おちついて死ねさうな

ひょいと四国へ――山頭火の句から始まったお遍路も、今回で結願だ。
88寺を巡るあいだに、がんを患い、死出の旅路の恐怖に直面し、
そして、再生の希望を見出そうと、神仏に願いつづけて歩いてきた。
山頭火ならば、そうした祈願を笑い飛ばすだろうか。

おちついて死ねさうな草萌ゆる――とよんだ山頭火終焉の地は、
結願の旅の行程と重なっている。季節もまさに草萌ゆる春。
はたして、おちついて死ねそうな境地をかいま見ることができるのか。
それが楽しみだ。

2011年4月4日(月曜日) 第1日 晴れ                ↑ページTop

 起床はいつもより1時間早く4時30分。今日は結願の旅の初日だ。気合いを入れて床を出る。
 カミさんに、聖蹟桜ヶ丘駅の高速バス停まで車で送ってもらう。バスは5時40分発。羽田空港着6時40分。予定どおり1時間で到着。ANA利用だから第2ターミナル下車。これをすぐに忘れるから困る。朝食は空港売店のサンドイッチにした。

 7時25分、ANA583便。スーパー旅割で買ったチケットなので12.170円。まともに買うと32.070円だから、約62パーセント引きになる。日常生活でこれほどの割引率はほとんど


松山駅前に建つ正岡子規の句碑。

ない。いつも思うのだが、航空運賃とはいったいなんだろう。
 予約した座席38Kはかなり後ろだった。ガラガラ状態。8時50分、松山空港着。バスで

松山駅に。9時25分着。順調、順調。
 予定では10時11分発の特急宇和海5号だったが、春のダイヤ改正で10時15分発、宇和海9号になっていた。まだ50分もある。
 時間つぶしに駅前のバスターミナルでひなたぼっこ。東京までの高速バスが出ているが、値段が片道1万2000円だ。航空運賃とほぼ同じ。飛行機が安すぎるのかバスが高いのか、よくわからない。お昼の弁当を買う。松山寿司にした。
 
 11時10分、前回の旅の終点、卯之町駅着。今日はここから歩きはじめる。18.5km(4


結願の旅の出発点、卯之町駅。

時間40分)のときわ旅館まで。今日と明日は歩くだけで、拝巡するお寺はない。
 気温低め。肌寒い。風が強いせいもある。日ざしは強いので風がなければすごしやすいのかも。菅笠が風にあおられ、手で押さえなければならないのは不便だ。

 12時30分、道路脇の畑の入り口で昼食。風が冷たい。強く吹くと、おちおち食べてもいられない。そのうえ、風にあおられてリュックが転げ落ち、はずみで脇に置いてあった寿司弁当が飛ばされた。あっ……。おかず


昼食は道路わきの畑のそばで。

は飛び散ったが、ご飯だけは無事。寿司弁当だからご飯だけでも十分においしかった。寒いので早々に出発。

 分かれ道で地図を見ていたら、突然、お遍路さんに声をかけられた。わたしの後ろから歩いてきたようだ。しばらく話し、わたしは峠道を、彼は国道のトンネルを抜けるということで別れる。

 1時前、鳥坂峠に入った。鳥坂と書いて「とさか」と読むらしい。峠の道は、きついことはきついが、お遍路4回目ともなると余裕、余裕。
 下り道になると、つま先が靴の先端までずれて強く当たる。途中でとまってくれない。紐を締めなおして少しはよくなったが、完全にはとまらない。
 そのせいかな。足の先っぽが少しこすれている。このまま歩くとマメになりそう。自動販売機があったので飲み物を買って休憩。靴をぬいでマッサージをした。最後の旅なので靴を新調したが、どうも具合がよくないみたいだ。

 杉林の中の林道を歩く。道の片側に切りそろえた木が並べて積んである。炭にするの


林道に並ぶ間伐材。しいたけの原木のようだ。

か? しばらく歩くと、並べた木の上に桜の花びらが散っている。でも、なんだか規則的すぎる。よく見ると、木に白いものが埋め込んであるのだ。なんだ、シイタケの原木か。

 4時52分、今日の宿のときわ旅館に到着。すぐに風呂。洗濯は靴下とパンツだけ。風呂場でササッと洗う。
 6時夕食。おかわりをしておかずもきれいにたいらげた。おなかがすいていたのでおいしい。
 同宿は、男女の二人組と男性一人。二人組のほうは通し遍路で、今日は29日目とか。男70代、女60代とふんだ。どうも夫婦のようには見えない。一人旅の男性のほうは、今朝大阪をバスで発ち、松山から電車で伊予大洲まできて、その足で投宿。歩くのは明日から。わたしと同じ区切り打ちのお遍路さんだった。

 ちょっと寒いかな。旅日記を書き終わり、歯を磨いたら布団に入ろう。
 8時就寝。一泊6500円。雰囲気のいい旅館だった。

▼歩行距離18.5km  歩数37.299歩


2011年4月5日(火曜日) 第2日 晴れ                ↑ページTop

 起床は5時だが、だいぶ前から目が覚めていた。たぶん3時すぎぐらいだろう。ま、寝るのが早かったから問題はなかろう。
 朝食6時。泊まっているお遍路さんの数が増えていた。遅くなって到着したのだろう。食事の前、二人組のお遍路さんが、合掌してなにやら唱えている。まず男の人が唱え、続いて女の人が唱和する。
 「一滴の水にも 天地の恵みを感じ 一粒の米にも 万民の苦労を思い ありがたくいただきます」
 なるほどなあ。これが遍路の食事作法というやつか。あとで聞いたら、男性は先達さんで、すでに7回もまわっているとか。先達さんの指導のもと、女の人が通し遍路に挑戦しているわけだ。
 
 朝食をすませ、6時30分には出発。予定は30.1km(7時間30分)先の大福旅館。今日も歩くだけの一日だ。
 
 朝はとにかく寒い。真冬並みじゃないかな。手袋がほしいぐらいに手も凍える。霜がおりているのを見かけた。
 何も考えずにただ歩いているだけの時間が増えている。特に国道なんかが顕著。刺激が単調なんだろう。少々のことではドキッとすることがなくなった。で、ただ歩くだけの状態に。これを無我の境地とは言わないだろうな。

 今日はまだ体ならしだ。淡々と歩く。同宿のお遍路さんに抜かれたのは、宿を出て2時間後ぐらい。そのあとも5、6人に追い抜かれたかな。そのうちのひとり、今日から歩きはじめた九州の男性と少し話した。
 フェリーで八幡浜に着き、電車で内子まできたそうだ。昨日思い立って急に出てきたという。宿の予約もしていないし、歩きの装いではない。退職前は電力関係の仕事をしていたといい、そのときの長靴と作業服姿だ。
 ちょうどお昼時だったが、聞くとお昼は食べない主義とのこと。朝と夜の2食。退職したらそんなやり方もありか。私は昼食、彼はのんびり歩いていくというので別れた。

 1時19分、今日もまた道端でお昼。買っておいた弁当を食べ終え、さて出発しようとし


お接待のイチゴ。無農薬でつくっているそうだ。

た矢先、軽バンに乗った人がスッと近づき、窓からイチゴをさしだして、つまみながら行きなさいよ、という。ありがたくいただく。おいしい。
 さっき、通っていった車だった。わたしが道端でお昼を食べているのを見て、急いで家に帰り、奥さんに用意させたのだろう。
「農薬かかってないから」
 ありがたいことだ。四国にはこんな人がたくさんいる。

 もうそろそろだ、と思っているうちに高校の校舎が見えてきた。これがあったら通りすぎたということ。折よく近くに人がいたので聞いてみる。案の定、曲がるべき道を通りすぎていた。逆戻り。ただし、裏通りから行く。しばらく戻ると、あった、大福旅館。着は2時46分。迷わなければ2時30分には着いていた。早立ち、早泊まりの原則どおりだ。それにしても2時台はちょっと早すぎるけど。

 それほど無理はしていないのだが、足の裏はマメができる寸前。太ももも筋肉痛。腰にもガタがきている。風呂に入り体を温めてストレッチ。疲れて気合いが入らない。畳の


大福旅館の2階の部屋。日ざしがあたたかかった。

上に寝転がっているとついウトウトしてしまう。
 西向きの窓から入る午後の日ざしが気持ちいい。部屋は2階。道路に面して出窓があり、開けると腰をかけられるほどの板張りと手すり。昔の旅館のつくりだ。年季の入った旅館もいい。
 窓を開け放って日ざしの中でまどろむ。子供が遊んでいる。はしゃぐ声が響く。のどかな田舎の町。

 昼間は半袖で過ごせるほどあたたかい。だが、日が沈むと急に寒くなる。石油ストーブがあったのでそれを使う。
 夕食5時30分。西向きのこの部屋はまだまだ明るい。6時30分になって少し暗くなってきた。寝るにはまだ早いかな。でも、そろそろ寝るか。
 一泊7000円。料理がよかった。旅館のほかに料亭や仕出しもやっているそうだ。

▼歩行距離30.1km(累計48.6km)  歩数45.980歩(累計83.279歩)


2011年4月6日(水曜日) 第3日 晴れ                ↑ページTop

 5時30分起床。布団の中でストレッチ。腰の曲げ伸ばしがいつもより不自由だ。
 朝食は6時30分の予定だったが、6時過ぎ、用意ができたとのことで早まる。これは助かる。6時30分には出発できた。
 今日は今回の旅で初めてのお寺、第44番札所・大寶寺(だいほうじ)を打つ。農祖峠経由で19.5km(4時間50分)だ。
 歩きはじめてすぐ左足の甲に痛みを感じる。なんでもなければいいが。
 寒い。今朝も霜が降りている。


第44番札所・大寶寺。

 12時12分、大寶寺着。灯明をともし、香をたき、経をあげて、朱印をいただく。44回目の参拝ともなれば、体が勝手に動いてくれる。とどこおりなく終了。これをあと44回やれば結願だ。元気がみなぎってくる。

 買っておいたおにぎりを食べ、出発。大寶寺を打ったあとは急な山道。おばさんお遍路が、道しるべがないと迷っている。昨日会った人だ。二人して地図に磁石を当てて確認し、この方向で間違いなし、と判断。少し歩くと遍路標識があった。
 次の第45番札所・岩屋寺(いわやじ)は8.4km(2時間10分)の道のりだ。ただし山道なので予定どおりの時間では着かないだろう。


 崖下に建つ第45番札所・岩屋寺。

 4時4分、岩屋寺着。予定より50分ほど遅い。海抜650メートルの山道はさすがにきつかった。本堂の背後には垂直の崖がそそりたっている。峻嶮な霊場。厳しさが肌身に伝わるお寺だ。ここでの修行はさぞや辛いものだろう。

 45番を打って、今日の宿である国民宿舎・古岩屋荘をめざす。2.9km(40分)だからすぐに着く。そう思っていたのだが、なかなか足が進まない。けっこう疲れているようだ。予定より1時間遅れの5時18分に到着。

 チェックインをすませ、すぐにお風呂。大きな岩風呂で疲れがスッと抜けていく。実にこたえられない至福の時間だな。
 6時30分、夕食。食べ終わったら疲れがドッと出た。腰がすごく痛い。予定より大幅の遅れも初めてのこと。お遍路に出て3日目だから、疲れもピークにさしかかる時期だ。書く気力がないので今日はこれにておしまい。
 7時30分、就寝。

▼歩行距離30.8km(累計79.4km)  歩数53.940歩(累計137.219歩)


2011年4月7日(木曜日) 第4日 晴れ                ↑ページTop

 昨日の夕食後からなんとなく気分が悪くなり、なかなか寝つけなかった。
 いろんな騒音――ボイラーの燃えるような音、宴会帰りの客たちの声高な会話、隣の部屋のドアの開け閉め時のものすごい音(建付けが悪い)などで、なんだか眠れないな、と思いつつ、気分がいっそう悪くなる。

 どうもおかしい。眠れないイライラ感じゃない。胃がむかむかする。吐き気? そのようだ。眠れないのもこいつが原因か。でも、今、吐いてしまうと、事態は悪くなりそうだし、なんとかやりすごせないか。

 悶々としつつ時間がすぎ、結局、我慢できずに夜中の3時、ついに吐いてしまう。それでも吐き気はおさまらない。4時にもう一度。これで少しは気分がよくなった。
 原因がわからない。熱はないみたいだし、風邪ではない。症状からすれば食あたりだろう。吐き気は少しおさまったものの、体調はいっこうによくならない。

 今日はどうしたもんか。幸い朝食は7時の予定だ。もう少し時間がある。布団の中で体を丸め、不快なおなかをなぜつつ、なんとかよくなってくれよと願う。だが、そんなことでよくなれば医者はいらない。二日酔いの朝のような気持ち悪さが続く。窓の外が明るくなる。そろそろ7時だ。決断しなければ……。

 無理してもしようがない。一日休みにしよう。部屋はたくさんあいていそうだ。
 何とか起き上がり、1階の食堂へ行く。食べる気はまったくないが、準備はしてあるはずだし、下げてもらうしかない。それにフロントで連泊の申し込みをしなくちゃ。
 自分の名札がある場所に座る。朝食のお膳が出してある。食欲はまったくない。お茶だけでも飲もう。梅干しは食べられそうだ。

 ぼんやり外を眺めながらお茶を飲む。わたしの席からは宿舎の玄関から旅立っていくお遍路さんの姿が見える。わたしが食堂にきたのと入れ違いに、お先にと声をかけて出ていったお遍路さん。一日目のときわ旅館で一緒だった大阪の人だ。

 ゆっくりと歩いていく。慣れたもんだね。焦らず急がず、ゆったりとした歩調でだんだん遠ざかる。それを見ているうちに、急にこうしてはいられない、という気持ちになった。
 とにかく起き上がって食堂まで歩けたのだ。それほどの重症じゃない。お茶を飲み、梅干し一個とはいえ、食べることができた。あんなふうにゆっくりゆっくりだと歩けるかもしれない。いや、歩ける。

 ということで、フロントには寄らず部屋に戻り、出かける支度をする。予定より30分遅れの8時出発。今日は26.6km(6時間40分)で第46番札所・浄瑠璃寺(じょうるりじ)だ。
 本来の予定は次の第47番札所・八坂寺(やさかじ・2キロ=30分)までだったが、それは明日まわし。そうすれば、泊るのは浄瑠璃寺の目の前にある長珍屋だし、距離的には楽な一日になる。もともと、4日目は疲労のピークだからと、距離を少し短くしておいた。それが幸いした。

 歩きはじめて2時間。腰からの痛みが背中全体に広がる。たった2時間でバテている。これまでの1時間歩いて休憩、というパターンでは体がもたない。今は40分ぐらいでギブアップ→休憩という感じだ。吐き気はなんとかおさまっている。

 お昼は休憩だけ。食欲はまったくなし。座り込んで体を休める。30分ほどで出発。先は長い。1 時すぎ、初めて水を張った田んぼを見た。田植えも近い。
 そろそろ峠かな。足取りが重くなる。

 お昼の休憩からが長かった。歩いても歩いても先が見えない。やっぱり今日は休んだほうがよかった。後悔先にたたず。
 番外霊場・網掛石を過ぎたのが2時42分。標識では浄瑠璃寺までまだ3キロもある。


第46番札所・浄瑠璃寺。

今のわたしに3キロはキツイ。なんの因果でこんな目に……。

 這うようにたどりついた第46番札所・浄瑠璃寺。3時32分着。7時間半かかっている。あれだけ苦しんだが、ペース的には思いのほかいい。

 4時、門前の長珍屋に投宿。どうにかこうにかたどり着けた。気分もだいぶよくなった。夕食は用心しつつ当たりそうな作り置きのものは遠慮する。いつもの半分くらいでごちそうさま。夕食後、そうそうに就寝。なんとかなりそうだ。

▼歩行距離26.6km (累計106km)  歩数41.892歩(累計179.111歩)


2011年4月8日(金曜日) 第5日 曇りち雨             ↑ページTop

 5時起床。熟睡した。わたしぐらいの年齢になると、夜中に1、2回は小用で目が覚める。それがまったくなかった。よく寝た。
 6時朝食。食欲はあまりない。ほんの少々手をつけただけ。6時30分出発。今朝いちばんは0.9km(15分)の第47番札所・八坂寺(やさかじ)だ。歩きはじめてすぐに左足の


 第47番札所・八坂寺。

親指近くの甲が痛む。靴が当たるのか?
 
 6時51分、一番乗りで八坂寺到着。二番目に自転車で回っている同宿のおじさんがきた。納経所が始まる7時を少しまわったところでご朱印をいただき、おだやかな曇り空のもとを歩きはじめる。

 降るのは間違いないだろう。が、今のところきざしはない。もう少し先のことだな。八坂寺を打って、天気も気分も、おだやかなり、おだやかなりだ。
 体の調子はまあまあ、9割がた戻ったかな。朝は下痢だったのが心配なだけ。今日はお昼までだしなんとかなる。問題はないだろう。

 実をいえば、今日の午後は道後で温泉ざんまいの予定なのだ。まさか体調を崩すとは思わなかったが、半日休養を入れておいて本当によかったよ。これが楽しみで昨日


第48番札所・西林寺。

も無理して歩けたのだから。

 8時23分、久谷大橋で小休止。雨がぽつりぽつりと落ちてきた。まだ本格的に降るとは思えない。しばらく大丈夫だろう。

 8時46分には、第48番札所・西林寺(さいりんじ)着。それからは立て続けに→3.2km(50分)で9時59分、第49番札所・浄土寺(じょうどじ)着。さらに→1.7km(30分)で10時


第50番札所・繁多寺。


第49番札所・浄土寺。











48分、第50番札所・繁多寺(はんたじ)着。
 このあたりはお寺が密集しているので楽勝。いいテンポで打っていける。
 あとひとつで今日は終わり、というところで、ポツポツ降っていた雨が本降りになった。


第51番札所・石手寺。

繁多寺の軒先で雨具を着る。
 次は、2.8km(40分)で、第51番札所・石手寺(いしてじ)だ。雨の中を歩いて11時58分着。今日の予定は終わった。


 参拝をすませ、お昼は軽くうどんでも、と道後温泉をめざす。ここからは1km(15分)たらずだ。雨も小降りになって菅笠だけでしのげそうだ。雨具を脱いで歩く。

 1時10分、道後温泉のホテル東雲亭着。チェックインは4時からだというので荷物を預け、有名な道後温泉本館へ直行。ホテルからは歩いて3分の距離だ。
 1時間1200円の「霊(たま)の湯」コース。2階席で、お茶とお菓子、タオル、浴衣、それに皇室専用の湯殿「又新殿 (ゆうしんでん)」の観覧つき。


道後温泉本館。

 「又新殿」では案内のおじさんがいた。皇族専用の門、お休みの間、そして専用の湯殿、雪隠まで案内される。
 専用湯殿はお湯が張ってなく、周囲の壁がコンクリートなので味気ない。本来はすのこをひき、お湯も出ているので、もう少し温泉らしい趣があるのだろうが。
 それにしても、コンクリートで囲まれたかた苦しい湯殿だった。露天の開放感にはほど遠い。武者隠しの間があるのでわかるように、万が一を考えて厳重な造りになっているのだろう。ま、庶民としてはあまり入りたいとは思わない。
 あとは坊ちゃんの間を見学して1時間が終了。
 そうそう、肝心の温泉だが、歴史を感じさせる古さがあり重厚感をただよわせている。だが、温泉としてはごく普通に感じた。わたしは露天派なので、開放感がない温泉は評価が低いのだ。

 ホテルのチェックインまで時間がある。アーケード街の店をひやかしながら、2、3回行ったり来たりする。雨が降っているから外を歩きまわるのは嫌だったし、足も痛い。
 日本一歴史の古い温泉、というわりには派手さを感じない。平日のせいか、アーケード街には人出がなく寂しい。昼食はチャーシューうどんとお稲荷さんのセット。おやつにぬれせんべいとアイスシャーベットを食す。食欲が戻ってきた。

 4時過ぎにチェックイン。すぐにお風呂だ。ホテル東雲亭には洗濯機がなかったので風呂場でシャツ、パンツ、靴下だけを洗濯。終わったらやることがない。
 道後温泉の名所パンフを見ていたら、明日行く予定の一草庵の内部公開は年に2回だとある。ネット情報では土・日公開とあったが、変更になったらしい。せっかく一草庵が土曜日になるように予定を組んできたのに残念。

 それほど歩いていないのにけっこう疲れている。ビジネスホテルなので夕食はなし。外で食べるしかないのだが、おなかはすいていない。小雨の中を道後温泉駅前にあるコンビニに行き、ジャムパン、ケーキパン、飲み物を買う。
 おなかはすいていないが、パンぐらいなら食べられる。少しでも食べておかないと体がもたないからな。

 食べたらあとは寝るしかない。7時をまわったところだが、早めに寝ちゃえ、と布団にもぐりこんだ。ところが、なんとしたことか、お腹がもたれて眠れない。あれれ、と思っているうちに気分が悪くなり、おとといとまったく同じ状態に!
 こんなことなら無理して食べることはなかった。いつもだったら食べずに寝るのだが、旅をしていると、体がもたない、という気持ちが先に立つ。それで食べたくないのに食べてしまう。それが裏目に出た。再び夜中の嘔吐。悪夢の繰り返しだ。

 吐いたあとも気分が悪くて眠れない。エビのように体を丸め、不快感をやりすごすうちに、とりとめのない思考が渦を巻いて立ちのぼる。

*夜中の2時28分ごろ
 漠然と考えてきた「死」について、ハタと思い当たることがあった。たしか藤沢周平の小説に、武士は一日に一度(仮想的に)死ぬ訓練をする。武士とはそんな鍛錬を行う人のこと、というテーマのものがあった。つまりは、武士とは意識的に死ぬことができる、そんな覚悟のある人のこと。ならば、死ぬ覚悟については武士に習えばいいのではないか。

 そうそう『葉隠』というのがあったな。有名な「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」というやつだ。わたしは単なるがん患者だが、死を見すえる点では似たような境遇かもしれない。けれどわたしは、葉隠の武士のようには死ぬ覚悟ができない。

 治療が成功してがんが消え、寛解となった。そして、来週の4月15日には満3年となる。3年間、生き延びた――さらに、あと2年寛解が続けば、わたしのがんは完治する。あと2年……2年だ。
 ステージ4とわかった3年前のあのときは、もはやこれまで、と思って、死を受け入れるしかないと覚悟した。もちろんイヤイヤではあったが。

 3年生き延びると、あと2年の生存を乞い願う。これは執着だろうか。だが、あと2年でがんが治る。その思いを捨てることはできない。どうしても生き延びたくなる。生き延びた自分を想像する……妄想なのか……。
 そうかもしれない。ではどうすればいい? 死ぬ覚悟を持つには?
 あー、吐き気がする。……考えるのはやめよう。

*二度目の嘔吐、そして空想
 吐きたいが、吐くものがない。水を無理やり飲み、のどに指を突っ込んで吐く。がんになってからは酒を飲んでいないが、まあ、二日酔いと同じことだろう。吐けば気分がよくなるさ。
 よろよろと布団にもぐりこむ。気分は……少しよくなった。なんか楽しいことでも考えて気をまぎらすしかないな。

*わたしが死んだあとにしてほしいこと
 晴れたおだやかな日ざしのお昼どき、みんなで静かな午餐をしてほしい。暑くもなく寒くもない季節、春か秋がいい。大きな木が日陰をつくり、さわやかな風が吹き抜ける野原なら最高だ。木陰には大きなテーブルと、そのまわりに椅子。テーブルにはランチを用意し、好きに食べられるようにする。疲れた人はシートを敷いて、芝生に寝転がるのもいいだろう。

 酒を飲める者は静かに酒を味わうこと。けっして大酒をくらってはならない。一献、また一献、喉をすぎて臓腑にしみわたるうまさを感じるような酒を飲んでほしい。酒を断って3年になるが、そんな酒ならわたしも一緒に飲みたい。

 子どもたちは思い切りはしゃぐがいい。大声で笑いあい、みんなが集まったことで興奮して飛び跳ねる。大人はおだやかに静かにそれを見守る。そうすれば、悲しみなんか感じることもない。子どもの無邪気さは救いだ。そこには未来がある。

 そんなお昼の食事会が、わたしのやってもらいたいことだ。葬儀は不要。墓も不要。季節のいい折々に、思いだしたようにまた集まって、午餐をやるがいい。そんなときはわたしもきっと参加する。姿は見えないだろうが。

*寝れないままに新しい妄想
 おだかな情景を思い浮かべていると、少しは気分がよくなる。
 それにしても、治ったと思ったのにぶり返した。原因は何だ。風邪ならぶり返しも考えられるが、熱はないし咳も鼻水もない。不調なのは胃腸だけ。となれば、風邪は風邪でも胃腸風邪じゃあるまいか。ウイルスが胃腸に悪さをしているというやつだ。
 うん、間違いないな。いったん治りかけたが、無理をしたので体力が弱り、ウイルスが復活したのだろう。

 風邪じゃないから、咳・くしゃみ・熱はないが、それがあったほうがいいかもしれない。熱があればさすがに歩けないから休んでいただろうし。
 咳や熱にはそれなりの理由があるという。
 風邪をひいたときのせき・くしゃみは、人前ではしない。とくにインフルエンザのときはマスクで遮断、ウイルスをまき散らさないのがエチケットとされる。
 が、よく考えれば、咳・くしゃみは、体内(鼻やのどに付着した)ウイルスを体外に排出するための体の防御反応じゃないか。咳でウイルスを吹き飛ばすところを、マスクでせきとめてどうするというのだ。よって、せき・くしゃみは大いにやるべし。
 もちろん、その前提条件として、患者は隔離されていること。間違っても満員電車に乗り、仕事なんぞに行かないこと。

 熱もまたしかり。いくら激しい運動をしても38度や39度の体温になることはない。が、風邪などでは簡単にそれぐらいの熱が出る。これはご存じのとおり、高い熱の下だと体の免疫機構が活発になり、侵入者をやっつけやすくなるからだ。つまり、体内で行われている侵入者との大戦争に勝利するには、熱を上げることが必須なのだ。
 そんなとき、解熱剤なんぞで熱を下げ、仕事に出かけるバカがいる。熱という援軍があればこそ免疫がフル稼働するのに、なぜに熱を下げるのか。しかも仕事に行くなど、二重にアホだね。

 とまあ、人のことはいえない。わたしもアホのひとりだ。最初に一日休んでいれば、完全に治っていたはずだし、やはりわかっちゃいるけどやめられない、のくちだな。
 うー、気持ちワル……。

▼歩行距離13.2km (累計119.2km)  歩数33,161歩(累計212.272歩)


2011年4月9日(土曜日) 第6日 曇りち晴れ            ↑ページTop

 朝になってしまった。起きるしかないな。体調は最悪だが、たとえ眠れなくても横になっているだけで疲労の80パーセントは解消できる――と何かの本で読んだことがある。
 寝床から起き上がれないほど疲れているわけではない。がんばって歩こう。そう決心したのはいいが、下痢だ。あわててトイレに。パンツにしみがちょこっとついていた。
 なんだか一気にじいさんになったような気持ち。歳をとるということは、こんな具合に、自分の意思とは無関係に体が反応してしまうということか。……もう少し寝てよう。

 とりとめもなく思いがよぎる……。そんなことをしている場合か。予定の時間だ。起きて支度をする。朝食はなし。忘れ物もなし。7時8分、ホテルを出る。

 歩きはじめた。どんより曇り。ちょい肌寒。左足の甲は相変わらず痛む。靴のせいだろう。今日最初の目的地は1km(30分)先の一草庵だ。種田山頭火の終焉の地。
 「ひょいと四国へ晴れきっている」とやってきた山頭火は、縁あってここ松山に住むことになる。昭和14年の12月から翌15年の10月まで、一年足らずの期間だが、彼の生涯では最も落ちついた安らかな生活であったようだ。

 「昭和15年10月11日早朝、脳溢血で死去。亨年59歳。念願のころり往生であった」と石碑に記されていた。ころり往生とは……。山頭火は日ごろから口にしていたというが、実はわたしもそうありたいと願っている。多くのご同輩と同じく、わたしも「ピンピンころり教」の信者なのだ。

 早朝なのでほかに人はいない。ガラス戸越しに中を見ることができる。つつましく質素な家だが、住み心地はよさそう。山頭火もいたく満足していたようだ。日記に、


一草庵。

 「一草庵――狭間の六畳一室、四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプがある、水質は悪くない、焚物は裏から勝手に採るがよろしい、東に北向だからまともに太陽が昇る、(此頃は右に偏つてはゐるが)月見には申分がない。 東隣は新築の護国神社、西隣は古利瀧泰寺、松山銀座へ七丁位、道後温泉へは数町、一洵とんぐり庵へは四丁、友人もみな、親切――、すべての点に於て私の分には過きたる栖家である、私は感泣して、すなほにつヽましく私の寝床をこヽに定めてから既に一年にならうとしてゐる、それにヽヽヽ・・・。感謝の生活、私は


ガラス戸越しにのぞいた室内。手前が四畳半。

本当にそれを思ふ」
 と書いている。

 ガラス越しに見る四畳半には明るい障子窓に向けて座り机があり、書き物などが置かれている。ひょっとして原稿か? 窓越しではよくわからない。とまれ、この部屋を書斎として使っていたのは間違いない。ここで句作の推敲を重ね、句集の原稿をしたためたのだろう。


廊下が庭に面している六畳間。

 隣の六畳は庭に面して廊下がある。そこは全面ガラス戸で、晴れた日なら日ざしが心地よい部屋だろう。また日記に「月見には申分がない」と書いてあるように、漆黒の空に月が皓皓と輝く夜も楽しかったにちがいない。だからこんな句もできた。
 ――おちついて死ねさうな草枯るる
 これは一草庵に住みはじめた12月の句だが、翌年の3月に、
 ――おちついて死ねさうな草萌ゆる
 とよんでいる。

 「死ぬることは生まれることよりもむつかしいと、老来しみじみと感じ」ていた山頭火にとって、一草庵は本当の意味で終の棲家を見つけた安堵感をもたらすものだった。そんな気がする。
 旅から旅への漂泊の人生の最後、ようやく安住の地を見つけた感泣の心境は、旅の空で病んで気弱になっている今のわたしには実によくわかる。そして、さらに一歩、「おちついて死ねそうな」心にまで至りたいものだが、なかなかむつかしい……。


第52番札所・太山寺。

 7時50分、一草庵を退去。8.5km(2時間10分)で第52番札所・太山寺(たいさんじ)。なんとか歩けそうだ。
 8時57分、小休止のときに夕食の残りのパンを食べる。吐き気はおさまっている。体調はまあまあ。
 9時8分、JR予讃線を越えた。右折。
 9時45分、太山寺着。
 10時36分、太山寺出発。
 薄日がさしてきた。次は2.5km(40分)で第


第53番札所・円明寺。

53番札所・円明寺(えんみょうじ)だ。11時11分には到着。29分に出発。

 疲れてくるにしたがって機械的にノルマをこなすだけになっている。とまれ、今日はこれまで。早く宿にいって休みたい。
 宿まで11km(2時間45分)。簡単にはいかないな。

 12時24分、海に出た。風が冷たい。宿まで


海は気持ちがいい。

海沿いの道だ。
 1時15分、お昼休み。本来なら食堂でお昼を食べるところだが、まだ食欲なし。残っていたパン、それに夏ミカン、ゼリー飲料1パック。
 靴を脱いで靴下を干し、素足で休憩できるのはありがたい。日ざしが回復したのでシートを敷いて日向ぼっこ。横になるとちょっと寝てしまった。

 3時26分、太田屋ビジネス旅館着。一草庵では室内見学を予定していたが、それがなくなった分、早く着けた。通された部屋はベッド。窮屈な感じでどうも苦手だ。
 今日は一日、うっすらと気分が悪かった。夕方6時すぎにこれを書いているが、胃の中にまだお昼に食べた揚げパンが残っているのがわかる。胃腸の不調は長引いている。

 夕食。半分残す。同席した67歳と65歳のおじさんたちは元気元気。わたしは青息吐息でごはんも食べられないのに、65歳のおじさんなんか、今日は12キロ先まですでに歩いてきましたよ、などと言う。早く着きすぎたので荷物を置き、空身で歩いて電車で帰ってきたのだという。わたしより2歳も上だぜ。疲れずに歩くコツを聞くと、すり足とのこと。明日練習してみよう。

 部屋に帰るとすぐに吐き気をもよおす。今日は我慢せずに吐く。食べたものを全部出したようだ。最初から食べなきゃいいものを。吐いたら少し気分はよくなったが、歯を磨く元気もない。そのまま就寝。7時30分。

▼歩行距離23km (累計142.2km)  歩数37,644歩(累積249.916歩)


2011年4月10日(日曜日) 第7日 晴れ               ↑ページTop

 5時30分起床。6時30分朝食。
 ご飯を2口、3口、それに味噌汁を飲んだだけで朝食終わり。これで、第54番札所・延命寺(えんめいじ)まで23.4km(5時間50分)を歩けるのかいな。体力はまだわずかに残っている感じがする。歩いてみるしかないな。
 6時48分出発。今度の旅は病気という初めての体験。足が痛いだの肩がしびれるだのとは違い、病気は不安感が先に立つ。これからどんどん悪くなっていくんじゃないか、もし寝込んでしまったらどうしよう……とか、愚にもつかないことをつい考えてしまう。
 
 今日までの旅の経験で、体のことは体に聞く、ということが少しできるようになった。足や腰の痛み、疲れ具合など、体と相談しながら歩けた。しかし、病気についてはまったくだめだ。食べたほうがいいのか、休んだほうがいいのか、わけがわからないので、つい頭で考えて行動してしまう。その結果、もう4日も不調が続いている。なんとか歩けているが、急に深刻な状態になるかもしれない。先がわからない。それがいちばんこわい。

 1時間ほど歩くと海に出た。やっぱり海はいい。気分が晴れやかになる。ぐだぐだ考えるのはやめだ。歩けるだけ歩き、歩けなくなったら、そのときに対策を考えよう。


第54番札所・延命寺。


 12時9分、延命寺着。計算すると時速4・4キロ。やっぱりスローペースだな。今日のような平坦な道なら5キロ以上、調子がよければ6キロはいかないと、予定をこなせない。ま、歩けるだけでよしとするか。

 1時21分、出発。第55番札所・南光坊(なんこうぼう)までは3.4km(50分)。途中で、同宿だった青森のM子さんと一緒になり、話しながらのんびり歩く。わたしと同年配。満開の桜で気持ちもなごんでくる。
 彼女は通し打ちで、1か月歩いてきたという。女性の通し打ちは珍しい。3月10日に家を出たそうだ。東日本大震災の前日。え、青森でしたよね、被害は? まったく大丈夫でしたよ、と。それで、そのまま旅を続けているとのこと。

 たまたま話が歩き方のコツになった。1か月も歩きつづけると、疲れずに早く歩くコツがわかるのじゃないか。そう思って聞いてみると、コツはすり足だという。これは昨日のおじさんと同じ。たしかに彼女が歩くとザザッ、ザザッと靴がこすれる音がする。へぇー、そんな音がするぐらいこすって歩いてもいいんだ。さっそくマネしてみる。
 わたしのはズッぐらい。ももを上げずに地面と平行にすっと足先を出すのは、やってみるとなかなかむずかしい。ズッ、ズッ、無音、ズッ、無音、無音、ズッ……。音が聞こえないのはももを上げてしまったとき。もっと引きずれ、引きずれ。
 ズッ、ザザッ、ズッ、ザザッ。音だけ聞いていると、足を引きずりながら息も絶え絶えに


第55番札所・南光坊。

歩いている人の足音だ。

 南光坊2時7分着。同33分出発。400メートルで今日の宿、笑福旅館だ。M子さんも同じ宿。3時前の投宿は本当に助かる。夕食まで布団を敷いて寝る。病んだ体にはいちばんの薬だ。

 夕食の前、買い物に行ってきたというM子さんからお粥のパックをもらった。
 そうだよ、おなかの調子が悪いんだから、ご飯はやめたほうがいい。どうして気がつかなかったんだろう。やっぱりお母さんは違うな。
 今日は先達さんたちも同じ宿だ。

 宿のおかみさんに頼んでパックを温めてもらうことにした。ところが、パックのお粥はとっときなさい、わたしがつくってあげるから、といわれた。
 そのうえ、腹具合が悪いときの特効薬までいただく。自家製・秘伝の梅しょうちゅう。湯呑みに半分を差し出され、ぐいと飲む。たちまち断酒3年の体が反応し、胃を中心にカーッと熱が広がる。効くーーッ!

 夕食はわたしだけ特別におかゆ。梅酒が効いたのか、前日より食べられた。
 寝る前にテレビをつけたら寅さんをやっていた。マドンナ役の若尾文子が登場し、これから絡みが始まるいいところで、寝る時間になってしまった。明日のことを考えると寝るしかないな。
 一泊二食6000円。お粥代として500円を渡そうとしたら受け取ってくれなかった。

▼歩行距離27.2km (累計169.4km)  歩数41,527歩(累計291,443歩)


2011年4月11日(月曜日) 第8日 晴れ               ↑ページTop

 5時20分起床。目覚めの気分は上々。本復のきざし濃厚だ。梅酒が効いたのか。それとも治る時期だったのか。
 朝食の前に梅酒をいただく。今朝もおかゆ。卵をかけ、先達さんたちからいただいた梅干しと、漬物、のりで食べる。ほかのおかずは手をつける気になれない。おかゆは全部たいらげたので、よしとしよう。


玄関を出る先達さん。手前がM子さん、K子さん。

 6時29分、4人が玄関にそろい、出発。先達さんとK子さんの二人組にM子さん。三人は一緒に歩いているそうだ。わたしも三人の後に続く。
 四人でさっそうと歩く、といいたいところだが、先達さんとK子さんの足は速い。油断するとすぐに姿が見えなくなる。
 ここしばらく一緒に歩いているM子さんにいわせると、午前中はくっついて歩くのは無理。午後、二人がペースダウンしたときに追いつくこともあるし、宿で再会するまで追いつけないこともある。だから一緒に歩こうとは


第56番札所・泰山寺。

せず、自分のペースで、とのことだ。

 今日は立て続けに4つのお寺を参拝する予定だ。最初は第56番札所・泰山寺(たいさんじ)で2.6km(40分)。7時5分着で無事に終了。
 次は第57番札所・栄福寺(えいふくじ)3.1km(50分)。8時着。終了。ここも問題なく打って、3つ目の第58番札所・仙遊寺(せんゆうじ)2.4km(40分)へ。


第57番札所・栄福寺。

 栄福寺の納経所のそばで出発の支度をしながら、次は2・4キロだから30分だね、なんて気楽にM子さんと話していたら、住職に、いやいや、坂道だから小一時間はかかりますよ、と言われた。
 聞いていてよかった。アップダウンの厳しい道のあげくに、数百段はあろうかという石段が待ちかまえていた。覚悟していたからよかったものの、ヘラヘラ歩いていたらどうなっていたことか。


第58番札所・仙遊寺。

 8時46分着。山門をくぐってから本堂までが苦しかった。仙遊寺終了。
 
 上りはきついが下りは楽。あっという間に山門までおり、第59番札所・国分寺(こくぶんじ)6.1km(1時間30分)方面の遍路道へ入る。
 立て続けに3寺を打って、今日の予定はあとひとつ。気持ち的にゆとりができた。まだ9時48分。スピード的にはだいぶ速くなっている。すり足歩行を練習。いい感じですれている。
 それに加え、体重・荷物の重さを利用して前への力を生みだし(前のめりになる→倒れる前に足を踏みだす)、エネルギーの節約をはかる歩行も練習中。
 欠点は、足先が靴の先端に滑りこみ、指先を圧迫、痛くなること。足が前に滑らないように甲のところで靴紐を強く結ぶのだが、それほど効き目はない。


第59番札所・国分寺。


 今日は風がやや強い。菅笠を脱いで、日ざしのもとを気持ちよく歩く。
 国分寺へは10時41分着。つつがなく納経をすませ、あとは宿をめざして16km(4時間5時間)の道のりだ。
 どうやら体調もよくなった。お昼はちゃんと食べられそう。遍路地図でめぼしをつけておいた喫茶花ぬりで昼食にする。
 12時2分、花ぬり着。
 いいお昼だった。生姜焼き定食+食後のコーヒー850円。ご飯をすべて食べるのは久しぶりの感がする。お接待でコーヒー飴をいただく。ありがたや、ありがたや。

 さて、12時47分、出発。遍路地図どおりに国道を離れ、高速道路沿いの道に入る。アップダウンを繰り返す単調な道。少し遠回りになるが、国道のほうが歩きやすかったかも。

 時計は3時半をまわった。本日の宿の栄屋旅館がもう少しのところ。体調はいい。だめなのは足。すり歩きのせいか指先が猛烈に痛くなった。とくに右足の小指、左足の薬指がじんじんする。すり足は体への負担は少ないが、足先が圧迫されすぎる。靴も合っていないのだろう。
 我慢できず、普通の歩きに変える。最後は気息えんえん、ヨロヨロたどりついた。体の疲れではなく足の痛みが原因だ。前回までのテニスシューズではここまでひどくはならなかったのに。靴は重要。これから少しはよくなってくれるのか、期待したいところだ。

 3時49分、栄屋旅館着。風呂、洗濯。洗濯は宿の女将さんがお接待でやってくれた。ここは気持ちのいい宿だ。すみずみまで手がいきとどき、清潔なのがいい。
 夕食はにぎやかな顔ぶれ。お先達さんとK子さん、M子さん、数日前からあちこちで出会っている岡山のおばさん。それに3回目ながら道を間違えて遅く到着したおばさんもいる。わたしは昨日はじめて会った人だが、M子さんたちはよく知った人のようだ。

 みなさん60前後のおばさん連中なのに、元気なこと。通しにせよ区切りにせよ、ここまでやってきたというのはもともとバイタリティーがないとできない。その意味でみんな元気がある。なぜ遍路をやっているのかはわからないが、明るく元気なのがいい。
 K子さんは、昼食に酸っぱいうどんを食べたとはしゃいでいた。ススーッと飲み込もうとするとむせかえるほどにすっぱかったそうだ。我慢して食べていたら、実は間違ってつくったということがわかった。思いだしても酸っぱい……と笑い転げている。

 夕食の席で、岡山のおばさんから耳寄りな情報が公開された。この旅館のお接待で、荷物を第63番札所・吉祥寺(きっしょうじ)の近くまで運んでくれるという。
 みんないっせいに大歓声。われもわれもと手をあげて、先達さんを除く全員が荷物を運んでもらうことにした。明日は遍路ころがしのひとつ、難所の第60番札所・横峰寺(よこみねじ)が待っているのだ。そこを空身でまわれるのは嬉しい。
 運ぶのは旅館のお接待だが、荷物を預かってくれるイトウ精肉店に志を、とのこと。300円でいいらしい。超ラッキー。
 一泊二食6000円。夕食もちゃんと食べられた。ようやく危機を脱したかな。

▼歩行距離30.2km (累計199.6km)  歩数47,960歩(累計339,403歩)


2011年4月12日(火曜日) 第9日 晴れ               ↑ページTop

 5時起床。6時前に朝食。6時17分出発。
 今日、最初に打つのは11.7km(3時間)の第60番札所・横峰寺(よこみねじ)だ。ここは標高745メートルの山頂にある。気合いを入れないと。
 といいつつも、思わず笑みがこぼれる。荷物は頭陀袋に入れたお参り道具と水のみ。重いリュックがないというのはこれほどに楽か。ぴょんぴょん飛んでしまいそうな軽い足


早朝の道を歩いているのは同宿のお遍路さんのみ。

取りで早朝の町を歩く。
 今朝は同宿の7人が勢ぞろいでスタート。しばらくすればそれぞれのペースでばらばらになってしまうのだが、こんな光景も珍しい。

 寒い。失敗したかな。空身だと体がなかなか温まらない。いつもどおりの薄着できてしまったが、それだと震えがくるぐらい寒い。歩いて体を温めるしかないな。

 9時21分、横峰寺に到着。約3時間。急峻な山道にしては驚異的なスピードだ。荷物


第60番札所・横峰寺。

があるとないではこんなに違うのか。つくづく空身のありがたさを知る。

 10時8分。横峰寺を打ちおわって山中の遍路道。同宿の連中のトップを切っている。さっきの横峰寺で先達さんたちに追いつかれたが、ひと足早く出発。次の第61番札所・香園寺(こうおんじ)は9.6km(2時間30分)。下りの山道だ。ところどころでアップダウンあり。山中から遠く海を望む。


第61番札所・香園寺。


 12時19分、香園寺着。ここは、本堂、太子堂とも屋内にある。キョロキョロさがしていたら、先達さんたちが体育館のような大きな建物の横階段から降りてきた。階段の上が本堂の入り口だという。わたしとは別の道を来た二人に追い抜かれていた。
 香園寺の内部は荘厳な造り。納経をすませ、先達さんたちと弁当+おにぎりの昼食。


第62番札所・宝寿寺。


 1時出発。1.3km(20分)で第62番札所・宝寿寺(ほうじゅじ)、さらに1.4km(20分)で第63番札所・吉祥寺(きっしょうじ)を打つ。

 ここで、荷物を預けてある肉屋に立ち寄り、再びリュックを背にする。重い。
 次の第64番札所・前神寺(まえがみじ)はちょっと長くて3.2km(50分)。これが実にきつい。しかも足が痛む。歩くのみで何も考え


第63番札所・吉祥寺。

られない。ひたすら歩く、また歩く。あ〜あ、空身はよかった……。


 2時56分、ようやく前神寺に到着。左足の小指が痛くて歩き方が少し変になっている。リュックを境内のベンチに放り投げ、奥まった本堂に行く。
 終わって戻ろうとしたら、歩いてくる先達さんたちにバッタリ。あれ、いつの間に追い越したのだろう。そんな記憶はないから、また


第64番札所・前神寺。

もや違う道を通ったようだ。

 今日の予定は終わった。あと700m(10分)で休める。3時30分、前神寺からほど近い湯之谷温泉旅館部着。
 なにはともあれ温泉だ。硫黄の湯けむりに体がとろける。
 靴下とパンツを洗濯。風呂上がりにストレッチをやり、布団を敷いて少し横になる。ここで寝てしまわないように、と気をつけているのだが、今日もウトウト。
 5時から旅日記をつけなきゃ。起きるのが辛い。もう少し寝かせてくれ。そんなわけにはいかない。今、書いておかなきゃ、あとが大変だよ。悪魔と天使の戦いは、今日のところは天使が勝って、しぶしぶ起き上がることになる。
 
 6時夕食。わたしの前の席は、昼間、いくつかのお寺で顔を合わせたご婦人。通し打ち。もうひとり、70歳だというご老体は自転車で回っている。あと6日で結願とか。通算で18日ぐらいらしいから、自転車は歩きの半分以下で回れるようだ。

 書き残しの日記をつけているうちにもう8時半。寝なくちゃ。今日はこれまで。就寝8時50分。一泊二食6970円(入湯税込み)。

 11時50分、トイレ。……。3時45分、2回目。……。朝。……の部分はウトウト状態で熟睡はしていない。横になっているだけ感が強い。毎度のことで、ま、疲れがとれるからあまり気にしない。

 夜中に目覚めたとき、左の「歯・のど・耳」一帯の鈍い痛みに気づく。場所の特定ができなく、とにかく顔の左側が痛いのだ。がんの転移という言葉が頭に浮かぶ。ほんの数センチ下、左鎖骨のリンパ節にがんが転移していた。あるいは……。
 転移の問題には触れないようにしているのだが、やはり真剣に考えておくべきだろう。治療をどこまでやるか、などを含め、基本態度を……。出たとこ勝負というやり方が正しいような気もするが、ま、それも含め、今回の旅で考察を加えること。
 ぼんやりとそんなことを考える。眠れない夜はいやだな。

▼歩行距離27.9km (累計227.5km)  歩数49,125歩(累計388.528歩)

↓続き     ↑ページTop

★拝巡したお寺
4月6日
44番・大寶寺/45番・岩屋寺
4月7日
46番・浄瑠璃寺
4月8日
47番・八坂寺/48番・西林寺/49番・浄土寺/50番・繁多寺/51番・石手寺
4月9日
52番・太山寺/53番・円明寺
4月10日
54番・延命寺/55番・南光坊

4月11日
56番・泰山寺/57番・栄福寺/58番・仙遊寺/59番・国分寺
4月12日
60番・横峰寺/61番・香園寺/62番・宝寿寺/63番・吉祥寺/64番・前神寺/65番・三角寺

















肌寒の風に揺れる桜かな(今回の旅で初めて目にした桜。0404.11:42)



久し振り お前も元気か俺も元気(最初に見かけた遍路識標。0404.11:59)



強き風 菅笠押さえ 負けるもんか(道路標識に強風注意報が出ていた。0404.13:01)


















第1日目の宿、ときわ旅館。







………………………………

















寒スズメ 何をついばむ枯野かな(0405.07:26)


追い抜かれ 遍路4人 たちまち遠ざかる(0405.10:01)





青い 雲がない 四国の空(0405.10:39)








うつむいて歩くトンネル 長い長い(0405.11:16)
































………………………………



山陰の菜の花 そこだけ明るい(0406.08:06)






杉が通せんぼ 倒れたばかりの遍路道(0406.10:59)































………………………………





































旅の空 病んだ体に思い荷を負う影ひとり(0407.08:29)







見る人がなくても満開 路傍の桜(0407.14:42)









浄瑠璃寺で見かけた石像。赤いよだれかけには般若心経が書かれていた。






………………………………









そこにあるだけで なぜかホッとする鎮守の森(0408.07:27)























































霊の湯の入り口。



歴史を感じさせる道後温泉本館のお風呂。


坊ちゃんの間。

































★『葉隠』の「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」には続きがある。
 「毎朝毎夕、改めては死に改めては死に、常住死身になりて居る時は、武道に自由を得、一生落度なく、家職を仕果すべきなり」
 死ぬ事と見付けた、つまり死ぬ覚悟がついたならば、生涯にわたり、落度なく勤めをはたせる、といっているのだ。
 いたずらに死を推奨しているのではない。逆に、生涯をつつがなく生き抜く極意を語っているようにも思える。実はそれが『葉隠』の真意ではあるまいか。
 したがって、死を見据えること、これはやはりどうしてもやるべきことのように思う。













桜の季節は心が浮き立つ。



















































………………………………


頼るのはおのれひとりか遍路旅(0409.06:01)

情けなや おならのついでに便も漏れ(0409.06:04)

嘔吐を耐える長夜がしらじら明けた(0409.06:06)

朝触れの陣太鼓 ここは松山やまいの床(0409.06:07)















種田山頭火(たねだ・さんとうか)〔1882〜1940〕
自由律俳句で知られる俳人。山口県生れ。早稲田大学文学科中退後、自由律俳句の荻原井泉水に師事。1925(大正14)年に熊本報恩寺にて得度。その翌年から生涯にわたって行乞流転の旅を続ける。1939(昭和14)年9月、四国遍路の旅に出、同年12月、松山市の御幸寺境内の納屋を改造し、一草庵と名づけて居住。1940(昭和15)年10月10日、一草庵で句会を行い、翌朝に脳溢血で死亡。享年57歳 。(
一草庵の石碑にある享年59歳は数え歳)



















おちついて死ねさうな草枯るる















ため池に水跡伸びるカモ一羽(0409.09:32)














ベッドは苦手。ツインはまだしもシングルは窮屈。















………………………………


















































































………………………………
夜中の妄想
天の高みから自分を悼む午餐を見ている。主要人物のクローズアップ。おだやかな午餐から一転して、騒々しく活気にあふれた現実の一場面。さて、そこから物語が始まるのだが……。(0411.01:54)




































最後の最後に石段かい 山の上の仙遊寺(0411.10:33)

歩いても歩いても苦しい道(0411.10:35)














追い風が背中を押してホイがんばれ(0411.09:49)


ごめんなすって先を急ぐ旅でござんす(0411.10:00)







麦の青い穂 出そろった 春(0411.13:37)

鯉のぼりにはまだ早い四月の春(0411.13:43)



春の風に白い花揺れる(0411.13:43)

足音が引きずっているすり歩き(0411.13:43)






















………………………………















山裾をぱっと明るくする桜花(0412.07:38)




きついきつい 横峰寺の遍路転がし(0412.09:16)

足にきたヨロリよろける横峰寺(0412.09:18)


ガガガガガ あれは工事かきつつきか(0412.09:19)
























まだかまだかの前神寺(0412.14:44)




前髪と前神を間違えていたばちあたりめ(0412.15:17)




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  Last modified 2011/07/03                      みきかノート/がんになってからのこと