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‡2008年2月12日(火)
 3時に帰院。4日間の外泊だった。
 ナースステーションで挨拶。無愛想なナース。なんだかブルーな気分になる。雨が降っているのも影響しているのか。
 長女が、仕事が休みとかで一緒にきてくれた。カウンセラーをやっているので、病院の細かいところによく気がつく。

 夕方、展望風呂に入る。ナースステーションに断るときも無愛想。まったくいやになるなあ。

 治療スケジュールがはっきりする。抗がん剤治療は、
・13日 事前点滴
・14日〜17日 抗がん剤点滴
・18日〜19日 事後点滴
 の予定だ。
 そして、放射線治療は14日から開始(これは28回続く)。すべての治療が問題なく進めば、退院は20日。まだ1週間も先の話だ。

‡2月13日(水)
 今日のスケジュール。
06:00 起床
07:15 体温や体重などのチェック
08:00 朝食
08:05 部長回診(大津・布施・研修医。食事は中断する)
09:30 点滴の針挿入(治療中はつけっぱなし)
09:45 事前点滴開始(ルート確保のための点滴)
10:40 シーツ交換、トイレ掃除
11:50 昼食
13:00 室内掃除
13:30 体温などチェック
15:15 薬剤師による使用薬の説明
15:40 放射線照射位置合わせ、レントゲン撮影
17:10 布施先生(研修医も)回診
18:00 夕食
19:00 以降、点滴チェック数回
22:00 就寝 

 

 昨夜はなかなか寝つけず、今朝は起きるのがしんどかった。夜中に1回おしっこにいったかな。
 6時に起きたが、外はまだ真っ暗。少し明るくなるまで待って、洗面。7時過ぎに体温・体重測定。ほかに、尿・便の回数、食事の量なども細かく記録する。一日の経過は上のとおり。けっこう人の出入りがある。

 テレビをつけると際限なく見てしまうので、明日からは朝7時のニュースが終わったら消すことにした。

  ◆朝食。食欲旺盛で完食した。


◆点滴用の針は腕に固定され、治療の間は刺したままになる。
 8時朝食。食べているときに大津先生の回診。布施先生や研修医、看護師も同行している。あわてて食事を中断し、ベッドの上で座りなおす。回診といっても、体調はいいし、今日は儀式のようなものだ。
 こんなに早い時間からご苦労様です。

 朝食後はのんびり休憩。
 9時30分、点滴用の針を左腕の前腕部に挿入・固定。9時45分からいよいよ点滴が始まる。この状態が24時間体制で7日間も続くのか……。

 点滴の内容などについては、詳細な一覧表が渡される。それには、13日〜19日まで、どんな薬剤が何時に投与されるのか、量はどれくらいか、細かく記載されている。
 今日の欄を見ると、10時から「ソルデム3AG(500ml)」と「ラクテック(1000ml)」が、点滴静注で24時間投与。点滴速度は62.5ml/h、ルート確保とある。

 薬剤の内容はよくわからない。看護師さんに聞くと水分だという。合計1・5リットルの水分を、24時間かけて少しずつ静脈に流すということのようだ。事前に行うルート確保とは、本番前の練習みたいなもんだな。体を慣らそうというのだろう。

 

 スタンドにぶらさがったパックから伸びた管が、点滴用の針につながれると、急に束縛感が強くなる。窓の外に広がる景色が、別の世界に見えてしまう。同じ眺望なのに、昨日とは大きく印象が違う。はたして無事に元の世界に戻れるのか。
 思考が暗く、厭世的になる。当たり前だけど。

 今日、読んだ中村天風とカリアッパ師の歩みを書いた『ヨーガに生きる』(おおいみつる/春秋社)では、暗い思考・厭世感は、無益なものだとさとす。病にとってはもちろん、生きることに対しても有害・無益であり、やめなさいと説く。

 さて、どうやって。
 ひとつのヒントは「今は生きている」ということ。今はまだ生きている、今日はとりあえず生きている、それが土台。その土台に何を築くか。
 苦しい、辛い、怖い、みぞおちがキューッとなる、心臓がドキドキして息ができない、頭がカッと熱くなる……それでも、「今は生きている」という土台に立脚して思考し、行動する。
 それができるかどうか、だな。

 病棟の廊下を使って郭林新気功をやる。といっても、点滴のスタンドを引きずりながらだから、風呼吸だけの簡易版。時間も10分に短縮。

 消灯は22時だが、個室だから気にする必要はない。だからといって、いつものように夜中まで本を読んだりするわけにもいかない。
 早めの就寝。しかし、眠れない。だいたい、左腕に針が刺さっているのだ。寝ている間に外れたり、逆に深く刺さって血管を突き破ったりしないか……。あ〜心配だ。眠れない。

‡2月14日(木)
 
◆基準体重
 抗がん剤の投与量は、基準体重をもとにして決められる。太った人と痩せた人では、投与する量が違うということを初めて知った。
 いつの間に眠ったのか、何事もなく夜が明け、起床。体温・体重チェック。体重は59・8キロ。これが治療の基準体重になる。

★10時40分、抗がん剤5-FU点滴静注開始。
 朝食がすんでひと休みすると、いよいよ抗がん剤の投与が始まった。
 今、血液の流れに乗って、抗がん剤5-FUが体の中を巡りはじめた。1650mgを24時間かけて投与。それが4日連続して行われる。

 
◆左のパックが抗がん剤の5-FU。右は生理食塩液。
 薬剤師の説明によれば、5-FUはフルオロウラシル系の代表的な抗がん剤だという。代謝拮抗剤、つまり癌細胞の代謝を阻害する薬だ。投与後少し時間をおいてから効果が現れる。

 しかめっ面をするな。気がつけば、いつもそんな表情になっている。
 窓からの日差しが暑い。いい天気だ。風が少し強く、外は寒いのだろうが、この部屋は南向きなので暖かい。今はまだ落ち着いている。気分もいい。頭が少し重いかな。これは心配だが、もう少し時間をかけて観察しよう。

★13時22分、抗がん剤シスプラチンの静注が始まる。120mg。これは2時間で終了。この1回だけの投与だ。

 シスプラチンは、白金製剤(プラチナ製剤)に分類される抗がん剤。名前のとおり金属の白金を含む薬で、がん細胞の分裂、増殖を抑えて死滅させる作用を持っている。
 非常に強い副作用があり、強力な腎毒性による腎障害が知られている。また、悪心・嘔吐や食欲不振などの消化器症状も顕著。

 シスプラチンの悪評は、あちこちから入っている。対策としては、とにかく水を飲め、の一点張り。大量の水で、腎臓に集まったシスプラチンを体外に出してしまう。水を飲んではオシッコ。その繰り返しらしい。
  ◆2月14日のスケジュール
06:10 起床
06:20 体温・体重チェック。体重59・8キロ。
08:00 朝食
08:15 部長回診(大津・布施・研修医)
10:40 5-FU点滴静注開始1650mg+ソルデム3A1000ml+生理食塩液500ml
11:40 昼食
12:54 吐き気止めグラニセトロン静注液1mg+デキサート注射液16mg+生理食塩液100ml
13:22 シスプラチン120mg+フィシザルツFC生食500ml
15:00 第1回目の放射線照射
15:40 利尿剤マンニゲン200ml
15:45 体重測定・血圧測定
17:00 布施先生回診
18:00 夕食
24:00 就寝 寝たり起きたり
 薬剤師に聞くと、点滴で水分を補うので、あまり神経質になることはない、飲めるなら飲んでください、とのこと。それでも心配だから、売店でミネラルウォーター、麦茶、ジュースを買いこんでおいた。

 事前(12時54分)に吐き気どめを点滴されていたせいか、シスプラチンが終わっても気分は上々。なんだ、たいしたことはないな。人によって副作用の現れ方が違うと言われていたが、わたしは軽いほうのようだ。よかった。

★15時、第1回目の放射線照射。
 1階の放射線科に降り、リニアック室の前のベンチで待つ。
 リニアックは、高エネルギーの放射線(X線、電子線)を照射し、がん細胞の遺伝子(DNA)にダメージを与え、がん細胞を破壊。手術とともにがんを根治するための二大療法のひとつだ。

 もちろん、放射線によって、正常細胞もダメージを受け、さまざまな副作用が発生する。抗がん剤もそうだが、この副作用というやつが、なんとも不気味で恐ろしい。どう現れるか、見当がつかないのだから。

 放射線の照射は簡単だった。時間は4、5分。痛みや苦しみはまったくない。
 上半身、裸になり、リニアックの台に仰向けに寝る。照射部の位置決めがあり、先生が退出すると、ジジジジジという音とともに、照射が始まる。断続的に何回か照射。角度を変えながら照射しているようだ。

◆リニアックの台に仰向けに寝るわたし。写真は、28回の治療が終わった最終日に、記念として撮ってもらったもの。

 

 このとき、体を動かすのは禁物。呼吸も、吸うか吸わないか、ごくごく静かに行う。これが難物だ。深呼吸のようにおなかをふくらませてはダメ。そう思うと、つい息をとめてしまう。が、次第に苦しくなって大きく息をすると、おなかがふくらんだりへこんだり。これでは食道の位置も変わってしまう。息をするのがこれほど大変とは……。

 そろり、そろりと息をし、初めての放射線治療が終了。リニアック室に入ってから出るまで、10分もかかっていないと思う。
 病室に戻り、4時前に体重を測った。61:5キロ。朝より1・7キロも増えている。点滴している水分だな。

 夕ご飯のとき、カミさんがくる。格別、報告することはない。今のところ、昨日と同じ状況で、抗がん剤、放射線の副作用は感じない。病院食に加え、カミさんが買ってきたチョコレート、イチゴ、キンカンを食べる。まだまだ食べられるが、3分の1は残す。

 治療初日が終わる。経過は順調。不安があるとしたら、やはり副作用のことぐらいだ。
 とはいえ、いまだ起こっていないことを心配してどうする。今は食欲もある。喉のつかえもない。水を飲んでも、イチゴを食べてもうまい。
 今はそうなのだから、先のことを心に描いて暗くなるな。これが今日読んだカリアッパ師の言葉だ。
 今を生きる、それしかやりようがない。

 今を生き続けて、60歳の平均余命である22・41歳を生ききる。すると82歳になる。そして、PPK(ピンピンコロリ)。
 60歳の還暦のときに決めたこの目標は、まだ撤回しなくてもいいのではないか。がんを告知されたとき、60まで生きたられたのだから、もういいじゃないか、という気持ちもあった。だが、70の自分、80の自分というのも体験してみたい。
 ともあれ、今を生きる。それを、治療開始の旗印にしよう。

‡2月15日(金)
  ◆2月15日のスケジュール
(体重62・1キロ)
06:50 起床
07:10 体温などチェック
08:00 体重オーバーで利尿剤注入
08:15 朝食
10:11 5-FU2回目の点滴
10:15 回診
10:50 吐き気どめ点滴
11:50 水分点滴
12:00 昼食(カボチャ・オレンジ・お茶のみ)
15:00 気分悪し
16:42 放射線2回目
20:15 布施先生回診
20:30 睡眠剤服用
21:00 就寝
01:00 まったく眠れず。読書
 未明、突然ガツンときた。ふっと目が覚めると、猛烈に気持ちが悪い。吐きそうだが、吐くまでには至らない。吐いたら気持ちいいのに、吐き気が抑えつけられており、ただただ気持ちが悪い。身の置き所がないとはこのことだ。

 朝食は牛乳だけを残してなんとか食べた。だが、昼食はだめ。食べると冷や汗が出る。カボチャの煮物、オレンジ、お茶。あとは、無理すると吐きそうなのでやめた。

 横になっていたら、午後になって少し回復。たった一日で封印をとき、もっぱらテレビ。気をまぎらすのはそれぐらいしかない。

 2回目の放射線を受ける。帰ってきて体重をはかったら61.3キロ。朝は62.1キロもあり、体重オーバーで利尿剤を点滴して尿を出したが、夕方はしなくてすんだ。セーフ。

 尿の管理は厳しい。すべて溜めておかなくてはいけないのだ。そして、量を計る。計測は看護師さんがやってくれるからまだいいが、点滴をしていると1日に10数回、おしっこをする。そのたびに尿をとり、小型のバケツ様の容器に溜める。夜中も2、3時間おきに起き、寝ぼけ眼でそれをやる。
 いいかげんにしてくれと、グチのひとつもこぼしたくなる。とはいえ、尿が出る→抗がん剤が排出される、ということだから、やるしかないよ。猛毒を体内にとどまらせておくわけにはいかない。

 Y薬剤師が様子を見に来たので、便が出ないこと、眠れないことを伝え、薬をお願いする。

 夕方になってようやく調子が戻った。ブルガリアアロエヨーグルトがうまい。ただし、甘いものはがん細胞を元気づかせるので厳禁、とのコメントがあったなあ。

 『がん患者学T』(柳原和子/中公文庫)
*もち米とその加工品、甘いものはがんをより成長させるので厳禁。鶏肉を除く肉類、灰汁の強い山菜は禁止。

 体験者の柳原師匠がおっしゃるのだから、従ったほうが無難だろう。甘いものは全部袋に放り込んで封印。
 ほかに『生きがい療法でガンに克つ』(伊丹仁朗/講談社)も参考になった。
*自分が自分の主治医のつもりでがんと闘う。
*今日一日の生きる目標に打ち込む。
*人のためになることを実行する。
*死の不安、恐怖と共存する訓練をする。
*死をいやいやながら認め、現実的、建設的準備だけはしておく。

 気分転換に郭林新気功の風呼吸を少しやる。点滴スタンドを転がしながら、廊下を行ったり来たり。今はまだ歩ける。ありがたい。

◆病棟8階の廊下で気功法をやる。

  ◆2月16日のスケジュール
(体重60・9キロ)
06:30 起床
08:10 体温チェックなど
10:20 朝食
11:00 シャワー3日ぶり
12:00 5-FU3回目の点滴
13:30 昼食
19:00 夕方のチェック
19:50 カミさん来訪
     *睡眠剤2錠 下剤2錠

◆2月17日のスケジュール
(体重60・6キロ)
06:30 起床。気分悪し。
07:00 体温チェックなど
08:00 朝食
10:00 5-FU4回目の点滴
12:00 昼食
13.:30 子供たちが見舞い
18:00 夕食

◆2月18日のスケジュール
(体重59・0キロ)
06:00 腹痛・不快感
08:05 起床
08:10 朝食
09:30 布施先生回診
10:00 点滴交換
11:40 5-FU終了
13:10 昼食
16:00 放射線3回目
18:00 夕食

2月19日のスケジュール
(体重58・6キロ)
08:00 起床
08:30 朝食
10:00 最後の点滴
10:45 放射線4回目
12:00 昼食
18:00 夕食


‡2月16日(土)
 体調は復活してきた。3日ぶりのシャワーも気持ちよかった。ようやくシスプラチンの影響から脱したのか。
 快食とはいかないが食べられる。ただ、がんばりすぎると、コケそうな気がする。ダランとしていたい気分。土曜日だし、そうしよう。
 
‡2月17日(日)
 大きな変化はなし。
 午後、子供や孫が見舞いに来る。このころには気分がよくなっていた。吐き気止めの点滴が効いたようだ。夕方まで気がまぎれる。
 ところが、夕食はまったくダメ。食べられない。また、気分が悪くなってきた。

‡2月18日(月)
 気分不快。気力なし。ぐったりと寝ているが、それだけで疲れる。5-FUは午前中に終わったが、まだ影響はある。今は水分のみ点滴。
 吐き気止めの効果も切れたようだ。この気分の悪さは、それもあるのだろう。じわじわ痛めつけられている感覚だ。

 土、日と休みだった放射線治療を再開。これは痛くもかゆくもないから気楽なものだ。リニアック 3号室が 我が戦場――なんぞと俳句もどきをひねりながら、リニアック室前のベンチで順番を待つ。

 『幸せはガンがくれた』(川竹文夫/創元社)を読む。
*大切なことは、身体は、常に健康な状態を目指そうとしているということである。なぜなら、それが自然だからである。本来の姿だからである。

 こんな言葉を読むと、今の弱った体にがんばれといいたくなる。がんばって、健康な状態に戻ろうじゃないか……。

‡2月19日(火)
 うっすらと不快。朝はまあまあだが、お昼ごろから気分が悪くなり、一日続く。便秘がちだったのが、一変して、今日は下痢気味。体調は最悪の部類に入るな。
 本命の抗がん剤治療は終わり、事後点滴なのだが、状況は悪くなる一方のような気がする。恐るべし、副作用……だな。

 明日の退院が決まった。概算請求書が届く。35万円也。差額ベッド代が大きい。もしお金がなかったら、この金額は大きなストレスになる。個室というのはやはりぜいたくなんだろうか。

‡2月20日(水)
 睡眠剤を飲んでも眠れなく、長い夜だった。気分悪し。朝の体重は57・6キロ。入院時の基準体重が59・8キロだから2・2キロ減。苦しんだわりに体重は減っていない。

 午前中に5回目の放射線治療をすませ、そのあと手続きをし、すぐに退院する。長居は無用だ。
 足元がふらつく。荷物は宅急便で送っておくべきだった。

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↓「4.放射線の通院治療」へつづく    ↑トップに戻る
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