四国の遍路道

これまでにどれぐらいの人が歩いて巡ったのだろうか。
たしかな数はわからない。
だが、この道のそちこちに無数の魂が感じられる。
それが四国の遍路道である。

がんになって、生と死の崖っぷちをなんとか歩いてきたが、
たまには心が安らかになる道を歩いてみたい。
遍路道にはそんな安らぎがある。

 

2010年5月25日(火曜日) 第1日 曇りのち晴れ ↑ページTop

 4時起床。カミさんに車で送ってもらい、京王線の聖蹟桜ヶ丘から羽田空港行きのバス5時10分発。運転手が言うには、中央道で集中工事を行っており、余裕がない人は電車がおすすめと。
 今、言われてもなあ。わたしは1時間以上も余裕をみているからいいけど、余裕がない人はどうするんだろう。電車と言われてもこんな早朝に予定が変えられるのか、これは問題だよと思いつつ、バスに乗車。
 工事の影響で10分遅れの6時20分羽田空港着。リュックと杖をあずけ、手荷物だけを持って保安検査所を通過。ここでも問題。チャッカマンが検査を通らない。ライターなら喫煙用として1個はOKだが、チャッカマンは発火装置となるので機内持ち込み禁止の定めらしい。
 苦労して見つけたのに。普通のチャッカマンより筒先が短いやつだ。携帯用には最適。これだと風があってもお供えのロウソク、線香に火をつけるのが楽なのだ。
 ライターとほんの少し形状が違うだけじゃないか。でも、喫煙用のシールがあるものし

 
5年ぶりの徳島駅前

か通らないと言う。時間をかけて探した苦労が水の泡だ。言い合ってもしかたがないので、ここはおとなしく引き下がる。

 そんな小さなトラブルはあったものの、無事、徳島空港着。バスで徳島駅前に。5年前、1回目のお遍路に来たときと変わっていない。
 30分ほど待って定刻通り9時51分発の特急むろと1号乗車。桑野でおりて、そこからはバスで太龍山のロープウェイに向かう。そのバス

 
  ガードレールの支柱に立てかけてあるのが忘れ物の杖

停にお遍路用の杖が置き忘れられていた。
 お大師さまを忘れるとは何事か。先達に怒られそうだが、よくあること。杖をつく習慣がないから、わたしも気をつけないと。
 ――バス停に忘れられた杖一本 気を引き締める

 太龍山ロープウェイ駅11時25分着。ここも5年前に来た場所だ。20分おきに出ているゴンドラが発車しおわった直後に到着。次の発車までに15分ある。ぶっかけうどんをツルツルッと食し、簡単な昼食を終える。

 さて、第21番札所・太龍寺(たいりゅうじ)。ロープウェイであっという間に到着。12時過ぎに山門をくぐる。
 なんとなく記憶に残っている。5年前、ここが巡礼の最後の札所だった。そこを後に

 
 第21番札所・太龍寺

する時、いつかは続きをやりたいと思ったが、まさかがんを患ってこの門前に立つとは想像だにしなかった。
 5年たってようやくお遍路を再開できる。帰参の挨拶とこれからの無事を祈って、いよいよ区切り打ち2回目の始まりである。

 12時10分。本堂の階段をおり、看板に従って右手の山道に入る。空海が修行したという舎心ヶ獄への道は整備された遊歩道で歩き

 
舎心ヶ獄の空海像

やすい。だが、空海の像が祭られた場所を過ぎると、山道はけっこうきつくなる。
 急な山坂。道は滑りやすい。細い道には雨が流れ下ったときに集められた落ち葉や小枝が重なり、油断すると足をとられ、ツルッと滑る。吹き出す汗。1時間、2時間……、急峻な山道が続く。下りになると膝がプルプル震えてくる。

 行けども行けども坂、また坂、坂、下ばかり向いて歩く。そんな歩きを続け、1時30分、ようやく山道を下り終えて国道に出る。平坦な道になったと思ったら、今度は一転、道路の照り返しがこたえる。かんかん照りではないものの、日差しが暑い。
 30分歩いたら5分、1時間歩いたら10分の休憩を入れつつ、国道から再び山に分けいり、ひたすら歩く。こんなにリュックが重かったか。肩にくいこむ。それでもどうにか歩きとおし、4時20分に第22番・平等寺(びょうどうじ)到着。11・7キロ踏破。

 山門で一礼して境内に入り、重いリュックをおろす。どこの札所でも境内にベンチが置いてあるので、そこがリュックの置き場になる。身軽になってまずは手水場で身を清

 
 第22番札所・平等寺

め、鐘をつく。
 ベンチに戻り、リュックから拝礼用の小物を詰めた小バッグを取り出す。中に入れた輪袈裟を首にかけ数珠を左手に本殿へ進む。そして、ロウソクと線香を供えて納札を納め、鐘をついて賽銭をあげたら、5年ぶりの般若心経を唱える。お遍路の感覚がだんだん戻ってきたぞ。
 本殿の拝礼が終わったら太子殿でも同じように拝礼。それから納経所で朱印をいただく。4時40分には今回最初の拝礼が終わった。納経所が閉まる5時にはまだ時間がある。予定では、4時45分到着とみていたが、それより少し早く進んだ。初日としては上出来だろう。

 山門で自転車参拝の外人さんにお菓子をもらう。お互い、間に合ってよかったね。健闘をたたえあう小さなふれあい。どこかで、また会おう。彼は自転車でビューンと走っていった。わたしは札所の隣にある民宿喫茶・山茶花に行く。今夜の泊まりはここだ。徒歩30秒。楽でいいや。

 風呂で汗を流したあと、洗濯・乾燥。これまた楽でいいや。風呂のついでに洗濯して部屋に干すしかないかと思っていたが、乾燥器があると助かる。
 夕食は、通し打ちで8日目だという女の子と話しながら食べる。今日の泊りはわたしと彼女の2人のようだ。彼女は福岡から来ているとか。
 同宿は2人だと思っていたら、後から中年のご夫婦+おばさんの3人連れがやってきた。おばさんから飴を一袋もらう。女の子と半分ずつ分けた。

 疲れていたので早く寝ようと思ったが、これを書いている間にもう8時35分になってしまった。本日の歩行距離は11.7キロだが、数字以上に疲れた。万歩計の歩数は2万7514歩。ごくろうさん。もう寝ます。
 使ったお金のデータを記録しようと思っていたが、そんな余裕はなかった。費用の正確なデータ収集は初日で断念。現実は厳しい。
▼本日の歩行距離11.7キロ  歩数2万7514歩

2010年5月26日(水曜日)第2日 快晴で暑い ↑ページTop

 5時起床。6時朝食。
 起きてから朝食までの1時間で支度を整えてトイレまですませる。朝食後はトイレも混みあうだろうし、順番待ちで時間をとられるのはイヤだ。
 そこで、いつもは朝食後の排便タイムを食事前に変更。このときを逃したら、歩いている最中はトイレ探しに苦労するとわかっている。起きてすぐに水をコップ一杯飲んでおくと、ちゃんと出る。何事もなせばなる、だ。

 リュックを担いで食堂に行き、朝食を食べ終わって6時30分出発。
 と、出立までは元気だったのだが、今日はとにかくバテた。22・5キロ=6時間歩き、

 
  第23番札所・薬王寺

ようやく23番・薬王寺(やくおうじ)に到着。しばし休憩、そして参拝。
 薬王寺には2時前に着いたのだが、次の24番・最御崎寺(ほつみさきじ)までは84キロもある。もちろん今日中に歩ける距離ではない。
 本当はもう一歩も歩きたくなかったのだが、少しでも距離をかせいでおかないと明日が辛い。
 事前に作っておいた予定表では、今日中に15・2キロ先の牟岐町まで歩くことになっている。計37・7キロ。宿もそこにとってあるし、歩くしかない。

 宿の予約というのが曲者だ。今回は7日という短い旅だったので、スケジュールをびしっと立て、宿もすべて予約してから出発した。が、悲しいかな、それは机上の空論だと2日目にして悟る。今日の体調からいえば、ここで一泊すべし、なのだ。
 疲れた。でも、宿をキャンセルし、ここで新しく探すのも大変。仮に宿が見つかって今日はしのげたとしても、予定変更で、残り5日の宿は全部探しなおさなければならないし……、ああ、残り15キロ、歩くしかないのか。4時間はかかるよ。

 道中は辛すぎた。初日の足慣らし11・7キロの後、いきなり37・7キロは体力を過信しすぎと反省。肩から背中、腰、脚と全身が痛む。
 5時30分、ようやく宿に到着。荷物をおろしても、腰を曲げることも脚を曲げることもままならない。少しずつ少しずつ曲げ伸ばしのストレッチ。
 風呂と洗濯、夕食だけで精一杯だ。体力の限界を超えてしまった。これ以上はカンベン。就寝7時45分。疲れた……。

▼本日の歩行距離37.7キロ(累計49.4キロ) 歩数5万9346歩

2010年5月27日(木曜日) 第3日 快晴たまに曇り  ↑ページTop

 5時30分起床。6時30分朝食。7時出発。
 昨日の疲れが尾を引いている。背中・肩が痛い。脚が痛い。それでも今日は40キロ以上歩く予定だ。ここは遍路道の難所のひとつとされる。延々84キロ、拝礼すべきお寺がない。ただ歩くのみの道中となる。精神的にけっこうキツイということで、難所に数えられるそうだ。ここでお遍路を断念する人も多いとか。
 わたしの場合は精神はもちろん肉体的にもきつかった。午前が終わった時点で、机上で立てた44・8キロのプランは論外だったとわかる。

 
  遍路道の左手にはきれいな海

一日に40キロ超えの歩きなど、体力の過信、ここにきわめり、だ。62歳という年齢を考え、現実をよく見よ!

 とはいえ、自分で立てた計画を3日目にして反故にしたくはない。その意地だけで歩き続ける。かたつむりのような歩きで、距離はいっこうに伸びない。情けなや。
 遍路宿の夕食は6時と決まっているので電話を入れ、遅れる旨を伝える。宿の人は心配して車で迎えにいきましょうかと言う。
 甘い誘惑。……今日できることは明日に延ばすな。……いやいや、明日できることは無理して今日しなくてもいい。……どっちにする?
 車で迎えに来てもらえば、今日はしのげても、明日はこの場所まで戻って、そこから歩きはじめなければならない。明日が辛くなることはわかっている。やっぱり今日できることは明日に延ばさないでおこう。

 歩けるだけ歩いてダメだったら電話します。そう言って、夕暮れの道を再び歩きはじめる。歩けなくなったら迎えにきてもらえるというのは安心だ。歩いている道の左手は海だが、もうそれを見ている余裕はまったくない。リュックの重みをなるべく背中全体で受け止めるように前かがみになり、地面だけを見つめてひたすら歩く。

 限界か。立ち止まって海を眺める。空はまだ薄青いが、海と空の区別があまりつかないほど暗くなっている。汗まみれの体に海風が心地よい。金剛杖に体重をあずけ、荷物もおろさずにしばし休憩。リュックをおろして座り込んでしまうと二度と立ち上がれないような気がして、立ったままの小休止にとどめる。
 こんなときは歩くしかない。太ももは限界まで酷使しており、いったん立ち止まって休むと、次に動きだす脚の曲げ伸ばしに激痛が走るような状況だが、最初さえ我慢して数歩歩くと痛みが少し薄らぐ。常に動かしていればなんとか痛みに耐えられるのだ。
 これが不思議。昨日から今日の歩きでそれがわかった。かたつむり並みでも歩いているほうがまだまし。
 前へ、前へ。金剛杖が3本目の足。カッ、カッと杖で地面をたたき、その反動で足を

 
  宿の明りが……!

進ませる。杖に結んだ鈴がリン、リンと涼しい音を立てる。
 日中は轟音を立てて通り過ぎていた車がとだえると、波の音が耳を打つ。潮騒と鈴の音が体を包む。その音も次第に聞こえなくなり、吐く息だけが荒い。
 性も根もつき果てたころ、ようやく民宿・徳増に到着。7時22分。6時が夕食なのに大幅な遅れだ。
 風呂、飯、洗濯だけで、ギブアップ。これ以上、書く元気もない。部屋は目の前が海。潮騒を聞きながら寝る。8時30分就寝。
▼本日の歩行距離44.8キロ(累計94.2キロ) 歩数6万9276歩

2010年5月28日(土曜日) 第4日 快晴  ↑ページTop

 5時起床。宿を6時51分に出発。
 今日はすばらしい情報があった。昨日から道路標識などで感じていたのだが、わたしが参照した地図の距離が実際より約8キロも長かったことがわかったのだ。となると、今日は34キロの予定だが、それより8キロ短い26キロでいいことになる。これぞ天の助け。昨日の44キロが効いてボロボロの体には実にありがたい。

 ゆっくり歩く。時速3キロも出ていないかもしれない。これぐらいなら脚の痛みはなんとか耐えられる。ただ、肩はずしりと重く、痛みも相当なもの。リュックはなるべく腰で支えるようにする。
 お遍路さんに次々に抜かれる。同じ民宿に泊まっていた人たちだ。これから抜きつ抜かれつするのだろうな。今日はお先にどうぞ。追い抜いていった同宿遍路の背中がたちまち小さくなる。

 室戸岬に向かって歩く道は左側が海、右側は山。山と海に挟まれたわずかな平地に

 
  波の音と潮の香りの遍路道

、田畑があり家があり、道路が通っている。岬に近いこのあたりまで来ると、海岸のすぐそばを道が通っている箇所が多く、潮の香りに包まれて歩く。
 見るものは海しかない道は単調だが、波の音と潮の香りは元気をくれる。2日目、3日目と荒修業をしてきた身にはありがたいことだ。

 なんでこんな辛いことをしているんだろう。昨日とはうってかわったのんびりペースなので、ついいろんな思いが頭をよぎる。
 お遍路も今日で4日目。肉体的な疲労度は62歳の体力の限界近いはずだ。なぜ、そんな辛いことをやってるのか? 自分でもよくわからない。
 最初は、5年前の続きをしよう。あのときは、歩いてみなければわからないだろういろんな風物が目にとまり、それが楽しかった記憶がある。歩きだからこそわかる楽しみ、それをもう一度味わいたい。そうした楽しい気分は、たぶん、がんにも効くだろう。そんな考えだった。
 だけど、苦しさをすっかり忘れていた。今思えば、5年前のお遍路のときだって足にマメができて痛みを我慢して歩いた。けっこう辛かった。それを忘れているなんて、記憶というやつはいい加減なものだ。
 今日は、歩き遍路の辛さ、痛さ、苦しさをいやというほど思い知らされている。それでもやめようとは思わない。なんでなんだろうな。

 歩いていると、右手の山際に真白い青年大師像が見えてきた。右手に杖を持った弘

 
  青年大師像

法大師・空海の立像。高さは21メートルとか。近寄ると大きい。
 18歳のころ、青年空海はこの地で修行を行い、悟りを開いたと言われる。それが虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)の修行だ。
 室戸岬の洞窟で昼夜を分かたず一心不乱に虚空蔵菩薩の真言を唱えていると、夜明け前に海の彼方から明星(虚空蔵菩薩の化身)が飛来して口中に飛び込み、その瞬間に悟りを得たと伝えられる。

 空海が修行時に住居としたのが御厨人窟(みくろど)、そして右隣に苦行を積んだ神

 
御厨人窟

明窟(しんめいくつ)がある。2つの洞窟は、国道の脇に今も残されている。
 ここまでは脇目もふらずひたすら歩きつづけてきたが、今日は余裕がある。そこで、御厨人窟の中まで入って

 
  五所神社

みた。
 それほど奥行きのある洞窟ではない。数メートル進むと祭壇があって行き止まりになり、そこに社のようなものが置

 
 御厨人窟から見た空と海

かれている。小さな模型のようだがれっきとした神社で「五所神社」というそうだ。
 軽く拝礼し、きびすを返すと、正面に真っ青な海と澄んだ空が見える。空と海、すなわち空海。ちょっとできすぎの感もあるが、この風景が「空海」という名前の由来だと言われるのもうなづける。
 空海が修行したのは今から約1200年も前の平安時代であり、そのころ、この地に国道55号線のような立派な道があるわけでもなく、人跡未踏、目の前は波が打ち寄せる荒磯が広がるのみだったのではないだろうか。
 来る日も来る日もただ空と海が見えるだけの洞窟にこもり、修行に明け暮れる日々

。空海を名乗る以前の法名は如空また教海と伝えられているが、空と海しかない荒磯

 
  第24番札所・最御崎寺

第25番札所・津照寺

第26番札所・金剛頂寺

の洞窟での修行が悟りをもたらすとは、まさに歓喜の極みであったろう。思わず空よ、海よと叫んで、そのまま名前にした……と、これはつまらぬ想像だ。

 室戸岬の第24番・最御崎寺(ほつみさきじ)には11時15分に着いた。予定では14時着だから余裕のあること。こんなにゆったりした気分はこの旅で初めてだ。
 ひとつ前の23番・薬王寺からだと76キロ(84キロというデータもありそちらを採用したがそれは間違いだった)の長丁場。2日がかりで踏破したことになる。よくぞ歩き通した!

 次いで25番・津照寺(しんしょうじ)、26番・金剛頂寺(こんごうちょうじ)と打ち、金剛頂寺の宿坊に入ったのは4時。こんなに早い投宿も初めて。
 風呂に入り、洗濯をすませてもまだ5時。夕食前に軽い散歩もできる。これが歩き遍路の理想的な一日だな。
▼本日の歩行距離26キロ(累計120.2キロ) 歩数4万1544歩



2010年5月29日(土曜日) 第5日 曇りがちのち快晴  ↑ページTop

 5時30分起床。金剛頂寺に隣接する宿坊の朝は気持ちがいい。窓を開け放つと冷気が流れ込んでくる。一晩寝た部屋の淀んだ空気が清められる。窓のすぐ外には桜

 
 宿坊の部屋から見える庭の桜

の大木が葉を茂らせ、小さな果実がほんのりと赤みをおびて姿を見せている。

 朝のストレッチをやると、きのうより格段に痛みが少なくなっていた。脚の曲げ伸ばしもままならないほどだった太ももの激烈な筋肉痛はほぼ解消。肩の痛みは左側に少し残るものの、右は完全に消えた。腰もまあまあ。体調はほぼ万全と言ってもいい。4日間の苦行を経て、体が慣れたということか。

 今回の旅で宿坊に泊まるのはここだけだ。朝のお勤めがどんなものか興味があった。ところが住職の都合が悪いとのことでとりやめに。残念。その分、寝る時間が長くとれたので、よしとするか。

 朝食もおいしく食べ、7時出発。
 順調に歩く。ぐんぐん飛ばす。異常なし。体がすっかり慣れた。筋肉痛は完全に消えている。だから筋肉痛は好きなんだよ。痛みを我慢して使っていると、まるでうそのように痛みがなくなる。それだけ筋肉が強くなったということ。
 2日目の終わりから痛くなり、今考えると昨日が痛みも疲労もピークだった。そのときは、なんでこんな辛いことをやっているんだろう、オレはバカじゃなかろうか、と暗−く落ち込んでいた。

 聖地巡礼だから物見遊山のつもりで始めたのではないが、車でまわったっていいじゃないか。なのになぜ歩き遍路なの?

 楽でおもしろいことはほかにもたくさんある。楽だから生きがいがない、なんてこともないだろう。

 だが、こうして痛みがなくなり軽快に歩けるようになると、苦と楽の関係がよくわかる。昔から言い古された単純な言葉だが、苦あれば楽あり、ということ。苦しみが大きいほどそれから解放されたときの喜びも大きい。
 わたしのような凡人には空海の苦行は絶対に真似できないが、歩き遍路程度の苦行はなんとかできる。そのことで、空海の何百分の一かはわからないが、修行の醍醐味を味わうことができる。それが歩き遍路のよさだろう。

 今日は、道端に咲く一輪の花にふと目をとめたり、良心市と書かれた無人の販売所

 
  良心市

に置かれた枇杷を買って食べたり、気持ちがおだやかになっていることが実感できる。痛みを我慢し、次の目的地だけをめざして歩いていた昨日までとは、心の在り方が違っているようだ。
 心が練れたというわけではないだろう。体が適応して苦しさが減った、という単純なことだと思う。体が元気だと心も元気になる。得がたい体験だ。

 気持ちはのんびり、でも足は力強くすいすい歩ける。いい感触だ。1時30分、今日泊る予定の民宿のきんしょうに着く。27番・神峯寺(こうのみねじ)は、ここから山道を登ったところにある。参拝が終わったら同じ道を下って戻ってくるのだから、重い荷物を背

 
  民宿に到着

負っていくことはない。きんしょうに荷物を預け、すっかり身軽になって神峯寺に向かう。

 舗装された車道→途中から山中の遍路道へ→ぐんぐん登る→荷物なしで快調!→山門をくぐる→階段を一気に上る→太子堂の矢印につられ、つい小走りに→すると……。
 
 なんで太子堂に向かっているの? 最初の拝礼は本堂じゃないか。そう気づいて、逆の方角にある本堂に向かおうとしたとたん、左膝に鋭い痛みが走る。なんだ、これは? 左

 
 第27番札所・神峯寺

足を踏み込むたびに膝がピリッと痛む。我慢して歩いていると、痛みを避けようと体が勝手に反応し、気がつくと左脚には力を入れない変な歩き方になっている。
 今朝からの有頂天の歩きが、予想もしなかった膝にきた! なんてこった! 元気だ、オレはまだ若い。苦しい修行もへっちゃら。それは全部、錯覚だったようだ。ガックリ。

 左の脚を引きずりながら下山。上りより下りのほうが辛い。今晩一晩で治るか? それが心配だ。ゆっくりゆっくり歩いて宿へたどりつく。

 風呂に入って膝をマッサージ。押すと少し痛いが、我慢できないほどではない。一晩寝れば治る。必ず治る。治る、治る、とつぶやくのは、おまじないだ。
 窓の外ではカエルの合唱。なんだ、明日は雨か? これまで一日も雨に降られていないのは幸運だったが、それも今日までか。
 左膝を痛めたことといい、なんだか不吉な予感がする。星も出ていないし、夜中に雨が降るかもしれない。外に干してある洗濯物は軒下に入れておこう。
 8時就寝。
▼本日の歩行距離34・5キロ(累計154.7キロ) 歩数5万1579歩

2010年5月30日(日曜日) 第6日 朝は曇り、昼前から快晴  ↑ページTop

 5時起床。おそるおそる体の確認。まいった。左膝は治っていない。歩こうとすると鈍い痛みが襲う。やむなく足を引きずって洗面所へ。今日も昨日と同じぐらいの長丁場だ

 
宿の前に立つ標識。

。目的地の28番・大日寺(だいにちじ)まで34・5キロ=約9時間の歩き。大丈夫か?

 朝食6時。6時19分には出発。足がこんなだから気がせいて。
 今日も歩くだけ。天気は曇りで温度も低い。幸い雨にはならず、歩きには絶好のコンディション。天はまだ我を見放さず、か。
 大日寺の納経所が閉まる5時前にたどり着いて納経できれば理想だが、今日の宿泊はすぐ近くの民宿を予約してある。間に合わなかったら明日の朝一で参拝すればいいや。ダメ元で無理をしないように行こう。

 地図を見ると、今日の遍路道は、堤防沿いの道と自転車道が大部分だ。国道はほとんど通らなくてすむ。車の騒音は気が滅入って、疲れも倍加する。その点、今日の道は楽しめそうだ。
 堤防道は左手に海がずっと続く。波の音。また、松林の中の気持ちいいサイクリング

 
  サイクリングロード

ロードもある。かと思えば両側を塀で囲われた道が延々続く場所もある。
 痛む膝が慣れるまでゆっくりゆっくり歩く。痛みを我慢して普通の歩き方を試してみる。ちょっと危なそうだ。そこでテーピングのかわりにビニールのネットをきつく巻いてみた。ミカンが入れてあった網だ。少しはいい。
 膝に負担がかからないように、足の裏を広げて地面をとらえ、キックする。そんな歩き方を意識してやってみた。だんだんと痛みが少なくなってくる。これはいけるかも。淡い期待がふくらむ。

 膝は少し楽になったが、体は苦しい。腰から背中にかけての痛みが再発。膝の不調が歩きのバランスを崩し、変な体の使い方になり、無理を招いている。かてて加えて

 
  写真を撮ってもうまくいかないね

昨日の夕方にできた左足小指のマメが本格的に痛みだした。朝、ばんそうこを巻いてきたのだが、薬指とこすれあっているようだ。ひどくならないことを祈るのみ。

 昨日は体も心も爽快そのもの、気力も充実していたのに、左膝が痛くなってから、足にもマメができて、急転直下、天国から地獄へのジェットコースターだった。
 今朝は地獄の遍路修行の気分だ。苦しさも修行のうち――なんて言えたのは、昨日は体も心も元気だったからだと悟る。

 左膝をかばう歩き方は、時間がたつにつれ、腰・背中・肩と、体全体を痛めつける。このままではまずい。1時間ほど歩き、少し汗が出てきたところで、普通に歩いてみようと決意する。自暴自棄ではない。いけそう――左膝がそう言っているような気がするのだ。
 ゆっくり歩きながら膝の状態に意識を集中していると、体が温まるにつれて膝の引っかかりが少しずつなくなり、痛みも薄らぐのがよくわかる。そして、膝が、大丈夫、いけるよ、と言っている。まさに体と対話しているような初めての体験。体に聞け、とはこのことなのか。

 55分歩いて5分休む。次は50分歩いて10分休む。また55分+5分、次に50分+10分と、規則的に休憩を入れる。1時間単位のこうした歩き方を重ねていると、いつの間にか午前中が終わる。お昼休みは1時間。そのときは靴下まで脱ぎ、はだしでお昼ご飯を食べる。
 失敗だったのは、この1時間で靴下が乾かなかったこと。吸湿・速乾の靴下というので購入したが、うたい文句はガセだった。ジメッとした靴下を履くのはイヤだったが、しかたがない。
 持参した靴下は二足。乾燥器がない民宿で、普通に洗濯すると翌朝までには乾かない。用心のため、一足は乾いた状態にしておかないと、朝から生乾きの靴下を履くことになる。それはイヤだ。

 昼食は海が見えるレストラン。地魚の唐揚げ定食を注文し、珍しくノンアルコールビ

 
  唐揚げ定食とノンアルコールビール

ールがあったのでつい頼んでしまう。がんの発症以来、アルコールは断っている。かわりにノンアルコールビールで気分だけ味わう。
 満足。長い休憩で疲れもとれた。
 歩き再開。最初は慎重に。だが、膝の痛みは10分ほど歩いただけで消えた。
 これならいける。昨日のリズムが戻ってきた。いい調子だ。昼食後はガシガシ歩く。膝もOKを出している。

 昼前から出てきた日差しがここにきて強くなった。汗がふきだす。高い堤防が延々続く道は、カンカン照りで暑い。ときおり堤防の切れ目にくると、海からの風がサアーッと吹き抜け、全身を包む。心地よさに身をゆだねて数歩歩くと、また炎熱の道。
 だれもいない道が続く。炎天下の昼下がり、ひとり歩く。とりとめもない思考が、浮かんでは消える。

 ああ、苦しい→解決策→ここでやめて電車に乗って帰る。近くを電車が走っているじゃないか→だれにも迷惑はかけない→膝をやられて……とカミさんに言い訳すれば、中断した理由はたつ→でも、それはできない→なぜ?→決めたことを途中で放棄したくない。
 
 なんだ、結局、苦しくても歩き続けようということか。
 なぜ?→昨日考えたように、修行ということかな、やっぱり→それと、今、死んでもいい、と思えるようになりたいためもあるか。

 がんを告知されたとき、これから先、どう生きるかを考えた。5年生存率30パーセントの診断――今から5年後、あなたは7割の確率で死んでいるでしょう――と言われたのだ。いやおうなくこの先の生について考えてしまう。
 結論は、今、死んでもいい、と言える状態に自分を置くこと、そういう生き方をすること、だった。

 死にたくない。死にたくなーい! 死を忌避するのは本能的な心情だから、何事もな

 
  遍路道に咲く花

ければ人は死を忘れて生きようとする。死から目をそむける。ないふりをする。……それでいいと思う。ごく普通の生活を送っていれば、死の影なんかどこにもないのだから。死にわずらわされることはない。
 だが、5年生存率30パーセントと言われると、状況は一変する。生活のそちこちに死の影がちらつく。いや、死でいっぱいになる。それががんの告知であり、がんという病気にかかるということだ。
 
 がんは治る病気になった、なんてことを聞く時代になった。テレビでしたり顔のコメンテーターがそんなことを言う。だが、真に受けていたらとんでもないことになる。がんは治らない病気。死神を連れてくる最悪の病気。これががんの正しい認識だ。医学の進歩に水をさすようだが、がんに関してはそれぐらい重く受け止めたほうがいい。がん=死に至る病だと。

 がんになるということは、死神が目の前に立ち現れるということだ。これは恐ろしい。死神ほどこわい存在をわたしは知らない。そいつからは逃げようがない。立ち向かうしかない。どうやって……。
 死にたくない――と思うから、死がこわくなる。強く思えば思うほど、死ぬことが恐怖になる。しかし、逆に、死んでもいい、と思えれば、死は恐怖ではなくなる……はずだ。
 死の超克。できないことではない。
 方法論。もう死んでもいいや、と思える精神状態を構築する。やることはやった、精一杯生きた、満足、という境地での、もういいや、である。決してあきらめや絶望の果てに陥る精神ではない。
 テーブルに並ぶ大好きなご馳走を食べつくし、おいしかった! もうこれ以上は食べられない、満足! と思う。
 食欲の場合は、数時間するとあれほど満足したのにまた食べたくなる。生の満足感にもそんなところはあるかもしれない。とくに若い人は。ただ、わたしのように齢60を重ねると、少し違ってくるような気がする。生に満足すれば、もはや死も恐れるに足りず。むしろ来世がどうなっているか、楽しみだ。……現時点ではそう思うこともある。

 海沿いの道は終わり、国道55号を歩く。ふと見ると、陸橋に「香南市 赤岡町」の標識と「桂浜17キロ」の標識が掲げてある。桂浜か、行ってみたいな。でも、それには直進ではなく「この先200m左折」しなければならない。行って帰ってくると34キロ……ムリだあ。
 赤岡町の位置を確認すると出発地から30キロあたり。目的地の大日寺まであと4キ

 
 第28番札所・大日寺

ロぐらいのところにきている。時間は3時前。やった。もう楽勝だ。
 1時間歩いて、4時7分、大日寺着。34キロ踏破。よくやった。復活してくれた左膝に感謝、感謝!
 4時50分、大日寺から300メートルほど離れたところにある民宿・喫茶きらくに投宿。無事に一日が終わった。
▼本日の歩行距離34.5キロ(累計189.2キロ) 歩数5万2545歩

2010年5月31日(月曜日) 第7日 曇りときどき薄日、夕方小雨 ↑ページTop

 5時起床。復活したとはいえ、左膝の違和感はまだ残っている。今日が最終日。最後まで歩きとおせるか……不安。
 東京に帰る飛行機は最終便をとってある。6時40分発の便だから、間に合わないことはないはずだ。問題は膝の痛みがひどくなり、歩けなくなったとき。最悪、タクシーなどで空港まで、という事態も想定しておかなくちゃ。

 6時朝食。民宿・喫茶だけに食後のコーヒーサービスがある。砂糖はそこに、と言われ、何を勘違いしたのか小瓶に入っている白い粉末がそれだと思い、コーヒーにそそいでかき混ぜた。……しょっぱい! 塩の小瓶だった。
 でも、せっかくのコーヒーを残したくない。塩コーヒーを飲みほして、6時27分、いざ、出発。塩の清めで吉と出るか、あるいは砂糖との取り違えが凶と出るか、ともあれ最後の歩きだ。

 第29番・国分寺(こくぶんじ)。宿から9キロ。2時間15分の予定。ゆっくり歩きだす。

 
遍路小屋

左膝がなじむまでは無理をしないこと。昨日の歩きで会得した故障時の歩き方だ。40分ぐらいで膝の鈍痛が消えた。ガシガシ歩く。

 空いっぱいに雲が広がり肌寒い。雨にさえならなければ、歩くにはこれぐらいがちょうどいい。遍路小屋が目についたので小休止。壁に「遍路の心得・戒め」が張ってある。その「十善戒」には、
@殺生しない
A盗みをしない
B邪淫はしない
C嘘はつかない
Dお世辞を言わない
E悪口を言わない
F二枚舌を使わない
G欲張らない
H怒らない
I誤った考えを起こさない
 とあった。うむ、なかなかのもんだ。すべての人がこうであれば、警察も軍隊もいらないわな。そうあってほしいものだ。

 
  第29番札所・国分寺

第30番札所・善楽寺

 8時41分、国分寺着。9時8分、出発。
 10時44分、30番・善楽寺(ぜんらくじ)着。11時10分、出発。

 そろそろお昼時。タイミングよくうどん屋ののぼりが見える。セルフサービスで具を選べるスタイル。ぶっかけうどんの大盛りとエビ天、お稲荷さんをチョイス。満腹。
 元気回復。これまでいいペースで歩けた。膝も歩き始めに少し痛む程度で悪くはならない。土佐電鉄の駅のそばを通ると「はりまや橋行き」の看板が目についた。ここからそんなに遠くないんだな。行ってはみたいが余裕はない。物見遊山じゃないんだから。と思っていると、遍路道が牧野植物園へと入っていく。あれれ。園内に入っちゃったよ。

 大勢の人が園内を散策していた。入園料も払わずにいいんかいな。たぶんこれはお遍路への接待だろう。いろんな人が、どちらからとか、ご苦労さま、いい鈴の音ね、などと声

 
 牧野植物園内の牧野博士像

第31番札所・竹林寺

をかけてくれる。なんとも粋なはからいじゃないか。

 そぞろ歩いていると、遍路標識が出口を示す。そこはお遍路専用の狭い通路で、出たところは31番・竹林寺(ちくりんじ)の前だった。1時24分着。これで3寺の巡拝完了。残すは1寺。

 2時出発。最後の札所である32番・禅師峰寺(ぜんじぶじ)までは6キロ。1時間30分の道のりだ。
 安堵の思いと満足感と、これが最後の歩きという感慨。いろんな気持ちが混じり合い、ボーッと歩いていて遍路標識を見落としたらしい。地図にある橋が見当たらない。少し迷ったが、そのうち本来の道に合流した。
 大きな池を左手に見てしばらく歩くと、道の脇に禅師峰寺の名を標した立派な石碑が建っている。ついに到着! だが、お寺らしき建物はどこにもない。少し行くと、遍路標識が山の中へと導く。やっぱりな、これで終わらせてくれるわけがない。

 ごつごつした石だらけの山道をよじ登る。だけど心配はまったくない。体力はまだまだある。膝も痛くない。それに山道はすぐに終わるはずだ。待っているのはゴール。

 
第32番札所・禅師峰寺

 10分で禅師峰寺の山門到着。時計は3時50分を指していた。

 手水場で身を清め、本堂、そして太子堂と巡拝。最後の般若心経を唱える。納経所でご朱印をいただいて、ついに完了。2回目の区切り打ちが終わりました。

 時間はたっぷり残っている。境内の端にある見晴らし台のベンチに腰を下ろし、海を

 
 禅師峰寺からの眺め

遠望する。曇り空だがいい眺めだ。

 肉体的には苦しいことが多かった。だけど、毎日が充実していた気がする。歩くだけの毎日だったのになぜだろう。
 歩くだけ、という単純な生活がよかったのかもしれない。朝起きて、今日やるべきことをあれこれ考える必要はない。今日の予定は歩くこと。昨日もそうだったし明日もそうだ。実に単純明快な一日の過ごし方。

 その単純な一日に少しだけおまけがついてくる。歩いていると、何かが目に入ってくるし、耳に聞こえてくる。そして何かを感じることがある。
 とはいえ、見たこと、聞いたこと、感じたことに、それほどのこだわりはない。歩くスピードはたかがしれているが、それでも風物は流れすぎていく。一歩を踏み出すごとにそれらは背後に押しやられ、やがては記憶の外に去っていく。
 そういえば、歩いてきた道を振りかえったことはなかったな。いつも前だけ見ていた気がする。お遍路旅に振りかえる必要はないから。

 禅師峰寺から高知龍馬空港までタクシー。4時50分、空港着。
 空港ビルで夕食を食べ、6時40分の便で羽田へ。羽田着19時55分。
 21時50分、帰宅。

▼本日の歩行距離29.6キロ(累計218.6キロ) 歩数4万48.742歩(総歩数350.586歩)

 7日間で35万歩。一歩の距離はたかがしれている。たったの一歩。だが、積み重ねて35万歩になると、距離にして約220キロになる。
 次回の旅が楽しみだ……。

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●費用について
 一般的な遍路宿は民宿になるが、その場合は一泊二食6300円で統一されているようだ。洗濯機や乾燥機を使うと数百円。昼食代と納経の料金も必要。こうした必要経費とそのほかの雑費込で一日に一万円というところが相場か。
 88寺をまわると40日はかかるから、総費用は40万円也ということになる。
 ほかに自宅からの交通費もあり、お遍路はけっこうお金のかかる旅なのだ。私は身内のスポンサーに助けられて回っており、感謝、感謝の旅の空です。


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  Last modified 2011/03/17                      みきかノート/がんになってからのこと