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朝食
 起床6時。7時からキッチンで朝食。
 ホームページに「朝食無料サービス」と書いてあったので食堂に行ってみると、食パンとジャム、袋入りのスープの素が置いてあった。先にきていた女の子二人が、自分でトーストし、スープをつくって食べている。セルフサービスでやんなさい、という朝食だった。足りなければ持参の食料で。

 昨日買っておいたミニソーセージの缶詰があったので、それをあける。スープの素にお湯をそそぎ、ジャムをぬったパンを添えれば、立派な朝食だ。熱いコーヒーに冷たいお茶もある。
 沖縄にきて4日目だが、食堂で朝ごはんを食べるのは初めて。ありがたいことだよ。
  貧しい朝食と笑うなかれ。素泊まりの旅の朝は、これでも立派なほう。ミニソーセージの缶詰は、なかなかのすぐれものだった。軽い朝食にはピッタリの量だし、持ち歩いてもそれほど重くないのがいい。
100キロマラソン
 朝の出だしは快調。初日にできた右足の小指のマメも痛みを感じない。用心のために、歩きはじめる前に絆創膏を貼っているが、それがよかったのかも。マメがひどくなる気配はない。

 あったかやを出てすぐの交差点で、マラソンランナーに出会う。今日は、年に一回開催される、宮古島100kmワイド−マラソンの当日なのだ。
  時刻はちょうど8時。朝の5時にドイツ文化村出発だというから、すでに3時間も走っていることになる。ここからドイツ文化村まで20キロぐらいだと思うが、ごくろうさんです。
ゼッケンナンバー429が「死にたいほど苦しい」と読めるのは、わたしの勘ぐりすぎか。
 交通整理をしていたボランティアの人に聞くと、先頭はこの交差点を6時半ごろに通過したそうだ。
 交差点の信号はすべて赤の点滅で、青信号なし。ランナー優先で交通整理をしている。それにしても手旗信号の整理は大変。なかには制止を無視して走り去る車もいるし。

農道
 ランナーたちが走りすぎる83号線を突っ切り、島を横断する道に入る。ちょっと歩くと、人も車もまったくなくなり、サトウキビ畑、それに原生林が茂る寂しい農道になる。
 頼りはプリントしてきた地図だけ。それにしても、空撮のグーグル地図は正確でわかりやすい。目印のないサトウキビ畑の中でも迷う不安がまったくない。
  こんなところで道に迷ったらお手上げだ。目印になるものもなく、道を一本間違えただけで、とんでもないところに行ってしまう。人家はもちろん人に会うこともほとんどないから、確認しようがない。歩き旅のツライところ。
道の左に写っているサトウキビはまだ若い。去年の夏植えのものだろう。
 雲のわずかな隙間から陽射しがもれてきた。しばらくは降りそうにもない。よかった。
 人っ子一人、車一台通らない農道を歩く。ときおりサトウキビ畑の間をサワサワ、サワサワ、音を鳴らして風が通る。
 雲の切れ目からもれる光が正面からふりそそぐぐ。花にとまっていた黒っぽい蝶が、わたしの気配を感じてヒラリと飛んでいく。静かだ。

宮古薬草園
 歩きはじめて1時間ちょっとで宮古薬草園に着いた。期待に反して、荒れはてた農地跡のようだ。薬草を栽培している様子はない。
  以前は、それぞれの区画に薬草が植えられていたのだろうが、今は雑草が茂っているだけ。人の姿もまったくないし、廃園になってしまったのだろう。
 けっこうな広さの薬草園を突っ切ると、道路に突き当たる。右に行くと83号線だが、左手に小さな港が見える。小休止していこう。

高野漁港
 日曜日のせいか、釣り人が数人きていた。薄日が射して、波の音がチャップン、チャップン。風はときおり吹きつけるがあたたかい。春風だ。問題な〜し。
  釣り糸をたらし、大きいのを2、3匹釣って、夕食のおかずにする……。
野菜は、家の裏の小さな畑で、手入れもせずに放ってあるものから、食べられそうに育ったものを見つけてつんでくる……。
そんな生活ができれば、お金もかからず隠居暮らしも楽しいだろう。
まあ、夢のような話だけど、こんなところでのんびりしていると、ついつい現実を忘れて妄想にふけってしまう。
給水所
 小休止のつもりが気持ちがよくて大休憩になり、10時をまわってからようやく出発。83号線に出たら、宮古島100kmワイド−マラソンのランナーが次々に追い抜いていく。
 しばらく歩くと、給水所があった。ここは65キロ地点とのこと。
  島人総出でランナー支援。100キロを走りぬくと、島を一周したことになるが、それを一日でやるんだから、ランナーも大変だよ。こうした支援がなければ、とてもやれないだろう。ご苦労さんです。
 東海岸を走る83号線はなんにもない道路だ。店はない。人家もない。たま〜に自販機がある。夏にここを歩くのはけっこう大変そうな気がする。

 歩いているうちに太陽が顔をのぞかせた。そうなると、やはり暑い。
 しかし、今日のわたしは余裕しゃくしゃく。次から次へとやってくるランナーとは大違いだ。彼らのうち、もはや颯爽と走っている人はいない。みんな限界ギリギリ。自分との戦いで必死だ。

 その苦しみはよくわかる。今思えば、お遍路のときの歩きは、苦しさとの戦いだったからね。兵どもよ、がんばれ、がんばれ。ここからゴールまでが正念場だ。あと30キロ!

芸人・伸介の夢来人
 そんな兵たちが走る道路を離れ、ちょっと寄り道を。
 実はマラソンコースから少し入ったところに、兵どもが夢の跡があるのだ。
  テレビで人気を博した島田伸介プロデュースの民宿・夢来人。
例の事件で伸介が引退し、どうなっているのか興味津々で訪ねてみた。建物には人が住んでいるようだ。あとで聞いたら、持ち主が賃貸に出し、今は一般の人が借りているそうだ。

畑だったところは雑草が生え、黄色い鎖で立ち入り禁止に。まさに夢の跡になっていた。
 飛ぶ鳥を落とす勢いだった芸人・伸介も、あっという間にテレビ界から姿を消してしまった。人生、一寸先は闇、とはよくいったものだ。

 暑い。本格的に日が照ってきた。
 夢来人のすぐ近くにパーラークマザ発見。涼みがてら、ここでお昼を食べていこう。
  パーラークマザ。食堂なんかあるわけがないと思っていたので、営業中の看板にびっくり。沖縄のソーキそばを食す。680円なり。
  パーラークマザの壁に貼ってあった色紙。夢来人に出演した芸能人たちのもので、なかの一枚にくぎづけ。
このパーラーはマンゴーをつくっているクマザ農園の経営らしいが、色紙のあて名に「クマザ濃園さんへ」と書いたものがあった。
色紙の中央に大きく書かれたサインはだれのもの?

 お昼が終わって元の83号線に戻り、城辺総合運動公園をめざす。宮古島には、初日に見学したカママ嶺公園のテニスコートのほかに、城辺にもコートがある。

比嘉ロードパークの海
 歩いていると、右足の痛みが少し広がってきた。左足はまったく痛まない。右だけどうしたんだろうなあ。
途中にある比嘉ロードパークで休憩。靴を脱いで足を点検し、絆創膏を貼りなおした。
  比嘉ロードパークから見下ろした東シナ海。水がすきとおっている。
城辺のテニスコート
 ロードパークから約1時間歩いて、城辺の総合運動公園内にあるテニスコートに着いた。オムニコートが8面もある。だが、使えるのは2面といったところか。あとは黒っぽい苔のようなものがコートを覆い、悲惨な状態になっていた。
 もったいない。これじゃあ、宝の持ち腐れ。コートを確保するのに四苦八苦している者にとって、なんとも残念な気持ちになる。
  こんな立派なコートも使う人がいなくなれば、苔むしてしまう。昔のあのブームはなんだったのか。テニスも落ちぶれたもんだ。
ゲストハウス地球人の休憩所
 2時51分、本日の宿、ゲストハウス地球人の休憩所に到着。のんびりと16キロの歩きだった。このぐらいの距離だとまったく疲れない。天気もよく、沖縄らしさを感じた一日。
  ゲストハウス地球人の休憩所。声をかけても応答なし。玄関ドアに貼り紙があった。出かけていますので、ご自由におあがりください、と。
あがると、3つある部屋に、それぞれ名前を書いた紙が貼ってあった。ドアを開けるとツインベッドの部屋。リュックを置き、まずはシャワーで汗を流そう。
こうした宿の基本はセルフサービスだけど、もう慣れた。最初にボイラーのスイッチを入れること。これを知らないと、いくら待っても水しか出ない。初めてのときは、なんだ、こわれてるじゃないか、と文句を言ってしまった。
 汗を流してさっぱりし、コーヒーをいれて飲んでいると、激しい雨音が聞こえてくる。ついさっきまでは晴れていたのに、外は滝のような大雨。まさに滑り込みセーフだ。

 夕方、隣の部屋に泊まっている青年が帰ってきた。宮古島100kmワイド−マラソンに参加、100キロを走りぬいてきたそうだ。順位はなんと5位。入賞は3位までらしいが惜しいことをした。

 100キロも走ったとは思えないほど元気だ。7時半から閉会式があると、雨の中を自転車で出かけた。車はあるのだが、飲むと車で帰れないから。その根性というか、威勢のよさに脱帽。
 数十年も昔は、わたしもそうだった……。老兵は消え去るのみ、か。もう寝よう……。

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