真理に対する目覚めは……

 がんという病気はやっかいなものだ。
 ほとんどの人は、医者から宣告を受けた瞬間にがん患者、すなわち病人になる。
 それまでは健康そのもの。病気のビの字も感じたことがないにもかかわらず。
 さらにやっかいなのは、治療が成功して退院し、
 肉体的にはピンピンしているのに、治ってはいないことだ。
 いったい、この病気の真理はどこにあるのだろう。
 考えながら、歩いても歩いても、真理に対する目覚めはやってこない。
 いつになったら夜が明けるのだろうか。

2010年11月8日(月曜日) 第1日 晴れ                ↑ページTop

 5時起床。
 朝いちばんの体重は55.8キロ。服を着てデジカメや万歩計などをポケットに入れると57.4キロ。そして最後にリュックを背負うと64キロになった。計算するとリュックは6.6キロになる。これは驚異的な軽さだ。リュック自体が1.4キロなので、荷物はたったの5.2キロ。
 旅支度は軽ければ軽いほどいい。リュックを含めて5キロ代なら理想的だが、そこまでは削れなかった。次回の課題としておこう。

 6時、カミさんに車で送ってもらい、6時20分、聖蹟桜ヶ丘駅前から羽田空港行きの高速バス8806便1号車で出発。1500円。高知行きの飛行機はANA561便、羽田8時15分発。12100円。
 バス出発までは順調。が、高速に乗ったとたんに渋滞だった。おかげで搭乗口に着いたのは8時。8時15分発だから15分前通過の規定にぎりぎりセーフ。ホッと一安心。ところが、搭乗手続きが始まらない。こっちは規定どおり間に合ったというのにどういうこと。
 普段の生活では定刻が身に染みついているので、どうしてもイライラしてしまう。飛行


高知龍馬空港に到着。

機は定刻概念が通用しない乗り物だとあきらめること。たまに利用すると、このことをすっかり忘れている。

 定刻より10分弱遅れで9時54分に高知龍馬空港着。あずけた杖をピックアップし、すぐにタクシーで第32番札所・禅師峰寺(ぜんじぶじ)に向かう。
 運転手さんの情報によれば、昼間は24度とか25度もあって暑いくらいだが、朝夕は急激に気温が下がるそうだ。寒い朝は10度ぐらいのこともあり、寒暖の差が激しいという。 天気は、昨日は雨。だけど今日からはしばらく晴れが続くという予報らしい。嬉しい限り。
 タクシー代のお釣りで50円の接待を受ける。

 10時24分、前回終了した禅師峰寺着。帰参の挨拶。境内で3、4人のお遍路さんを見


雪蹊寺まで7.5キロの道しるべ。

かける。今ごろの季節も回る人が多いのだろうか。

 10時51分、禅師峰寺出発。次の第33番札所・雪蹊寺(せっけいじ)まではフェリーを使うと7・5キロ。一方、瀬戸大橋経由で歩くと8・9キロ。遠回りだが、こちらで行くことにした。
 時速4キロで計算すると2時間20分。1時間に4キロという歩行速度は、わたしには合っているようだ。それほど疲れない。

 滑り出しは上々と言いたいところだが、瀬戸大橋を渡ったところで道に迷ってしまった。右に行くか左に行くか、地図にはそこまで詳しく書かれていない。思案のしどころ。推理を重ねて、えい、左だ。……それが間違いだった。幸いなことに方向は合っていたので、ちょっと遠回りしただけですんだ。それほどの痛手ではない。

 天気は秋晴れ。遠くがかすんでいるのはなんのせいか。春霞はよくあるが秋にも似たような現象があるようだ。風が強い。気温が高いのでいい気持ち。春や夏に比べると日差しはあっても汗はそれほど出ない。初日なので感触を確かめながらのんびり歩く。

 昼食は簡単にきつねうどん。うどん屋を出て角を曲がったらすぐに雪蹊寺だった。


第33番札所・雪蹊寺。

 雪蹊寺には1時26分着。2時間35分かかっている。ただし、昼食20分と、道を間違えて遠回りした分が含まれているので、実質的には時速4キロはクリアしている。

 しばらくぶりの参拝はどうも手際が悪い。線香だ、ロウソクだ、おっと、納経を忘れた。こんな具合であたふたあたふた、時間がかかる。後からきたおじさんなんか、パパッとすませて風のように去っていった。
 境内の隅で売っていたみかん400円。買い求め、縁台に座ってのんびりと食す。うまい。さて、行くか。


種間寺への道しるべ。これがあると助かります。

 1時58分、出発。第34番札所・種間寺(たねまじ)まで6・3キロ(1時間40分)。
 当初の予定では4時30分到着予定で、5時の納経終了時間まであまり余裕がない。が、今日は昼食休みを削った分、少し余裕ができた。
 予定よりほぼ1時間先行で回っているので気が楽だ。


第34番札所・種間寺。

 3時15分、種間寺着。
 種間寺は改修工事中で散らかっており、ちょっとがっかり。納経所のおばさんがお接待でお菓子をくれた。「歩き?」と聞かれたのでそうだと答えると、何かあげるから、とゴソゴソさがして渡してくれたのだ。
 今日はこれで2回目のお接待。この旅はいいことがありそう。

 本日は種間寺で終了。3時40分、ホテルSP春野めざして出発。3・6キロ(1時間)だから楽勝。そう思ったのが間違いのもとで、参りました。ここでも道に迷った。お接待が2回なら迷い道も2回。地図とにらめっこで歩いていたのに。
 自分のいる地点を読み違えていたのが原因。いくら地図とにらめっこしても、わかるわけがない。通りかかった高校生に聞いて、ようやく間違いに気づいた。それほどムダな歩きはしなくてすんだが、初日からこれだと先が思いやられる。気をつけなくちゃ。

 4時40分ホテル着。このホテルは春野総合運動公園内にある。運動公園の施設を使う合宿用のホテルのようだ。遍路プラン一泊二食6650円也。暗くなっても遠くからテニスのボールを打ち合う音やかけ声が聞こえる。みんなスポーツの秋を楽しんでいる。
 テニスを趣味にするわたしもやりたかったが、歩いた距離はそれほどでもないのに今日は疲れた。7時50分、そうそうに就寝。
▼歩行距離18.8キロ  歩数31、072歩  使ったお金21、500円

2010年10月9日(火曜日) 第2日 晴れ、終日風強し        ↑ページTop

 早く寝たせいか3時半に目が覚める。起きるには早いし、6時まで体を休めることにした。背中から腰にかけて痛みが広がっている。左ののども少し痛む。目覚めの腸の機嫌も悪い。これは今日に限ったことではない。最近、ずっとそうなのだ。

 朝食は7時なので、その前にテニスコートを見に行った。寒い。ウォーキングをしている人の服装も冬のものだ。コートはオムニ。半面を使った立派な壁打ちコートもあった。ストレッチを少しやって朝食。

 朝食もそこそこに7時16分出発。今日は厳しいスケジュールなのだ。本当はもっと早く出たかったのだが、朝食は7時と決められている。もっと早くできないの、と思ったが、広い食堂にはわたしひとり。たったひとりのために何人かが朝早くから出勤しているわけで、わがままも言えないな。

 風が冷たく強い。歩道に植えられた木々も大きく揺れ、ざわざわと騒いでいる。この葉ずれの音も季節によって受け取り方が違う。今日のは体が縮こまる感じ。夏のさわやかさとは大違いだ。
 運動公園を出て県道36号から国道56号へ。目的の第35番札所・清滝寺(きよたきじ)


仁淀川の堤防から見えた虹。

までは12・4キロ(3時間10分)だ。
 県道36号を歩いていると右手の山の上に虹がかかっていた。晴れているのに珍しい。仁淀川を渡り堤防の道を行く。遠くにまた虹が見える。

 堤防道を歩いて町へ入る。ここで遍路標識がなくなった。どうも見落としたらしい。勘で歩くが、不安になってゴルフのスイング練習をしていたおじさんに聞いた。
 方向が完全に違っていた。軌道修正。新しい道ができていて、それで地図を読み違えたみたいだ。

 9時40分、清滝寺到着。参拝。10時14分出発。次は13・9キロ(3時間30分)先の第


第35番札所・清滝寺。

36番札所・青龍寺(しょうりゅうじ)だ。

 地図が古くて役にたたず、県道に出るのに時間をくってしまった。遍路標識を見かけないままようやく県道39号線に出る。青龍寺まではしばらく道なりでいい。

 途中に食堂も2か所ある。道路沿いだからさがす手間もはぶけそうだ。
 お昼時、1軒目の食堂にさしかかると、そこはお休みらしく店が閉まっていた。少し先にもう一軒ある。安心して歩いていたら、なんと、その店はつぶれていた。

 ありゃ〜。地図を見るとこの先は県道を外れて山道になる。店なんかなさそうだ。少し


遍路の休憩所はちょっとした公園になっている。

歩くと、ありがたいことに遍路の休憩所があった。販売機でジュースを買う。水分だけは確保できた。

 さて、どうするか。ここから山の遍路道を行くか、それともこのまま県道を行くか。
 県道はトンネルをくぐるので険しい山道を歩かずにすむし、店もありそうだ。トンネルか、山道か。
 よっぽど楽なトンネルにしようと思ったが、やはり遍路道を行くことにする。まだ2日目だし、体力は十分。

 峠道を下り終えたところに店があったのでパンを買う。これが昼食。リュックをかつい


第36番札所・青龍寺。

だまま5分。昼食終了。
 先を急いで、1時56分、青龍寺着。
 参拝をすませ、3時のおやつ用に境内脇の店でパンを買おうとしたら、それはお接待だよ、と店番のおじさんに言われた。
 この店は工芸品を売る店で、並べてあったパンはすべてお接待用だとか。ありがたいことです。

 今日のお寺はここまで。次の第37番札所・岩本寺(いわもとじ)は、はるかかなた58・5キロも先だ。寺間では5番目に長い距離がある。今日は残り時間で9・3キロ(2時間20分)歩く予定だ。
 2時23分出発。
 清龍寺の裏手から山道を抜けて県道に出るルートをとった。が、またまた迷う。地図がおかしい。時間ばっかりくってしまう。ようやく県道47号線に出た。あとはひたすらこの道を歩くだけだ。山道で予想以上に時間をくい、焦って、つい急ぎ足になる。休憩も2


明徳義塾の案内板。山道を下った先のようだ。

時間に一度に。

 歩いている途中に明徳義塾と書かれたバスに何台も出くわす。そのうち遠くから掛け声のようなものが聞こえてきた。木々の間から遠くに建物が見える。たぶんあれが学校なのだろう。
 こんな山の中で、甲子園めざしてがんばっている高校生がいるのだな。全寮制だと聞いていたが、寂しくならないのか。ついつい、いらぬ心配をしてしまう。
 人のことを心配するより今は先を急がなくちゃ。歩くこと2時間。このあたりのはずだが。分かれ道を見逃さないように慎重に歩く。細い下り坂の道があった。県道から見下ろすとはるか下に漁港がある。今夜の宿はあそこだ。
 蛇がのたくったような九十九折の山道。下りは膝にくる。いいかげんいやになったころ港に着いた。今まで飛ばしに飛ばしてきたので、到着は4時半。早いほうかな。

 港を見た後、旭旅館におとないをいれる。すぐに風呂に入れると思ったらすでに先客がいた。早泊まりはお遍路の原則だが、4時半より前の到着とはおそれいりました。


旭旅館の目の前にある漁港。

 風呂。ついでに洗濯。今日はシャツとパンツ、靴下だけなので、洗濯機を使うほどでもない。洗濯ものは屋上のものほしに干す。漁港が目の前で風通しがいい。すぐに乾きそうだ。

 夕食は5時半から。もう暗い。大きなカサゴの煮つけが出た。伊勢エビ漁の網にかかるのだとか。
 相客は通し打ちの70年配の男性。すでに20日ほど歩いているという。予定は60日。普通は40日ぐらいというから、ずいぶんゆっくりしたペースだ。一日20キロ前後を目安に回っているとか。どうりで早泊りなわけだ。

 昼過ぎから小指が痛かったが、見ると指の上側がすりむけている。左右とも。大きいのは右。2日目に靴擦れができるのは今回が初めてだ。たいしたことはないと思うが、明日は念のために絆創膏を貼って歩こう。

 7時40分就寝。隣の部屋に赤ちゃん連れの夫婦がいる。騒ぐ声や泣き声などが気になる。準備にぬかりはない。さっそく耳栓を取り出す。装着。……ん? 音が小さくならない。まったく変わりなく聞こえる。一度はずして再装着。……ダメ。100円ショップのものじゃダメか。ともあれ、おやすみ。

▼歩行距離35.6キロ(累計54.4キロ) 歩数53、792歩  使ったお金8500円ぐらい

2010年11月10日(水曜日) 第3日 曇りのち快晴 午後風強し  ↑ページTop

 5時30分起床。といっても昨日同様3時過ぎに目が覚めた。布団の中でゆっくり時間を過ごす。
 6時30分から朝食。食堂の窓から漁港が見え、その向こう、防波堤のかなたの水平線に太陽が昇ろうとしている。が、厚い雲が光をさえぎる。雲間を通して紅い筋が射し込むだけだ。それでも十分にきれい。
 朝食後、旭旅館のおかみさんが車で県道まで送ってくれた。歩き遍路だったらここは歩くべき? 宿は遍路ルートの県道から外れて港まで延々下ったところにあるから、これは由としよう。送迎もお接待のひとつ。断るのは申し訳ないし。

 車だとあっという間に県道へ。時計を見るとまだ6時59分。しばし朝日の出を待ったが


日の出は見えない。今日は30キロ。

、雲に隠れて見えない。さて、行くとするか。
 今日はひたすら歩くだけだ。次の37番札所・岩本寺までは、まだ49・2キロもある。とても一日で歩ける距離ではない。今日は30キロ(7時間30分)歩く予定だ。

 県道47号を歩き始める。道路の左下に小さく漁港が見え隠れする。さっき出てきた漁港がまだ見えている。東の空は明るいが、ほかは雲が厚くて暗い。7時45分なのにまだ6時ぐらいの感じだ。朝の爽快さはない。今日はどうやら曇りのようだ。

 1時間ちょい歩いて47号から23号へ。浦ノ内湾の深い切れ込みが終わったところが合流点。そのちょい


浮橋の看板にははエビ料理、カニ料理とある。

手前で浮橋という屋号の店が湾に浮いていた。浮船に料理屋をのっけたようなものだ。

 これを見てぴんときた。そうだ、土地がなければ海に家を浮かべればいいじゃないか。名づけて浮船庵ではどうだ。――だが、下水がネックだな。垂れ流しはやっぱりまずいだろうよ。

 大間で少し迷う。新しい道ができたせいだ。古い地図を頼りに歩き、なんだか遠回りをしたみたい。新しくできた道を通ってくればかなり短縮できたようだ。
 
 11時30分。ちょっと早いが昼食にする。絶景という名のレストランがあったからだ。入るとその名のとおり海一望のすばらしい眺め。絶景定食を頼む。ふと見ると、冷蔵庫に


お昼の絶景定食。眺めも絶景だった。

ノンアルコールビールがある。気分もいいし追加注文。絶景定食1500円+ノンアルコールビール300円。
 刺身とてんぷらがセットになった定食をぺろりとたいらげる。食べられなかった白米もようやく口になじむようになった。歩いていると、とにかくお腹がすく。

 午前中の曇天が一転して快晴になった。太陽は中天に輝き、海を照らしている。窓際のテーブルには暑いほどの日差し。いい午餐だ。ここまでの歩きの調子もいい。この分なら初めての3時台投宿になりそうだ。

 12時20分出発。
 途中の遍路道で工事中、迂回の標識が。迂回路は車が通れる広い道で歩きやすい。その分、距離はあるのだろう。最後になって本来の遍路道に戻った。やはり急坂の山道。すぐに息が切れる。

 歩きながらつらつら考える。
 この年になって過去を悔やむなかれ。別の生き方をすれば違う結果が、と思うこともある。が、そんな思いで胸を痛めてもなんにもなりゃしない。
 反省して新しい生き方を、というのは若いヤツには通用しても、還暦を過ぎれば残り時間は少ない。がん患者ならなおさらだ。となれば、反省云々はなしにして、自分がやりたいことをその日一日やる。それでいのじゃなかろうか。
 流れのままに生きるのではない。やりたいことを徹底的にやる。充実してやる。そして、その積み重ねを意識化する。意識化とは形にしてあらわすこと。

 3時26分、大谷旅館着。ほぼ予定どおりだ。初の3時台投宿。


大谷旅館着。日はまだ高い。

 風呂、洗濯。そのあと夕食までの間にこれを記す。余裕だ。
 わたしが着いたときにはすでに先客がいた。神奈川からやってきた区切り打ち3回目の人。後期高齢者になったのを期に4月、5月、そして今月と少しずつ回っているそうだ。ほかに100名山もやっているとか。元気な後期高齢者だ。

 夕食時によもやま話。明日は37番札所・岩本寺どまりにするか、もう少し先まで行くか思案中とか。今日、夜行バスで着いたばかりだというので、無理はしないほうがいいのでは、とアドバイスを。
 夜行バスには3席だけ、フルリクライニングのシートがあるそうだ。それを使ったので楽だったようだ。でも、話を聞くと値段的には飛行機の特割のほうが安い。体も楽だと思うし、夜間バスより飛行機のほうがいいと思う。

 食事を終えて部屋に戻るとけっこう寒い。足先が冷たい。コタツがほしいくらいだ。もう一度お風呂に入って体を温めようと思ったが、面倒くさい。布団に入って、あったまろう。就寝7時20分。宿賃は一泊二食7500円也。

▼歩行距離30キロ(累計84.4キロ) 歩数45、674歩  使ったお金9450円

2010年11月11日(木曜日) 第4日 曇りのち晴れ 寒い      ↑ページTop

 5時45分起床。身支度をしていると、突如、鳴り響くサイレン。な、なんだ!? 地震か、それとも津波? ……もしやと思って時計を見るとちょうど6時。時報のようだ。……よけいなお世話だよなあ。

 朝食は6時45分といっていたが、6時半には出してくれた。相客の後期高齢者のおじいさんは、言ってみるもんだね、と笑っていた。前夜、朝食は早いほうがありがたい、と頼んでいたからだ。おかみさんも朝早くからわがままな客に大変だ。

 予定どおり7時に出発。おかみさんが見送ってくれる。あいさつに気をとられ杖を忘れた。数歩歩いたところで気づく。数歩で気づくのは前より進化した。以前なら気づくのに数分はかかった。今は手が空だと数歩でおかしいと思うまで杖がなじんでしまったのだろう。
 岩本寺まで23キロ=5時間50分の予定だ。問題は大坂遍路道。高低差200メートルを一気に登る箇所がある。ひょっとしたら遍路転がしの難所かもしれない。不安。
 大坂遍路道と平行して添えみみず遍路道というのもある。添えみみずとはどんな意味かわからないのだが、そちらのほうが高低差100メートルなので楽そうだ。距離は400メートルほど長いだけ。おじいさんはそっちにしようか、思案中。私は最初から大坂遍路道と決めていた。

 天気は曇り。空一面の雲で夕暮れのような薄暗さだ。今朝はことのほか寒い。最初から長袖を着てきたが、それでも寒い。手がかじかむ。空いた手はすその中に隠し入れ、暖をとる。体を縮めて早足になる。いけない、いけない。体が暖まるまでペースは控えめに。急ぎすぎると故障のもとだ。

 30分歩いても1時間歩いても汗がでない。体はようやく暖まったが、手先は凍えたまま


寒空の下に広がる緑の生姜畑。

だ。吐く息が白い。この時期、道路脇の畑で青々と茂っている作物がある。なんだろうと思っていたら、収穫の場面に出くわした。見ると生姜だった。

 大坂遍路道。今のところ大したことはない。車がすれ違えるほど幅の広い舗装道路が続いている。起伏もない。車はたまにしかと通らないし歩きやすい。寒いだけ。
 こうやって今、歩いている自分がなんだか不思議に思える。こんな日にこんな場所を歩く必然性なんて何もない。なぜ、今、このときに、ここを歩いているのか。どんより曇って寒い空の下を歩いていると、気持ちも重くなってくるようだ。ついしようもないことを考えてしまう。

 平坦な舗装路を1時間弱歩いて、ようやく山道に入った。大坂遍路道の最後の1キロ。ここが標高差300メートルの急坂のようだ。確かにきつい。息が切れる。うっすらと汗ばんできた。
 うつむいてひたすら歩いていると、バサバサッと鋭い音とともにサルが2匹、山中から


急坂が続く大坂遍路道。

躍り出て道を横切り、崖下の林に消えていった。音に驚いてアッと顔を上げた瞬間の出来事だ。ましらのごとし、とはよくいったもんだ。

 下着がじんわり汗ばんだころ国号56号によじ登る。七子峠。見晴らしがいいが、風も強い。汗がみるみる冷えて体温が奪われる。着替えたいがそれも面倒。歩いて体を温めるとしよう。
 国道に出たと思ったらすぐに再び遍路道へ。今度は田舎道といった風情の細い道路が続く。このあたりの畑には、すっかり葉を落とした大豆が、今にも倒れそうな感じで並んでいる。どの畑もそうなっているので、収穫し損ねたわけではなさそうだ。大豆を乾か


土讃線つかず離れずまた逢うた―

しているのかな?


 空模様は相変わらず。ほんの少しだが雨が降ってきた。地面に点々と雨の跡が見えるぐらいで、濡れるほどではない。なんとかもってほしい。降れば降ったでなんとでもなるが、できることなら雨にはあいたくない。

 再び国道56号に戻って、たんたんと歩く。窪川駅を左に見て直進すると、商店街に出る。そこでは遍路通りアートフェスティバルとやらをやっていた。写真や絵が通りに面した家の壁に飾ってある。地元の婦人が数人集まって騒いでいるところを通りかかったら、食べていきなさいよ、と焼餅をふるまわれた。炭火で焼いたしょうゆ味がおいしい。今朝は5度だったとか。

 そのすぐ先が第37番札所・岩本寺だった。11時55分着。順調に時間をかせぎ、予定


第37番札所・岩本寺。

より55分早く着いた。これで58・5キロを制覇。まずは拍手だが、次はもっと長い。第38番札所・金剛福寺(こんごうふくじ)までは実に80・7キロ。遍路道ではもっとも長い難路がひかえている。気を引き締めよ。

 12時26分出発。仁王門を出てすぐのお土産店で近くの食堂を聞く。800メートル先に水車亭があるという。足摺岬方面の国道にも出られるとのこと。遍路地図にはその道はない。なんとなく不安になりながらも進んでいくと道が二手に分かれ、ひとつは大きな道で標識に国道56号、高知とある。もうひとつはやや細い道で車も通っていない。どうも国道のほうが正しそうだが、念のため、通りがかりのおじさんに聞くと、水車亭は細い道のほうだという。
 そこまで地元の人がいうならと細い道を行くが、なかなか水車亭が現れない。800メートルは歩いている。思いなおしてもとの分かれ道に戻り、国道56号をめざすことにした。が、歩き出してすぐ、勘違いしてるんじゃないかと気づく。国道56号、高知とある標識は、逆方向じゃないか。同じ国道56号でも足摺方面が目的地だ。そう思って今度は足摺岬方面に行く国道56号に出たいのだが、と聞いてみると、やっぱり引き返してきた細い道が正解!
 同じ道をまたまた歩く。大きなロスだ。水車亭が見えてきた。なんと、国道56号のすぐ脇にある。店の前が国道なのだ。
 つまり、岩本寺を出て次の38番札所・金剛福寺に行く道はこれが一番近い。遍路地図にはそれが書いてなかった。古い地図だからしかたがないのだが、そんなちょっとしたことがロスにつながり、頭にくる。
 疑心暗鬼になるとろくなことはない。ものをたずねるときは、確信のもてるまで聞こうじゃないか。

 時間をくってしまったので昼休みはなし。てんぷらうどん、630円也を食してすぐに出発。11キロ先が今日のゴール、佐賀温泉だ。4日目で温泉とはいい塩梅。ひたすら歩くのみ。

 右の膝に違和感あり。昨日もちょっと感じたのだが、今日はかなりはっきりしてきた。前回は5日目に左膝をやられた。だが、心配はしていない。なんとかおさまるだろう。右


3時を過ぎれば夕暮れの気配秋の山―

脚は頑丈なはずだ。

 お寺以外の目標は気をつかう。標識があれば助かるが、目立った看板がないこともある。遍路地図を見ても詳しくは出ていないし、気づかずに通り過ぎたら30分や1時間はすぐにロスしてしまう。3時半ごろから要注意だ。見過ごさないように。
 と歩いていたらすぐに「とこぶしのさと」の看板が。よく見ると、脇に小さく佐賀温泉と書いてある。よかった。昨日の夜、宿のおかみが相客にくれたカタログがそれ。同じ温泉でもわたしは佐賀温泉に泊まる予定だ、と言ったら、じつは「とこぶしのさと」と佐賀温泉は同じものだったことが判明。リニューアルして名前が変わったようだ。
 電話で予約したときは「ニュー佐賀温泉」と言っていた。「とこぶしのさと」なんていう名前は一回も出なかった。だから、昨日の件がなければまったくの別物だと思っていただろうし、そう思い込んだら、脇に小さく書かれた佐賀温泉の文字なんか目には入らず、通り過ぎていただろう。何事も縁だなあ。


佐賀温泉あらためとこぶしのさとに泊る。

 というわけで3時30分、無事到着。今日も早泊まりできてよかった。時間がないときは昼休みの1時間を短縮するしかないな。

 駐車場にテントを広げている人がいる。聞くと自転車で回っている野宿お遍路さんだった。寒いのにごくろうさま。わたしは温泉で体を休めます。

 フロントで朝食は7時15分と告げられる。そう決まっているならしかたがないか。明日は朝食をとらずに早立ちするほどの距離でもない。7時半出発でなんとかなるだろう。さ、温泉、温泉。疲れた体にはいちばんだ。温泉つきで一泊二食8800円也。

 洗濯機は一番だったが、温泉に入っている間に乾燥機をほかの人にとられ、やっと順番がまわってきたら調子が悪い。なんだかんだで乾燥まで終わったのは8時50分。就寝9時はこれまでにない遅さだった。
 電気を消して目をつぶると、どこからかう〜ぃ〜んという低い音が響いてくる。冷蔵庫? 換気扇? 違う。部屋の外、建物のどこかからだ。あきらめて寝るしかない。

▼歩行距離34.8キロ(累計119.2キロ) 歩数47、983歩  使ったお金9730円

2010年11月12日(金曜日) 第5日 曇りのち晴れ          ↑ページTop

 6時10分起床。寒い。窓を開けると、外は雨でも降ったかのように濡れている。
 7時15分朝食。7時40分出発。
 さて、今日は34・2キロを歩くのみ。時速4キロの計算では8時間40分。朝食を食べているときにボーイさんが雨が降ってきた、と言っていたが、今はやんでいる。地面は濡れているし、いつ降るかわからない天気だ。起きぬけは寒かったが、出発するころには


歩いても歩いても山また山、空が遠い―

暖かくなった。

 このあたりの56号線は山にはさまれた道。左手はすぐ崖で山に続く。右手は少し平地があり畑や田、そして山が迫っている。そういう景色がずっと続く。
 山本有二さんのポスターがあちこちに貼ってある。山本有三なら知っているが、有二さんはよく知らないなあ。ところで、遍路道の総計は1200キロか1400キロか、どっちだろう。
 とりとめもなくいろんな思いが頭をかすめる。
 歩きながら見える山々はまだ紅葉とはいえない。緑一色の中にポツン、ポツンと紅や黄があるのみ。男子高校に女子生徒が数人入学してきたようなものだ。

 1時間歩いたころには路面は乾いていた。雨は降らないようだ。道は国道を外れて遍


田んぼの秋コスモスが乱れ咲く―

路道へ。これまでにも見かけてきたが、高知の秋の田んぼにはコスモスを植えるようだ。盛りを過ぎたとはいえ花の咲く風景は心をなごませる。

 そんな道を歩いていると、なにやら古めかしいトンネルがある。明治38年(1905年)に完成したというから今年で105年になる熊井トンネルだ。
 電気はない。真っ暗なトンネルをこわごわ通る。古くて危険だというのではない。トンネルは頑丈そのものの感じ。ただ、ひとっこ


105年前につくられた熊井トンネル。

ひとりいない森閑とした雰囲気が、なんとはなしに恐怖を感じさせるのだ。幽霊トンネルとか異次元への通路とか、ありがちだけどちょっと怖い妄想が浮かぶ、そんなトンネルだった。

 2時間半歩いて佐賀公園駅を通過。このあたりまでくると左手はすぐ海。車がとだえると波の音も聞こえる。
 さらに1時間歩くと道は山の中へ。トンネルが見えてきた。上り坂。きつい。
 また海沿いの道。有井川駅を通過。なんだがだいぶ疲れている。きのうの寝不足が原因?
 海の向こうにかすみがかかった岬がぼんやりと見える。あれは足摺かな。


こんな道路が延々。うっすら見えるのは足摺か? 

 1時24分、かつおたたき定食1000円也の昼食。しっかり腹ごしらえもした。土佐入野の松原を歩く。長い砂浜が続く。
 ここは、Tシャツアートか砂浜のはだしマラソン、あるいはらっきょうが名物だという。らっきょうは修学旅行の生徒が体験実習に来るほどのものらしい。
 犬をつれて歩いていたおじさんの情報。高校生の娘さんがマラソン競技をやっているので応援に来たが、道が違っていた、とぼやいていた。確かに海岸通りに平行して


初めて見たらっきょうの花。

走るもう一本の道を高校生たちが一生懸命に走っていた。
 数キロはありそうな砂浜が続く海岸をあとに元の国道56号に戻る。

 3時17分、四万十川まで「あと5分・4キロ」の看板。車なら5分でも、歩きじゃ1時間だぜ。あ〜あ。今日の宿は四万十川のほとりなのだ。

 最後のひとふんばりという、こんなときがいちばん辛い。対策として、道中歌をもっと仕入れること。辛いとき、苦しいとき、寂しいときは歌になぐさめてもらおうじゃないか。たてつづけに10曲も歌えれば、疲れも忘れよう。

 古津賀駅のそばで国道56号線を離れ、鉄橋をくぐり抜けて右折。田んぼの中の道を行く。左手の丘の上に高校がある。下校時間で生徒が自転車やバイクで次々に坂を


高校生の自転車が田んぼ道を遠ざかる。 

下ってくる。三々五々、田んぼの中の道を帰っていく。
 四季折々、この風景はどう変わり、その風景の中を彼らはどんな気持ちで高校に通うのだろうか。
 遠いむかし、自分が高校生だったころは、故郷の景色の中で何を思って通学していたかな。
 田んぼの広がる風景がなつかしい。なんだかじんわりと疲れがぬけていく。
 晩秋の夕暮れには郷愁がふさわしい。そんな気がする田舎道だ。

 田んぼ道の突き当りが四万十川の堤防だった。登ると初めて見る四万十の流れがあった。広い川幅に水が満々と流れている。対岸に屋形船が4、5艘もやってある。観


まんまんと水をたたえて流れる四万十川。

光バスが1台とまっているところをみると、遊覧客がいるのだろう。
 静かで落ちついた川。観光地のうわついた感じはまったくない。

 しばらく見とれていた。歩きだす。今日泊る民宿の月白はそこからすぐだった。
 4時20分着。
 風呂に入ったあと、夕暮れの四万十川に出てみた。西の空にかかった雲がうす紅く色づいている。川風はさわやか。屋形船が対岸に帰ってきた。本当に静かな夕暮れだ。心がすっとおだやかになる。ぼーっと眺め


四万十川の夕暮れ。

ているだけで、これほどゆったりした気持ちになる川は初めてだ。なぜだろう……。
 いつまで眺めていてもあきない。

 月白のおかみさんが、風呂のときに脱いだものを洗濯してくれた。干すのは自分でやりますといっておいたのだが、散歩から帰ってみると干してある。ありがたいことだ。
 この民宿は隅から隅まで整理整頓がいきとどいていた。洗いたてのタオルがぴしっとたたんで置いてある。鏡はくもりひとつない。背筋がすきっと伸びるようで、とても気持ちがいい。
 こういうところは、やっぱりおかみさんの性格によるんだろうな。いろいろな民宿に泊まったがそう思う。

 足の裏、指のつけ根あたりがひりひり痛む。マメができる気配。前回はこんなことはなかった。どうして? 昨日聞いた対策→足裏全体に予防のテープを巻く方法を試してみたいが、テープがない。かわりに絆創膏を足裏全体に貼って、靴下を増やしてみるか。要は足裏がすれなければいいのだ。

 夕食は相客とふたり。なんと11回も回ったつわもの。いろいろ教えてもらった。8時就寝。宿賃は一泊二食7300円也。

▼歩行距離34.2キロ(累計153.4キロ) 歩数49、604歩  使ったお金8600円

2010年11月13日(土曜日) 第6日 どんよりした曇り       ↑ページTop

 5時30分起床。
 室内に干してヒーターを1時間かけた洗濯物はすっかり乾いている。
 6時30分朝食。
 起きてから1時間で洗面・トイレ・身支度・行程の確認をして、リュックを玄関に置く。それから朝ごはんというパターンが身についた。今日は50分で終了。
 靴下を2枚重ねにはく。下はごく薄いもの。左足の裏に1枚だけあった特大の絆創膏を貼る。足裏が擦れなければいいのだから、この方法が有効だろう。試してみよう。

 朝食時、相客によくよく聞いてみると、一昨日は、荷物をこの民宿に置き、空身で38番を打ってからバスで宿に戻り、昨日はまた空身で、バス→次の行程→バスと戻ってきたとのこと。それで今日は、おかみさんに車で昨日のところまで送ってもらい、その先は三原村を通って第39番札所・延光寺まで。楽勝だと笑う。

 88寺をすでに11回も回っているつわものだからこそできる歩き方。各コースの特徴もよくつかんでいる。夏は木々が茂って木陰が多くなるこのコース、冬は日当たりのいいこっちのほう、と季節の違いによるコース選定まで考えている。まいった。

 アドバイスとして、早朝、高所にいるように計画すると、湧き起こる群雲に包まれる奇跡を体験できるそうだ。空海が雲に身を投じた故事どおり、自分にもできそうな気がする、と目を輝かせて話してくれた。穴場スポットがいろいろありそうだ。が、初心者のわたしとしてはまだまだ回るだけで精一杯。

 7時出発。今日も歩くのみ。32キロ(8時間)。足摺岬の金剛福寺は、はるかに遠い。


民宿月白は居心地のいい宿だった。

 月白は居心地のいい民宿だった。きれい好き、話し好きというおかみさんの性格によるものだろう。
 ちなみにおかみさんは昭和23年生まれだというから、22年生まれの私より1年後輩だ。もうひとつ、ちなみにをいえば、相客は昭和24年生まれ。22、23、24と団塊の世代が勢ぞろいしたのはおもしろい。

 今日も朝はひんやりしている。寒いほどではない。空はどんより一面の雲。予報を信じるなら午後からは晴れるはずだ。
 宿を出てすぐに四万十川の堤防。遠くに四万十大橋がたなびいて見える。あそこを渡


四万十大橋を渡る。 

って321号線に出れば、あとは道なりのコースだ。悠々と流れる川を眺めながら歩く。

 夕べ疑問だった四万十川のゆったり感の由来がわかった。
 わたしが住む日野市のそばを多摩川が流れている。四万十川と多摩川とは同じぐらいの川幅だと思うが、四万十のほうが悠揚せまらぬ大河の雰囲気がある。なぜか。
 それは水の問題だ。四万十は川幅いっぱいに水が満ちてとうとうと流れている。それにひきかえ多摩川は、広い河原の端っこを細い流れがちょろちょろあるのみ。川幅いっぱいに水が満ちるのは台風などの大雨のときだけ。この違いなのだとわかった。
 四万十は大人であり、多摩川は小人。違いはまんまんとたたえた水量にあった。

 1時間ほど歩くと321号は山間の道になる。両側を山に囲まれると、景色に変化もなく黙々と歩くしかない。
 そういえば、前に考えた浮船庵には、広いウッドデッキがあり、そこにはみごとな実をつけた果樹が育っている、というのはどうだろう。海の上だし、土はないのに、見た人は驚くはず。秘密は浮船の下に設けられた真水精製水栽培システムだ。水面下の木の根はそのシステムに植え込まれていたのだった。


轟々とぎらつく目玉の大群―


 なんてことを夢想しながら歩いていると伊豆田トンネル→1620メートルが見えてきた。歩きだと20分以上かかる長大トンネル。ひどいほこりなんだろうな。

 ようやくトンネルを出ると、寒い。半そでになったのが間違いだった。休憩タイムだが、寒すぎて休む気になれない。このまま歩くことにする。

 11時になって、休憩。おばさん3人連れの遍路とすれ違う。
 すれ違う遍路といえば、愛想のいい人あり、ぶっきらぼうな人あり。なかにはすれ違うのが嫌なあまり道の反対側を歩く人も。
 なぜ、それがわかったかというと、私の歩いている側には歩道があり、向こうから来るお遍路さん側にはない。普通は危険な車道は通らないはずだが。すれ違ったあと何気なく振り返ってみたら、そのお遍路さんは道路を渡って歩道側を歩きはじめた。本当は最初からそうしたかったのだろうが――。

 12時昼食。時間ぴったりに中華屋が現れた。酢豚定食800円。靴下までぬいではだしで食す。重ね着の靴下の薄いやつを交換。乾いた靴下はなかなかいい感じだ。靴擦れもできていない。

 12時30分、中華美浜を出発。すぐに321号を左にそれ、大岐の浜に出る。砂浜が延


砕ける波音 轟々と連なる 大岐の浜―

々と続いている。波乗りをしている人が数人。あとは人影なし。波打ち際を歩く。

 寄せては返す波の音が轟く。今日は荒れているのか。風は半そででもいいくらいに暖かいので、気分はいい。冬の風なら荒海と感じるのだろうが。

 砂浜の着き当たりは崖。その小さなスキマに黄色い布がはためいている。近寄るとそこが遍路道。坂をよじ登って県道へ。
 以布利漁港を過ぎると再び海岸に出る。今度は岩だらけの海だ。ちょっと歩くとすぐに


遍路道の標識がある海岸。 これが道?

山中。ここから県道に出るのがけっこう長かった。ようやく道路に出ると、そこは県道27号と347号の分岐点だった。
 今日泊る民宿紆海(うみ)は、347号方面で、500メートル先の看板が出ていた。

 2時27分到着。
 こんなに早い投宿は初めて。予定の4時40分に対して2時間以上も早いなんてどう考えてもおかしい。どこかで距離を間違っているのかもしれない。まあ、一日曇りで寒いところも多かったから、急ぎ足になったのかも。アップダウンもなかったしね。

 応対に出たお姉さんが言うには、自分は立川からお嫁にきたんだと。日野市の隣じゃないか。しかもお父さんの名前がわたしと同じ彰。しかもしかも、今日、じじ・ばばが遊びにくると、2歳の子供が話してくれた。なんたる偶然。

 風呂、洗濯。乾燥機があったので乾燥も。
 夕食は6時前に電話で呼び出された。食堂に行くと、子供2人、おばあさん1人、お兄さん1人、お姉さん2人が食事を待っている。宿泊客ではない。
 ここは、どうもなにかの施設のようだ。お兄さんや子供は両手に包帯様のものをつけているし、お姉さんの顔が赤い。アトピーなのはひと目でわかる。会話の端々から推察するに、入院してアトピーを治療する施設のようだ。部屋が空いていれば、片手間に民宿もやっているのだろう。

 あまり話すこともないし、みんなもお遍路には関心がないみたいなので、黙々と食べる。お兄さんがツイッターの話をしていたので聞いてみたら、闘病の様子をツイッターしているそうだ。

 乾燥機を見にいったらおばあさんが顔を洗っていた。聞くと1時間では乾かないこともあるとか。その場合は部屋に干す。暖房を入れればOK。
 部屋に帰ってみたら、どこをさがしてもリモコンがない。この部屋は暖房を使わせないようにしてあるの? テレビもコイン式だし、案外ケチだなあ。
 今日は楽だった。7時40分就寝。一泊二食7500円也。

▼歩行距離32キロ(累計185.4キロ) 歩数42、985歩  使ったお金8600円

2010年11月14日(日曜日) 第7日 雨のち曇り           ↑ページTop

 5時30分起床。外は大雨。夜中に目が覚めたときからずっと降り続いている。今回の旅で初めての雨だ。うとうとしながら雨音を聞いていた。
 2時か3時に目が覚めておしっこをし、それからほとんど寝ることができずに朝を迎える。そんな日々が続いている。考えてみれば8時前には寝ているのだから、2時の目覚めで6時間、3時なら7時間寝ている。それから先、目が覚めていても布団の中で休んでいれば、体力的には問題ないみたいだ。

 6時30分朝食。日曜日はパン食だけどそれでいいですか、と言われたので、みんなに合わせてパン。
 7時出発。初めてポンチョを着る。そこではたと気づいた。ズボンのポケットに入れた


雨の県道27号線を歩く。

カメラやヴォイスレコーダーが取り出せない。いちいちポンチョの前ボタンを外して出し入れするしかない。レインオーバーシューズをつけるのにもてこずる。予行演習をやっておけばよかった。
 金剛杖は紐をつけてたすきがけ。両手は空にしてできるだけ濡れないようにする。

 今日はいよいよ第38番札所・金剛福寺(こんごうふくじ)を打つ。ここから11・8キロ=3時間の距離だ。
 雨が降っていてまだ夜の気配が漂う道を歩く。寒い。1時間ほど歩くとポンチョの中が蒸れて暑くなり汗がべとべとだ。

 道端に小さなテントがはってあった。まだ寝ているようだ。杖が置いてあるのでお遍路


道路脇の休憩所に張られたお遍路さんのテント。

さんだろう。ご苦労様です。
 雨だからといってペースはそれほど落ちないが、やはり不便だ。撮影や録音が簡単にできず、つい歩くだけになってしまう。
 左足のオーバーシューズがすぐに外れる。応急処置として上から紐で結ぶ。

 9時30分、雨があがったみたいなのでポンチョをぬぐ。せいせいした。と思ったら細かい雨が降りだす。えい、このまま行っちゃえ。天気はよくなるみたいだから。
 歩いていたら本当にやんだ。ラッキー。

 10時4分、ようよう金剛福寺着。お寺に入る前に足摺岬の展望台があったので、そち


足摺岬の海は荒れていた。

らに寄ってみた。ジョン万次郎の大きな銅像もある。海は荒れていた。写真をパチパチ撮ってすぐにお寺へ。時間をとられたくない。参拝と祈願。

 おみやげ店でおにぎりを2個握ってもらう。1個130円。昼食用だ。
 10時23分出発。ほぼ予定どおり。今日は金剛福寺だけで終わり。次の第39番札所・延光寺(えんこうじ)までは53・8キロ。これまた長い。打つのは明後日にな


第38番札所・金剛福寺。

る。今日はペンション木のくじらが次の目的地だ。20キロ=5時間の予定。

 岬の東側を回る道もあるが、見晴らしがよさそうなスカイラインを行くことにした。距離も少し短い。が、これが大ハズレ。最初は上り坂が1時間。道路は立派だが見晴らしが悪い。ひたすら山の中をくねくねと登るのみ。疲れる。
 1時間過ぎたころ、ようやく下り坂が始まる。ひとやすみ。おにぎりを食べる。美味。

 下りは楽だ。大またでずんずん降りる。はたと気がついた。下りは小またでチョコチョコ。原則じゃないか。あわてて切り替える。
 登りと同じく下りも延々と続く。道の両側は木立が茂り、見通しはまったくない。スカイ

ラインからイメージする景観などゼロ。歩くときの楽しみがないと、これほど疲れるものか。

 ようやく峠を下り終えて土佐清水の街並みをぬけ、清水港、あしずり港を過ぎる。そろそろペンションへの入り口があるはずだ。看板があった。左折する。
 国道321から外れてすぐだと思っていた。すると、それらしい建物が……違う。そのまま行くとまたそれらしい建物が……違う。まだ先。そうか、海に近いところにあるのだ


ペンション木のくじらのベランダから見える海。

。思ったとおり、海のすぐそばまで行ってようやくあった。敷地西側の一角から海がのぞいている。いい場所だ。3時36分着。

 ペンション木のくじらはログハウスで木の感触が気持ちいい。ちょっとしたロフトもついている。天井がないから部屋が高く感じる。部屋自体も10畳はありそうかな。一泊二食8300円也。ベランダからはサンセットが。ちょうど日が沈む時刻だった。

 夕食時にオーナーと話す。ログハウスは坪70万円ぐらいでできるそうだ。このペンションは40万。自分も手伝ったので安くできたという。ただし1年2か月の建築期間中は、会社をやめてかかりきりだったそうだ。
 そうそう、四国に来てから春霞みたいなもやがたびたびあったが、あれは黄砂だったようだ。11月の黄砂は5年ぶりのことらしい。春にはよくあるらしいが。

 さて明日は早立ちだ。もう寝よう。7時45分就寝。

▼歩行距離31.8キロ(累計217.2キロ) 歩数45、394歩  使ったお金8860円

2010年11月15日(月曜日) 第8日 晴れ               ↑ページTop

 今日は歩くだけだが距離が長い。36・4キロ=9時間10分の予定。7時出発だと宿到着が5時をまわってしまう。そこで伝家の宝刀、早立ち。5時23分出発。
 前日に頼んでおいたお握りが約束の場所に置いてあった。それを持ち、出ようとするとオーナーが顔をみせた。朝早く起きなくてもよかったのに。律儀な人だ。見送られて真っ暗な道を歩きだす。

 見上げると満天の星。明りがないから星がきれい。それはいいのだが、国道に出ると


自販機の明りがなければ真っ暗だ。

歩道の様子がまったく見えない。
 まいった。懐中電灯は持ってないし、勘で歩くしかない。車道の白線だけはうっすら見えるが、その上を歩くわけにもいかない。
 この時期、早立ち5時30分というのは誤算だった。道路の状況がわからないほど暗いから、標識も見えなければ手元の地図も見えない。今日はたまたま国道を直進するだけだからいいけど、そうでなかったらアウトだ。今の時期は早立ち6時というのが妥当なようだ。
 6時43分、国道321号を離れ、いよいよ三原村への山道に入る。といっても2車線の立派な舗装道路だ。入り口に立て札があり、工事中、通行規制とある。ぎょっとしたが規制は車だけで歩行者は通れる。
 さて、腹ごしらえのお握り。が、寒くておちおち食べていられない。一個食べただけで出発する。海沿いから山に1時間入っただけでこんなに気温が違うのか。寒い寒い。たまらずに長袖を出して着る。

 2時間歩くと道路工事をやっていた。そこまでは2車線の立派な舗装道路だったが、工事区間を過ぎると細い一車線の山道。車はまったく通らない。車両通行止めだから、車が通るわけがない。ということはこの道路はわたしひとりのもの?


杉刈りしあとのモヒカン山―

 この山道は実に気持ちがいい。きのうのスカイラインとは雲泥の差だ。見晴らしがいいからだ。連なる山並みを眺めたり真下の峡谷をのぞいたり、目に入る景色が疲れを癒してくれる。登りのきつさはきのうと同じぐらいだけど、疲れ方は全然違う。

 10時過ぎには三原村が見えた。はるか下だが、それでも実際に見えると元気が出る。早立ちのかいあり。
 それにしてもさっきから蜂が近寄ってくる。汗のにおいかな?

 ひとりで独占した道路が終わり、車も通りはじめ、やがてトンネル。くぐると三原村だった。想像したのとは違い、山間の細長い村だ。
 通り抜けるまで食堂はなし。しかたがない。12時をまわったし、朝の残りのお握り一個とバナナ一本のお昼ご飯。三原村の農業構造改善センターのベンチで。


日当たりのいいベンチでお昼休み。

 でもなんだかすごく満足。気持ちのいい昼下がりだ。風は強いが建物のかげなので当たらない。南向きで日当たり良好。あ〜静かだなあ。

 あったかい日差しを受けて体をもみほぐす。とろけそうなほど気持ちいい。特に足の裏と指。本格的な疲労回復マッサージのやり方を学んでおくこと。

 日向ぼっこを楽しみながらお昼の休憩をぼんやりすごす。
 今日で8日目か。だいぶ慣れた。歩くことにも自信がついた。次は3月から4月にかけて20日ほどやってみようか。それで回り終えるかもしれない。そうしたら、次は海外版のお遍路、サンティアゴ・デ・コンポステーラというのはどうだろう。……いいかもしれない。

 四国のお遍路は1200キロ。同じような巡礼コースがスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラだ。これは800キロ。合わせて巡礼2000キロの旅。いいなあ〜。行ってみたい……。

 たっぷり休憩して、12時51分出発。あと8キロ。3時には間違いなく今日の宿に着く。そう思うとゆったりとした気分で歩くことができる。これも早立ちのおかげだ。いつもどおりの7時出発だと、到着は4時30分になってしまう。それを考えるといい気分。

 今ノ山経由の三原村越えは難所かと心配していたが、予想とは違い大部分が歩きやすい舗装道路だった。助かった。
 普通は、38番札所・金剛福寺を打ったあと、打ち戻りで元の東海岸を市野瀬まで戻り


集まる客が予想つく居酒屋ますおさん―

、そこから三原村越えをするそうだ。そちらのほうが距離が短い。でも、同じ道を戻るの

がイヤで益野→今ノ山経由にしたが、まあまあだったと思う。

 お昼の休みをたっぷりとって足もみまでしたので元気いっぱい。2時25分には平田到着。宿直行では早すぎるのでスーパーで買い物。単4の乾電池とティッシュペーパー、明日の昼食用のパン、みかんなど。
 スーパーの一角に備えてあったテーブルで、買ったプリンを食しながら3時の休憩。明日の行程をチェックして時間をつぶし、3時20分に旅館ひらた荘投宿。

 風呂、洗濯、旅日記といつもどおり。5時50分には終わった。6時30分の夕食まで時


部屋に入るとすでに布団が敷いてあった。

間がある。ここはありふれた町で見るところもなさそうだ。久しぶりにテレビでも見るか。
 それにしても殺風景な部屋だな。いやいや、文句はいうまい。一泊二食5500円だ。
 夕食のあと、テレビのニュースを見て7時50分就寝。

▼歩行距離36.4キロ(累計253.6キロ) 歩数51、597歩 使ったお金7000円ぐらい

2010年11月16日(火曜日) 第9日 気持ちいい晴れ        ↑ページTop

わたしひとりの朝食。いただきます。

 5時30分起床。6時30分朝食。かまぼこ、大根おろし、のり、卵、味噌汁。そっけない朝ごはん。
 6時47分出発。第39番札所・延光寺(えんこうじ)まではここから2・7キロ(40分)の予定。テレビのニュースで今年一番の冷え込みといっていたが、そのとおり。寒い。手袋がほしい。

 7時16分、延光寺着。朝の境内はすがす


第39番札所・延光寺。

がしい。7時37分出発。次は25・8キロ(6時間30分)先の40番だ。
 2時間歩いて宿毛を過ぎ、国道56号を離れて遍路道に入る。両側に杉の木立。ハイキングコース的な道だ。今、第一村人とすれちがう。地図で見る限りたいした起伏のある道ではなさそうだ。

 11時、松尾峠の頂上着。ベンチで休んでいたお遍路さんと話す。もう13回もまわったベテラン。春と秋の年2回、通し打ちをやっているという。池袋の人だった。聞くと今日の行程は私と同じ。宿も同じだった。
 よもやま話のついでにアドバイスされる。靴はアスファルト対応のもの。登山対応は考えなくてもいい。リュックも軽いもの。空身を1とすれば、5キロの荷物で1・5倍、10キロで2倍のカロリー消費になるそうだ。
 5分の予定が15分も休んでしまった。出発。しばらく一緒に歩いたが、膝をやられているのでお先にどうぞ、と言われる。先に行く。

 お昼を過ぎた。太陽がさんさんと照り、秋の山里は車もなく人もなく静か。小鳥のさえ


観光用なのか、水車が数基並んでいた。

ずりがあちこちから聞こえ、頬にさわやかな風が吹く。そんな景色の中でやるのは歩くことだけ。ほかにしなければいけないこともなく、考えることもなく、まったく自由な時間。浮世ではここまで自由にはなれまい。それが遍路のいいところ。

 昼食は道端で、昨日買っておいたパン。20分休んで早々に出発しようとしたら、自転車にのった浴衣姿のおじさんが話しかけてくる。
 歩くのは大変だねえ、から始まって、何度も回っている人は一種の病気だね。医者がとめるのに健康のために走るとがんばってる人がいるけど、それと同じだよ、などとき


第40番札所・観自在寺。

りがない。ま、それはそのとおりなんだが。

 2時39分、第40番札所・観自在寺(かんじざいじ)着。
 納経所に張り紙があった。へんろみち保存協力会の宮崎建樹さんが行方不明とのこと。ここ4、5日のことらしい。70歳ぐらいでスズキの軽ワゴンに乗っているそうな。
 面識はないが、宮崎さんには遍路地図や遍路標識でお世話になっている。心配だ。

 3時16分出発。これで今日は終わったようなもんだ。宿まで2・6キロメートル(40分)。ちゃっちゃっと歩いて3時46分、民宿よしもと着。

 夕食時、途中の山道で一緒になった人と話す。安さん。62歳のときに最初の通し打ち。それから13回の通しうちをやっている。70歳をいくつか越しているだろう。

 35歳で4、5億かせぎ、食べるために生きる生活から、生きるために食べる生活に変えた。カウンセリングの勉強をし、仏教にも目覚める。
 生まれたときの人(素の人)はものが見えない、無明である。その人を光明に引き上げるのが仏教の目的。教育でいえば、今は教だけあって育がない。無明→光明がほんとうの教育では。13回も遍路をやっているのはカウンセリングで人の役に立つため。

 熱心に話してくれる。最近は、悩みをもって歩いているというより、アスリート的な人が増えたと感じるそうだ。カウンセリングの機会が減ったということだろう。それが寂しいのか、話に反応するわたしには熱心に語りかけてくる。
 いろんな人がいるなあ。35歳で5億の稼ぎには少し興味があるが、62歳になった今、その秘訣を聞いてもしかたがない。うらやましくはあるが、たぶん自分にはやれるわけ


民宿よしもと。料理のおいしさは太鼓判。

もないだろうし。

 民宿よしもとの夕食はおいしかった。きのうとは大違い。早立ちで朝食はいらないというと、その分を安くしてくれた。一泊一食(朝食なし)6500円也。お握りを頼んだので朝食代をとってくれといってもきかない。好意をありがたく頂戴する。

 さて、そろそろ寝るか。明日は早立ち6時の予定。39キロという今回最長の距離だからなあ。7時50分就寝。

▼歩行距離31.1キロ(累計284.7キロ) 歩数45、349歩  使ったお金7000円

2010年11月17日(水曜日) 第10日 晴れて寒い          ↑ページTop

 昨夜は11時過ぎに一度目が覚めて小用。それから4時過ぎまで寝ていたようだ。隣の部屋のおじさんの苦しそうな寝息と寝言で目が覚める。
 仏教を20年も学び、カウンセリングで人助けをしている悟りの人が、なぜ、あんな苦しそうな寝声を出すのだろう。不思議だ。初対面の人の話を100パーセント信じることなかれ、か。

 5時20分起床。5時36分には出発。例によってまだ真っ暗。道路の状況もわからない。慎重に歩く。慣れたせいか、おとといの早立ちに比べると歩きやすい。
 昨夜、ルートを検討した。今日は宇和島が目標。予定の国道56号だと1700メートルもある松尾トンネルを通る。そのほうが時間もかからないが、あの轟音や排気ガスはやはり耐えがたい。1・7キロ余計に歩くが旧国道を行くか……。

 どうしようか。歩きながら体の調子をみる。今回の旅は明日で終わり。調子はいい。足のマメ、筋肉痛、いずれもなし。腰の痛みは感じるがこれはいつものこと。
 気持ちはどうだ。歩ける自信は――ある。じゃあ、39キロ+1・7キロ=40・7キロ、初


道端での食事はこんな所で。今朝はここが食堂。

の40キロ超えに挑戦してみるか。10時間の長丁場だ。ペースを乱さないこと。あっと、しまった。お昼の弁当を忘れてるじゃないか。なんだかなあ。

 6時30分、お握り2個の朝食を道端で。終わって6時49分出発。風が急に冷たくなってきた感じがする。

 いやー、実に危ないところ。登校途中の子供たちが集まっているのに気をとられ、遍路道の入り口の標識を見落とすところだった。ふっと見たら右折の標識。地図では何度も確認し、見落とさないようにと念じていたのに、あぶない、あぶない。注意すること。見落としていたら20分や30分、すぐにロスして


小学生がつくったお接待の花畑。心がなごむ。

いたぞ。

 長い登りの遍路道。広い舗装道路に出たが、すぐにまた遍路道へ。疲れた。右の胸のあたりがときどききゅんと刺すように痛くなる。おとといぐらいからだが、昨日、今日とだんだん場所がはっきりしてきて、なんだか横隔膜のような気がする。
 どうやら頂上だ、下り坂になってきた。あーよかった。
 10時37分、国道56号にぶつかる。いい遍路道でした。……が、また国道をそれるみたいだ。

 11時42分、津島大橋を通過。けっこう川幅が広い。白い水鳥が群れている。そろそろお昼だが。食堂をさがしながら歩いていると、コンビニがあった。ここでいいか。この先


コンビニの駐車場がレストラン。

、何もないかもしれないし。
 意外にいいお昼でした。コンビニの広々とした駐車スペースの一角にしつらえられた白いテーブルとイス。秋晴れの山をみながらのんびりとしょうが焼き弁当を食す。

 12時37分、昼食終わり。出発。残り14キロ。まだ1時前だ。これで今日のめどが立った。問題なく宇和島に着ける。
 1時13分、松尾トンネルのすぐ前で国道をはずれて遍路道に入る。3・7キロの表示あり。地図に出ていた旧国道の遍路道ではない。別ルートになったようだ。とにかく表示どおりで問題ないだろう。

 登りの山道を歩いて1時35分には頂上の遍路小屋に着く。5分休んで頂上を出発。


遍路小屋。ここでの野宿は寒そうだ。

遍路小屋の脇にテントを張っているおじさんがいた。けっこう寒い。今日はここで野宿だと言う。だいじょうぶなのだろうか。

 遍路道から国道56号に戻って歩いていると、ショッピングカートを引いて歩いているおじさんに追いついた。
 聞くと最初からそのスタイルだそうな。野宿なのでキャンプ道具一式が重いらしい。みんながんばってるね。お接待されたというみかんを一個もらう。
 3時すぎには宇和島の町に入る。宇和島は静かな町だった。とくに川沿いの道はいい雰囲気だ。

 3時49分、特別のトラブルもなく宇和島リージェントホテル着。今日はビジネスホテル。もう少し行くと旅館や民宿があるのだが、疲れ切った身にはそのもう少しが辛い。なの


旅の最初がベッドで最後もベッド。

で、道路沿いでは最初になるこのホテルに決めたのだ。

 荷物を置き、風呂に入ったあと、近くのサンクスに明日の食料の買いだし。宇和島城によろうかとも思ったが時間がもったいないのでやめた。観光は次の機会に。
 コインランドリーで洗濯・乾燥。夕食はホテルの食堂で。素泊まり5300円+夕食1500円也。
 背中がすごく痛い。考えたら今日は40キロ超なのだ。歩き終わった直後は大したことはなかったが、やはりガタがきている。メンテを十分に。明日は最終日。就寝8時。

▼歩行距離40.7キロ(累計325.4キロ) 歩数57、482歩  使ったお金8400円

2010年11月18日(木曜日) 第11日 晴れて寒い          ↑ページTop

 5時20分起床。明るくなるのをまって6時15分出発。
 まだ薄明かりだが、遍路標識は見える。第41番札所・龍光寺(りょうこうじ)までは10・4


凍える体に活をいれ歩き遍路は今日も行く―

キロ(2時間40分)の道程。明けきらない宇和島の町を歩く。
 30分歩いて宇和島の市内を抜ける。空にはまだ太陽は出ていないが、いい天気になりそうな気配。宇和島は港に面した町というイメージがあったが、港のみの字も感じられなかった。
 体調良好、足運びも快調。ただ、寒い。歩いても歩いても体が暖まらない。こんなときこそ遍路の真骨頂を見せなければ。とにかく辛抱して、一歩一歩、歩くこと。
 8時。山にさえぎられていた太陽がようやく出てきた。やっぱりあったかい! 元気が出て、ガシガシ歩く。もう少しだ。務田の駅前で左折。30分歩いて41番札所・龍光寺着。


第41番札所・龍光寺。

朝まだ早い境内には参拝の人もなく、本堂・太子堂と祈願する。

 9時19分、龍光寺を打って、次の第42番札所・佛木寺(ぶつもくじ)に向かう。3・6キロ(50分)だからどうということはない。太陽は照っているし、とんびものどかに鳴いている。ようやく遍路日和になった。
 先達に案内され、一列になって歩いてくる遍路の一団とすれ違う。二十名ほどだろうか。歩き遍路と思ったが、歩くのは要所要所だけで、あとはバスで巡っているようだ。先回りしたバスが次の佛木寺で待っていた。

 9時54分、佛木寺着。参拝をすませ、しばし休憩。風はちと冷たいが、日が暖かく小


第42番札所・佛木寺。

春日和なり。のんびりと日光浴を楽しんで、さて、出発。時計は10時半をまわったところだ。体がぽかぽかしていたのでつい門前のアイスを買う。失敗。お腹が冷えること。

 当初の予定では佛木寺を最後にし、最寄りの駅まで歩いて松山→空港→帰京としていたのだが、これまでの歩きで次の第42番札所・明石寺まで打てる自信がわいてきた。そこで昨夜、急きょ予定を変更し、新たに明石寺をつけ加えた。
 佛木寺を出て30分ほど歩くと峠越えの道に入る。300メートルほどの標高差がある歯長峠は11時36分に通過。下っていくとやがて県道31号にぶつかる。少し歩くと橋が見え、あれを渡って左折すれば29号だ。時計を見ると12時35分。お昼の用意をしていなかったが、少し休んでいくか。ちょうど遍路の休憩所がある。
 近寄っていくと、突然、お遍路さんどうぞ、と声をかけられる。見ると60年配のおじさんがみかんを手に笑いかけてきた。

 みかん3個のお接待。隣町の八幡浜から車でやってきて、この橋のたもとで待っているという。自分も遍路をやっており、お接待を受ける立場なのでそのお返しとか。デジカメの写真を見せてくれたが、遍路以外にも熊野古道や石鎚山、大峰山など、各地の聖地を巡っている。

 昨日は5人。今日は何人になるのか。にこやかに話すおじさん。お接待が趣味になっているんだな。いい人なのはわかるが、話が長引くとちと困る。
 先を急ぐ身ではあるが、話の腰を折るのもどうか。なんて思っていると、年配のご夫婦がやってきた。おじさんは小走りに寄って行き、手を引かんばかりにベンチへ誘う。
 間をおかず、わたしが山中で少し話をしたお遍路さんがやってきて、これまたおじさんにつかまる。彼は今日は明石寺泊りと言っていたな。時間はたっぷりあるはずだ。お相手は譲ろう。わたしはお先に。これ幸いと逃げだす。

 途中で弁当を買い、道路脇の遍路小屋で遅い昼食。寒くなってきた。早々に出発。地図を確認していると、通りがかりの人がわざわざ自転車を降りて道を教えてくれた。お


第43番札所・明石寺。

かげで遠回りをせずに、1時58分、無事に到着。明石寺の最後の坂道は、紅葉がすばらしかった。この寒さで一気に色づいたようだ。昨日と違って今の時刻になっても風が冷たい。

 今回の旅もここで最後だ。秋まっさかり。紅葉がすばらしい境内で、故障もなく無事に終わったことに感謝、感謝。墨痕あざやかな納経帳をいただいてリュックにしまい、さて、すべて終わった。
 2時20分、明石寺をあとにする。国道に出るための遍路道を歩くが、地図と違っている。不安だったが、勘にまかせて少し歩くと、運よく山仕事をしている人がいた。聞くと、


卯の町駅から特急で松山駅へ。

間違っていなかった。よしよし。
 JR予讃線の卯之町駅2時44分着。予定より一列車早い3時15分発の松山行き特急宇和海16号に間に合った。乗車券1410円、自由席特急券1150円。
 1時間で松山着。駅前から空港行きリムジンバス。300円。4時50分には松山空港に着いた。

 空港ビルのレストランで夕食。キリンフリーのある店に決めた。あと2時間、ここでゆっくり過ごそう。唐揚セット+キリンフリー+コーヒー1530円也。
 今回の旅では「玄米菜食」を基本にした「がん養生食」にはこだわらなかった。これまでまったく食べなかった肉も食べた。何も考えずに食べたい物をぱっぱっと頼んで食べるのは3年ぶり。それも今日までだ。明日からはまた養生の日々が始まる。

 おみやげは、じゃこ天1575円、ぼっちゃんまんじゅう630円。


秋の空も紅葉もみんなすばらしかった……。

 19時50分、JAL1476便 松山発→予約番号0255 座席番号19C 14.100円。
 21時10分の予定が10分遅れで羽田着。バスの発車まで15分しかない。預けた杖をイライラと待つ。5分前に出てきた。杖を手に飛び出してバス乗り場へ。間に合った……と思ったら、満席で乗れません、だと。
 キャンセル待ちの列で待つことしばし、最後の最後に乗れた。22時35分、聖跡着。自宅には23時過ぎに帰りついた。

 11日間、約360キロ・52万歩。これで3回目のお遍路旅が終わりました。
 バンザイ!
▼歩行距離30キロ(累計355.4キロ) 歩数43、823歩(累計514、755歩)  使ったお金20995円

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  Last modified 2011/03/17                      みきかノート/がんになってからのこと