018 ♥ 2016.09.16 めまい発作からペースメーカー植込みまで、一連の出来事の中で、わたしが、 「マイッタ! どげんもならん!」 と痛感したのは、3か月前、6月16日の「一過性意識消失発作」である。 なにやら仰々しい名前の発作だが、漢字の意味をひもとけば、一過性は一時的であること、意識消失は意識がなくなること、よって、「一時的に意識がなくなる発作」ということになる。 医学用語はむずかしくていけない。簡単にいえば、失神、気絶のたぐいだ。とはいえ、これは、普通に生活している中で、そうそう体験するものではないだろう。 わたしは、酒飲みの常で、意識もうろう、翌朝何も覚えていない――ことは、これまで数知れずあった(今は断酒中)。 だが、しらふで、意識がプツンと途切れ、気づいたら地面に寝ていた――のは、人生初体験だ。びっくり仰天とはまさにこのこと。 前回の【017回】で書いたように、そのころは、たび重なるめまいに悩み、専門外来で各種の検査を受けて原因をさぐっていた。前日も脳のMRI検査を受けたばかりだ。 結果が出るのは1週間後だし、モヤモヤした気分をまぎらわそうと、その日の夕方、近くにある大学まで軽いジョギングをした。走ると言うよりは歩くと言ったほうがいいぐらいの、超スローペースのジョギングだ。 トコトコ走っていると、ポツン、ポツンと雨が落ちてきた。長く走るつもりはない。降
そんなことを考えながら、大学の構内に入り、のんびりとゆるい坂道を上る。 坂だからといって息がはずむわけでもない。体の状態は、歩いているのと変わらない。無理をする気はまったくないのだから。 そんな楽な状態なのに、坂を上りきったそのとき、なんの前触れもなく、突然、めまいに襲われた。 目の前が真っ白になる。 立ってるとアブナイッ! その思考が頭をかすめ、とっさに手をつこうと前かがみになった……と思う。が、実際に手をついたかどうか、記憶が定かではない。 次の記憶は、 あれっ? どこで寝てるんだ? ベンチ? と思ったこと。 そして、雨粒が顔に当たり、ベンチではなく大学の通路に、大の字になって寝ていることに気づいた。 地面に手をつこうとしたところから、通路に寝ているのに気づくまでの記憶がまったくない。目まいの直後に意識がなくなった? そう、人生初の失神だった。 めまいの前は、ゆっくりゆっくり、10分ぐらいしか走っていない。呼吸に注意し、息が苦しくならないように気をつかっていた。だから、めまいに襲われるほどの運動量とは、とても思えない。 ところが、そんなわずかな運動時間・運動量なのに、意識を失ってしまった。 こいつはまずいよ、ほんとにまずい。 これまで、激しい運動をするから、酸欠でめまいが起きる、と思っていた。しかし、今日みたいなことがあると、たとえば、車を運転しているときでも、めまい→失神となりはしないか? うん、たぶんそうなるだろう。 いや、いや、ダメだよ、それは! 今回は、運がよかったのかもしれない。まず、倒れたのが大学の通路だったこと。もし、キャンパスに入る前、車の行き交う道路で倒れ、そこに車が走ってきていたら……。 また、倒れる直前、記憶に残っているのは、手を出して地面に膝をつかなければ、と思ったことだけで、実際にどうしたかの記憶はない。にもかかわらず、顔や頭を打った痕跡はなく、五体無事で大の字に寝ていた。 これは、今もって不思議でしようがない。地面に手をつこうとした瞬間に意識がなくなったとしたら、体は前のめりに倒れこみ、地面に顔を打ちつけても不思議じゃない。 百歩譲ってゆっくり倒れこんだとしても、うつぶせになるだけの話だ。それなのに、気づいたら大の字だ。いつ仰向けになったのか、記憶は空白のまま。 ひょっとしたら、体を守ろうとする無意識の機構があるのかもしれない。 ともあれ、この失神体験で最大の驚きは、意識の消失は、アッとかエッとか声をあげる暇もないほど、瞬間的な出来事ということ。 仏教では、刹那という最小時間があるそうだ。 今風にいえば、10のマイナス18乗、つまり「1÷〈10の18乗〉」というから、人間ではとうてい意識できないほど短い時間だ。 意識は、めまいを覚えたその刹那、消失する。 これは、まことにおそろしいことだ。なす術など何もないのだよ。なにしろ刹那の出来事なのだから。それがわたしの実感である。 次は、いつ発作が起きるのか? もしも発作が起きたら、どげんもならんことは、はっきりしている。 その恐怖から逃れるためには、ペースメーカーを植込むしかなかった。 【018・一過性意識消失発作】 |
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