実性という点ではやはり手術のほうがいいのかも……。
 
 「放射線の場合、手術にはないデメリットとして、晩期毒性というものがあります」
 と大津先生は言う。
 これは、晩期という名前のとおり、治療が終わってかなりたってから出てくる副作用で、胸水、心嚢水、あるいは、たちの悪い肺炎といったものがあるという。

 まいった。手術に比べ、放射線はかなり分が悪そうだ。

 「双方のメリット、デメリットの主なものはそんなところでしょうか。で、最後に5年生存率についてですが、放射線化学療法は、ステージTが70パーセント、ステージUなら50パーセント。一方、手術はやや高くて、ステージTが70〜80パーセント、ステージUが60パーセントです」

 おおざっぱにみて、手術のほうが10パーセントぐらい完治する確率が高いようだ。とはいえ、体への負担、治療後のQOLは、放射線が勝っているように思える。さて、どちらを選んだものか。

 放射線化学療法か外科手術か、選択肢は示された。だが、速断はできない。リンパ節転移を確認するため、PETと超音波内視鏡の検査を予約。検査後、改めて結論を出すことになる。

 
◆扁平上皮がん
 日本人では、食道がんのうち90パーセント以上が、この扁平上皮がんだという。もうひとつは腺がんといわれるものだが、これは欧米人に多いそうだ。







◆食道の全周
 食道のような管状の場所では、がんが内壁をぐるりと覆ってしまうことがある。これを全周性のがんという。こうなると、内視鏡による粘膜切除はできない。というのも、全周の粘膜を取ると、食道が癒着する可能性があるからだという。
 いずれにしても、わたしのがんは、内視鏡では治療できないほど進んでいたのだ。


 内視鏡の画像を見せてもらう。
 わたしの食道がんの正式な診断名は「扁平上皮がん」だ。画像を見て、その名前に納得。がんというと、腫瘍、つまり出っ張ったものを思い浮かべてきた。だが、わたしのがんは扁平――平べったいのだ。

 扁平上皮がんは、素人が(場合によってはプロも)、目で見ただけではまったくわからない。きれいなピンク色をした粘膜が見えるだけだ。そこで、ヨードをふきかける。すると、正常な細胞はヨードに反応してどす黒く変色。一方、がん細胞はまったく変色しない。

 画像で見ると、ヨードで変色した正常部分と変色しないがん部分という形で、はっきりわかる。長さは10センチあるとのこと。一部、食道の全周に及ぶ。その広がりの大きさに衝撃を受けた。

 わたしが思っていたがんのイメージとはまったく違った。扁平という意味は、文字どおり平面なのだ。上皮にできた平面のがん。腫瘍のような盛り上がりではない。正しいイメージがようやくわかった。

 初めて目にしたがんに打ちのめされ、意気消沈して帰宅。

 夜。布団に入っても眠れない。考えまいとしてもどうしても映像が浮かぶ。あの白っぽいピンク色の食道表面に意識が飛んでしまう。
 眠れそうにないので、午前2時過ぎに起きだし、仕事を片づける。5時前に終わり、再び布団に入る。

 9時すぎに起き、明後日の予定だった駒込病院のCT検査をキャンセル。もはやがんの診断は確定した。この目でもしっかり確認した。これ以上、検査をしても無意味だ。

‡1月24日(木)
  ◆能力者
 医学的な治療に頼らず、難病を治す――という奇跡譚は、世界のどこにでもある。わたしは、そうした話は眉つばものと考えるタイプだ。
 祈祷をしたり、手かざしでパワーを送ったり、それで病気が治るなら、人類数千年の歴史の過程で、医学など生まれてくる余地がない。むしろ、病気を治すことができる能力者の養成をこそ、制度として推し進めてきたはずだ。
 だが、歴史はそうはならなかった。能力者なんか養成できるわけがないからだ。
 では、眉つばと否定するのに、なぜ、能力者のもとに出向いたのか。
 それを明確に説明するのはむずかしい。なんとなく、そうなってしまった、のだ。
 期待や確信があって訪ねたのでもなく、好奇心というわけでもない。
 強いていえば、現代医学に期待するところは大だが、闘うべき敵は現代医学でもかなわない相手だ。となれば、医学以外の手段で、効果があるといわれるものを試してみるのもありかな、という気持ちがあったからだ。ダメモトぐらいの軽い気持ちだけど。


◆音霊(おとだま)
 日本では古くから、言葉には霊的な力が宿るという思想があった。言魂(ことだま)あるいは言霊((ことだま)といい、森羅万象がそれによって成り立つとされる。音霊も同じ範疇に属する霊学のようだ。



 午後1時。能力者のF子氏に面談。何も話さないうちから、食道がんであることを見抜かれる。食道の右側に、ほかとは周波数の違う部分があるとのこと。病状としては軽い部類らしい。

 彼女が行うのは「ボディ・ライトニング」というもの。これは、身体の外側を包むように存在するオーラ(気)の体があり、その不具合を正すことで、肉体もよくなる、という理論らしい。

 ボディ・ライトニングの施術。最初はうつぶせで専用ベッドに横たわる。足指を軽くマッサージ。それから、いわゆる「音霊(おとだま)」によるオーラの調整が行われる。どうやらそれが、ボディ・ライトニングの本領のようだ。

 次に仰向けになり、顔に化粧パックのようなものをマスキングされる。ひんやりと心地よい。部屋が暖かく、体もポカポカだし、昨夜の寝不足もあり、眠ってしまいそう。さらに音霊――高音、低音が入り混じった発声は、なかなか年季の入ったものだった。

 料金は、リーディング7000円、ボディ・ライトニング5000円。計1万2000円。それだけはらって、効果は? うーん、まだわからないな。次回からはボディ・ライトニングだけでいいとのこと。
 これは、いわゆる「病気治し」の施術ではなく、本人の自己免疫力を高め、自分で内側の「原因」に気づくシステムだという。治癒者はほかならぬ自分自身――という考え方はいい。
 しばらくの間、月1回、やってみることにした。

‡1月25日(金)
 残務整理でG社へ。
 ビタミンCとEを購入。明日から飲み始める。食前は漢方、食後はビタミンCとE。さらに気功法(これは毎日、まじめにやっている)。
 がんに効き目があれば、なんでもやるつもりだ。ただし、ひとつだけ条件を設けた。人がなんと言おうと、自分の頭で考え、自分が納得したものだけを実践する、と。

‡1月26日(土)
 


 午前中、日記整理。
 午後、日野市民会館で「第4回都市農業シンポジウム」。講師の千賀祐太朗氏の講演、パネルディスカッションは大いに参考になった。
 農家代表の石坂昌子氏や消費者代表の吉田克美氏の地道な実践には頭が下がる。また、岩澤泰宏氏の民家に囲まれた農業が、いかに周囲に気兼ね・配慮しながら作業をしているか、いじらしいほどの努力にも心が痛む。農薬を使わなければ作物はできない、その現状にも。

 5時過ぎに終了。テニススクールに直行。
 コートは普段と変わらない。コーチの声が響き、生徒が走りまわっている。球出しのボールを打つ。走る。また打つ。失敗して笑う。
 体を動かしていると、汗が吹き出てくる。タイミングがピタリと合って、ボールがいい感触で飛んでいく。ちゃんと動ける。何も変わっていない。これでも、がんが肉体を蝕んでいるのか?

‡1月27日(日)
 昨日の夜は長男の誕生会だった。長男の家族、次男、長女が集まった。診断も下ったことだし、いい機会だ。ゆうべは切りだせなかったが、朝、みんなにがんのことを話す。
 それぞれにショックはあったのだろうが、まあ、平穏に受けとめてくれてよかった。

 郭林新気功を朝昼夕と、初めて3セットやった。合計すると4〜5時間かかる。気功だけで一日が終わる感じ。

 夜、『わたし、ガンです ある精神科医の耐病記』(頼藤和寛/文春新書)を読む。
 著者は52歳で直腸ガン。切除手術。抗ガン剤による治療。完治ではない状態のようだ。

 印象深いのは、手術によるダメージ、抗ガン剤によるダメージがあまりにも大きく、はたしてそれらは必要なのかという問いかけだ。そして、そもそもガンとは何か、どんなに小さい段階で見つかっても人を死に追いやるガンもあれば、逆にかなりの大きさになりながら良くも悪くもならないガンもある。
 ガンには2種類ある。ガンとガンもどきである、と指摘した近藤誠医師の説に、著者も賛成のようだ。
 医者も人、患者も人。聖人も悪人もいる、という、距離を置いた見方にウムとうなずいてしまう。

 


‡1月28日(月)
 早朝5時50分、家を出発。8時に国立がんセンター東病院着。一番のりだったので、8時30分には呼び入れられ、食道の造影X線検査。バリウムを自分で飲む旧来のやり方。駒込病院では、鼻から管を入れ、撮影者がバリウムを流し込む方式だった。それに比べ、遅れていると感じた。

 9時過ぎには検査終了。
 秋葉原経由で帰宅。途中、お茶の水でグランドコートを購入。気功法をやるときの寒さ対策だ。

‡1月29日(火)
  ◆PET検査
 PETは「Positron Emission Tomography」の略で、「陽電子放射断層撮影」という意味。がん細胞が正常細胞に比べて3〜8倍ものブドウ糖を取り込む性質を利用し、ブドウ糖(に近い成分)を体内に注射、全身をPETで撮影する。すると、がん細胞にはブドウ糖が多く集まり、画像上に明るい光点として写しだされる。

 今日も東病院。11時からPET検査。これは最新式の検査機器ということだ。少し待たされる。予定より1時間ほど遅れて終了。検査そのものは「息を吸って、吐いて、止めて」を計4回繰り返して終わり。その間、かなり長く寝かされたままだったが。

 夜、駒込病院の出江先生から電話。内視鏡(腹腔鏡、胸腔鏡だと思われる)による手術をすすめられる。
 これは体へのダメージが少なく、わたし程度の食道がんなら十分に治る、とのこと。ぜひ、再検討を、とのことだった。
 この時点では、放射線治療に心が傾いていたのだが、ダメージが少ない新技術だというし、キャンセルしたCT検査を来週月曜に、そして水曜に最終的な相談をすることにした。

‡1月30日(水)
 

 国立がんセンター東病院。12時30分から、PET検査の結果をもとに大津先生の再診断。2時間以上も待たされ、ようやくお呼びがかかる。
 やはり、リンパ節転移があった。したがってステージはUにアップ。事態は悪いほうへシフトした……。

 外科の意見も聞いたほうがいいでしょう、と食道外科の西村光世先生の部屋を教えられる。

 術式はやはりおおがかり。合併症は肺炎、縫合不全、出血(輸血が必要な場合も)、痛み、かすれ声、食事能力の低下など。
 治癒率(5年生存率)は30パーセント。

 低すぎる! 大津先生の見解とは、かなりの違いがある。これでは、手術という選択はできない!

 出江先生推薦の腔鏡手術には批判的。開腹・開胸手術に比べ、不完全との認識のようだ(リンパ節廓清など)。
 また、体へのダメージが少ないというが、手術内容(食道全摘など)は同じなので、侵食程度にそれほどの開きはない。体にやさしい、というほどのものでもないと思っている、とのこと。

 どうやら従来型の手術を堅持する立場のようだが、なるほど、一理ある。腔鏡にしろ開腹にしろ、食道を全摘して胃(あるいは腸)の一部を食道のかわりにする――この手術内容に変わりはない。
 変わるのは、腹と胸を大きく切り開くか、小さな穴を何個かあけるだけか、その違い。それをどう評価するかだ。
  ◆腔鏡手術と従来の手術の評価
 医学の進歩という流れでいえば、これから先は腔鏡手術の時代になるのは間違いない。お腹を20センチ、30センチと切り開くのと、小さな穴を数個あけるのでは、ダメージの違いは明確だ。
 ただ、現状でどうかというと、モニターに写る画像を介し、リモコンでメスを操る手術と、じかに目で見、手でさわる手術では、内容がむずかしくなればなるほど、後者のほうがまだ有利なような気がする。腔鏡手術が通常の手術にとってかわるには、もう少し時間が必要なのではないか。
 これは、あくまでも素人考えだが。


◆内服の抗がん剤
 内服だから、入院の必要がなく、自宅でも抗がん剤治療ができる。その利便性から、増える傾向にあるようだ。


 外科の意見を聞いたあと、再度、大津先生との相談。
 放射線化学療法のスケジュールは本で読んだとおりだった。
・放射線→1日1回1・8グレイ×28回(放射線総量50・4グレイ)。通院による治療で入院の必要はない。
・抗がん剤→連続4日を4回(中3週間あき)。入院治療。
 ただし、抗がん剤は標準的な「5-FU+シスプラチン」ではなく、「TS-1+シスプラチン」にしたい。つまり、5-FUのかわりにTS-1を使いたいとのこと。
 TS-1は胃がんや頭頚部がんではよく使われる内服の抗がん剤。食道がんでは未承認で、承認に向けて臨床試験をしたいということだ。
 この件については即答は避け、金曜日の検査のあとに返事をすることにした。

 TS-1を調べてみた。これは「経口抗がん剤で……体内に吸収されたあと、最終的には5FUになって働きます」(『抗がん剤のやめ方始め方』)というものだった。
 TS-1の実体は5-FUじゃないか。静脈点滴の5-FUに変えてTS-1=経口5-FUを使う目的は、5-FUを経口タイプにしたら食道がんにどのぐらい効くか、それを調べるということにほかならない。
 治験の意義は理解している。だが、自分の体で試されるとなると、引き受けましょう、とはいいにくい。どうしてもためらいがある。だって、効果がわかっていないんだもの……。断ることにするかな。

‡1月31日(木)
 










 今日で1月も終わり。告知から1か月。まだ治療は始まらない。初期だから焦らなくてもいい、と大津先生は何かにつけて言うが、しかし、この瞬間にもがんは増殖している……。
 早く治療に入りたい。その気持ちがつのる。いつまで迷っていてもしかたがないし、気持ちは放射線に傾いている。それでいいんじゃない?

 午前中、ねこを病院へ。昨夜、何気なく抱いたら、げっそり痩せたわき腹に気づいた。どうにも気になり、仕事に行く前に動物病院へつれていったのだ。
 先生の診断は腎不全、それも重症の。限界の5倍ぐらいの数値。腎臓のほとんどが機能していない状況とのこと。即入院。
 どうして、こうも後手後手にまわるのか。もっと感覚を研ぎすませ、事に当たる必要がありはしないか。しかたがないですませないこと。

 動物病院からG社へ。ここでも不手際。結局、今日で仕事を片づけられなかった。来週の火曜日に持ち越し。

 夜は夜で、次男が財布をなくし、さがしにいってくれとの電話。ラーメン屋のトイレに忘れたらしい。こちらから行ったほうが近い店だけど、いったいどうなってるんだ、この間の悪さは。ツキから見放された?

‡2月1日(金)
 










 国立がんセンター東病院で、朝9時から超音波内視鏡。注射がうまく入らない。あれ、とか、どうして、なんでぶつぶついいながらなので、気が気じゃない。どうやら研修医のようで、先輩医師から指導を受けながら内視鏡を操作している。
 こちらはまな板の上の鯉だから、どうしようもない。こんなとき何か対処法があるのだろうか。その医者を拒否する方法は……ないな。

 10時30分から大津先生の面談。
 心を決めて、放射線でいくことを告げる。
 その後、放射線科の小野澤正勝先生の説明。ここで、新しい事実がわかった。それも驚愕の……。

 転移しているリンパ節は、食道患部の近くではなく、左鎖骨のやや上、首のリンパ節とのこと。分類に当てはめると、これは遠隔転移になる。

 なんだ、それは?

 遠隔転移とは、がんの部位から遠い臓器への転移。食道がんの場合、鎖骨を境界線にし、その上の転移は遠隔転移に分類する。

  ◆TNM分類
T→ 癌の深さ(深達度)。1〜4
N→周辺リンパ節転移。あり=1、なし=0
M→遠隔(他臓器)転移。あり=1、なし=0





 したがって、TNM分類でいえば「T1N0M1」、ステージはWになる。

 なんだって? いきなりステージW? 最終ステージじゃないか!

 驚いた。晴天の霹靂とはこのこと。ステージTの初期がん、転移していてもステージU、と思っていたのに、なんということだ。それはないよ。

 ただ、額面通りに受け取らなくてもいい、と小野澤先生は言う。医学的な分類ではそうなってしまうが、初期という状況は変わらないのだから。
 そうは言われてもなあ、わたしとしてはガックリくるよなあ……。

 放射線治療のための再検査の予定が入る。再度のCT、そして三度目の内視鏡、二度目のレントゲン。検査、検査、検査……。その間に時間はどんどん過ぎていく。まだ初期だから焦る必要はないと言いづける先生方だが、ほんとうにそうなのか? 転移もしているというのに。

‡2月2日(土)
 










 ねこの見舞い。少し元気になっていた。が、検査値は変わらないとのこと。お昼は高幡の寿司屋。帰って抗がん剤の資料本読み。
 夕方、テニス。先週で終わりと思っていたが、今週もできた。走り、汗をかき、いつもとまったく変わらない。ほんとうに病気?
 夜、久しぶりにゆっくりとテレビ。「デスノート」をみる。

‡2月3日(日)
 朝、起きたら真っ白の雪。7時過ぎに郭林新気功。雪の林道は歩きにくい。いつもの3分の2ぐらいのところで時間がくる。
 終わって、入院の資料整理など。子供たちがきて落ち着かない一日。やり残したことがたくさんあり、追われる感覚がある。それはストレスにつながる。優先順位を考え、すべてをやれなくても焦らないこと。

‡2月4日(月)
 午前中銀行。午後は3時から駒込病院でCT検査。キャンセルしてもよかったのだが、これで最後だし、まあいいか。
 駒込病院に行く途中、聖跡桜ヶ丘のかまはら本店でレントゲン写真のプリントを依頼。
 帰って郭林新気功。これであっと間に一日が終わった。

‡2月5日(火)
 国立がんセンター東病院。 朝9時から放射線科でCT検査。30代の医師に若い医師・研修医(?)3人ぐらいが担当。CTは2回測定して終了。朝いちばんで行ったので、すぐにすんだ。

 
◆放射線照射のための目印の線。アメリカでは刺青にする人もいるとか。








 その後、胸からおなかにかけ、放射線照射のために目印の線を引く。消えにくいペンを使い、書いた線の上に透明テープを貼って保護。風呂には入れるが、こすったり、また大量の汗をかくのは不可。これでとうとうテニスもダメになった。
 最後に女性の看護師さんから、放射線治療の生活上の注意を聞く。

 帰りは、秋葉原経由で早稲田へ。12時30分から郭林新気功の教室。風呼吸の行功を詳しく習う。力の抜き方、姿勢が、全然できていなかった。学ぶことが多い。修行なり。

 午後から夕方にかけてG社で最後の仕事。その最中にカミさんから緊急の電話が入る。国立がんセンター東病院から、入院の通知があったと言うのだ。なんと7日。あさってじゃないか! そんなに早いなんて、ひと言も聞いていない。準備なんかできないよ。

‡2月6日(水)
 今日は、駒込病院の最終面談。と思っていたら、さらに再検査をして結論は来週に持越し。ステージTの初期と思っていたら、リンパ節転移があり、話が変わってきた、というところだろう。軽々に判断できず、慎重な姿勢に変わった印象だ。

 再検査は断る。
 これで手術という選択肢は完全になくなった。それが吉と出るか凶となるか……わからない。
 しかし、セカンドオピニオンとしては完璧だったと思う。すべての検査を受け、手術による完治の可能性をさぐったのだから。そのうえでの決断だ。もう迷うまい……。

‡2月7日(木)
 


 入院の支度を整え、国立がんセンタ―東病院へ行く。
 予定は、午前中に内視鏡とレントゲン撮影を行い、午後に入院すると聞いていた。だが、すぐに入院し、患者として検査を受けてほしいとのこと。何かの手違いがあったのかな。

 検査が終わり、新しく担当になった布施望先生(大津先生の補助)との面談でも手違いが判明。入院したはいいけれど、明日8日から9日、10日、11日、12日と何の治療予定もなし。治療は13日からということがわかった。
 これなら、今日は検査だけで、入院は5日後でもよかったじゃないか。なんのために入院させたのか。怒り心頭。もうちょっとこちらのことを考えてくれよ……。

 あらためて、5日後に入院したい、と申しでたが、そうなると、退院→再入院となり、5日後に入院できるかどうか、わからなくなる。そう言われると、一日も早く治療を受けたいわたしとしては、従うしかない。泣く子と地頭にはかなわない。

 クレーマーを自認するわたしは、大いに吠えたいところだが、明日から11日までの4日を外泊にすることで手を打つ。本当は今日からにしたかったが、入院当日に外泊はできないと断られた。

  ◆差額ベッド代(一日当たり)
 A個室 52;500円
 B個室 31;500円
 C個室 15;750円
 さすがにAやBには手が出ない。後日、Aタイプの個室をのぞくことができたが、一流ホテル顔負けの豪華さだった。



◆インフォームド・コンセントで示された説明図。治療のベースとなる病勢はかなり厳しい。わたしが闘うべき敵は、予想をはるかに超えて強大だ。しかし、さいは投げられた。前に進むしかない。
 そんなこんなで憤懣やるかたない入院。個室なので差額ベッド代も捨て金。ホテルに泊まれる金額だよ。ただ、これに関してはもう繰り返さない。思いだすたびに血圧が上がり、キラーT細胞が阻害されるから、不運と思ってアキラメル。

 怒りにまぎれて忘れるところだったが、布施先生から重要な説明があったのだ。
 わたしのがんの問題点は転移。左鎖骨上のリンパ節転移を規定どおりに解釈すると遠隔転移になる。がん本体のステージがどうであろうと、遠隔転移があれば、すべて「ステージW」と判定されてしまう。

 ステージWの場合、放射線治療によるがん消失率30パーセント、5年生存率10〜20パーセント。これまで聞いてきた数値より格段に低い。
 生き延びる可能性が、極端に少なくなることがわかった。検査、検査で先生とじっくり話もせずにきてしまったが、入院当日、これほど明確に説明されるとは。
 これまで、頭のどこかで、初期だ、初期だ、と不安をまぎらわせてきたが、これが現実なのだ。気分がドーンと落ちこんでしまう。

 さらにもうひとつ。食道がんの範囲が、胃との境目から18センチに及ぶことが判明した。食道全体が25センチぐらいだから、70パーセント以上もがんに侵されていることになる。
 なんてこった! とどめのパンチをくらってしまった!

 事態は確実に悪い方向に向かっている。ひとつだけ救いがあるとすれば、がんの病勢だ。がんは、広がり(大きさ)だけでなく、深さも重要になるということ。つまり、立体(3次元)としてのがんで病勢を判断する。

 わたしのがんは、粘膜下層への浸潤にとどまっていた。粘膜上層→粘膜下層→筋肉層→食道外への浸潤――と進行するがんの病勢からいえば、がん自体はステージWという最終段階ではない。

 そこで、布施先生は、治療としてはステージUないしVに準じる方針だと言う。放射線治療によるがんの消失率と、5年生存率(治癒率)は次のようになる。
・ステージU→がん消失率70パーセント 5年生存率40パーセント
・ステージV→がん消失率60パーセント 5年生存率30パーセント
 これが布施先生の示す数字だ。

 落ちこんでもしかたがない。先生もステージWは考えていないと言う。わたしも覚悟を決め、闘うべき数値をはっきり決めよう。
・がん消失率70パーセント→当面のクリア目標
・5年生存率30パーセント→最終的なクリア目標

 これでどうだ。
 うん、いいだろう。目標がはっきりした。1か月間、悩みに悩んだが、ようやくすっきりした。


◆国立がんセンター東病院の816号室。ここがわたしの戦場になる。
 



 入院病棟8階の16号。それがわたしの病室だ。先生との面談を終え、病室に入ってパジャマに着替える。カミさんは帰っていった。
 部屋からの眺望はすばらしい。遠くに見えるのは筑波山か。担当看護師のTさんもいい人だ。
 9階の展望風呂に行く。ここもまた眺望がすばらしく、病院の風呂とは思えないほど。治療環境としては申し分ない。

 いざ、戦闘開始、といきたいところだが、今晩寝たら、明日は家に帰って、5日後に出直しだ。なんだかなあ〜。

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↓「3.放射線治療と抗がん剤」へつづく    ↑トップに戻る
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