ひょいと四国へ

 「ひょいと四国へ晴れきっている」
 種田山頭火の句である。「ひょいと四国へ」行ってみるのもよさそうだ。
 山頭火も歩いたお遍路とはどんなものか。
 なんだかおもしろそうじゃないか。――ひょいと四国へ。
 春の四国路はさぞやいい気持ちで歩けるだろう。

2005年4月27日(水曜日) 第1日 ↑ページTop

 夕方5時30分に自宅を出る。最寄り駅のモノレール明星大・中央大駅が帰宅の大学生で大ラッシュアワー。駅のベンチで文庫本を読んで2時間近く過ごす。
 立川に8時50分着。東京・立川から四国・徳島行きの夜間高速バスは午後10時50分発だから時間がありすぎる。レストランへ入って夕食(おろしトンカツセット)を頼み、生ビールを飲む。つまみに「ナンコツの唐揚」をオーダー。ところが、つまみと食事が一緒にきたので、ナンコツが食べきれないで残った。紙ナプキンに包んでリュックへ。
 店を出たもののまだ時間がある。最初は駅ビルのスターバック、そこも終わってしまったので、駅周辺を探して午前0時までやっているドンキホーテで時間をつぶす。

 22時50分発、四国行きの夜間高速バス・シャルム号。立川→舞子¥7450(往復割引)、001号車10D席。
 指定された席は最後列。乗客は定員の半分ぐらいしかいなかった。座席が3列の深夜バス仕様とはいえ、熟睡するには過酷な環境だ。ウトウト眠っては起きの繰り返しだった。
 体を丸めたり伸ばしたり、一番楽な位置を見つけては少しばかり眠る。体が固まってくると目が覚め、またモゾモゾと体勢を変える……。そんなこんなで車中での第一夜が過ぎる。


2005年4月28日(木曜日)第2日 ↑ページTop

 早朝7時前に舞子着。 ここから徳島駅前まで再度、高速バスで移動。立川‐舞子間と同じ山陽バスだ。
 バスの出発まで時間があるので舞子駅の近くを散策。本四連絡橋が目の前にある。

 
  舞子から徳島駅前までの高速バス

 バスは7時40分ごろにきた。予約していたのはボクひとり。あとの人は普通に乗ってくる。予約なんか必要ないみたいだ。
 徳島駅前に着いたのが9時過ぎ。JR徳島駅で、1番札所の霊山寺(りょうぜんじ)最寄りの板東駅までの時刻を確認すると、まだ1時間もある。 2分、3分おきに発車する山手線とは大違い。1、2時間に1本など、当たり前と思っておいたほうがいいようだ。
 ホームで待っているとやってきたのは2両編成のディーゼル車。後ろ乗り前降りとなっている。はて、電車でバスと同じ方式とはこれいかに……と考えていると、隣駅に着いた。なるほど、無人駅なのだ。改札がなければ運転手が電車内で切符を受け取ったり精算したりするしかない。それで前降りにして切符やお金を受け取っていくわけである。

 板東駅10時30分ごろ着。
 駅の改札を出たところで50代ぐらいのご夫婦と同じ方向になる。ほかに降りてくる人はいな

 
  霊山寺そばの坂東駅

い。ボクら3人だけが、真昼なのに人通りのまったくない町を歩いている。
 目的はボクと同じだろうな……と思っていたが、話してみるとやはり同じお遍路だった。

 駅からだらだらと歩き、そのまま道なりに行き過ぎるところだった。T字路の右側が正しい方向。それが参道なのだろう。向こうにお寺らしきものが見える。ゆっくりと10分ぐらい歩いて第1番札所・霊山寺に着く。

 
  第1番札所 霊山寺

 霊山寺の門前には広い道路が走っていて、横断歩道を渡って門に至る。参道を歩いていけば、やがて深遠な寺域に至ると思っていたが、ちょっと趣が違う。なんだか格式が感じられない。これが1番か……と少し拍子抜けの感がした。

 ともあれ、道路の手前から写真を撮って信号を渡る。山門で合掌・礼。手水舎で身を清め、まずは身支度からと、寺内の売店で一式整えることにする。
 本堂脇から右手に畳敷きの売店がある。靴を脱いであがる。本で読んできたとおり、お遍路道具一式がずらっと並んでいる。
 悩むのは納経帳の大きさだ。大きいほうが見栄えはいいのだが、歩き遍路ということになると、なるべく小さいほうが持って歩きやすい。そうはいっても大きいほうがカッコいい。売店のおばさんに聞くと、あっさり「歩き遍路なら小さいやつだね」という。ごもっとも。
 一式購入。ロウソク、線香、数珠、輪袈裟を、真っ白の頭陀袋に収める。ほかに傘や杖など。税込み合計2万2760円なり。

 畳敷きの売店には端に机が置いてある。そこで納め札に住所と名前を記していると、売店のおばさんが「これ、お接待」と言って持ち鈴をくれた。そんなときは、南無大師遍照金剛とお礼の御宝号を言うようにとマニュアルには書いてあったが、まったく忘れている。これは今回の旅を通して同じ。とっさには出てこない。普通にお礼を言っていただく。

 そんなこんなで1番の霊山寺を出発したのが12時過ぎ。買い物に1時間半は使っている。
 さて、と門前の道路脇で身づくろいしていると、2番・極楽寺(ごくらくじ)はどっちでしょうか、と聞いてくる青年がいた。標識があるので「あっち」と答える。ボクも新参者なのに。
 2番・極楽寺までは1・4キロ。真新しい白衣を着、金剛杖を突いて鈴を鳴らしながら歩くのは、生まれて初めての体験だ。うむ、素人役者の演技のようだな。ただ、観客はだれもいないし、昼下がりの県道をリュックを背負った白衣装束の中年男が歩いているだけなのだから、どうということもないな。

 単調に歩を進める。1時前には着いた。
 参拝をすませたあと、本堂・太子堂を撮り、弘法大師お手植えの長命杉なども撮る。これから、各札所の本堂・太子堂は必ず写真に収めることにする。

 
  第2番札所 極楽寺

 参拝と写真撮影が終わって出発したのは1時20分。歩きだしてから「しまった、忘れた」と思ったのが太極拳の奉納だ。これはお遍路に行く前に決めていたことだ。お寺の片隅で奉納の太極拳をやろうと。まあ、津軽三味線を抱えて巡拝した平成娘遍路の真似だが。
 しかし、参拝の作法と写真撮影だけで一寺に30分以上はかかりそうだ。そのうえに太極拳の奉納か。う〜ん……。

 2番・極楽寺から3番・金泉寺まで歩く。歩く、歩く、歩く。その間、2・6キロだから、1時間はかからない。

 
  第3番札所 金泉寺

 地図を見ながら行ったのだが、途中でおかしくなる。地図に出ている川を越えたと思ったので、次はこれがあるはずと思っているのに、いくらたっても目標が現れない。
 途方にくれて、それでも歩いているとようやくわかった。これが地図の川だと思っていたのが、実は別の川で、地図の位置よりずっと手前だったのだ。行けども行けども次の目印が出てこないわけだ。ずっと手前を歩いているのだから。
 どこかで昼食を、と思っているうちに金泉寺に到着。2時前だが、お腹もすいていないし、参拝したらそのまま歩くことにする。
 4番札所・大日寺には4時前着。
 5番札所・地蔵寺は大日寺から2キロ。5時にぎりぎり間に合うだろう、と急ぐ。奉納を済ませ、写真撮影がちょうど5時。今日はここで打ち止めだ。予約してある民宿寿食堂へと向かう。

 
  第4番札所 大日寺
 
  第5番札所 地蔵寺

 6時過ぎに寿食堂着。夕食は6時半からということで、風呂に入り、洗濯物を洗濯機に放り込んで食堂へ。同宿は、板東駅で一緒だったご夫婦、それに横浜の大学院生、同じく横浜在住のおばさん。
 食事は大学院生と同じテーブルだった。都立大から工業大学へ進んだそうだ。燃料電池が研究テーマとか。就職が決まってちょっと時間ができたのでお遍路に来たと言う。ボクが腰をやられた、と言うと、あとで湿布をくれると言う。なんだか用意周到で恐れ入る。
 食事のあと、洗濯物を乾燥機にいれ、カメラの画像をパソコンに移して充電。テレビはちょっと見たが、10時には就寝。緊張の一日だった。

★本日の行程
1番・霊山寺→1・4キロ→2番・極楽寺→2・6キロ→3番・金泉寺→5キロ→4番・大日寺→2キロ→5番・地蔵寺→4キロ→民宿寿食堂泊
★ 計15キロ(持参した地図に出ている距離で計算した数値)
  参考:万歩計28069歩=17・68キロ(ボクの一歩は平均63センチなので。) 


2005年4月29日(金曜日) 第3日 ↑ページTop

 
  第6番札所 安楽寺

 朝食は6時半。7時過ぎに出発した。寿食堂のおかみさんがマッチと5円玉をお接待してくれる。ご縁がありますように。
 今日もいい天気だ。同宿の大学院生は先に出ている。第6番札所・安楽寺(あんらくじ)までは1キロちょいだ。田んぼや畑が広がる風景の中を歩く。7時25分には着いた。


 次の7番・十楽寺(じゅうらくじ)は1・2キロだから、あっという間。9時前にはお参りをすませて次の8番・熊谷寺(くまだにじ)に向かう。
 熊谷寺までは4・2キロ、1時間の歩き。これまた難なくこなし、熊谷寺を終わってもまだ10時30分だ。2日目ともなれば余裕だな。3つも打ったのに10時30分とはこれいかに。
 この調子だと午前中に4つ目の9番・法輪寺(ほうりんじ)は固い。余裕しゃくしゃくと歩く。

 
  第7番札所 十楽寺
 
  第8番札所 熊谷寺

 
  第9番札所 法輪寺

 思ったとおり、法輪寺には11時に着いた。門前においしいことで評判の「うどん梅の家」があることは地図で確認済み。昼飯はここにする。まだ12時になっていないが、昨日は結局昼飯を食べ損ねた。2日も同じ目にあいたくはない。少々早くても、昼ごはんだ。
 梅の家をのぞくと満員。桶うどんを注文しておいて、表の床机で待つ。話好きのおばさんがやたらと声をかけてくる。店の手伝いにきているようだ。なんだかんだ話しているうちに、床机に即席の台を置いてそこがテーブルがわり。ま、何でもいいや、昼飯が食べられれば。
 うどんを食べていると車がとまり、道をたずねてきた。おばさんは調子よく答え、「今、出たあのタクシーが同じお寺に行きまっせ」なんていう。が、先刻、ちらっと耳に入った話では、そのタクシーの行き先は違うお寺なのだ。
 車が行ったあとでおばさんは「いくんだろうね」なんて言っている。もう遅いよ。調子よく答えてくれる人だからといって安心できない。旅人の心得を実体験した。

 
  第10番札所 切幡寺

 お昼を食べて10番・切幡寺(きりはたじ)へ。ここは1時半出発。次の11番・藤井寺(ふじいでら)は明日まわし。切幡寺から9・3キロあるから、3時間弱の距離になる。無理をせずに手前の鴨島町で泊まることにする。
 午前中に電話で予約したしげる旅館へ。吉野川沿いの堤防をのんびりと歩く。宿まで6・3キロだし時間はたっぷりある。川の流れのようにゆったりと歩くのは実にいい気持ちだ。2時、3時、4時と時間は流れ、しげる旅館着。
 明日の偵察を兼ね、町を歩く。朝食を調達するコンビニの場所を確かめて帰る。今のところ泊まりは僕ひとり。夜になって宿舎がわりにしていると思われる作業員風の人が二人、三人と帰ってきた。明日は4時半起きの5時出発なので9時前には寝る。

★ 本日の行程
民宿寿食堂→1・4キロ→6番・安楽寺→1・2キロ→7番・十楽寺→4・2キロ→8番・熊谷寺→2・4キロ→9番・法輪寺→3・8キロ→10番・切幡寺→6・3キロ→しげる旅館泊
★ 計19・3キロ (万歩計26908歩=16・95キロ)


2005年4月30日(土曜日) 第4日  ↑ページTop

 早朝4時前に目が覚める。こんなに早く目が覚めるなんて興奮しているのだ。出発は5時だが、もう寝ていられない。起きだしてトイレに行き、歯を磨き、顔を洗う。準備を整えて階下に降り、頼んでいた洗濯物を持って上がり、リュックに詰める。さて、時間は早いが出発だ。
 玄関の戸を静かに開けて外に出る。まだ薄暗い。昨日、見ておいた鴨島駅前に出て、直角に折れ、藤井寺への道を歩きだす。コンビニで弁当を買い、駐車場で食べたら、あとは11番札所・藤井寺に行くだけだ。
 まだ寝静まっている家並みだから、鈴を手で押さえて鳴らないように歩く。
 6時前には藤井寺に着いてしまった。納経所が開くにはまだ1時間もある。ちょっと早すぎたな。参拝をすませ、写真を撮り、のんびり過ごしていると、ぽつりぽつりと参拝者が顔を見せる。お遍路もやってくる。そのうち、むさい爺さんが納経所を開け、土産物を並べ始める。杓を持った男が経を唱えている。車で来た人たち、藤井寺門前のふじや本家旅館に泊まっていたと思われる人も来る。

 
  第11番札所 藤井寺

 ボクは納経所の受付窓口下にあるベンチに頭陀袋を置いて席取り。7時前になると脇から割り込んでくるおっさんがいるので、思わず「こっちが先に並んでる、もう1時間も」と文句を言う。と、さっき土産物を並べていた爺さんが、おもむろに窓口に座り、納経の準備を始めるではないか。なんと、この爺さんが住職だった。
 7時前、一番で納経をしてもらい、さあ、いよいよこの旅最初の遍路ころがしだ。遍路ころがしとは遍路が転ぶほどの道、つまり難所ということ。合計1200キロの遍路道の何箇所かがそう呼ばれている。で、11番から12番へ至るこれからの山道が、最初に経験する転がし道である。

 いや〜!!! とんでもない道だ。汗がしたたる。のどがゼーゼー酸素を求める。急な山道には丸太の階段が延々と続く。たった一段、引き上げる脚が震える。が、一段ずつ、歩くしかない。一段、一歩、果てがあるのだろうか……。
 疲れきって休んでから少し行くと、数人が休んでいる場所がある。長戸庵。板東駅で一緒になった北九州市のご夫婦がいた。少し前に休んだばかりなので元気回復していたのだが、あれこれ話す。寿食堂を出て、昨日は温泉宿に泊まったと言っていた。

 
  長戸庵

 なんやかんや話していると、また顔見知りの大学院生がやってくるではないか。これで寿食堂の宿泊メンバーのうち、横浜のおばはんをのぞいて揃ったことになる。そのときは珍しいこともあるもんだ、と思っていたが、歩く速さがほぼ同じなら、似たような行程になるのは当然だ。

 横浜の大学院生は年配のおじさんと同行するようだ。先に出発。そのあとにボクも歩き始める。
 峻険な山道を歩く、歩く、歩く。ただ、歩く。1時間歩いたら10分の休憩をとる――という原則などとうに忘れている。
 とにかくこの苦しみを早く終わらせたい。そのためには早く目的地に着かなくては。……といっても、休まないと体がもたない。が、休んでいると再び歩きだすのがとにかく大変なのだ。それでなるべく休まなくてもいいようにだらだらと歩く。どうにもダメとなって休憩。その繰り返しで、巨大な空海像が建つ一本杉の庵に着いた。先行した院生とおじさんがいる。靴を脱ぎ、大休止する。

 
  一本杉と空海像

 ここでおじさんのアドバイスが。話を聞くと元自衛官だとか。自衛隊の行軍で伝統的に申し送りされてきた足にマメをつくらない秘伝? それは靴下を裏返してはくこと。
 靴下の表はきれいだが、裏返すと糸がハミだしたり縫い目があったりする。それが肌とすれて長い時間の歩行に影響する。そこで肌にやさしいきれいな表面をはく。これは非常に合理的だ。足を乾かしたらさっそく靴下を裏返しにはく。

 出発。柳水庵で中休止。水道で水を補給。ほんの少し、コンクリートの道を歩き、山に入る。だらだらと登る。ときおり車が通る。まだか、まだか、と思いながら歩いているうちに、突然、道は寺へと通じる道路に出る。
 着いた! と思うのはまだ早い。ここからが辛いのだ。疲れきった体には無情の坂道。バスや車できた人たちも、駐車場からはこの道を一緒に歩く。歩き通してきた者として、ここはひとつ根性だ。車でやってきた人たちを次々と追い越していく。
 ようよう山門。石段を一歩、一歩登る。

 
  第12番札所 焼山寺

 第12番・焼山寺(しょうざんじ)到着! 12時15分。5時間15分の遍路ころがしだった。

 今日の予定は終わったも同然だ。ここから3キロほど先に宿を予約してある。難所だと聞いていたので歩く距離を短くしたのだ。まだお昼過ぎ、時間は十分すぎるほどある。
 院生とおじさんもいた。昼ごはんを食べると出発していったが、彼らはボクが泊まる予定のさらに数キロ先まで行くという。
 休んでいると、「盲導犬を連れている人に会わなかったか」とたずねられた。これにはびっくり。そんな大胆な人もいるのだ。ボクにたずねてきた人の友人が付き添い、一緒に登っているとか。
「いや、知りません。会いませんでしたよ」
「そうですか。遅いもんだから心配で」
「犬の道案内じゃ、大変でしょう」
「心配してるんですよ。遍路道はどこですかね」
「この下の駐車場の脇から出てきました」
「どこですか」
 ということで、下の遍路道まで案内した。そこではまた初日のご夫婦と出くわす。

 焼山寺の境内でのんびりと時間を過ごし、2時過ぎに出発。

 
  空海から罪を許される衛門三郎

 途中、お遍路道を開いたひとりとされる衛門三郎が、弘法大師と出会って罪を許されたという一本杉で小休止。午前中の登りで追い抜いた若い男に会う。体重は80キロはあるだろう。いかにも辛そう。
 聞くと院生と同じ宿を予約しているという。が、それはどう考えてもこれから行ける距離ではない。どうするのかと思っていたら、ボクが泊まる予定の場所近くにタクシーを予約したのだと言う。
 なるほどね。明日の朝、そこまで戻って歩きはじめるというわけだ。
 今日の宿のなべいわ荘の近くまできたところで、道をたずねたおばさんに缶ジュースをお接待される。これで接待は2回目だ。そこからなべいわ荘まではすぐだった。

 
 なべいわ荘の庭。ビールを飲みながらゆっくりと くつろぐ。

 4時到着。これまででいちばん早い。のんびりと風呂に入り、食堂の片隅の畳敷きのスペースでビールを飲む。洗濯機を借りて洗濯。そして乾燥。
 ビールを飲んでいると、宿のご主人に予約の電話が入る。5時を過ぎているし、こんな時間に、と思っていると、宿のまん前の道路からの電話ということで、表を見ていると現れたのは初日に一緒になった北九州のご夫婦だった。
 夕食のとき、元気なおばさんと同じテーブルになる。ボクと同じ年だそうだ。57歳。ご自身は2回目の遍路で順打ちだが、ご主人は逆打ちをやっているとか。1番から順に88番まで打ちとおしたら、今度は88番から1番へと打つ。これが逆打ち。
 話していると、どうにもかみあわない。どのくらい早く歩くかが一番大事なような話しぶりなのだ。その気持ちもわかる。ボクだって藤井寺から焼山寺の遍路ころがしの難路を5時間15分で歩きましたと人に言うとき、ちょっと誇らしいからね。5時間台で歩ききるのは少ないらしいから。だからといって、歩く速さを人に押しつけるのはどうも……ね。閉口。

 食事後、寝酒を1合注文。そのとき明日の昼のおにぎりを頼むが、食べるところはあるので、と断られる。ま、いいか。
 酒を飲んで、カメラを充電し、歯磨きに洗面所にいくと、廊下の喫煙所で北九州のおばさんがもうもうと煙をあげていた。どうも、どうも。
 テレビを少し見て就寝。暑かったので窓を開けて寝たかったが、網戸がなく、ガラスの外には虫がいっぱいだったので、断念する。

★本日の行程
しげる旅館→3キロ→11番・藤井寺→12・9キロ→12番・焼山寺→3・7キロ→なべいわ荘泊
★ 計19・6キロ (万歩計35582歩=22・41キロ)


2005年5月1日(日曜日) 第5日  ↑ページTop

 5時半起床。6時朝食。6時半出発。玄関で身支度をしていると、雨が降りだした。少しだけ嬉しい。なぜなら装備は完璧だから。ゴアテックスの最高級雨合羽もリュックにかけるコートも購入ずみだ。心配なのは靴だけ。ムレ対策重視で爪先はメッシュになっている。もちろん防水ではない
 リュックコートはかけたが、合羽は着ようかどうしようか迷っているうちに雨がやんだ。空は暗雲が激しく流れている。降ることは間違いないが、とりあえず出発してしまえ。
 玄関に出てきた泊り客のなかに、10番・切幡寺でちょっと話をし、年齢を聞いた女の子がいた。夕食の時には顔をみなかったので、遅くなって着いたのだろう。ちなみに年齢は32歳と聞いて、まずかったなと思ったことを覚えている。20なら若気のいたりで遍路に出てもいいが、32だと遍路は重い。しがらみなんか聞きたくもないし……。
 歩き遍路をする人がすべて、なにがしかの悩みを抱えて歩いているとは限らない。が、遍路で歩こうと決意するには、相応の理由があることも事実だ。特に若い人の場合は。

 同宿の人の2番目に出発する。
 宿の前の橋を渡っていると「ありがとうございます」という声が聞こえた。振り返るとなべいわ荘のご主人が手を振っている。大声でありがとうを返し、さて、今日も歩くぞ。

 
  遍路道からの眺め

 なべいわ荘を出て遍路道に入ったがほとんど舗装道路。歩けばいいだけなので楽だ。しかも今日は雨模様。気温も低くずんずん歩く。そのうち、同宿のおじさんと同行。朝の出立時に雨が降りそうな状況を見て宿の人に傘を貸してくれといっていたおじさんだ。なんと非常識と思った。それぐらい用意してくるのが当たり前だから。
 しかし、人は話してみなければわからない。非常識と思っていたおじさんは、最近、造船関係の会社を息子に譲り、かといって自分もまだまだにらみをきかせている元社長だった。神戸の人で大震災を体験したそうだ。
 歩きながら聞くと、この不景気の世の中で造船関連は大繁盛だと言う。つい前まで「重厚長大」企業は時代の趨勢にあわない衰退産業といわれており、ボクもそう思っていた。だが、造船業界が儲かっているとは……。その秘密は第三国にあったのだ。貧しいアジア諸国がようやく船を必要とする段階に入った。そのため需要が急増している。昔、船は先進国の需要のみだった。その供給が満ちれば衰退しかない。ところが、ここにきて第三国の需要が急増し、その対応におおわらわらしい。
 昔は相手にもしなかった貧しい国が、今は日本のお得意さんになる。その変化に驚いた。なるほど、グローバリズムはこんな形で進行しているのだ。重厚長大の一翼で、絶望的な位置にあった造船業界が、実はこの世の春を謳歌しつつある。これは驚きだった。

 潜水橋を渡り、県道の舗装道路を少し行ったところで雨脚が強くなった。合羽を着る。それまで「春雨じゃ、濡れていこう」の気分でも大丈夫ぐらいの雨だったのだ。
 合羽を着ている間に千葉の早足おばさんと連れの32歳姉ちゃんに追い抜かれる。タクシー男がそのあとに追い抜いていった。抜かれるというのは、やはりしゃくにさわる。これが競争の心理なのだろう。

 
  水が出ると沈んでしまう潜水橋

 雨脚は強くなるがボクの足はいっこうに衰えない。さっき追い抜いていった32歳がガードレールに腰を下ろしている。「どうしたの?」「足が痛くて」「そう、無理しないほうがいいよ」
 あの千葉のおばさんと一緒だと大変だよ。彼女はお母さんと呼んで慕っていたが、ボクは千葉と一緒に歩くのはごめんだね。早く歩くこと、それがお遍路だと規定している人のように見受けるからだ。そんな千葉と同行じゃ苦しいわな。よっぽど別れたほうがいいよ、と言いたかったがやめておいた。
 雨はときおり小降りになってやむような気配もしたが、やがて本降りになってきた。
 なべいわ荘から13番・大日寺(だいにちじ)までの20・5キロは雨の中の遍路歩きになった。千葉のおばさんがいうように、それほど疲れないで歩ける。気温が低いせいだ。わざわざ遠回りしてまで山中の遍路道を選ぶ。舗装道路のほうが楽だけど、趣は山道のほうが断然いいからね。

 ざあざあ降りのなか、13番・大日寺に到着。疲れもなく(左腕と肩はしびれているが)門をくぐると、千葉のおばさんと神戸の元社長がすでに到着していた。こうして離れたり合ったり、なんとなく仲間という感じが生まれてくるのだな。

 
  第13番札所 大日寺

 予定ではこの近くのかどや旅館に泊まるつもりだった。でも、まだお昼。考えるまでもなく先に進むべきだろう。問題は宿だ。この先10キロは歩ける。が、宿は?
 電話だ。さがす……あるわけない。どうする……。というわけで門前の食堂に入る。なべいわ荘でお接待してもらった握り飯があるのだが、電話を使える食堂で宿の手配をするしかない。
 結果、一軒目は休み、二軒目は満員。……こうなったら、予約しているここのかどやに泊まるしかない。大日寺から14、15、16と打って、そこから引き返してくることにした。

 雨は降りしきる。風も強くなった。出発時の雨の爽快感はなくなり、わずらわしさのほうが強くなる。分かれ道にくると地図を見たいのだが、雨の中ではそれもおっくうになる。軒下で雨脚をよけて地図を広げる。
 橋を渡っていると、左手の畑の中の道をお遍路さんが歩いてくる。あれが遍路道なのだ。ボクが歩いているのは舗装道路だもの。間違えた。
 そんなミスはあったが、雨の中を14番・常楽寺(じょうらくじ)、15番・国分寺(こくぶんじ)、16番・観音寺(かんおんじ)と打っていく。

 
  第14番札所 常楽寺
 
  第15番札所 国分寺

 さすがに本日最後の観音寺では雨がいやになる。5時の納経所終了までには十分な時間があったが、参拝はやめにした。明日の朝一でこの札所から再開すればいい。
 地図を見ると、すぐ近くに鱗楼という旅館がある。ひょっとしたらそこがあいているかもと、通りすがりの人に道を聞いていたら、空のタクシーが通りかかった。思わず手をあげる。こんなところでタクシーを拾えるなんて、これは奇跡的なことだ。鱗楼はやめて大日寺そばのかどや旅館に戻る。今夜の宿は結局そこになった。

 5キロも後戻り。むだなことをやってしまったな。そう思っていたのだが、この夜、愉快な大宴会に巻き込まれてしまったのだ。岡山の大学を退官した機械工学の先生67歳と、歯科医の地盤を息子に譲り、川越に引っ込んで歯科医をやっている62歳の先生と夕食をともにする。機械先生は同室、歯医者先生は隣の部屋。ボクは57歳だから先輩たちの話は大いに参考になる。
 機械先生は雨の日はこれに限るとドライヤーで靴下や下着を乾かしている。ただ、注意しないとヒューズが飛んで宿の人に怒られたこともあるとか。虫歯の原因は火にあるという歯科医先生の興味深い話も聞いた。……が、頭がクラクラしてきた。完全に酔いがまわっている。これ以上は書けないよ。オヤスミナサイ……と。

★本日の行程
なべいわ荘→20・5キロ→13番・大日寺→2・3キロ→14番・常楽寺→0・8キロ→15番・国分寺→1・8キロ→16番・観音寺→ここで中断。タクシーでかどや旅館へ戻り泊
★計=25・4キロ (万歩計40014歩=25・21キロ)


2005年5月2日(月曜日) 第6日  ↑ページTop

 途中から酒盛りになってしまった夕食は夜中まで続き、今朝は同宿したおばさんたちに「元気よね」と皮肉られる始末。ボクは元気どころじゃない、完全な二日酔いで最悪の気分。
 朝食後、タクシーを呼んでもらい、気力をふりしぼって16番・観音寺へ行く。そこから再び歩き遍路。2・3キロで17番・井戸寺(いどじ)だから、昨日までなら軽い、軽いと鼻歌気分だろうが、雨もまだ降っており気分も悪い。歩きたくないよう。……でも、歩くしかない。……ヨロヨロしながら9時過ぎに井戸寺着。

 
  第16番札所 観音寺
   第17番札所 井戸寺

 井戸寺を後にして歩いているうちに天気も少しずつよくなり、二日酔いもだんだんおさまってくる。
 井戸寺から18番・恩山寺(おんざんじ)までは19.8キロもあり5時間の長丁場だ。二日酔いのまま歩きとおして到着。3時15分。

 第18番札所 恩山寺

 昨日から雨の中、ずぶ濡れの靴で歩いたせいか、初めて足にマメができた。今日最後の19番・立江寺(たつえじ)に着くころには、痛くて痛くて足をひきずって歩く始末。
 今日までの4日間、歩き続けたがマメはできなかった。マメはできない体質なんだと自信があったのに、やはり濡れたのがいけなかったようだ。
 途中から買い物をしたスーパーのビニール袋を履いてはみたが、後の祭りのようだ。足を濡

 第19番札所 立江寺

らすのはもちろん、湿気は大敵ということがよくわかった。
 これ以上歩くのは無理、という状態で立江寺に4時40分着。5時の門限に間に合った。足をひきずりながら参拝。助かったのはそれ以上歩かなくていいこと。今夜の宿は立江寺の宿坊だ。寺と同じ敷地にある宿坊へと向かう。やれやれ、今日もどうにか歩きとおしたぞ。

 
  第19番札所 立江寺の参道風景

 歩き遍路なら宿坊体験はぜひしてみたいもの。立江寺では、旅館でいえば大広間といった畳敷きの部屋に泊った。同宿は15人ぐらい。みんなの布団を敷いてもまだスペースはたくさんある。
 風呂・食事は旅館と変わらない。食事ではビールもOK。疲れきっていたので早々に寝る。


★本日の行程
かどや旅館よりタクシーで観音寺→2・8キロ→17番・井戸寺→19・8キロ→18番・恩山寺→4キロ→19番・立江寺・宿坊泊
★計=26・6キロ (万歩計31441歩=24・71キロ)


2005年5月3日(火曜日) 第7日  ↑ページTop

 二日酔いはなくなったが体はけっこうガタがきている。特に足のマメがひどい。歩きはじめのうちは一歩ごとにキリキリと痛む。でも、今日が最後。なんとしても歩かなくちゃ。帰りのバスも予約してあるのだ。
 立江寺の宿坊から次の20番・鶴林寺までは13・1キロ。舗装道路なので少しは楽だ。

 
  第20番札所 鶴林寺
 
  第21番札所 太龍寺

痛む足をかばいながら、無心に歩く。4時間で着いた。
 今回の旅の最後、21番・太龍寺までは6・7キロだから楽勝……と思って歩きだしたら、道は山に入っていく。なんだ、なんだ? また遍路ころがしかよ! 距離は短いのだが険しい山道に加え、足の痛みは極限にまで達している。ダウン寸前、太龍寺着。
 終わった! リュックをおろし、地面に座り込んで荒い息が鎮まるのを待つ。

 太龍寺からはロープウェイで山を降り、バスにて徳島へ。徳島から夜間高速バスで立川まで。体は疲れきっているが、バスの中ではあいかわらずあまり眠れない。


★本日の行程
立江寺→13・1キロ→20番・鶴林寺→6・7キロ→21番・太龍寺
★計19・8キロ (万歩計34615歩=21・81キロ)


2005年5月4日(水曜日) 第8日 ↑ページTop

 早朝、立川着。帰宅のモノレールの明星大駅で降りたら、今日は休日だから早朝はエスカレーターが動かないと表示されていた。
 駅から大学の構内を抜けて自宅へ帰るのだが、駅から大学までは急坂なのでエスカレーターが通っている。それが動いていないときは、隣の多摩動物公園駅のほうが歩きやすく、いつもは公園駅まで引き返すところだが、5日間もお遍路で歩いてきたのだ。このぐらいどうということはない。楽勝で坂道を歩く。
 
 自宅着7時。終わった。

★総距離 =125・7キロ (万歩計の総歩数=196629歩)
 とにかく歩いて歩いて、いやというほど歩いたと思っていたが、125キロとはそれほどでもない。ま、お遍路入門者としては妥当なところか。

 ひょいと四国へ――次はいつになることやら。

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  Last modified 2011/03/17                      みきかノート/がんになってからのこと