10月の氷ぜんざい
2010年10月1日、沖縄本島の安座真港から14時発のフェリーくだかで久高島に渡った。4日間の予定で
安座真港から久高島へ渡るフェリー。 |
島を拝巡するためだ。
25分で久高島の徳仁港に着く。降りたのは10名足らず。10月ともなると、観光客も減ってくるようだ。
暑い昼下がり、港から集落へ通じる上り坂の道をのんびりと歩
久高島へ到着。乗客は数えるほどだった。 |
く。今日と明日は民宿の「小やどさわ」に予約をいれてある。
ネットで調べた資料には3時からと書いてあったので、坂を上ったところにあるフェリーの待合所で氷ぜんざいを食べて時間をつぶす。
待合所は土産物や軽食を扱う店も兼ねていて、というより店が主で片手間に切符を売っているようだが、クーラーはない。業務用の大きな扇風機が風を送っているだけだ。
10月だというのにさすがに沖縄。真夏の暑さ。氷ぜんざいでも体は冷えてくれない。
待合所を出て適当にぶらぶら歩いていると、ネットで見た写真と同じ色の青い屋根が見える。アングルがそっくりだったのでここから撮ったのだろう。小やどさわ。素泊まり3000円。クーラーつき。
青い屋根の小やどさわ。 |
こんにちわ。
玄関のドアは開け放たれている。声をかけると50がらみの女性が出てきた。家主が出かけているので、と応対に出てきた彼女が話し好きで、庭にしつらえたパラソルの下で長話になる。部屋が満室らしく、どこに割り振るかまだ決まっていないようだ。予約はだいぶ前にいれたのだが……。
やがて家主の西銘佐和子さんが帰ってきた。「小やどさわ」のさわは佐和子のさわだったのか。
部屋に通される。民宿用の部屋ではなく、西銘家の台所の隣にある6畳の部屋だった。いつもはだれか家の人が使っているのだろう。床の間と押入れを改造した棚に、おびただしい数のお供え物(?)が飾られていた。見れば絵や書、仏像、天使の彫像、パワーストーンに千羽鶴……などなど。これはいったいなんだ?
お供え物のようだが……。 |
シャワーをあびて着替え、台所でお茶を飲みながら雑談。わたしの部屋のお隣さん――襖で仕切られただけ――に泊る女性も出てきて話が盛り上がる。20代には見えないが、とにかく若いお嬢さんだ。今回は久高島を目的に来たというから、相当の沖縄ツウなのだろう。
わたしは「あがりうまーい」の最終地として来たのだが、ありきたりの沖縄観光にあきたりない若い女性の間では、久高島はけっこう評判のようだ。ま、神の島というキャッチフレーズは、たしかに女性ウケしそうではある。
食事処とくじん。 |
久高島の闇
民宿さわは素泊まりなので、夕食は「食事処とくじん」に行く。さしみ定食1500円。
食べている間に日はとっぷり暮れた。たちまち闇が濃くなる。道路がぼんやり見えるだけで、街灯がないとけっこうコワい。懐中電灯など考えもしなかったが、この島では必需品だった。
島の地図がどうにも頭に入らない。集落の道路が網の目のように入り組んでいるからだ。極端にいえば、直線と呼べる道路がないし、直角という曲がり角がない(ように思える)。集落を外れて島の先端に行く道は滑走路のように直線なのだが、いったん集落に入ると、曲がって曲がって曲がると元に戻る、ということが何度もあった。
島に遊びに来る人はほぼ例外なく自転車を借りて乗り回しているのですぐに慣れるのだろうが、わたしは巡礼のつもりなので歩きを通した。歩きだと道を覚えるのに時間がかかる。間違えた、じゃあ元に戻って別
この道も夜になると明かりがなくなる。 |
の道を、というわけにはなかなかいかないからだ。
とくじんを出て、別の道から帰ろうと、ひとつ手前の角を曲がって知らない道に入る。民宿までほんの数分だし、だいたいの方角はわかる。だが、暗い道はどこまで行っても見覚えのない光景で、角を曲がれば曲がるほど、方向がわからなくなる。途方に暮れて見上げた夜空は満天の星だった。知らない土地では夜に歩きまわらないこと。今日の教訓だ。
民宿の予約
久高島の2日目。6時起床。
昨夜はよく眠れなかった。ふすま一枚向こうに見ず知らずの若い女性が寝ていると思うと、どうにも寝苦しい。クーラーも調子が悪く騒音がひどい。といって、切れば切ったですぐに暑くなる。
目の前に港がある公園で朝食。 |
7時朝食。朝食は港の見える丘公園でパンと缶詰。前の日に民宿の隣にあるすみれスーパーで買っておいたものですませる。公園の正式な名前は知らない。わたしが勝手に名づけた。徳仁港から坂を上った高台にあり、港がよく見えるから。
8時、久高島巡拝に出る。島内を歩いて回る予定だ。
小やどさわに連泊なので空身で回れる。それはそれでありがたいのだが、別の宿にも泊ってみたかった。3泊するので別々の民宿3軒に泊り、違った体験ができればおもしろい。
ところが、予約の電話を入れると、島の民宿「はーにぃ」は電話が通じず、次にかけた「二ライ荘」は男ひとりはお断り、と言われた。男性ひとり客の自殺事件があったとかで、ご遠慮願っているとのこと。
女性のひとり客ならわかるが、男が敬遠されるとはなあ。だけど電話に出たおばあちゃんの話しぶりではほかの民宿もそうらしい。久高島の民宿は4軒しかない。そのうちの2軒がこれじゃあ3泊できないかも。
民宿の二ライ荘は2階建てだった。 |
1泊で予約をしていたさわにあわてて電話をし、1泊を2泊にしたいとお願いした。大丈夫との返事。あとの1泊は「久高島宿泊交流館」の予約がとれた。
島に来てわかったのだが、さわの佐和子さんは、そんなことをあまり気にしないおおらかな人だった。二ライ荘のおばあちゃんは気にするタチなのだろう。
さて、拝巡は島の東側の外周道路から行くことにした。久高島は南北に細長く、東側と西側に周回道路がある。さわを出てしばらく行くと未舗装の細い道路になる。軽自動車がぎりぎり通れるぐらいの道幅だ。
久高島は南北に細長い形をしている。 |
道の右側は林。防風林の役目をしているのだろう。うっそうとした木立の向こうから波の音がかすかに聞こえる。左は幅50メートルぐらいの畑が道路沿いに連なっている。所どころにある雑草が生い茂った区画は、耕作放棄地だろう。
畑で働いているのは大部分が女性だ。鍬を頭上に振り上げ、打ち下ろす。実に力強い。神女(かみおんな、ノロ)で有名な島だが、源流にはこうしたたくましい女性性があるのだろうか。
久高島の神女
久高島の東側の道路。 |
久高島には神女の伝統、そしてイザイホーという神事がある。いや、あったというべきか。神事は32年前の1978年を最後にとだえているという。いずれにせよそれらは、なんだか謎めいて神秘の香りがする。島外の人間には昨夜の闇と同じで、よく見えないが……。
そもそも神女とは何者なのか。
民俗学研究家としての岡本太郎氏は『沖縄文化論』でこう書いている。
「神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ。のろはそのとき神と人間のメディウムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する」
神と人間のメディウム、つまり媒体がノロというものであるらしい。
人間は神と直接に対面することはかなわない。だから媒体を通じて自分の願いを届けてもらう。あるいは知りたいことについて質問し、媒体を通じて答えを得る。このように、神にすがるしか方法のないときには、ノロが絶対に必要なのだ。
思えばわたしの未来も「神のみぞ知る」事柄のひとつだ。今は消えているがんが再発するかしないか、わたしのいちばんの関心事はそこにあるのだが、現代医学では答えは得られない。もし答えられるとすれば、それは神だけだろう。
ならば、シャーマンであるノロの「超自然的な吸引力」で神の「顕現」をうけ、神に直接教えを乞いたい。わたしのがんは、再発せずに完治するでしょうか、と……。
神の島を歩く
朝の空気はすがすがしい。進行方向右手に当たる東側が林なので道路は木陰になり、そのせいもあって涼しくて気持ちがいい。
歩いていると、アダン、ビロウジュ、アカテツなど南国の植物が目に楽しい。植生が違うだけで、異国に来たという新鮮な感覚になれる。
ニライカナイ遥拝の聖地いしき浜。 |
右手の林には所どころ海へ降りる小道がつけられていた。こうした海岸のなかでも有名なのはいしき浜だ。東海岸にあるこの浜は、もちろん太陽の昇る所であり、太陽神(東方)崇拝の場所となり、ひいては理想郷ニライカナイ遥拝の聖地となった。
浜に出てみる。いい天気だ。空は青く、海もまた青い。白い砂浜の先には潮が引いて顔を見せている岩礁。沖合で波が砕けて白い線を描いているのはリーフ。その手前と向こうとでは海の色がはっきり異なっている。
水平線のかなたには、まだ低い太陽がまぶしく熱くきらめいている。この島では太陽(ティダ)は特別な存在らしい。こんな伝承がある。
「ティダはあしたに東海のティダが穴から昇り、西の海に沈み(入り)、海底や地底の世界を通り再びティダが穴から昇る。太陽の生と死、生(昇り)は祈願の対象であるが、沈む(入り)は拝んではならない」
今は昇る太陽だ。祈願。聖地巡礼ではいつも行う請願の言葉を唱える。
元の道に戻ってゆっくり歩く。やがて畑もなくなって両側は低い灌木が茂り、その間を切り裂くように白い道
だれもいない白い道を歩く。 |
が続く。道のはてには空が見えるだけだ。
わたしひとり、だれもいない道を歩いていく。途中で車とすれ違ったきり。静かだ。空が青い。白い雲が湧いている。そして暑い。南の島の自然の中にひたりきって、わたしだけが歩いている。
突き当たりは海だった。島の最北端に当たるカペールの岬。祖神アマミキヨが渡ってきて一時住んだという伝説の場所だ。
島の最北端のカペール。 |
突端の岩場で島のおじさんが釣りをしていた。その脇を回り込んで、さしわたし数メートルほどの小さな
透きとおった海がすばらしい。 |
浜に降りてみた。荒い波が打ち寄せる。そろそろ潮が満ちてくる時刻か。
ボーッと海を見ていると、同宿の青年が自転車でやってきた。そういえば、来るときの白い道ですれ違った島のおじさんが運転する車には、隣の部屋の若い女性が乗っていたな。手を振って別れたが、男はレンタルの自転車、女は島の人の車。島内を巡るのにこの違い。神の島の男どももやるもんだ、と思わず笑ってしまう。
帰りは白い一本道を20分ほど戻った後、右手に折れて島の西側の道をたどる。久高島の名所ロマンスロードの絶景を眺め、次のフボー御嶽はなんとなく気分がのらずにパス。島の中央を貫く舗装道路に戻ってテ
島の名所ロマンスロードと休憩所。 |
クテク歩く。
メインロードだけに、自転車に乗った若い女の子たちとすれ違う。やはり島の観光には自転車だね。こんにちは、のあいさつは島のルールのようだ。見知らぬ仲でも声をかけあうというのは気持ちのいいものだ。
8時に宿を出て、お昼はとっくに過ぎ、1時に近いころ、港のそばに戻ってきた。5時間近くたっているが、歩いた距離はほんのちょっと。木々を眺め、海を眺めていた時間のほうが長い。全周長7・9キロしかない島だから、本気で歩けば2時間足らずで一
休憩所の近くから見た久高の海。 |
周してしまう。
さて、お昼ごはんだ。島の食堂は3軒。今日は「さばに」で海ぶどうのどんぶり定食とノンアルコールビール。1500円+300円也。ノンアルコールビールは普通180円ぐらいだが、島値段というやつだ。これもしかたがないか。
お昼に食べた海ぶどうのどんぶり定食。 |
ごはんのあとは昼寝と決めていたので、港が見える丘公園のベンチで横になる。日差しは強烈だが、ここは東屋風の屋根があり、高台なので風が吹き抜けて涼しい。昼寝にはもってこいの場所だ。
昼寝のあと宿に戻ると、同宿の若いふたりはとっくに帰っていて、これから泳ぎにいくという。それじゃ一緒に、と連れ立って近くのめーぎ浜に行く。ふたりはちゃんと水着に着替えてきたが、
めーぎ浜。 |
わたしは歩いて汗まみれになったままの服で海に入る。爽快なり。
若いふたりに老人が混じってもしかたがない。ふたりと別れて、もう一箇所、拝巡の途中で発見したロマンスロードの砂浜へ行く。ここからなら歩いて30分とふんでいたが、ちょいオーバーの40分かかった。拝巡はちゃんと靴をはいていたが、今度は島ぞうりをペタペタいわせながらの歩きだからそんなものか。
ロマンスロードから見下ろすと、荒い波が打ち寄せ、満ち潮で砂浜がなくなっている。ありゃ、残念。
満潮でこの砂浜がなくなっていた。 |
引き返しながら道路脇の崖を見ると、女の子がひとり崖っぷちに膝をついて海面をのぞき込んでいた。
あぶないな〜。落ちたらどうするんだ。まてよ、もう夕暮れが近い時間、こんな場所にひとりなんて。ひょっとして……。自殺男の話がよみがえる。
少し離れた崖にたたずんで沈む夕日を見ていると、件の彼女が声をかけてこちら側の崖にやってきた。ここからはきれいな夕日が正面に見えるのだ。明るく屈託のない声にホッとする。
きれいだねー。ええ、このあたりはお魚さんが集まってくるんですよ。……なんだ、それで下をのぞきこんでいたのか。
夕日が雲に隠れ、少しずつ暗くなってくる。久高島の一日の終わりだ。夕食は昨日と同じとくじん。ほかの
久高島のサンセット。 |
店はすでに閉まっている。
1500円のさしみ定食を頼む。昨日とおなじだがしかたがない。定食ではほかに海ぶどうとイラブーしか残っていなかったのだ。海ぶどうはお昼に食べたし、あとはイラブー、見るからに蛇だ。わたしが唯一キライなものが蛇なのだ。あのザラザラ肌、チロチロ舌、ギロリまなこ、クネクネ動き……、やだやだ、こうやって思いうかべるだけで鳥肌がたってくる。
帰りは昼間泳いだめーぎ浜に寄り道。星を見てきた。灯台の明かりがじゃまだったが、それでもきれいな星が無数にまたたいて楽しませてくれた。
フボー御嶽
翌朝8時にさわを出て、久高島宿泊交流館に向かう。今日の泊りはここだ。2階の部屋で、クーラーつき4000円。1階はやや安くて3500円だが、平屋が多い久高島では2階家は珍しい。眺望もいいはずだし迷うことなく2階に決めた。
久高島宿泊交流館の和室。 |
フロントに荷物だけ置かせてもらうつもりだったが、部屋の準備はできているということで、2階の「しまーし」に案内される。
8畳の和室。大きいテーブルがぽんと置いてあるだけの簡素な部屋。清潔だしこれで十分。干渉もまったくなしの様子だから、願ってもない宿だ。
荷物を置いてさっそく昨日歩き残した島の西側部分を歩く。いったん港まで出て、そこから海沿いの道を北に向かう。漁港を過ぎて少し行くと墓地。昨日は避けてしまったが、今日はそのまま直進し、墓地を左手に見ながら進む。ていみ城、ヤグルガーを拝巡し、いよいよフボー御嶽だ。
ていみ城近くの眺め。 |
フボー御嶽は久高島第一の聖地で、全面立ち入り禁止になっている。霊威の高い御嶽としてはたぶん沖縄随一だろう。
フボー御嶽の案内板。 |
入り口からのぞくと日差しが入らないほの暗い林の奥に祭祀場があるようだが、しかとは見えない。というより、興味本位にのぞいては失礼に当たると思い、一瞥しただけで視線をそらしてしまったので、ほとんど何も目にとまらなかったのだ。
琉球王府が尊重し、東御廻り(あがりうまーい)の特別な聖地ともされてきたフボー御嶽。本島のあがりう
フボー御嶽はこの林の中にある。 |
まーいを終えてきたわたしには、林の奥のほの暗い聖所にひそむ霊威は畏れ多いものに思われる。わたしごとき俗人が触れるものではない。
足早に御嶽の入り口を離れ、そういえば写真を撮るのを忘れた、と思ったが、引き返す勇気もなく、遠くから木立ちを撮るだけにしておいた。
フボー御嶽の霊威にうたれたわけでもないが、俗世のちり・あくたを洗い流したくて、昨日あきらめたロマンスロードの砂浜で泳ぐことにした。みそぎだ。
数人いた先客も帰ってしまった。人はだれもいない。砂浜をひとりで独占。泳ぐといっても波まかせでプカリプカリ漂うだけだ。だれもいないのを幸い、まとわりつくじゃまな衣服を脱ぎ去る。何も身につけずに海中を
ひとり占めにした久高島の海。 |
漂っていると、心がすっからかんになってしまう。わたしは海に漂う単なる物体にしかすぎない。
「神は自分のまわりにみちみちている。静寂の中にほとばしる清冽な生命の、その流れの中にともにある。あるいは、いま踏んで行く靴の下に、いるかもしれない。ふと私はそんな空想にとらわれていた」
前に紹介した岡本太郎氏は久高島を2回訪れている。その感想をつづった「神と木と石」の中で、氏は、自然なままの木と石だけの沖縄の御嶽は「神と人間の交流の初源的な回路」だと感じている。そして、上の文章のように「神は自分のまわりにみちみちている」と書いた。ならば神は、この海辺にもいるかもしれない。木と石のかわりに水と砂だけのここもまた、神と交流する初源的な回路の条件をそなえた御嶽といえはしないか。
一個の物体となって海を漂う。手足を大の字に開き、目を閉じて微動だにせず、仰向けに浮かんでいるだけのわたしを、もしも神が天の高みから見たら、死体と思うだろうか。
がんが消えているとはいえ、検査で見つからないだけで、いずれ牙をむいてくるなら、今のわたしは死んでいるも同然。そうなら、神の目では死体となって漂っていると見える……かもしれない。わたしのまわりにみちみちている神よ、真実はどうなのか、ご教示願えないだろうか。
静かだ。仰向けの状態で海に浮かんでいると、水中にある耳には何も聞こえない。シーン、という音が聞こえるような気もするが、それは水の圧力が鼓膜を押しているせいじゃないかな。
答えはない。当然だ。ノロでもないわたしに神が顕現するわけがないか。ただ、こうやってゆらりゆらり波間に漂っているのはほんとうに気持ちがいい。もう死んでもいいぐらい。えっ、そんな。冗談、冗談。
波に揺られ、陽に照らされ、海の開放感を堪能した。神の臨在を感じるにはほど遠い俗物のわたしだが、こんな生活が送れるなら沖縄暮らしもいい。
ああ、神の島だというに……
帰る道で、同宿だった女性とばったり出会う。朝、お互いに宿替えで別れたばかりだが、島のメインストリートだから会うのも当然か。今日は自転車で島巡りのようだ。
彼女が移った民宿はだいぶ古びていそうな話だ。それに、洗濯をしようと洗剤をさがしていたら、洗濯籠の底に猫の赤ちゃんの死骸が入っていたとか。野良猫が知らない間にそこで出産したようだ。島にはあちこちにノラがいる。
家で飼っているクロによく似たネコがいた。 |
わたしが移った交流館は清潔そのものだが、今から宿替えもできないし、運が悪かったとあきらめるしかないな。民宿のおばあはいい人らしいから、ま、何事も体験だ。それじゃね。
そうそう、体験といえば彼女にはもっと勉強になる出来事があったようだ。昨日、島のおじさんの車で島巡りを楽しんだ彼女は、そのあと夕食に招待された。同宿の青年も彼女と連れだっているときおじさんと顔見知りになり、一緒に招かれた。
いってらっしゃい、と送りだしたわたしだが、今朝、彼女がなにやら佐和子さんに相談している。なんでも、お礼とお詫びに何か持っていきたいのだが何がいいか、といったことのようだ。お礼はいいとしてお詫びってなに?
聞くと青年が事情を話してくれた。昨夜の夕食はすっかり盛りあがって彼女が酔ってしまい、おじさんの膝で寝てしまうようなことがあったようだ。それが奥さんの癇に障った。おじさんとケンカになり、修羅場……。とめに入った青年はほとほと弱ってしまったようだが、彼女は「酔ってただけで、そんなつもりはなかったのに。よく覚えていないの」と、わりと平気な顔をしている。
とはいえ、内心は反省しているのか、殊勝に手土産下げて挨拶に行くつもりのようだ。まったく、酔っぱらって膝枕をきめこむ彼女も彼女だが、それを許し、かみさんが嫉妬するほどにやける男も男だ。神の島だというのに、恥ずかしくないのか。
夕食は例によってとくじん。時間が遅くなるとここしかあいていないのだからしかたがない。
遅くいったので今日もメニューが少なく、残っているのがイラブー定食と海ぶどう丼。ちょっと迷ったがどうしても蛇を食す気にはなれない。海ぶどう丼は一度食べているが、ほかにないのでそれにした。
帰り道はまっくら。交流館は集落を通りぬけたはずれにあるので、まったく明りのないところも歩く。物の怪は闇にひそむ。これだけ闇が濃いと尋常ならざる物の怪がいそうだ。あ〜、コワ。
こわいといえば交流館の夜もけっこうこわかった。これは物の怪というより人間のほうだ。というのも交流館の職員が帰ると、管理する人はだれもいなくなる。しかも、玄関の戸は24時間開けっぱなし。夜中にだれかがこっそり入ってきてもわからない。たしか、警察なんかなかったよな。部屋のカギだけはしっかり締めておこう。
さらば、神の島よ
今日は帰る日。6時起床。空はどんより曇っている。風も強い。予報どおり天気は悪くなりそうだ。最後の数時間、できればひと泳ぎしたいのだが。
8時朝食。 久高島でちゃんとした朝食を食べるのはこれが初めて。交流館の朝食メニューは魚のフライに細切りポテト炒め、チャンプルー風きんぴら、海草汁、漬物。いずれも味がうすい。どうもわたしの舌には
交流館の朝食。 |
合わないな。
食堂といったものはなく、玄関脇のフロアーに置かれたテーブルでの食事。中年のご夫婦と若い女性、それにわたしの4人だった。昨日の泊り客はこれだけということ。朝食500円。
朝食後は荷物の整理。リュックに詰め込むだけなのですぐに終わる。11時の船で帰るがもう少し時間がある。雨は大丈夫そうだし、曇り空だがたまに日差しもあるので、最後にめーぎ浜で泳ぐことにした。行ってみるとだれもいない。ちょうど引き潮の時間で岩礁が顔をのぞかせていた。
海に入るとやや肌寒い。思い切って首まで浸かってしまえばすぐになじんでくる。ぷかりぷかりと無重力の心地よさに身をまかせる。今はこんなことをして楽しんでいるが、夜には東京だ。いつもの生活に戻る。名残惜しいなあ。
見る間に遠ざかる久高島の徳仁港。 |
11時、久高島・徳仁港発。11時15分には安座真港に着いた。
来るときはフェリーだったが、帰りは高速艇。波が船底にドカンドカンとぶつかり、衝撃がすごい。来るときののんびり船旅とは大違い。そんなに飛ばさなくても。
あっという間に安座真港着。那覇行きのバスの時間まで30分ほどある。しばし休憩。待合所の売店でアイスを買ったら「当たりの花子さん」が出た。昨日、久高島で食べたときは外れだったのでちょっと嬉しい。
と喜んでいたら、ポケットに部屋の鍵が入っているじゃないか。返し忘れた!
どうしよう。船の切符を売っているおばさんに相談すると、乗組員に託したらどう、と言う。船はすぐにも出港しそうだったので走って桟橋に行き、鍵を託す。最後の最後にこれじゃあ、情けないわい。
11時45分、那覇バスターミナル行きの東陽バスで安座真を発つ。
バス停に行ったら交流館で同宿だったご夫婦がいた。朝食、船、バスと一緒だ。バスが来るのを待っているとタクシーが止まり、3人の相乗りならひとり1000円でどうかと言う。バス代は760円だから1000円はまあまあか。でも、沖縄の風景を見ながらのんびりいきたいので断る。時間もたっぷり、急ぐことはない。
12時45分に那覇BTに着いた。那覇ですることもないのでそのまま旭橋発のモノレールで空港へ。
空港へ行くモノレール。 |
帰りの飛行機はイライラすることばかり。定刻に滑走路まで出たのはいいが、そこから先、とまったままだ。順番待ちが長い。小一時間たとうかというころようやく離陸。窓際の座席を予約してしまったので飛行中は自由に動けない。通路側の若いカップルは眠ってしまうし、トイレもつい我慢してしまう。
帰りの空港バスは時間ぎりぎりなのであきらめていた。が、出口に近い座席だったのですぐに出られた。時計を見るとまだ5分ある。いっちょう、やってみるか。
まずトイレに駆け込んでから、よし、いこう。
走った、走った。たまたまバス停に近い到着出口だったのも幸いして、発車間際のバスに間に合った。これで、ほぼスケジュールどおりの旅を過ごせた。終わりよければすべてよしだ。
21時、自宅着。おつかれさん。
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