5時45分、起床。朝食は6時45分から。次の第65番札所・三角寺(さんかくじ)はまだはるか先で、今日は途中で一泊。28.5km(7時間10分)先の松屋旅館まで歩く予定だ。
7時出発。最初の一歩から右足の小指がずきずき痛む。昨日のすり足練習でギュッギュッと靴先に押しつけられ、うっ血+マメになってしまったのだ。一晩寝たらよくなるかと思ったが甘かった。痛い、痛い、イターイ!
少しでも痛まない歩き方を模索しつつ、結局は親指側から踏みだすようにし、杖を3本目の足にして右足にかかる体重を支える。要は右足を引きずりながら松葉杖をつく感じかな。それでも脳天を突き抜ける痛み。すり足の練習なんかやるんじゃなかった。
9時22分、国道11号線を外れ、旧街道に入った。細い道。車も人もまったくいない。国道の騒音がなくなると本当に安らぐ。……と思っていたら、車が次々にやってくる。狭い道路だから、車同士がすれ違うときは歩道部分にはみ出る。突然、突っ込んでくるから、こわいったらありゃしない。こんなことなら国道を歩いていればよかった。
痛む足をかばいながら車に注意をはらい、ホトホト疲れる。うんざり。それでも歩くしかないから、トボトボトボトボ歩く。わたしはカメか。
楽しみにしていたお昼。12時を少しまわったころ、遍路地図に出ているコーヒーハウスホットワンがようやく見えた。バンザイ……えっ、改装中で営業中止……!
5分ほど前、新規にオープンしたらしい軽食喫茶の前を通りすぎてきた。営業中だった
わびしい昼食をとった空き地。 |
が、あそこまで戻る元気がない。
隣に空き地がある。シートを敷いて倒れこむように座る。お粥1パックとチョコレートがお昼になった。お粥は以前M子さんにもらったやつだ。
3分で食べ終わり、あ〜腹減った、とつぶやきながら寝転がる。今日もいい天気。
ちょっとウトウトして、1時に出発。イターイ。足のズキンズキンをなだめつつ、しょんぼりと歩く。
足が痛いと気持ちもどんどん下降線をたどる。ふと、転移→再発→死という言葉が頭をよぎった。そういえば、今回の旅では今まで封じ込めてきたその問題を考えるんだったっけ。
そうなんだけど、ストレートに死についての考察なんかできっこないぜ。その前に、いくつか整理しておこう。たとえば――。
*いったい何歳まで生きたいのか?
昭和22年生まれのわたしは今63歳。以前、調べて驚いたのだが、わたしが誕生したときの平均寿命(0歳の平均余命)は50.06歳なのだ(女は53.96歳)。今では50歳で死ぬと若死もいいとこだが、わたしが生まれた戦後まもなくのころは人生50年が相場だった。その意味では63歳まで生きたならば本望、これ以上何を望むのか、といわれてもしかたがない。
しかし、人間は欲深いもの。63歳になればなったで、もう少し、もう少しと思う。しかも平成21年の「簡易生命表」では、男65歳の平均余命が18.88歳。つまり最新の統計では65歳になってもあと19年近く生きるとされる。84歳だ。
以上のことをふまえ、改めて、お前は何歳まで生きたいのか? と問う。
ちょっと待て、その前に――。
*63歳まで生きてきた、それでは不足なのか?
60歳になったとき食道がんの宣告を受けた。ステージ4だった。がんの進行度としては最悪の段階だ。覚悟を決め、ああ、これまでか……という思い、こうなったら、よしとするか……という諦観。一度はそういう気持ちを体験しているだけに、63まで生きれば、まあまあかな、という思いはある。
ただ、がんの宣告から3年を生き延びた今、できることならもう少し生きてみたい、という気持ちもある。今はその気持ちのほうが強いかな。窮地を脱すると欲が頭をもたげる。63で死ぬのは勘弁というのが正直なところだ。
*では、元に戻って、いったい何歳まで生きたいのか?
うーん、明確な数字を掲げるのはむずかしいな。
今の時点でいえるのは、あと2年、すなわちがん告知から5年になる65歳。その年齢まではなんとか生きてみたいということ。65歳まで健康に生きるということは、がんを克服したことになるからだ。5年生存というがん患者の夢を達成してみたい。
そのあとの目標はまだ漠然としている。70の古希まで、あるいは平均余命の84まで、100超という大目標を立ててもいい。が、なんだかそれは、今のわたしにとって砂上の楼閣のような気がしないでもない。
今、いちばんしっくりくるのは、四国にくる機内で読んだ言葉で、良寛和尚いわく「死ぬ時節には死ぬがよく候」だ。
実にすっきり、明瞭。簡単じゃないか。これに徹してみたらどうなのか。
死ぬ時節には死ぬがよく候……か。
いやいやどーも、簡単明瞭だが、うーむ、考えが固まらない。もう少し時間をくれ。
2時21分、遠くに海が見える。なんだかホッとする。遍路の休憩小屋があったので、小休止。置いてあった伊予柑を3個も食べてしまった。
3時5分、松屋旅館着。先達さんたちはすでに到着していた。足の痛みに苦しめられた一日だった。就寝7時50分。明日は治っているように……。
▼歩行距離28.5km (累計256km) 歩数41,398歩(累計429.926歩)
5時起床、6時朝食、6時17分出発。
気持ちのいい朝だ。風もなくおだやかな春の一日になりそう。左手遠くに海が見える。歩いている旧道に並行して11号線が走り、そちらは車がいきかっている。足はきのうよりずいぶんよくなった。歩き方はまだおかしいが。
痛みがないと、ゆったりおだやかな気持ちで歩ける。体の状態は正直に心に反映するものだ。きのうは、痛みのために心がとげとげしくなっていた、と反省。悟りの境地なんぞは見果てぬ夢かもしれないな。
今日は16.8km(4時間10分)で第65番札所・三角寺(さんかくじ)の予定。その後、宿まで13.1km(3時間20分)、合計29.9kmになる。一日30kmなら軽いもんだ。
といいたいところだが、歩いているうちに再び足が痛くなってきた。ペースも落ちてくる。同宿の人たちに次々と追い抜かれ、三角寺への上り口にあと少しという地点で、同宿の最後のひとりに追いつかれた。すでに7回もまわっているベテラン遍路さん。福岡から毎年1回、通しをやっているそうだ。70代だろう。
上り口まで一緒に歩く。朝は快調だった足が、左足、右足とも再び痛くなり、足を引きずっているわたしとちょうどいいペース。ベテランだけにゆうゆうたるもんだ。遍路標識が見当たらなくなっても、なに、方向が合っていればいいんだよ、と悠然たるもの。
なんとなくそっちの方向に歩いていると、どんぴしゃ、遍路標識のある道路に出た。すぐに高速道路の下を通過。くぐってしばらく高速沿いに歩く。
話題はいつの間にか税金のむだ遣いに。不要な道路をつくりすぎる、公務員の数が多く、給料も高い、などなど。かなり不満がたまっているようだ。
おっしゃるとおり。もう少し考えてくれないと、日本の未来は財政的に大変なことになる。子供、孫の世代に負担をおしつけないためにも、なんとかしなくちゃ。その点では同じ意見だ。
なんて話しているうちに上り坂になってくる。いよいよ三角寺への山道だ。こうなると若さで少しずつわたしのほうが先行する。ペースはお互い様なので、人のことは気にしない。足が痛くなりすぎないようにかばいながら、自分のペースで登る。
第65番札所・三角寺。 |
11時14分、三角寺着。
11時52分出発。おじいさんは三角寺でお昼を食べるというので別れた。13.1km(3時間20分)で今日の宿の民宿岡田。
ここからの道がいちばんきつかった。
三角寺の山道は覚悟していたし、上りの山道自体、それほどのことはなかった。痛む右足小指をかばいつつ、なんとか歩きとおした。で、三角さんでお昼にするか、もう少し進んでからにするか迷ったが、3・5キロ先に休憩所があるのでそこまで行くことにした。
三角さんが頂上なので、そこから先は下り道。これが痛めた足にはいちばん悪い。小指の先端がうっ血して痛いのに、下りはそこにいちばん力がかかる。きのうに続き今日もイターイの連発。叫びながら(もちろん心で)山道を下る。
途中、パッと視界が開ける場所があった。手前は山、その向こうに街、さらに遠くに海。かすみがかかっていかにも春。しばしみとれる。桜の白い花が山の中で綿のようにボオーッと浮かび上がる。ふんわりした彩りがなんともいえない。
遍路道のところどころでこうした風景に接することができるのは幸せだ。
休憩所。ようやくついた。1時間近くかかっている。靴を脱ぎ、靴下を干してから昼食。おにぎりを食べながら、ふと見ると、目の前に大きな犬がよだれをたらしてわたしを見ている。ギョッとして、おもわず杖を握った。犬はあわてたように離れる。首輪をしているか
家出犬のような気がするのだが……。 |
ら飼い犬だろう。しかし汚れている。迷い犬? それとも家出犬? あるいは捨てられたのか?
数メートル離れてわたしの食べる様子をじっと見ている。よだれがたらーり、たらーり。狂犬病ではあるまいな。たんにお腹がすいているだけだろう。しかたがない、これも何かの縁だ。鮭のおにぎりをお前にやろう。
近づくとすぐに逃げるので、少し離れたところに置いた。やがておそるおそるやってきて、においをかぎ、むさぼり食う。この旅初めての善行を施した。よかった、よかった。
3時22分、境目峠の頂上で休憩。少し先に境目トンネルが見える。道端にひっくりかえって一息入れていると、道路の反対側に変な人が座り込んでいるのに気づいた。ジャージ姿のラフな格好をした中年男。イヤホーンをしている。時々トンネルのほうを見て、何かを見張っている感じだ。まるでストーカーだな。こんな山の中でだれを見張っているのか。
ちょっと気味悪かったが、さて、出発しようとリュックを背負って何気なく振り返ったら、100メートルほど後方に赤旗を持った数人の人影が見えた。そうか、ネズミ捕りだ。ということは、あそこで座り込んで見張っているのは警官? どう見ても変質者にしか見えないけど。
トンネルを抜けるとあと3キロ。がんばれ。4時4分、民宿岡田着。きさくなおかみさんで気持ちがなごむ。風呂、洗濯。
民宿岡田の隣はゲートボール場になっている。隅に机とベンチが置いてある。あたたかく心地よい風も吹いている。洗濯機が戸外にあるので、洗濯のついでにそこで旅日記を書く。
民宿岡田は一泊二食付き6000円。宿の主人の明日のコース解説つき。それからお昼用のおにぎりもお接待。いたれりつくせりの宿だった。
お遍路には結願の証明書が出されるという情報も教えてもらった。遍路センターや大窪寺などにあるとのことで、見本を見せてもらう。
今日はちょっと遅く8時10分就寝。
▼歩行距離29.9km (累計285.9km) 歩数51,046歩(累計480.972歩)
5時起床。雨音が聞こえていたので窓をあけてみると、宿のそばを流れている川の水音だった。天気はどうやら曇りのようだ。
6時前に朝食の声がかかる。早いほうがありがたい。お接待のおにぎり2個をいただき、6時12分出発。ここからわずか5km(1時間20分)だが、第66番札所・雲辺寺(うんぺんじ)は標高900メートルのきつい山道だと聞いている。宿の主人の話では健脚なら1時間30分、普通は2時間から2時間30分かかるとのこと。
登り口から30〜40分は非常にきつい勾配の坂道。それが終わるとなだらかな坂道が続く。やがて片側が開け、明るくなった。宿を出発して1時間。
7時17分、山道が終わり、ようやく車道と一緒になる。あと2・2キロ。
第66番札所・雲辺寺。 |
7時51分、雲辺寺着。1時間40分で歩き通した。これで健脚の仲間入りだ。フフフ。ひとり笑いは気持ち悪いよ。
8時21分、雲辺寺を出てすぐの道路わきに五百羅漢がずらりと並んでいた。数の多さに驚く。文字どおり五百体はあるだろう。その中には必ず自分に似た顔があると聞いた。捜してみたいが、ここは先を急ごう。第67番札所・大興寺(だいこうじ)は9・4km(2時間20分)もある。
五百羅漢。これだけあると圧巻だ。 |
9時48分。あー、いいかげんうんざりしちゃう。いつまで下ればいいんだよ。なんとかしてくれよな、もう登った分はとっくに下ってると思うけど。頭にくるなー。しかも2回も滑って仰向けに転んだんだぜ。……重心が後ろすぎるのかな。
長い、長い下りを終え、ようやく平坦な道路になった。さっきまでは薄日もさしていたが、急に暗くなった感じがする。風も冷たい。ひょっとしたら雨かな。そんな感じのする天気の変わり方だ。
山道を降りたところで休憩しているときに二人にぬかれ、今、その二人が休憩しているそばを通り過ぎた。歩いているときはそれほど抜きつ抜かれつはない。休みのタイミングでそうなることが多い。
今日は4月の15日。ちょうど3年前の今日のことだ。放射線+抗がん剤の治療が終わり、その成果を確認する内視鏡とCTの検査を受けた。1週間後に結果を知らされた。がんは食道もリンパ節も消えてなくなっていた。バンザイ! その嬉しかったこと。よかった、まだ生きていられる……。
3年後の今日、雲辺寺を打って次の大興寺へ行く山間の田舎道を歩いている。春は盛り。麦の穂が出そろい、田んぼは耕してある。水はまだ張られていない。今日は曇っているが、それでも春の大気はあたたかい。山里の道はいきかう人も車もなく、わたしひとりが歩いている。新緑の中に桜の淡いピンクが点在する山々。ときおりウグイスの声も聞こえる。みんな生きている。のどかだ。そしておだやかだ。こんな日がくるなんて
第67番札所・大興寺。 |
思いもしなかった。
11時7分、大興寺着。先達さんコンビが一足先に山門をくぐる。雲辺寺まではわたしがリードしていたが、下りの山道で抜かれたのだ。
大興寺を打ったあと、お昼には少し早かったが、境内のベンチで昼食。M子さんも追いついてきて4人。先達さんがお接待でいただいたお花見弁当のおすそわけと、今朝、民宿岡田でいただいたお握り2個、それにK子さんが食べきれないとくれたお握り2個を平らげた。つい1週間前とは大違いの食欲だ。境内の桜が満開だった。
11時55分、大興寺を出発。8.7km(2時間10分)で第68番札所・神恵院(じんねいん)。すぐ隣りに第69番札所・観音寺(かんおんじ)があるので2ついっぺんに打てる。
12時3分、ため池の脇を通り過ぎた。水面に雨が落ちている。
1時44分、神恵院(じんねいん)着。続いて観音寺(かんおんじ)をすませ、2時15分出
第68番札所・神恵院。 |
|
第69番札所・観音寺。 |
発。明日の予定にしていた第70番札所・本山寺(もとやまじ)まで打つことにした。4.9km(1時間10分)なので時間的には問題ない。宿も本山寺の門前だ。先達さんたちは観音寺市泊まりだというので別れる。
当初の計画では、神恵院の裏手にある砂絵の寛永通宝を見学するつもりだった。30分を予定していたが、時間がもったいないので、またの機会に。
3時前。疲れた。水のない川に枯れた葦が見苦しく林立する。そんな堤防を歩く。空
第70番札所・本山寺。 |
模様は曇り。なんとかもちそうだ。
3時13分、第70番札所・本山寺(もとやまじ)着。この時間に着けるのなら、寛永通宝を見てきてもよかった。先へ先へと焦りすぎ。心配性なんだ。遅れてもなんとかなるさ、という太っ腹にはなかなかなれない。
3時35分、一富士旅館着。本日の宿泊は2人。湯の谷温泉などで同じ宿だった歩きの早い男性。遍路を心から楽しんでおり、そろそろ終わりに近づいた今は、もう一度やりたい気分だそうだ。わたしのあの足の痛みを感じたことがないというからうらやましい。楽しく歩くにはそれしかない。ミズノのウォーキングシューズがいいみたい。
▼歩行距離28km (累計313.9km) 歩数47,669歩(累計528.641歩)
2011年4月16日(土曜日) 第13日 晴れたり曇ったり ↑ページTop |
5時起床。6時朝食。6時25分出発。
今日はお寺が多い(6つの予定だったが昨日すでにひとつすませて5つ)。その分、歩く距離を短くして19.2km。気分的には楽勝。しかも明日はこの旅初めての完全休養日だ。最初は第71番札所・弥谷寺(いやだにじ)の11.3km(2時間50分)だ。
9時2分、弥谷寺の入り口にきた。あと1・1キロ。それほどきつくない上り。これがお寺まで続くのか。同11分、山門をくぐる。やれやれ到着か、と思いきや、ここからいくつもの石段が続く。同18分、本堂に至る最後の赤いてすりの石段は108もあった。険しい
第71番札所・弥谷寺。
|
山に建つ本堂。空海の修行地だけのことはある。
本堂のお参りをすませ、上ってきた石段を下り、太子堂へ。太子堂は靴を脱いであがった屋内にある。珍しい。畳敷きの堂前で参拝、祈願。
太子堂を右にまわりこんだところに、空海修行の岩屋がある。弥谷寺奥之院「獅子之岩屋」は「大師幼少の折、この岩屋にて学問をされ、唐より帰朝後、修行をされた」とある。薄暗い堂の奥はむきだしの岩壁だ。低い天井岩が圧迫感を与える。まさに霊的道場。厳しい修行のありさまが目に浮かぶ。
9時58分出発。次の第72番札所・曼荼羅寺(まんだらじ)まで3.5km(50分)を歩いて
第72番札所・曼荼羅寺。 |
11時10分着。
納経をすませ、境内のベンチにリュックを置き、次の第73番札所・出釈迦寺(しゅっしゃかじ)には空身で行く。600メートルしか離れていないからね。それでも、荷物がないとやはり楽だ。
第73番札所・出釈迦寺。 |
続けて2つを打ち、12時8分、出発。2.2km(30分)で3つ目のお寺だ。
下を向いて黙々と歩いていると、自転車の子供に驚かされることもある。飛び出すな遍路は急にはとまれない、だ。
第74番札所・甲山寺。 |
1時3分、第74番札所・甲山寺(こうやまじ)着。終わったあとに昼食。俵おにぎり弁当。最近はほとんど弁当だ。
1時49分、出発。あと1.6km(20分)歩けば今日は終わりだ。
2時10分、最後の第75番札所・善通寺(ぜんつうじ)着。納経を終えて、善通寺宿坊のいろは会館に投宿。夕食の5時30分までに到着のこと、と言われていたが、余裕でクリ
第75番札所・善通寺。 |
アした。
宿坊に泊まるのは久し振り。例にもれず、あじもそっけもない部屋。修行の身にはこれで十分とはいえ、テレビがないとニュースがわからない。ま、俗世を離れた身だ。さしつかえなかろう。
早く着きすぎて時間がある。それで、薬局に行って小指の治療セットを買うことにした。何もせずに、痛い、痛いの毎日じゃあしようがない。治療して治してしまおう。
ところが、薬剤師の話では、マメは放っておくという治療法もあるとのこと。
マメに針を刺して水をぬくと、それは傷になるので、傷の治療――ばい菌が入らないような――が必要になる。しかし、何もしなければその心配はいらない。マメが歩く障害になるなら仕方がないが、そうでなければ放っておく手がいちばん、とのこと。
納得。様子を見ることにした。ただ、自然につぶれたときのために、消毒薬と化膿どめの軟膏を購入。
夕食は5時30分から。先達さん、K子さん、M子さんのトリオも同じ宿坊なので、夕食の席が一緒だった。フランス(松山在住)の女性も相席。四国が終わったら次の巡礼はフランスのルルドと決めていたので、なにか因縁めいたものを感じる。
寝る前にパソコンに入れてきた山頭火の句集を拾い読み。
おちついて死ねさうな草萌ゆる
まっすぐな道でさみしい
鈴をふりふりお四国の土になるべく
鴉泣いてわたしも一人
目につく句はみんな暗いな。気持ちがそっちのベクトルなのだろう。
気がかりな体調――左ののど・耳・歯の痛みをまだ感じる。痛みの箇所がはっきりしない。おさまってきてはいるのだが、旅に出る前からだから1か月近く痛んでいる。左の鎖骨上のリンパ節にはがんの転移があった。そこから数センチしか離れていない。気になる。
▼歩行距離19.2km (累計333.1km) 歩数35,988歩(累計564.629歩)
今日は休養日。
だからといって遅くまで寝ているわけにはいかない。宿坊には朝のおつとめがある。6時からなので起床は5時20分。
身支度をすませ御影堂に行く。すでに30〜40名の人が集まっていた。おごそかな読
善通寺の御影堂。 |
経、法話、そして般若心経の読誦。途中から正座の足をそっと崩し、40分あまりのおつとめを終えた。
そのあと、善通寺名物の戒壇めぐりを体験した。真っ暗やみの通路をめぐり、地下よりお詣りする精神修養の道場といわれるものだ。
おつとめをすませた一同は、案内のままに通路を下る。だんだん暗くなりやがて漆黒の闇。こうなると先がどうなっているか不安で、一歩も足を踏みだせない。しかし、右手で壁に手を触れながら歩いてください、と言われ、壁に触れた手の感触を頼りにおぼつかない歩みを進める。まさに暗闇を行くがごとき人生の象徴なり。頼りないことこのうえない。
やがて薄明かりになり、ちょっとした広間に出る。そこでは弘法大師の「生の声」が、ありがたい説法を聞かせてくれる。みんなで正座して神妙に聞いたあと、再び戒壇めぐり。通路が元の暗闇になったと思ったら、突然明かりが足元を照らす。後続のだれかが懐中電灯をつけたようだ。みんなオオーッと声をあげる。
用意のいいものだと感心。明りに照らされ安心して通路を歩ける。おぼつかなかった足取りが一気に早くなる。だが、歩くうちに、ふと、違うんじゃないか、という思いがわく。暗闇を頼りなく一歩一歩進む。その歩みの感覚こそ、戒壇めぐりの真骨頂ではないか、と思い至ったのだ。
心細く不安でいっぱいの一歩。どう進めばいいかまったくわからないその歩みも、壁に手を当ててさえいれば、やがては出口に導いてくれる。この信頼があるから暗闇を進むことができる。壁の先が奈落ではないと信じているからこそ、前に進めるのだ。
導きの壁かもしれない……。
|
壁すなわち大師さま。大師さますなわち信心。信じるものがあれば、人生を間違いなく歩んでいける。だから信仰を――と、戒壇めぐりは諭しているのではないか。
それに気づくためには、歩くこともままならない闇がどうしても必要なのだ。なまじ明りがあると、気づきに至らない。
戒壇めぐりには出口に導く壁があるけれど、わたしの人生にはそんなものはない。がむしゃらに突き進むしかなく、その先に奈落が待ちかまえていることもある。わたしは一度落ちてしまったが。
うむ、わたしにとっての導きの壁とは……?
朝食後、旅立つ先達さん一行を見送る。
さて、何をしようか。予定では空海ゆかりの場所をめぐろうと思って一日の休みをとった。なにしろここは空海生誕の地なのだ。
空海――佐伯真魚は、ここ香川県善通寺市(讃岐国多度郡屏風浦)で、宝亀5年(
善通寺の空海像。
|
774年)6月15日に生まれた(伝承であり正確な誕生日は不明)。わたしが泊まっている善通寺も、高野山の金剛峯寺、京都の東寺とともに弘法大師の三大霊場のひとつ。
それぐらい縁の深い場所なので、生家の跡とか幼少時に遊んだ池とか、あるいは幼い真魚が見たであろう風景など、神格化される以前、生身の人間としての空海をしのべるものがあると思っていた。
ところが、まるでない。もちろん善通寺にはゆかりの事物がたくさんあるが、境内をぶらりぶらり散策しても1、2時間あれば見終わってしまう。
町に出れば、真魚が見た風景を見ることができるのではないか。善通寺前の熊岡菓子店で名物のかたパン――石パン、ピーナツせんべい、へそまん各100グラムを買う。ぽりぽり食べながら、善通寺の境内を通りぬけ、赤門筋を行く。あては何もないが善通寺の駅前まで行ってみよう。
そういえば、歯の周辺の痛みはいつの間にかなくなった。名前どおりに石ころみたいな石パンをガリガリかじっても痛くない。よしよし。
日曜の朝だから店はほとんどしまっている。人通りもない。閑散とした通り。歴史博物館が開いていたので立ち寄る。ボランティア運営なのかあまり活気を感じない。
歴史を感じさせる大川酒店。
|
本郷通りに入って大川酒店の前を通る。古びた木造の2階屋。写真におさめようとしたら店先の販売機がじゃま。趣のある建物とまったくのミスマッチだ。
そのまま歩いて善通寺駅。うーん、なんだかイメージが違う。もっとにぎやかな商店街が広がっていると思っていたが、さびしい田舎の駅だった。
駅前のベンチでひとやすみして、別の通りを通って帰る。市役所の前にさしかかったら偕行社カフェの看板を見つけた。矢印の方向に進むとモダンな建物が見える。ちょっと一服と思ったら、今日は結婚式の貸切で、カフェの営業は午後から。
でも、せっかく来たのだから中をちょこっと拝見。そっとドアを開けて入ったら受付の人に見つかった。そこで、お遍路をしているんですが時間があったので寄ってみました。残念だけどやってないんですね、と話しかけてみる。
そうなんです、すいません。いやいや、おじゃましました。
偕行社カフェ。 |
帰ろうとすると、奥から出てきた女性が、よろしかったら廊下からですが見学していきますか、と言う。親切だね、讃岐の人は。
ちょうど結婚式が始まるところで、きれいな花嫁が廊下をやってくる。いやいや、いいもんだ。
そんな忙しいときに解説付きで案内してもらった。中は立派なものだった。窓からは芝生の庭が見え、結婚式が粛々と執り行われている。いい天気だ。眺めているだけで気持ちがなごむ。
11時26分、バナナ3本、伊予かん6個。しめて300円也。八百屋で買うとこんなに安いの? お昼はどうしよう。朝からせんべいを食べながら歩いていたのでおなかはすいていない。バナナでいいか。
いったん宿坊に戻る。境内を帰っていくと、ふと御守所に貼ってあった標語が目についた――春が来たら花が咲き鳥が鳴く 人はそのように素直だろうか……うん、うん。
午後は「弘法大師 幼時霊場」の「仙遊寺」に行くことにした。
なんだか妙な気分。日曜日の昼下がり、見ず知らずの町でビーチサンダルをペタペタいわせながらのんびり歩いている。なんなんだろうね、これは。
仙遊寺。 |
1時53分、仙遊寺着。かつてここは仙遊が原といい、弘法大師が5、6歳のころ、遊んでいたところだという。泥土で仏像をつくって遊んでいた原っぱ――境内の縁台に座ってその風景をイメージしてみる。……だめだ。まわりは変哲のない住宅街。わたしの貧困なイメージ力ではまったく思い浮かばない。
ふと目を上げると、住宅の屋根越しに山が見える。あの山だったら平安の昔からそこにあったのでは? 空海の原風景は南西部に迫る山のような気がする。山に向かっ
幼少の真魚もこの山を見ていたのだろうか。 |
てぶらぶら歩く。
散策から帰り、4時に入浴。今日は一番乗りだ。そのあとに入ってきたのは、沖縄からやってきて自転車で逆打ちをしているという元気なおじさん。体一面に彫り物。ちらと見た限りではかなりのもの。町の銭湯ならお断りの口だな。話してみるといいおじさんだった。
夕食のあとはやることがない。パソコンで「坊ちゃん」を読むが、疲れる。文庫本のように寝そべって読むには不適。7時20分、就寝。明日は早立ちすることにした。宿坊の朝食は7時と決まっているが、少し早めに出してくれることになった。
そうそう、午後から再びのど(あるいは歯・耳?)がだいぶ痛むようになった。朝は調子よかったのになあ。
夜中、爆音で目が覚める。オートバイか。暴走族だな。といっても1台だけの。
▼歩行距離9.1km (累計342.2km) 歩数17,065歩(累計581.694歩)
早立ちの予定で5時起床、6時に食堂に行った。が、10分たち20分たっても食事が整う気配がない。昨日の夜に頼んだときは、6時は無理でも6時10分か20分には用意できます、という話だった。
早立ちしたい者の心理としては、6時10分か20分といわれると、どうしても6時10分には朝食を食べられる……と思いたくなる。数十人の団体客も泊まっており大変なのはわかる。だが、大変だったら断ってほしかった。
般若心経を唱えて怒りを鎮めつつ、6時25分までおとなしく待った。だが、悟りをひらいていないわたしの限界はそこまで。時間がないのでもういいです、と、それまでに配膳されていた小皿の漬物を一口で、小鉢のタコの煮物を二口で食し、早々に出立する。
ご飯もみそ汁もできあがっているのに、なぜ気がきかない。わたしとしてはそれだけでもよかった。
食い物の恨みから、善通寺はいっきにワーストテンプルの部類に。ま、それは冗談。連絡の行き違いなんだろう。それにわたしのほうもあやふやな約束をしてしまった。6時
第76番札所・金倉寺。
|
第77番札所・道隆寺。 |
にできないなら、朝食はいらない、と断るべきだったのだ。
6時26分出発。第76番札所・金倉寺(こんぞうじ)まで3.8km(1時間)。7時10分着。
7時25分出発。3.9km(1時間)で第77番札所・道隆寺(どうりゅうじ)。今日は無心に歩いている。曇り。8時25分着。
8時39分出発。第78番札所・郷照寺(ごうしょうじ)まで7.2km(1時間50分)。9時20分、川を渡った。標識があった。あと4・8キロ。少し歩くと丸亀市だ。歩いている右手の奥に丸亀城があるはず。広い大通り。善通寺よりも都会。
コンビニで買い物をして出てきたら、おじいさんがこれから雨が降りますよ、と言う。テレビのない宿坊だったので、昨日、今日と予報を見ていない。これはマイッタ。10時37分郷照寺着。
第78番札所・郷照寺。 |
10時52分出発。5.9km(1時間30分)で第79番札所・高照院(こうしょういん)だ。
しばらく歩くと雨が本降りになってきた。雨具を着る。レインズボンをどこかでなくしていた。この前、雨にあったのは松山の道後温泉なので、あのとき泊まった東雲閣だな、きっと。しかたがない。下はぬれていこう。
12時12分、アーケードの商店街を通る。雨にぬれないので助かる。あと少しで79番に到着予定。まだ雨は降っている。12時56分、
第79番札所・高照院。 |
高照院着。参拝後、軒先を借りて昼食のお握りを食す。
1時23分出発。雨はやんだがポンチョは着ていくことにした。6.6km(1時間40分)で第80番札所・國分寺(こくぶんじ)。そうか、次は「はちじゅう」だ。いい響き。
第80番札所・國分寺(こくぶんじ)へあと2キロのところで再び雨。かなり強い。レインズボンがないからひざ下はびっしょりだ。少し寒い。
そうだ、いいことを考えた。軽くて薄いスパッツを2枚、上下にはけばいい。工夫してみよう。蒸れ蒸れになるズボンよりましな気がする。
第80番札所・國分寺。 |
2時37分着。國分寺の大師堂は納経所と同じ建物の中にあった。建物内は撮影禁止。だから唯一写真がない。
ご朱印をもらったおばさんの態度にむかついた。息子(たぶん)の住職と、寺の修理がどうのこうの、ぺちゃくちゃおしゃべりしながら書いている。おざなりの感は否めない。こちらは雨の中を参っているというのに。
本日の宿、えびすや旅館は国分寺から歩いて数分のところにあった。3時15分ごろ着。雨の中、おかみさんが外に出て待っていた。こっちですよ、と呼びこんでくれる。同じおばさんでもさっきのおばさんとは大違い。一泊二食6700円。 洗たくお接待。助かる。
昨日の休養が効いている。足の痛みもほとんどなくなり、一歩一歩を力強く踏みしめることができた。雑念があまりわかず、無心に歩いた一日だった。
気になることがひとつ。左側の「のど・歯・耳」のどれかが猛烈に痛む。今日は噛むのに支障が出るくらいの痛み。お昼のお握りなんかほとんど丸のみ状態だ。
ひょっとしたらあごの関節かもしれない。昨日、石パンをガリガリかじり続けていたし。だけど、あごの関節が痛むなんて、生まれて初めてだ。ちょっと心配。
就寝7時40分。
夜中におしっこで目覚め、眠れぬままに1時間ほど読書。『大法輪』の「死についての教え」を読む。
*人間は生まれ落ちたときから、死ぬために生きている。それが人間の定めである。
*法然の考え方→人間は凡人→でも救いはある→凡人だからという考え方がいい。
*道元はむずかしい。
*釈尊の死はちょっと……。
12時52分。布団にもぐりこむ。あったかい。
電気を消して布団の中で目をつぶる。風が吹いて窓がカタカタ鳴っている。遠くで車の通る音。これは自宅で寝ている感覚に近い。見ず知らずの土地の初めての宿だが、そんな気持ちになった。
3時30分 またおしっこ。
そういえば、最近、洗濯物のお接待が立て続け。ありがたい。
旅は非日常なところがおもしろい。だから、旅が日常になってくると、おもしろみが少しずつ失われてくるようだ。今がそんな状態かな。
▼歩行距離27.4km (累計369.6km) 歩数43,535歩(累計625.229歩)
2011年4月19日(火曜日) 第16日 曇りときどき雨のち晴れ ↑ページTop |
5時起床。6時前におかみさんが朝食の声かけ。6時13分出発。
朝いちの第81番札所・白峯寺(しろみねじ)は標高280メートル。宿からの距離は6.5km(1時間40分)だが、山道だけにそうは問屋がおろさないだろう。
歩きはじめる。風が強い。薄日がさしてきている。山の上にかかる鉛色の雲もあり、山
鉛色の空にかかる虹。 |
は寒そうだ。左後方に虹が出ている。ということは雨?
歩いていると雨がザーッときた。マイッタ、天気雨だよ。
山道を1時間ほど歩いて車道に出た。地図で確認すると白峯寺まで4.7kmの地点。
7時55分、白峯寺到着。1時間42分かかっている。途中で雨にあい、しかも山道。それにしてはよく歩いた。いい調子だ。
第81番札所・白峯寺。 |
8時19分出発。白峯寺を出ると山道。また雨が降りだした。林の中なので木々が天蓋となり、それほどぬれない。しばらく歩いたが、雨が強くなり、ポンチョを着る。
雨音が変わった。変だなと思ったらみぞれだ。寒いはずだ
9時37分、第82番札所・根香寺(ねごろじ)着。5kmの道のり(1時間15分)を1時間18分。順調なり。
第82番札所・根香寺。
第83番札所・一宮寺
|
根香寺を打ったあとの打ち戻しの山道。晴れてきた。雨の間はけっこう寒かった。次は11.5km(2時間50分)あるから着くのはお昼ごろだな。このあたりはいい眺め。一望のスカイライン。
12時を過ぎておなかもすいてきたので、道端のお墓の隅を借りてお昼にする。バナナ2本、サバの缶詰、ウイザープロテイン1パック。コンビニがなかったので弁当なし。
1時35分、第83番札所・一宮寺(いちのみやじ)着。2時2分出発。このあたりは雨が降らなかったみたいで、地面も乾いている。いい天気だ。ただし、風が強烈に吹き、寒い。これじゃあ冬の木枯らしだ。菅笠は吹き飛ばされそうなので手に持って歩く。あと6.4km(1時間40分)で今日の宿だ。ま、問題なしだな。
3時34分、ビジネスホテル・イーストパーク栗林着。夕食は宿の裏手の焼肉屋で、カルビ、ハラミ、レバーとご飯小。2400円。コンビニであんパンとプリンを買ってデザート。
一泊3950円。シングルルームは狭い。明日は朝食がないので早立ちだ。
そうそう、明日泊まるあづま屋旅館は、確認の電話をほしいといっていたな。ケータイを持っていないから部屋の電話を使い、フロントまで電話代をはらいにいく。10円だった。
就寝7時45分。
午前2時35分、トイレで起きたらまた眠れない。
▼歩行距離29.4km (累計399km) 歩数47,012歩(累計672.241歩)
5時起床。朝食なし。5時51分出発。7.7km(2時間)で第84番札所・屋島寺(やしまじ)
第84番札所・屋島寺。
左が太三郎狸。右はカミさん狸だろう。
|
の予定。天気は快晴。気温は低い。風がややあり。
7時1分。コンビニでお握り2個とビタミンCゼリー飲料を買い、店の外で朝食。コンビニで初のトイレ。最新のウォッシュレット。なかなかいい。下痢気味。
あと少しなのに、屋島寺の上りはけっこうきつい。ただ、舗装されている分、歩きやすい。8時1分、息を切らして到着。本堂、大師堂と参拝。
このお寺には、本堂の隣に狸の石像が2体、でんと置かれている。そして、朱塗りの鳥居の列。これは太三郎狸で有名な蓑山明神の社とのこと。
かつて弘法大師が霧深い屋島で道に迷われたとき、蓑笠を着た老人に山上まで案内された。その老人こそ太三郎狸の変化の姿であった――。
四国狸の総大将か。隣はカミさんだな。
8時28分出発。壇ノ浦を眺めながら、のんびりと次のお寺まで5.4km(甲コース1時間30分)を歩きたい。そう思っていたが、屋島寺からの下りはものすごい急坂。一歩一歩足元を確かめつつソロリソロリと降りる。
そういえば、屋島の戦いの前、義経は一の谷の合戦で鵯越の奇襲作戦を行い平氏を打ち破るが、鵯越がこれと似たような崖なら馬でなんかおりられないよ。あれは絶対にツクリだな。
油断して標識を見逃してしまったようだ。遠回りして登山口にたどり着く。ここから240メートルの標識。その前の標識を一瞬のすきで見逃してしまった。悔しい。
第85番札所・八栗寺。
第86番札所・志度寺
第87番札所・長尾寺
|
10時12分、第85番札所・八栗寺(やくりじ)着。10時36分、打ち終わって出発。朱印をいただくとき、ご住職からお接待にウーロン茶を1本いただいた。
坂道を下りながらつらつら考えるに、あと3つ打てばこの旅も終わり。名残惜しや。
ウグイスが鳴き、日ざしも温かく、木間がくれに海が見える。ハイキング気分とまではいかないが、気持ちがゆったりとしてきた。
無心に歩いていてふと顔を上げると、第86番札所・志度寺(しどじ)の山門が目に入った。こんなこともある。6.5km(1時間40分)の道のり。12時9分着。
昼食は志度寺で、パン2個、バナナ2本、プロテインゼリー飲料1パック。
1時9分出発。7km(1時間45分)で、第87番札所・長尾寺(ながおじ)着。2時31分
2時55分出発。といっても宿のあづま屋旅館はまさに門前。あっという間に到着。
今日は泊り客はわたしひとり。着いてから1時間半が過ぎてまだ風呂がわかない。早く風呂に入りたいよう。
風呂。そのまま食堂に行って夕食。明日はいよいよ結願だ。食事をしながらおかみさんからコースの説明を聞いた。ちゃんと手作りの地図が用意されている。最後の難関だけにみんな情報を求めるようだ。
ここから第88番札所・大窪寺まで12.3km(3時間10分)だが、標高776mの女体山越えがある。大窪寺自体標高445メートル。これまでの旅で、いろんな人から難所だ、難所だと聞かされているし、わたしも覚悟を決め、早朝5時の早立ちに決めていた。
ところが、88寺めぐりの証明書を発行しているお遍路交流サロンは朝の8時からだという。宿からサロンまで1時間で行ける。5時の早立ちだと6時に到着→あいていない→証明書をもらえない……。
皆さんは朝ごはんを食べて7時に出発。8時に着いて証明書をもらい、11時に結願の大窪寺着という予定の方が多いですね。
そうですか……。
まあ、大窪寺で証明書をいただくこともできますよ。2000円で。
その話は民宿岡田でも聞いた。記念にはなるだろうが、それほどほしくもないな。
まあ、いいや。こうなったら証明書なんていらない。だれに自慢するわけでもないし、証明書はわたしの心の中にある――なんて強がりをいって、早立ちの予定は変えないことにした。時間を十分とって、最後の歩きをゆったり楽しみたいから。
今日も、楽な時間、苦しい時間が入り混じるいつもの一日だった。苦しいときは下を向いてひたすら歩く。5分たち、10分たち……とにかく歩いていれば、そのうち目的地に着く。ただただ歩くとは、そういうことだ。それもあと2日。
一泊一食5500円。
▼歩行距離26.6km (累計425.6km) 歩数45,135歩(累計717.376歩)
早立ちのため4時20分起床。5時5分出発。
まだ薄暗い。だけど遍路標識は見えるからOK。前回11月の旅の早立ち5時とは大違
早立ちの朝。薄暗い中を出発する。 |
いだ。これなら問題ない。最後の第88番札所・大窪寺(おおくぼじ)まで12.3km=3時間10分。ただし急峻な山道。もっとかかるはず。時間は道次第だ。
5時25分、東の空が明るみはじめる。祝杯用のキリンフリーのせいでリュックが重い。この時間だと人通りはまったくない。ひとり歩く。寒い。しかたなく片手ずつポケットに突っ込んで暖をとる。これほどの寒さなら手袋があってもいい。
¥ショップの前を通過。思ったとおりやっていない。これで、朝・昼とも手持ちの食料で
前山地区活性化センターの休憩所。 |
しのぐしかなくなった。しかたがないか。
6時33分、前山地区活性化センターにある休憩所で朝食。気持ちのいい休憩所だ。
朝食は、あづま旅館でお接待のバナナ。2本いただいたが1本だけにする。残りは昼食用。それから昨日の残りのパン。これは賞味期限切れだが、かまうもんか。ほかにビタミンゼリー飲料。
朝日がまぶしい。休憩所の前には前山ダムが広がっている。桜の花もまだ残っているし、こんな場所での朝ごはんはとても気分がいい。これでおへんろ交流サロンがあいていればいうことなしだが、またの機会ということで。
さて、出発だ。結願の道、と刻まれた石碑に見送られて、人気のない休憩所をあとに
どちらの道を選ぶか……。
|
する。
7時前に石の標識発見。一面は「女体山経由 大窪寺 5.9粁」、もう一面は「県道助光経由 大窪寺 9.5粁」と二つのルートが記してある。
少しだけ心が揺れる。楽なのは県道経由に決まっている。距離の長短ではないのだ。
さてと……。最後の遍路道だぜ。……女体山、女体山。決めたとおりに行こう。
県道3号線から女体山経由の脇道に入る。難所難所とおどかされてきたので、胸がドキドキしちゃうな。
うわぁー、気持ちのいい山里だい。こっちにしてよかった。川沿いの道は細いながらも舗装道路。気分よく歩ける。
道が少しずつ上りになる。昼寝城の登り口を過ぎると、坂道の勾配が急になる。上り用のペースにダウン。右は渓流、左は山。舗装してある道なので歩きやすい。
女体山の登り口。。 |
山に入る。「分け入っても分け入っても緑の山」の気分だ。このあたりは雑木林なので、歩くごとに趣がいろいろ変わる。そんな景色を見る余裕があったのは、最初だけ。最後は、両手をついてよじ登る女体山、だ。きつい。
8時22分、女体山山頂。標高776メートル。四つん這いでよじ登ってきた。さすがに険しい。いろんな山道を歩いてきたが、両手を使ったのは初めての体験だ。
女体山山頂の標識。
|
12分休んで、山頂出発。あづま旅館でお接待されたオロナミンCで、元気はつらつと、大窪寺までの1・3キロを歩けるものか。
上りで体力を消耗しているはずだが、下りはあっという間だった。9時3分、ついに結願のお寺・大窪寺に到着。第88番札所だあ〜!
山門をくぐると、お寺の人が掃除をしているだけで、境内はひっそりしている。落ち葉をたいているのか煙が上がり、あ、これは、なつかしいたき火のにおいだ。
手を洗い、光明をあげ、香をたく。札を納め、賽銭をあげる。そして般若心経の読誦。本堂と太子堂で行ってきた参拝もこれが最後だ。
9時43分、ご朱印をいただいて、88寺すべてが終わった。
第88番札所・大窪寺。
大窪寺の静かな境内で、ひとり祝杯をあげる。 |
静かな境内でひとり祝杯。プシュッ。音は缶ビールそっくりだが、ノンアルコールなんだな、これが。
いやいや、文句は言うまい。日ざしもあったかい。たき火の煙、におい、実にのどかで、遠い昔の無垢な時代そのままだ。参拝の人はいない。あ、今、ひとりきた。
おっと、感慨にふけるのもここまで。結願とはいえ、まだ本当の終わりではない。今日はこれから18.7km(4時間40分)歩く。そして明日、第1番札所・霊山寺に戻って今回の旅の終わりなのだ。
9時58分出発。山門をくぐったところでおじさんに声をかけられる。
お接待のお茶を飲んでいきなさい。
断るのも悪いと思い、つい茶碗を受け取った。気づけばお土産屋の呼び込みだ。同じように呼び込まれた青年と毛氈の床几に座り少し話す。岡山からバイクでやってきて、今日から始めるという。88番から逆回りだそうだ。予定は10日。律儀な青年で、敬語を間違えたら言い直す。まだこんな青年がいるのだな。
さて、何か買わなきゃ悪いな。なるべく軽い食べ物。で、お多福豆にした。350円。
お昼は大月橋のバス停で。夏ミカン1個、ウイザーINプロテイン1パック、お多福豆10粒。ほかに食べるものはない。なければないでなんとかなる。
12時37分、昼食を終わって出発。歩きはじめてすぐ、今日泊まる旅館八幡の看板を発見。あと11キロだ。
うわぁ、道の真ん中で蛇に遭遇。杖をカツカツ叩いて追いはらうが、蛇も驚いたとみえてうまく進めないでいる。
前方に高速道路が見えてきた。246号とも交差しているし、これで山道は終わったな。あとは普通の道になると思う。そういえば、ここしばらく標識を見ていない。今、歩いているのは遍路道ではないし、標識ともおさらばか。
日は高くさんさんと輝き、心地よい風が正面から吹いてくる。修行の山を降りてきた気分だ。これから俗世か。
女体山から眺めた春霞の下界。 |
春霞の旅だった。山は淡く、遠くは白く、やわらかな景色。霞にとけこむ風景にはとげとげしさがない。なにもかもがぼんやりとかすんでいた。
2時19分、田植えが終わったたんぼを発見。おっ、これからお百姓さんは忙しくなるなあ。
のどかな気分で、信号のない交差点の歩道を渡ろうとしたら、やってきた車にビビーッと警笛を鳴らされる。あわててとまったら目の前をビュンと走っていった。ムカッとする。おっさん、何、考えてるんだよ。歩行者優先だろう。この旅、初体験。徳島の人はそこのけそこのけ車が通る――なのか。
考えてみればこれがケチのつきはじめ。
3時4分、旅館八幡着。
通されたのは10畳の大きな部屋で造りもきれい。だが、お遍路にとっていちばんのもてなしはそんなもんではなく、お風呂だ。汗まみれで疲れ切った体をよみがえらせるお湯。あれはまさに至福の時間。それなのにお風呂は5時からだと言う。
早立ちをしてがんばって歩き、3時に着いた。お風呂に入って夕食までのんびり。それが楽しみなのに。これじゃ疲れがとれない。肉体的にも精神的にも。
声を大にしていいたい。お遍路宿を名乗る以上、お風呂だけは到着早々に入れるようにしていただきたい、と。そうでないと、宿の評価は大きくマイナスになりますよ。これはわたしだけかもしれないが。
洗濯機、乾燥機はコイン式があった。が、洗剤がない。買いに行くのも面倒なので洗濯はパス。これなんかも評価減の要素だな。
夕食6時。最初出されたお膳にびっくり。あまりにもおそまつ。が、しばらくしてハマチのお造りが出され、やがて天ぷら、そしてまた数分後に茶碗蒸しが出てきた。要は準備ができていなかったということ。6時の予約をしておいたのに……。これで総合評価は完全に☆ひとつだな。
夕食を食べて部屋に戻ると、疲れがどっと出てきた。5時の早立ちで山越え31キロだもの。最後の夜だし、感慨にふけりつつ旅のまとめでも書こうと思ったが、そんな気分じゃない。だるくて横になったら、もうパソコンに向かう気力が失せた。今日は愚痴をこぼして終わり。寝よう、寝よう。明日はいい日になりますように。7時10分就寝。一泊二食7140円。
▼歩行距離31km (累計456.6km) 歩数49,073歩(累計766.449歩)
2011年4月22日(金曜日) 第19日 曇りときどき雨 ↑ページTop |
早くに目が覚めて4時30分起床。朝食は6時45分だというので、しばらく時間がある。旅日記を整理する。
窓の障子が白みはじめ、夜が明けた。窓をあける冷気が入ってくる。天気はまあまあのようだ。低い山並みが見える。四国の風景も今日で見納めか。最後の歩きだ。
7時出発。3km(45分)先の第9番札所・法輪寺(ほうりんじ)まで行く。
ここは第1回目の旅ですでに打ったところだが、ご朱印をいただくのを忘れた痛恨のお寺だ。あのときは到着したのがお昼どきで、お腹ぺこぺこ。門前に有名なうどん屋があり、終わったらうどんだ、とそればかりを考えていた。それでお参りのあとのご朱印をす
第9番札所・法輪寺。 |
っかり忘れてしまったのだ。
6年ぶりの法輪寺。見覚えは……ないな。
そして、門前のうどん屋。あれ、建物はあるけど、やってないじゃないか。
時間が早いからではない。中をのぞくと空き家。廃業したみたいだ。記憶にあるのは大勢の客でごった返す店。中では食べられず、店先の縁台で食べた。あのにぎわいはどうしたのだろう。
ともあれ、これで88寺のご朱印がそろった。8時2分、出発。第1番札所・霊山寺(りょうぜんじ)へと最後の歩きだ。16.8km(4時間10分)の道のり。
数年前は88番から1番へと戻る人が多かった。そうすることで四国一周の円が結ばれて完結する、というわけだ。しかし、あづま屋のおかみさんが言っていたが、だれかが言いだして、みんなそうするようになったけれど、四国の人は自分の住まいの近くから回りはじめるし、またみんながみんな1番から始めるわけでもない。だから、1番に戻るというのはあまり意味がない、昔はだれもそんなことはしなかった、と。
そうかもしれない。流行というやつだろう。今は1番へ戻る人は少ないそうだ。とはいえ、わたしには法輪寺のご朱印漏れという大きなミスもある。やるしかなかったのだ。
あ、雨が降ってきた。
降ったりやんだりの雨の中、12時18分、霊山寺着。ご朱印をいただいて1番からぐる
第1番札所・霊山寺。 |
りと1番まで、89寺完了!
▼歩行距離19.8km (累計476.4km) 歩数39,683歩(累計806.132歩)
お昼は門前のうどん屋でうどんを食べ、最寄駅の坂東駅へ着いたのが1時20分だった。さすがにこの駅はよく覚えていた。お遍路の第一歩はここから始まった。あのときのままだ。
JR高徳線で徳島駅→バスで徳島空港。
飛行機は予定より大幅に遅れたが、夕刻7時すぎに羽田空港着。
7時35分の空港バスで聖蹟桜ヶ丘8時45分着。
9時5分、四国巡礼の旅を終えて自宅着。
出発時の体重55.5s、帰着時の体重53.6s。19日間の旅で1.9s減はどう評価すべきなんだろう。ちなみに、今回のリュックの重さは7.4s。
とまれ、足かけ6年、総日数43日、総歩行距離1176.1km、総歩数1,868,102歩の旅が終わった。 (完)
↑ページTop
|