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‡2010年7月9日(金)
 

 朝日新聞に出ていた「保守って何」(北大准教授・中島岳志)の解説はわかりやすかった。保守という言葉に抱いていたイメージがガラリと変わった。

 中島氏が言う保守の本来の意味とは「人間が普遍的に共有する保守的な心性」ではなく、「近代主義者が依拠する理性的合理主義への批判」であり、「保守思想の根本は、理性万能主義への懐疑である」。

 歴史的に見れば「保守思想とは18世紀ヨーロッパにおける啓蒙主義に対するアンチテーゼとして生まれたもの」だという。

 人間→不完全。
 ゆえに、
 社会→永遠に理想形態にたどり着くことはない。

 わたしはこれまで「理性万能主義」は正しい、努力すれば理想は実現する、と思っていたが、それは思いあがり、人間の傲慢さだったのかもしれない。
 「正しい理性的判断によって社会を理想的なものに変革できる」→「という過信と妄想が必ず入りこんでいる」という指摘は鋭い。「すべての問題を一気に解決する魔法など存在しないのだ」。

 そのとおり。
 がんの治療も同じこと。「これを飲めば(あるいはこれをやれば)、がんは必ず治ります」という魔法の薬・治療法は存在しない。

‡7月10日(土)
  ◆伊香保温泉の露天風呂。

 土曜から日曜にかけて伊香保温泉へ。高級旅館だった。だけど、温泉旅も少々飽きがきた。帰ってきても夜は頭痛がする始末で、リフレッシュしたという感じにならない。なんだかなぁ〜。

‡7月22日(木)
 一昨日から朝の気功をさぼっている。気になるが、なかなか起きられない。5時には目が覚めるのだが、起きようという気がおきない。疲れをとろう、と再び寝てしまう。

 淡々と日々の雑用をこなし、粛々と毎日を過ごす。昨日に変わらない今日、今日と同じ明日、というのを暮らしの基本にしたいのだが、何か特別のことがあると、それが崩れてしまう。元の平穏な日々に修正するのが大変。それがストレスになっている。

‡7月29日(木)
 e−クリニックのサプリはすべて終わり、今は何も飲んでいない。マルチビタミン・ミネラル錠剤だけは続けたほうがいいような気もするが、しばらくやめて様子をみよう。

‡8月9日(月)
 朝から雨。テニスが3日連続でできないが、しかたがない。今日は骨休めだ。終日、沖縄巡礼のスケジュール作成。グーグル地図が役に立つ。空撮、現地の写真など、すべて無料で使える。ひと昔前ではとても考えられないことだ。

‡8月14日(土)
 

 午前中は小学校の開放コートでテニスの練習。午後は高校の開放コートでゲーム。でも、午前の練習で体力を使いはたした感じ。午後は行く気になれれず休養にした。無理はしないこと。

 テニス仲間のAさんは、気温が35度以上の日はやらないことにしているそうだ。歳を考えてそれ相応の対処をしないといけない。やれると思って無茶をしていると、もうダメとなったときは、時すでに遅しの年齢になっていることを自覚することだ。
 熱中症の水と同じで、のどが渇いたと思った時はすでに水分不足の状態になっている。のどの渇きを覚える前に水を飲む。同じように、まだやれるというときに休憩・休養をとる。これが、万が一を避ける賢明な方法だろう。

‡8月15日(日)
 65回目の終戦記念日。わたしには戦後の飢えの記憶しかないが、戦争反対の気持ちは強い。が、さまざまな特番の中でも「戦争に備える必要あり」というコメントには考えさせられた。

 今、アメリカ(オバマ大統領)は日本に関心を持っておらず、中国に目を向けている。アメリカが見放した場合、日本の守りはどうなるのか。それを考えたとき、日米安保なき平和保障、そして憲法改正による軍事立国、これを考えざるを得ない時代になった――。

 この結論が非常に重いものとしてこころに残った。
 時代が変わった。ゆえに憲法も変わるべし、ということか。

‡8月21日(土)
 18日の朝日新聞・朝刊に「がん攻撃指示細胞を活性化」というタイトルで、北大が有効ながんワクチンを開発したとの記事が出ていた。抗がん剤、放射線治療の効果がなかった乳がんの患者は、2か月後にCT検査でがん細胞が完全に消えたという。期待が持てる!

 ポイントは、がん←キラーT細胞で攻撃←この細胞に攻撃指示を出すヘルパーT細胞を活性化させるペプチド(がん細胞の表面の分子)ワクチンの開発に成功――ということ。
 キラーT細胞を活性化させる方法は以前からあったが、新たにヘルパーT細胞を活性化させることで、より確実な攻撃ができるようになったということだ。期待したい!

‡8月25日(水)
 ここ1週間、クーラーのある部屋で寝ている。今朝は気功のときに疲れを感じない。よく眠れているからか。
 これまでクーラーなしで寝ていたが、やせ我慢だった。クーラーを使うと、朝、起きても汗をかいていないし、疲れが軽減できるのは確かだ。

‡8月27日(金)
 

 名古屋で長女の結婚式。無事に終わって、よかった。こういう行事は節目ということだ。句読点のないだらだら人生もありだろうが、適当な時期に句読点を打って、メリハリをつけるのは大事な気がする。

‡8月31日(火)
 つらつら考えて、今日のテニス練習は休みにした。練習は月・水・金、土・日は体力次第。9月はそんなスケジュールにしよう。
 疲れて腰が痛いのに練習しても、効果があがらない気がする。もともとテニスは、がんを克服する体力増強のために始めたもの。疲れすぎて体力低下というのでは、しゃれにならない。

 運動のスキル上達について、おもしろい記事があった。
 「素振りは有効か?」という疑問に答えるものだ。
 原則は否。なぜなら、運動上達には、間違いのフィードバックが必要だからという。
 テニスでいえば、打ち損じた時のイヤな感触があるから、それを是正できる。素振りにはそれがないので、上達の助けにはならない。

 なるほど、一理あるなあ。10分の素振り練習タイムがあるなら、同じ時間、ボールを打ったほうがはるかにうまくなる――とわたしも思う。

 もうひとつ、フィードフォワードという考え方。
 フィードバックという「バック」をする時間など、実際のプレーにはない。試合中に何をするかというと、予測してプレイする、フィードフォワードという状態が必要らしい。

 

 久しぶりにがん関係の本『後悔しない治療――乳がん よりよく生きるための選択』渡辺容子/径書房)を読んだ。近藤誠医師の考え方を実践した乳がん患者の書いた本。

 著者は実に強い人だ。わたしには真似できない。5ミリという、わたしからいわせればラッキーにつきる早期がんを発見しながら、6年の経過観察後にようやく治療。が、転移により余命1年という状況に至る。その経緯をつづりながら、タイトルどおりに、治療しなかったことも含めて「後悔しない治療」だったと言う。

 がんには2種類ある。治るがんと治らないがん。
 治るがんは検診で早期発見する必要もなく、自覚症状が出てから悠々と治療すればいい。それで十分治る。
 一方、治らないがんは、検診で早期発見して治療をしても治らないのだから、そんなことはする必要なし。
 よって、がんの治療は体に異変が現れてから考えればよい。早期発見、早期治療によるがん撲滅なんて幻にすぎない。また、抗がん剤なんか百害あって一利なし。苦しいだけで、やめとけ、やめとけ。

 まあ、こんな考え方でがんとつきあってきた人の本だ。覚悟ができているというか、よくふんぎりがつけられたなあ、と驚嘆する内容だ。

 わたし自身に照らしてみれば、疑問を抱いて迷いつつも抗がん剤を規定どおりの4回受けたし、検査も3か月、4か月、そして今は6か月ごとに受け、大量の被爆状態にある。
 被爆による発がんは年齢的にOKだから許す(がんの発症より寿命のほうが先にくるだろうから)としても、意味がないのにやめられないのは、自分の弱さのせいだ。
 検査結果がOKなら、その時だけは再発の不安から逃れられる。何はともあれ、今、この瞬間は大丈夫だ。たぶん、明日もあさっても、1週間や10日は大丈夫だろう……。

 再発の不安はいつもある。だが、検査結果を聞いた日はそれがゼロになる。よかった! この安堵感を求めて検査を受けてきた気がする。
 検査を受けようが受けまいが未来は変わりはしないのに、それでも検査を受け続けているのは、ほんの一時でもいいから安心感を得たいという弱い心のなせる技なのだろう。

 「で、もし万が一治っちゃったら、ずっと解放されたままお婆さんになれそうな感じ。そしたらものすごい。生きることが楽しくて、楽で、楽で楽しくて、そういうふうに生まれ変われる(笑)」(同書81ページ)

 万が一治ったら……という万が一は、はたしてあるのだろうか。

‡9月13日(月)
 

 今朝の朝日新聞に、性格とがん発症の関係を否定する論文の話が出ていた。「がん患者はがんの発症や経過に自分の性格が影響すると考えるべきではない」という。
 従来は、外向性の人はがんにかかりにくく、がんになりやすいのは神経症的傾向の人、というのが定説のようにいわれてきた。が、因果関係はないとのことだ。

 とはいえ、納得いかない部分もある。感情が不安定で、不安感などを覚えやすい人は、免疫能力も低下しやすいはずだ。そこにがんが増大する要因がないか。疑問だ。

‡9月24日(金)
 今日、明日と四万温泉。宿泊した積善館は古い旅館だったが、その古さ、歴史を売りにしていた。元禄時代の建物といえば驚かざるをえない。それにアニメの「千と千尋の神隠し」のイメージモデルになった旅館とくれば、ま、売りは完璧。ともあれ、温泉はよかった。

◆四万温泉の積善館。

‡9月28日(火)
 

 今日から1週間の予定で沖縄巡礼だ。
 沖縄には「東御廻り」という古の巡礼路がある。沖縄の言葉で「あがりうまーい」というが、あがりは東の意味で、沖縄の東海岸に点在する聖所を巡礼するものだ。

 その昔、琉球の地をひらいた創造神アマミキヨは、各地に聖所をもうけ、稲を植え、人の世をつくったとされる。琉球王国の国王は、この聖地をめぐり、国の繁栄を祈願した。「あがりうまーい」のルーツは、どうやらそのあたりにありそうだ。

 出発地は、首里城にある「園比屋武御嶽(すぬひゃんうたき)」だ。御嶽というのは聖なる場所、拝所を意味する。といっても、お寺や神社のように建物があるわけではない。石ころがひとつふたつ、無造作に置かれているだけ、ほかにはなにもない。それが御嶽の基本形だ。

 画家であり民俗学研究家でもあった岡本太郎氏は、『沖縄文化論』(中公文庫)のなかで、御嶽は「神と人間の交流の初源的な回路」だと表現している。そして、「神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ」という。

◆沖縄の御嶽。木立に囲まれたちょっとした広場に、無造作に石が置かれているだけのものだ。

 

 わたしのような凡人が神に出会えるのはむりとしても、沖縄の自然を歩くというのは楽しいだろう。リタイアしたら沖縄移住――という夢は、がんによって挫折した。だけど、ようやく体力が戻ったし、沖縄の強烈な日差しがなつかしい。

 そんなことで、ほぼ4年ぶりの沖縄だ。「あがりうまーい」は2日間、そのあと「久高島(くだかじま)」で2日を過ごす予定。久高島は、アマミキヨが降り立った地であり、神の島と呼ばれている。

‡10月6日(水)
 

 5時半きっかりに目が覚めたが、起きるのが辛い。元のリズムに戻るには、もう2、3日、辛抱しなきゃいけないようだ。
 午前中は沖縄巡礼旅のデータ整理、午後は夕食をつくってから、久しぶりのテニス練習。が、旅の途中に痛めた右腰上の筋肉損傷が治っていなかった。スプリットステップもできないような痛み。まいった。

‡10月11日(月)
 体重が56・1キロ。初の56キロ台。沖縄巡礼から今日までほとんどテニスをしていない。体を動かさないのに同じ量の食事をしていれば、太ってくるのは当たり前。できれば55キロ台を維持すること。
 今日もテニスは休み。三連休の完全休養。夕方、軽いジョギングをやったぐらい。まだ、腰・わき腹は痛む。しばらくは様子見だ。軽い練習に徹するつもり。

‡10月13日(水)
 なんということだ、ついに体重57・0キロ! 約2週間強=17日間の運動停止でこうなった。運動の重要性を再認識。

 ところで、CTスキャンの被曝量について、興味深いレポートを読んだ。

【12月18日 AFP】CTスキャンを受ける際に浴びた放射線が原因で数十年後にがんを発症する可能性があるとする2つの論文が、14日の米内科学会誌「アーカイブス・オブ・インターナル・メディシン(Archives of Internal Medicine)」に掲載された。
 CTスキャンは、X線を照射し、検査対象の臓器や組織の3D画像をモニターに映し出す。
 米サンフランシスコ(San Francisco)の4病院が行った研究は、現在の検査で通常照射される放射線量は、中央値でさえ、想定されていた値の4倍であることがわかったとしている。CTによる1枚の冠動脈造影図の被爆量は、胸部レントゲン写真309枚に匹敵するという。
 同研究は、冠状動脈をCTスキャンした270人のうち、40歳の女性1人がCTスキャンが原因でがんを発症したとしている。

 もう1つの研究は、2007年に米国で行われた7200万回のCTスキャンが原因で、今後2万9000人ががん発症する可能性があると指摘した。このデータには、すでに腫瘍(しゅよう)があった患者や終末医療の一環でCTスキャンを受けた患者は含まれていない。

 研究者らは、放射線の照射に起因するがんは、照射治療の20〜30年後に発症することがわかったと述べ、「医療用CTスキャンの放射線量はこれまで認識されていたよりはるかに多く、防ぐことができるがんを年間数万例も生んでいる。照射量に関する規定を見直すべきだ」としている。(c)AFP

 CT検査の悪影響は、たぶんこのレポートのとおりなんだろう。単純に考えて、1回あたりレントゲン検査の300倍の被曝量というわけだ。わたしがもっと若かったら、CT検査は拒否するかもしれないな。

‡10月21日(木)
 

 今日は運転免許の更新。1月に一時停止違反をし、ゴールド免許から普通に格下げだ。講習も「違反」区分の2時間。ちなみにゴールドの「優良」は30分。更新料も安い。
 さらにゴールド免許は5年ごとの更新だが、普通の免許は3年。なんたる差別。かえすがえすもあの一時停止違反が悔しい。

 悔しいといえば、帰り際の献血がもっと悔しかった。せっかくの機会だから陰徳を積もうと献血を申し入れたら、医師の問診で×になった。がんを患った人はご遠慮願っている、とのこと。これってがん差別?

 ご本人の体力を考えて……なんていうが、体力は十分あるし、治療が終わって2年4か月、血液に、問題ありの物質が混ざっているわけがない。本人が献血したいといっているのだから、やらせりゃいいじゃないか。健康を気遣うなんて、よけいなお世話だよ。ほんとに!

‡11月8日(月)
 今日から18日まで、3回目のお遍路旅だ。第33番札所・雪蹊寺(せっけいじ)から第43番札所・明石寺(めいせきじ)までの予定。

 今回は「菩提の旅」がテーマ。菩提とは、『日本大百科全書』(小学館) によれば、
 「サンスクリット語のボーディbodhiの音写。ボーディはブッドフbudh(目覚める)からつくられた名詞で、真理に対する目覚め、すなわち悟りを表し、その悟りを得る知恵を含む」
 ということだ。
 ちなみに、「菩提をとむらう」と言うように、「死者の冥福を祈る」という意味は、のちに派生したもの。

 ともあれ、日常の生活を離れ、ただ歩くだけの時間が流れる遍路旅は、ものを考えるには最適の環境だ。ここはひとつ、がんという病気の真理をみきわめてみたい。

 そんな意気ごみで旅立ったのはいいが、歩いても歩いても、真理に対する目覚めはやってこない。菩提の旅は、煩悩の旅でもあった。

◆晩秋のお遍路旅は、ちょっぴり人恋しくなる旅でもあった。

‡11月19日(金)
 

 11日間のお遍路旅を終えて日常に戻った。
 今回の旅は歩くことに自信のついた旅だった。時速4キロで歩いてさえいれば、必ず事は成る。ただし、その単純な行動もさまざまな知恵を働かせることで、より楽に、より確実に、遂行できることがわかった。
 その知恵は、実際にやってみて身につくものだと悟る。やってみなければ、何事も、本当のことはわからない。

‡12月7日(火)
 定期検診。血液検査、CTと内視鏡、いつものコース。内視鏡で細胞をとられたのが心配だ。たぶんヨードで染まらない部分があったのだろう。若い先生だったので腕が心配だったが、案の定、のどに入れるときに痛かった。帰りの貧血はなし。

‡12月11日(土)
 いつものように午前3時半、尿意で目が覚める。しばらく我慢していたが眠れそうにもないのでトイレに行く。ほとんど出ない。
 要するに尿意に過敏になっているのだ。膀胱が満タンになったのと同じ刺激が脳に伝わる。それで眠りが浅くなったときに目が覚めてしまう。

 改善するには尿意を我慢することも必要とか。ただ問題なのは、満タンの尿意なのか、過敏神経の尿意なのか、判断がつきにくいこと。我慢したはいいが、本当の尿意の場合はこまる。間に合わないで漏らしながら用を足したことが、巡礼中に1回だけあった。

 「尿意が生じると大脳から排尿中枢に伝えられ、排尿が起こる。これを排尿反射といい、意思とは無関係に内括約筋が弛緩され尿が排泄される」という説明がネット情報にあった。
 意思とは無関係に……尿が排泄される、というのはコワイ。

‡12月14日(火)
 

 診察日。天気はよくなると思っていたが、新宿あたりは小雨で、がんセンターはしぐれていた。来る途中の電車の中で、いつになく不安になる。検査結果が悪くはないか。生検をしたのが気になっているのだ。

 診察は、布施先生のほかに見習い医師が3人。なかのひとりは胃カメラをやった先生だった。結果は問題なし。生検もがん細胞なしでOK。よかった!
 布施先生は、2年半が過ぎたし、ここから再発することはあまりない、と言う。安心させるためか、本当のことか、よくわからない。が、鵜呑みにはできない。わたしとしてはあくまでも5年をめどに考えているから。

 白血球の数値だけは上がらない。4000。少なくとも5000までいきたいのだが……。寛解3年目後半の最重要課題だ。

‡12月18日(土)
 家族の忘年会。長女、妊娠の報告。うむ、めでたいことだ。

‡2011年2月14日(月)
 デスクトップに置いていた日記ファイルを、誤って削除したみたいだ。記憶はないのだが、いろんなファイルを広げていたから、なにかのはずみでごみ箱に入れた可能性はある。いくつか捨てた記憶もあるし。
 バックアップなし。データ復旧をやってみたがダメ。お手上げだ。デジタルデータのこわさは十分知っているのに、まったくバカヤロウだ。

‡2月15日(火)
 

◆切迫尿意

 膀胱の過活動で、急激に我慢しきれない尿意が起きる。体験してはじめてわかることだが、これはほんとうにツライ。我慢は意志の力によるが、意志ではどうしようもない尿意なのだ。

 昨夜の大雪でかなり積もっている。朝、道路の雪かき。これじゃ、しばらくグランドが使えないな。いずれにせよ、今日は休養。
 夕方、O泌尿器科。切迫尿意の薬として「デトルシトール」を処方される。2rなのでいちばん低いそうだ。しばらく様子を見る。巡礼にはどうしても切迫尿意を解決しておく必要がある。

‡2月16日(水)
 午後、グランドに行ってみたが、雪まみれ、ぬかるみ多数の状態で、使えない。雪かきをし、ストレッチだけで帰る。
 そのときからだるさを覚えていたが、帰ってきてからますますひどくなる。お腹が気持ち悪い。抗がん剤をやったときと同じ感じ。表現のしようのない気持ち悪さがある。たまらずに横になる。夕食をつくる元気もなく、そのまま寝込む。

 翌日は絶不調。食欲はまったくなく、微熱があるのかだるい。終日病臥。風邪が胃腸にきた。ネットで調べると「胃腸風邪」に間違いない。原因もわかる。月曜日の夜に食べた「キャベツ牡蠣鍋」の牡蠣だ。

 ちなみにネット情報の胃腸風邪とは。
*胃腸風邪というと「お腹の風邪」と呼ぶ人もいるでしょう。胃腸風邪は嘔吐、下痢、腹痛などの腹部の痛みを伴う感染性の胃腸炎で、頭痛、高熱、悪寒、疲労感などの風邪の全身症状を伴う場合もあります。胃腸風邪の原因にはウィルス性のもの、細菌性のもの、寄生虫のものがあります。

 ということで、水曜の夜から木曜、金曜と散々な日々だった。土曜日になんとか復活したが、これを戒めに気を引き締めることだな。牡蠣のウイルスなんかに負けない体をつくらなくちゃ。

‡2月21日(月)
 

 ジェネリック医薬品を勧める文言が、共済の健康保険のはがきに書いてあった。効果が同じなので、安いジェネリック医薬品を使いましょう、という趣旨のものだ。
 それで、数日前、新聞にジェネリック医薬品の問題点を指摘した記事が載っていたのを思いだした。ネットでその種の情報をさがすと、現役薬大生のページがヒット、ジェネリック医薬品の問題点がよくわかった。

 ジェネリック医薬品は、特許が切れた薬だから、同じものが安くつくれる。世間ではこのように思われ、わたしもそうだとばかり思っていた。だが、それは事実の一部であり、全体は伝わっていない。

 医薬品の特許には、物質・製法・製造の3種類がある。ジェネリック医薬品で特許が切れたという場合、切れたのは物質特許であり、製法・製造には特許が残っている(場合が非常に多い)。
 そうすると、薬となる物質は自由に使えるが、つくり方や薬の形状など、効能に影響を与える製法・製造部分は特許が残っているため、同じにはできない。結果、まったく同じ薬効の薬はできない、ということになる。

 この現状を知らせずに、効果が同じ薬が安く使える→保険料を抑制するためにジェネリック医薬品を使ってね――というお願いは、共済組合という公的組織がするべきものではない、と思う。

‡2月22日(火)
 

 e−クリニックから更新のお知らせがきた。入会が09年2月だから2年たったわけだ。最近は、半年間の会費が6000円のB会員になっている。だが、このところサプリの注文もやめているし、役に立つ情報もない。一抹の不安はあるが、ここでいったん縁を切ろう。

 がん闘病の指針は与えてもらった。その後、積極的な関与をしなかったので、有用性を感じることが少なくなっていった。サプリもやめてしまったので、会員である理由はほとんどなくなった。必要になれば再度お願いすればいい。

‡2月24日(木)
 おもしろいメール配信記事を読んだ。「電子書籍を読んで感じた、“紙の重み”」(八木玲子/日経パソコン)。

 初めて読んだ電子書籍で、これからどんな展開になるのか期待満々でページを繰ったら、次ページは奥付だった――! という終わり方に仰天したそうだ。
 もちろん、小説としてはそんな結末もありだが、なぜ、電子書籍では「エッ、ナニ、コレ」となるのか。それは「紙の重み」が感じられないからというのが記者の感想。

 なるほど。本の場合なら、終わりが近づけば、残りの分量(紙の物理的な厚みや重みなど)で、無意識的にわかる。だから、唐突な終わり方をしても、まあ、こんなやり方もありだよな、などという余裕がある。

 別の人の意見でも、電子書籍は「どこを読んでいるのかわからない」という感想があった。物理量のある紙の本なら、もう半分まできちゃったなどと、これまた無意識のうちに感じ取っている。そうした感覚は電子書籍には生まれようがない。

 とはいえ、それが欠陥となるかどうか。ひょっとしたら、慣れ+ちょっとしたアイデアで、解決する問題なのかもしれない。
 紙の本の伝統がなくなるのはいかがなものか、という論旨は多々あるが、便利さには勝てない。いずれ文化財になる日が来ることは、間違いないだろう。

‡3月9日(水)
 

 きのう、生きがい療法実践会から手紙が届いた。実践会の活動が今年度末で終了するお知らせだった。
 主催者の伊丹仁朗医師によれば、患者が生きがい療法を勉強・実践するための場は初期の目的を達したようだし、別の目的を掲げて新しい活動をしたいということだ。

 次の目標はがん難民の救済。現代医療に見放されてしまったがん患者と共に歩もうということだ。
 再発→不治→治療法なし→がん難民という過程を経る人が多くなった現状が、伊丹医師をそうさせているのだろう。
 了解。一度も学習会に行くことがなかったが、これも流れだ。新しい活動に参加するかどうか、当分は保留にする。

 「生きがい通信」のなかで「胃がん、甲状腺がん、子宮体がん、肝臓がん」という多重がん闘病をしてきた渡田さんのインタビューが出ていた。彼女は「死は自然現象の一つです。その生命が終わる時は、誰にでもあります。その時のための準備をしておくと、心が安らぎます」と言う。

 わたしの場合、死のことを思うと心は千路に乱れ、不安でいっぱいになる。安らぎなど思いもよらない。だが、死の準備をしておくと、心が安らぐとは……。そんなものか、と納得する。

‡3月11日(金)
 

 午後2時すぎ、買い物に行ったヤマダ電機でエスカレータに乗っていた時、大きな揺れを感じる。最初はエスカレータが故障したと思った。だが、2階に着いてみるとフロアが波打つように揺れており、みんな呆然と立ちつくしている。
 地震だ。大きい……が、直下型ではない。直下型ならドンと揺れがきたら続けてドドーンと揺れる。こんな程度の揺れではない、と思いながら、大きな揺れになす術もなく立ちつくしていた。

 でも、今日体験した揺れはいい予行練習になった。近いうちに必ずくる関東大震災。これを忘れてはいけない。
 関東大地震は69年周期で襲ってきている。それなら、1992年ごろには襲来してもいいのだが、いまだにやってこない。19年も過ぎている。不気味だ。そのことは忘れるなかれ。


‡3月21日(月)
 数日ぶりにメールを開いたら訃報があった。Tさんが亡くなった。調子が悪いとは聞いていたが、わたしより先にいくとは……。通夜、葬儀とも間に合わず。こんな時に限って、何日もメールを見ていない。香典を郵送する。

‡3月31日(木)
 続けざまの訃報。Sさんが亡くなった。2月のこと。葬儀は密葬ですませたとの訃報だった。享年76歳。合掌。

‡4月1日(金)
 高幡不動の1000円床屋で、さっぱりと坊主頭にした。これで、来週月曜からのお遍路も準備万端整った。坊主も、風に吹かれると気持ちのいいもんだ。

‡4月2日(土)
 

 最後のお遍路旅を前にして、ちょっと気になる不調がふたつ。
 ひとつは、ここ10日ほど左の奥歯付近が痛むこと。歯磨きを励行し、歯ぐきのマッサージをしたりして、少しずつ痛みが少なくなってきたが、歯痛なのか疑問。ひょっとしたら耳? あるいは喉?

 もう1点は左腕のしびれだ。指先ではなく腕全体がしびれる。長く続くわけではない。何かのひょうしにあらわれ、いつの間にか消えている。原因は……不明。常に感じるようになれば医者にいくしかないが、今のところは一過性なので、お遍路をしつつ、様子見だ。

‡4月4日(月)
 今日から19日間のお遍路旅。第44番札所から最後の第88番札所まで、一気にまわる予定。前回の旅で歩くことに自信はついた。なんとかやれるだろう。
 結願の旅――500キロを歩き通せば、寛解3年目の大きな実りになりそうだ。季節は春。どんな風景が待っているか、楽しみだ。
 (結願の旅の詳細はこちらで報告)

◆第88番札所・大窪寺。

‡4月23日(土)
 

 昨日、結願のお遍路旅から帰ってきた。今日、明日と骨休めの温泉旅行。熱海の古屋旅館へ。
 土曜日は雨だったが、日曜はいい天気。温泉に入って旅の疲れもとれた。日曜日のお昼には帰宅。午後は庭の草むしり。あとは肥料やりだが、疲れたので次回まわしにする。

 ルルド巡礼センターから書類が届く。四国のお遍路が終わったので、海外に目を転じ、まずは奇跡の泉で有名なルルドの巡礼に行こうと思っている。
 いろいろ調べたが、カトリック信者向けのツアーがよさそうなので、案内書類を送ってもらった。修道院泊というのが気に入った。信者だけではなく一般の人もOKということだ。

‡4月25日(月)
 お遍路の後半で痛みがひどくなった顎の診察予約。日野市立病院に口腔外科があったので予約。水曜日の11時30分。
 ルルドのツアー代金を振り込み、海外旅行保険をネットで申し込む。

‡4月27日(水)
 11時半、日野市立病院の口腔外科。
 診察結果は、顎の筋肉痛とのこと。顎関節症にまでは至っていない。歯を食いしばることが多く、筋肉がいつも緊張して痛くなったようだ。

 歯ぎしりは? と聞かれ、ありません、と答えたが、無音の歯ぎしりもあり、その可能性は大とのこと。その証拠に本来は尖っているはずの犬歯が、すり減って平らになっている。また上の歯の内側がすり減っており、これはかみ合わせが強い証拠。

 食いしばるのは事実。テニスでは2時間ぐらい、食いしばりっぱなしだ。3年前から長時間のテニスをやりはじめたから、その蓄積が今になって出てきたのか。
 治療法は、食いしばりを少なくする生活。基本的にはそれしかない。が、テニスをやめるわけにはいかないし、顎筋肉のストレッチで緊張をほぐすことぐらい。しばらくは固いものは食べない。無用な酷使をやめること。注意はそんなとこかな。

‡5月11日(水)
 午前中、市立病院の口腔外科。痛みはほとんどなくなったが、朝、起きた時だけ痛みを感じる→夜中、食いしばるから。
 で、なぜ、寝ているときに食いしばるのか、と聞いたところ、原因は不明とのこと。いろいろな原因があり、特定できないようだ。医学の限界。治療は終了。

‡5月17日(火)
 今日から23日まで、7日間のルルド巡礼の旅。海外に行くのは6年ぶりで、どうも緊張してしまう。ツアーだから少しは気が楽だが、どんな旅になることか、楽しみでもあり、不安でもある。
 (ルルド巡礼の詳細はこちらで報告)

◆ルルドの泉がある洞窟前で行われるミサ。聖母が出現した場所には彫像が祀られている。

‡5月24日(火)
 
 昨夜は雨。久しぶりに落ち着いて眠れた。やはり自宅はいい。朝も8時までゆっくり寝ていた。雨の音が、ゆったり、ゆっくり、のびのび……とした気持ちにさせてくれる。
 午後からルルド巡礼旅の記録整理。いまいち乗りきれない。収斂してビーム状に集中できない。時差ボケのようだ。

‡6月6日(月)
  ◆国立がん研究センター
 国立がんセンターは2010年4月1日から独立行政法人になり、国立がん研究センターという名称になった。厚生労働省所管から独立行政法人への移行には不安を感じる面もあるが、これも時代の流れか。
 今日は、寛解3年目の最後の定期検査。8時前に国立がん研究センター東病院着。予約札9番だった。
 いつもどおり、CTと内視鏡、血液検査。

 前回、今回と、内視鏡の前に飲む水薬が気持ち悪い。独特の味が吐き気を催すようになったのだ。味を感じないように飲み下すが、飲んだあとにやってくる吐き気をどうにかしたい。ガムをかんだまま飲んでみるのはどうかな。今度やってみよう。

 今日の内視鏡では、細胞検査のための組織を採取。これがあると、結果がわかるまでの1週間が落ち着かない。テンションが下がって鬱気分になる。
 検査後の糖分補給が功を奏しているのか、帰宅時に気分が悪くなることはなくなった。

‡6月14日(火)
 

 今日は診察。結果は……悪かった。
 これまでの生検は、「1週間の心配・不安→杞憂→安堵」という繰り返しだった。しかし、今度の生検は悪いほうのビンゴ! 食道ではなく、胃に「異型細胞」が見つかった。

 いつももらっている報告書をしみじみと見る。
【部位】胃
【診断】存在診断 粘膜異常 陥凹
【検体】……
【補足テキスト】 前庭部小弯に5mm大の陥凹あり。胃癌0-11c鑑別目的に生検施工。

 ほかの部位は、
咽頭 【診断】異常なし
食道 【診断】再発を示唆する所見なし。新病変なし。
十二指腸 【診断】特記所見なし
 とあり、胃だけが異変の診断だ。

 今までは先生の診断を聞くだけで、報告書を念入りに見たことはなかったが、今回だけは報告書の「胃癌」という文字がやけに目につく。
 一瞬ドキッとするが、実際に胃癌というわけではない。
 5mm大の陥凹があったので、胃癌の鑑別目的に生検施工した、ということ。
 生検の結果は「異型細胞」であり、「がんとはいえず」の判定だった。
 3か月後に再検査することになる。
 うーん、ショック。……油断があったかな。……。

‡6月17日(金)
 

 再検査は3か月後の9月1日に決まった。落ちこんでばかりもいられない。その間、何か対策を考えなくては――。

 まず、前提として、陥凹している異変部分には、異型細胞が見られるもののがん細胞は検出されていない。異型細胞、すなわち「ガンの芽の細胞」ということ。まだ打つ手はある。

 正常細胞が異型細胞、そしてがん細胞になる過程を調べると、次のような経過をたどるようだ。
1・細胞遺伝子に変異が起こる。
2・遺伝子修復酵素で修復できない。
3・変異した細胞が分裂しはじめる。
 そして、わたしの場合、
4・異型細胞が5mmの陥凹として視認できる。
 状況にあるわけだ。さて、次は?
5・異型細胞の細胞膜に、発がん促進物質が作用し、完成されたがん細胞が誕生――となる。

 つまり、今回の検査の異変が胃がんにつながるものだったとしたら、がん細胞の誕生は時間の問題かもしれない――そんな段階だと思ったほうがいいようだ。

 さて、どうするか。
 喫緊にやることは、異型細胞から先に進ませないことだ。それには発がん促進物質の作用をなくすことが重要だ。

 

 では、発がん促進物質(プロモーター、腫瘍プロモーター)には何があるか。ネットのデータを拾ってみた。

*発ガン促進人の「プロモーター」には、女性ホルモンや胆汁酸・高塩分・タバコ・人工甘味料・農薬(DDT・BHC)・PCBなどがあります。

*発がんを促進させるプロモーターは普段の食事の中にも存在します。たとえば高脂肪食の摂取は腸や乳腺などのがんのプロモーターとして影響を与えますし、塩分の過剰摂取は胃の粘膜を痛めるというはたらきで粘膜のがん化を促進します。 

*また胆汁酸は胆道がんや大腸がんのプロモーターとして働き、体内で産生されるホルモンも乳がん、子宮がん、前立腺がんのプロモーターとしてはたらきます。

*タバコには、発がん物質だけでなく、プロモーターの成分も約200種類入っていると言われています。その他には農薬のDDTやBHC、有機塩素系化合物のPCBや食品添加物のサッカリンなど多数あります。

*一般的には過剰な脂肪、アルコール、食塩の摂取などがあります。大腸癌では高脂肪食がプロモーターとされています。この過程をプロモーション(促進期)といいます。

 以上のようなことから、基本的な対策は、

 
★対策その1
発がんプロモーターのワースト3を過剰にとらないこと
*塩分→減塩レシピを考える
*脂肪→今でもかなり制限しているので現状維持の努力を
*糖分→手綱を引き締めるべし、だな

 とはいえ、発がんプロモーターの摂取をゼロにはできない。また、胆汁酸のように体内でできるものもある。
 そこで、次に考えなければいけないのは、プロモーターの働きを抑制すること。これはビタミン類に期待できる。ビタミン不足はプロモーターの作用を促進させる。

★対策その2
発がんプロモーターの働きを抑制するビタミンをとる。
 具体的には、2月にやめたe−クリニックのサプリ=マルチミネラル・ビタミンを再開することにした。
・ビタミンA→5000IU(成人男子の許容上限摂取量)
・ビタミンC→3000mg(一日3回に分けて摂取)
・ビタミンE→200IU
(すでに昨日、2瓶注文。今日、届いたのでさっそく飲んでいる。月1万円。高いと思うが、その作用に期待したい)

  ◆食生活
*ビタミンA前駆体のβ-カロテンを多く含む緑黄色野菜――ニンジン、ピーマン、ホウレンソウ、コマツナ、カボチャなどを積極的にとる。
*ビタミンEを多く含む食品=青魚/ラッカセイ/大豆/アーモンド/マヨネーズ
*ビタミンCを多く含む食品=レモン・ライム・オレンジ・グレープフルーツなどの柑橘類のほか、柿、アセロラ、キウイフルーツ、トマトはビタミンCの含有量が非常に多い。そのほかに、グァバ、パパイヤ、ブロッコリー、芽キャベツ、ブラックベリー、イチゴ、カリフラワー、ほうれん草、マスクメロン、ブルーベリー、パセリ、ジャガイモ、サツマイモなどがある。
*サバときのこ類も忘れずに食べること。マイタケ、シイタケがいい。
 もちろん、食生活もさらに徹底すること。本来なら、サプリではなく食物からとるのが基本なのだから。

★対策その3
緑茶のがん抑制効果を使う
 緑茶に含まれるタンニンは、活性酸素自体を除去する抗酸化作用があり、細胞のガン化を抑えてくれるらしい。
 食べる緑茶がいいという話はテニス仲間のAさんから聞いていたので、この際、やってみることにした。

 岐阜大学医学部の清水雅仁助教/森脇久隆教授らの研究によれば、「緑茶カテキンを含む錠剤を飲み続けることで大腸ポリープの再発が抑えられる」という。
 大腸ポリープを内視鏡で切除した125人のうち60人に緑茶錠剤(3錠=1・5g)を毎日飲んでもらい、1年後に再検査したところ、再発率は15%と、飲まなかった人31%に比べ低かった。( 2008.10.28 日本癌学会)

 がん寛解3年目が終わり、4年目に入ろうとする矢先にこの始末だ。3年目も無事に終わりそうだと、どこかに油断があったのかもしれない。
 それにしても、がんはしぶとい。文字どおり、血肉を分けたわたしの分身だが、これほど憎らしいやつもいない。
 ともあれ、3か月後の再検査まで、ここで決めた対策をしっかり実践すること。がんめ、お前には負けないぞ!

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